お・わ・り
桜並木が立ち並ぶ住宅街。
セーラー服を身に纏い、長い黒髪を揺らしながら彼の到着を待つ。
胸の鼓動は常に高まり、漲る情熱を抑えるのに精いっぱい。
それを彼は理解しているのだろうか。
彼がやってくる。
桜舞い散る街道を一歩一歩。
握りしめた携帯電話をいじりながら。
空いた片手はズボンのポッケに入れて。
私は第一声をシミュレートする。「こんにちは」って言えば、彼も「こんにちは」って返してくる。でもそんな他人行儀な会話はしない。彼は常に言葉の先を知っている。私の持ちかける話題など彼にとっては時間の無駄でしかない。だから、私は彼の開口に合わせるだけ。先陣を切る事は許されない。彼の言葉に嘘偽り無く答える。それが、私が唯一彼に与えられる娯楽なのだ。
一歩踏み出せば抱き着ける距離。彼の肉体は巌の様に強大で、私が飛び掛かったとしても後退る事は無いだろう。
私は立ち止まった彼を見上げ、次の動作に注目した。
携帯電話のキーボードを押す指が休まる事は無い。指が動くたびに、ピポパポと音が鳴る。こちらに振り向く素振りは一切ない。彼にとって、目の前の私よりも仕事が優先だから。
それでも私の瞳に籠る熱が冷める事は無い。
黒く濁った瞳は彼しか映らない。
『今日も帰りは遅くなる。何かあったら連絡しろ。こっちのタイミングを心配する必要はない』
ノイズかかった声で言った。確かに声が聞こえるのに、彼の言葉は直接脳に語り掛ける様に機械的に感じる。タイピングでカタカタと文字が浮き出る様に声が流れてくる。
彼の顔は認識阻害で覆われている。輪郭も窪みも瞳の色も一切認識できない。ただそこだけ、真っ黒に覆われている。そして、それに対して疑問にも思わない。徹底的にフィルターがかかっている。
そんな彼だが存在そのものが真っ黒に覆われている訳では無い。鶏冠の様な前髪と学ランの上に黄色と黒が基調のウィンドブレーカーを着込むのが特徴で、紐付きの白いスニーカーはいつもピカピカだ。腕時計はウィンドブレーカーの内ポケットの中に学生証と一緒に装備している。ハンカチは常に右ポケットに。携帯電話のお家は尻ポケットか胸ポケットのどちらかに。
携帯電話は2台持ちでどちらもガラケー。1つは仕事用で右手に握っている時間が長い。1つはプライベート用で基本外に出ている時間は短い。私のメールアドレスはそこに含まれている。いずれもう一つのガラケーにも私のメアドを刻むのが密かな野望だ。(頼めば入れてくれるのだが、自分から頼むのは違うような気がして未だ言い出せないでいる)
私は彼の言葉に簡潔に答える。「はい(Yes)」と。
『学園で不便な事があればKOUSEIでも使え。アイツの方が学園に詳しい』
嫌な名前が鼓膜を刺した。しかし、それが私の事を想っての事だと思えば我慢できる。
それでも、あの丸眼鏡に懇願するかは別の話だ。
智(メガネの折曲がる角部分)をクイッと持ち上げレンズを光らせ、笑顔を浮かべる男子優等生の映像が脳裏に映る。
私が返答しないから彼も押し黙る。私はその沈黙に耐えられず渋々頷く。「分かった(理解)」と。
次は私が声をかける番。これは意思表示。彼にとって言葉で語れるモノは全て些事。それは逆に言葉で語りつくせぬモノは例外なく有意義な瞬間。「在る」事で喜び、「無意味」に寂しさを覚え、「時間」に虚しくなり、「心」に揺さぶられる。
心だけが彼の心を引き留められる。貼り付けただけの虚栄では彼は動かない。
私は見上げるのを止め、視線を反らす。
「何かあればすぐ連絡する。だから、直ぐに気付け」
彼は『分かった』と一言。
その作業の様な返答にホントはちょっぴり…。
「…………今日は来てくれてありがとう。ホントは会ってくれないと思ってた。だから嬉しい」
呼び出したのはいきなりの事だった。授業から抜け出し、彼に一言。「待ってる」
何をどう伝えればいいか分からなかったから、それだけ。
彼はたったそれだけの言葉で会いに来てくれた。だからもう我儘は言えない。来た道を引き返す意思を固める。
なのに。足は動かない。
顔は俯いていく。早く行かなければ。
文字を打ち込む指が止まる。携帯電話を持つ腕がだらりと下ろされ、顔を向ける。
この瞬間、男の優先事項は切り替わる。何を差し置いても少女は優先される
『学園はつまらないか?』
胸の奥に問いかける。
少しの間があり。
少女は前髪で顔を隠したまま頷く。
『そうか』
握りしめた携帯電話の開きかけの画面を閉じ、尻ポケットに収める。
少女は恐れる。叱られる方がましだ。
それでも足は動かない。
行かなければならない。だけど行きたくない。葛藤が渦巻く。
「もっと一緒に居たい。学園なんかよりも。もっとGOKURAKUと居たい」
私は胸の内をさらけだした。
お・わ・り
初めてポイントとブックマークをもらい嬉しかったです。
内容より更新を優先しました。ごめんなさい
継続は力を信じて、これからも10話完結型で行こうと思います。