メディオラヌム
年末年始と体調不良が重なったのに加えて、私が最も執筆を苦手とするラブコメ風の回だったので、相当時間がかかってしまいました。
大変申し訳ございません。
ローマを出発して3日目の昼、俺たちはメディオラヌムに到着した。
この街に来るのは前世を含めて初めてだけど、思ってたよりずっと活気のある街だ。
円形劇場や学校があり、交通の要所のため宿も多い。
何より北部の交易の中心地ということもあり、街のメインストリートは屋台や行商人で溢れかえっている。
そのせいで護衛隊とはぐれてしまった。
「ダメだ完全にはぐれた……」
「皆さん、どこに行っちゃったんでしょう……」
俺とオクタウィアは馬車を降りた途端、行商人の人波に飲まれて、気がつくと護衛隊の姿は見えなくなっていた。
俺たちは見知らぬ街で迷子になってしまった。
この心細さは尋常じゃない。
特にオクタウィアはまだ13歳。
頼りにできるのも隣にいる16歳の暴力夫だけ。
こんな状況が長く続いたらオクタウィアのメンタルが壊れちゃうよ!
でも逆にこれはチャンスだ。
ここで俺がオクタウィアに優しくして、支えてあげれば、俺の評価はメチャクチャ上がるはずだ。
いや、考えが甘すぎるかな?
でも優しくするに越したことはない。
まずはオクタウィアが安心できるように俺が冷静にならないと。
「心配するなオクタウィア。なんとかなる。あいつら結構目立つ格好してるからすぐ見つかるって」
「そうだといいんですけど……」
「そうだ!もっと見晴らしのいい場所に行って探そう」
「見晴らしのいい場所?
その時どうやって目敏いセネカや百戦錬磨のブッルスたちの目をかいくぐっていたかというと、屋根の上を使っていた。
流石にセネカたちも俺が屋根を通って街に行っているとは思っていなかったようだ。
流石に18歳を超えたあたりからはそういう事もしなくなったが、久しぶりにやってみるか。
ちょうど良い高さの建物もあるし、風も少なくていい感じだ。
「ほんとに登るんですか?」
「当たり前だ。登った方が見つけやすいし、何より登れば目立つから、あいつらからも見つけやすくなるだろ」
「お、落ちないでくださいよ」
オクタウィアは唇を少し噛み、眉をひそめて心配そうな顔をして、祈るように手を強く合わせている。
俺が建物に手をかけて登ろうとするとさらに目もギューと閉じた。
「そんなに心配そうにしないでくれよ。こっちまで心配になるじゃん」
「だ、だってぇ……心配もしてあげられないなら私どうしたらいいんですか」
「普通にしてればいいんだよ」
心配してくれるのはありがたいが、心配されると自分に自信がなくなってくるんだよな。
萎縮してしまう前に早く登ってしまおう。
だが登ってる最中にも下からオクタウィアの「ひゃぁ」みたいな力ない悲鳴が聞こえて、俺の恐怖をさらに誘う。
頼むからやめてくれ。
幸い16歳の頃の俺は体が軽く、体を脚の力で持ち上げて、腕を曲げて引き寄せればスルスルと登って行ける。
なんて楽なんだ!
20歳になる頃にはストレスで爆食いして、この身体力が見る影も無くなってしまうと考えると、なんだか勿体無い気がしてきた。
3分もしないうちに屋根にたどり着いた。
ここからならメディオラヌムの街が一望できる……とまではいかないが、かなりの範囲が見下ろせる。
しかしこんな小都市でも凄い人の数だ。
しかも異国の商人とか道化師とか、護衛隊より目立つ奴らが沢山いて一向に護衛たちが見つからない。
しばらく上から街を眺めていたが、ついに護衛隊の姿は見つからなかった。
ずっと下から心配そうに見つめてくるオクタウィアが流石に可哀想になってきたので一度屋根から降りた。
「どうでしたか?誰か見つかりましたか?」
「いや、ダメだ。見つからなかった。もっと高い建物に登れば――」
「そ、それより誰かに聞いた方が速いんじゃないですか?護衛の方々も私たちのことを尋ねて回ってるでしょうし」
「あぁ〜、お前頭いいな」
確かにオクタウィアの言う通り、護衛たちも俺たちのことを聞いて回っているはずだ。
俺たちも聞き込みをすれば、護衛たちに質問された人に巡り会えるかもしれない。
運が良ければ護衛と直接再会できるかもしれない。
※※※
聞き込みを初めてどのくらい経っただろうか。
有益な情報が見つからないまま時間は過ぎ、気がつけば陽も沈みかけている。
「クソっ……こんなに見つからないものなのか?」
「これだけの人数に聞いたのに誰も護衛の方々を見てないなんて……」
「やっぱり屋根から探すしかないな」
「もう日も暮れてきましたし、危ないですよ」
「……じゃあどうすんだよ」
オクタウィアは少し考えてから言った。
「少し休憩しませんか?」
「え?」
「もうクタクタで……」
オクタウィアは普段ほとんど宮殿から出ない。
だから体力が少なくて、動くとすぐ疲れてしまう。
そうでなくとも今日はもう半日歩いている。
彼女にしては今日はよく頑張っている。
「わかった、どこか休憩できる場所探そうか」
「ありがとうございます陛下」
大通りや屋台が立ち並ぶ通りで立ち止まろうものなら、たちまち人波に揉まれて大変なことになる。
休憩できそうな、どこか人の流れがゆっくりで広い場所を探す。
少し歩くと人が少なくて静かな広場を見つけた。
なんと噴水まであるぞ!
だが街行く人々は商売に夢中で、金の匂いの一切しない広場と噴水には目もくれない。
「ここなら少し休めそうだ」
「いいところですね……表の騒がしさが嘘みたいです」
2人で噴水の縁に座る。
座って初めて、俺もかなり疲れていたことがわかった。
オクタウィアに至っては、足の筋肉が少し痙攣している。
「大丈夫かオクタウィア?足、震えてるぞ」
「大丈夫です、ちょっと疲れただけです」
「無理はするなよ」
「今日は随分優しいんですね」
「こんな時だからな、少しは優しくしないと」
「こんな時じゃなきゃ優しくしてくれないんですね」
少し拗ねた口調でオクタウィアが言う。
俺は焦って言葉を探す。
「冗談ですよ。最近はずっと優しくしてくれてるの知ってます。旅行まで計画してくれるし、まるで人が変わったみたいです」
「いや、実は旅行を計画したのはワケがあって、お前に……その……」
「私と仲直りしたかったんですよね。わかってます」
「な、なんでわかったんだ!?」
俺が驚く様子を見て、オクタウィアはクスクス笑った。
「だって私の部屋の前でブリタンニクスに旅行のこと相談してましたよね?聞こえないわけないですよ」
「あぁ……そっか、確かにそりゃ聞こえるよな」
確かあの時、偶然廊下でブリタンニクスと会ってそのまま今回の旅行のこと話したんだっけ。
やっぱりちゃんと部屋に行って話すべきだった。
「でもどうして旅行なんですか?ただ謝るだけじゃダメだったんですか?」
「酔ってたとは言え、お前を殴ったことには変わりない。ただ謝るだけじゃなくて喜ばせたかったんだ。たまには夫らしいことをしたかったんだ」
「そんなに気に病まないでください陛下。もう怒ってませんから」
「本当か?無理してないか?」
「無理なんてしてません。そこまで痛くありませんでしたし、あの時の陛下相当酔ってたみたいですから。それに……陛下が私のことをこんな想ってくれてるってわかっただけでも私は嬉しいです」
そこまで言うと、オクタウィアは目に涙を浮かべた。
彼女の中で抑えていた感情が爆発したんだろうか、なんの前兆もない突然の涙だった。
だから俺も困惑してしまった。
多分オクタウィア自身も困惑しているんだろう、「なぜ!?」といった様子で溢れ出る涙を拭っている。
俺はかける言葉が見つからず、ただオクタウィアの震える小さな肩にそっと手を置いた。
慰め方がこれで合っているかはわからないが、とりあえず少し落ち着いたみたいだ。
それでもまだ、時折声を詰まらせながら話す。
「私、陛下に……嫌われてるんじゃないかって……ずっと不安だったんです。避けられているのはわかってました。政略結婚だし……母のこともあるから、嫌われちゃったかなって……」
「そんなんじゃねぇよ。話しかけるのが怖かっただけだ。俺の方こそ恨まれてると思ってたから……いや、恨まれて当然だ。お前の婚約者を自殺に追いやったのは俺だ」
「シラヌス……」
シラヌス、オクタウィアの元婚約者。
母さんにオクタウィアとの婚約を無理矢理破棄され、俺たちの結婚式の日に自殺した男だ。
この訃報と共に俺たちの結婚生活は幕を開けた。
結婚してから、ずっと喪に服したような結婚生活を送ってきたのも多分これのせいだ。
その後しばらく沈黙が続いた。
その間にもどんどん陽が傾いていく。
まだ空は赤く染まっているが、噴水広場の周りには高い建物に囲まれていて、もう真っ暗だ。
お互いの顔もよく見えなくなってしまった。
そして空に残っていた赤も消え、全体が暗闇に変わった時、オクタウィアが俺の腕に抱きつく。
暗くて見えないから最初はただ掴まれただけかと思ったが、オクタウィアが口を開くと、声の位置的に抱きついたんだとわかった。
「確かに思うところはあります。でもきっとシラヌスは陛下のことを恨んだりしないと思います、優しい人でしたから」
オクタウィアはどこか誇らしげな様子で語った。
「彼が恨んでないのに、私が陛下を恨む資格なんてありません。それに陛下は私の夫、恨めるわけないじゃないですか」
「俺も同じだ。お前を嫌うはずない。だってお前のことをあい――」
「こんなところに居たんですかネロ様!探しましたよ」
オクタウィアに俺の気持ちを伝えようとした時、俺の声は大声にかき消された。
声の主は予想通り護衛隊の隊長だった。
さっきはあれだけ探しても見つからなかったのに、今になってタイミングを見計らったように現れやがった。
まあいい、これからオクタウィアと話す機会も増えるだろう。
今回の旅行の目的は達成された。
俺の気持ちを伝えるのはまた今度でいい。




