きざし
俺が起きると、すでに朝食が用意されていて、外にはラクダのいななく声が聞こえていた。
ドアを開けると荷物を積み込んでいる様子が見えた。
「おはようございます、ナオヤ様」
俺に声をかけたのはコビト族のマイィだった。
困った。やっぱり小学生にしか見えない。
「おはよう。マイィ。これからしばらくヨロシク」
「よろしくお願いします」
必要以上に喋らないし、表情も硬い。
しかし、弓矢の手入れに余念がなく、プロ意識が垣間見えた。
俺も朝食を平らげ、支度をしていた。
スケールアーマーにはき慣れないブーツ。
手に槍。
形だけはそれらしいが、気分的にはこどもの日に武者のコスプレをして写真撮られているガキみたいだ。
出発時間になった。時間ぎりぎりで現れたのがハウラだ。
「遅刻ですよ。ハウラ」
「はっはっは。悪い悪い。久しぶりの旅路だってんで、仲間と夕べ飲んじまってね、まあ、許してくれや」
「護衛団では仕事前の酒は厳禁のはずでしたが」
「堅いこというなよ、アユブ」
ハウラは豪快な女性であるようだ。しかし、酒もあるのか。
すごいな首都。
ジャジャしかないようなシャアバーン村とは大違いだ。
ハウラはフル装備だ。
頭から足まで金属で出来た鎧を着ている。
俺の背丈ほどある大剣を下げている。
俺なら重くて動けないだろうな。
「で、優男もなかなかサマになってるじゃないか。
格好だけは一人前で何よりだ」
くそう。さっき自分でも思ってたよ。
「ハウラ。
酒のことは目をつむりますが、ナオヤ様をおとしめる言葉は許しません」
いや、アユブってホント、過保護だね。
ハウラも肩をすくめていた。
ま、そんなこんなで俺たちは旅に出た。
シャアバーンからの移動は馬車に乗ったが、今回は歩きだそうだ。
ラクダに詰めるだけの荷物を積んだので、人間が乗る余地などない、というのが事実だ。
ちなみにルゥルゥはアユブの服の中に入り込んでご機嫌だ。
歌なんかうたってやがる。
俺は確かに高校の時、運動部なんかに入っちゃいなかった。
でも、どちらかと言えば体力はある方だと思っていた。
学校での遠足や運動会、イベントでの移動、そういうとき友人達より平気だった。
遠足の時など、倒れてしまった高齢の先生を背負って目的地までたどり着いたことだってある。
しかし、それは現代の甘やかされた世界での出来事であって、ここの世界では通用しないことが分かった。
一時間も経つと、足が痛くなった。
原因は靴擦れだ。何しろ昨日買ったブーツだ。
靴擦れくらい普通だろう。
この世界に俺の足に馴染んだ靴など存在しないからな。
二時間経つと、もう歩けないほど痛くなってきた。
「すまん。靴擦れがもう限界だ」
そう言って座り込んだ。
情けないことこの上ない。
俺がブーツを脱ぐと、ところどころ皮膚が破れ、赤くなって腫れ上がっていた。
「どうして言ってくれなかったんです!」
アユブが言って俺の足に手を当てた。
「神が水を引き留めるとそれは枯れ、水を送ると地を覆す。
力と優れた知性は神とともにある。聖治癒」
一瞬だった。一瞬で全ての痛みが消え、足が元に戻ったのだ。
「それ…魔法?」
「魔法って何ですか?」
マイィが聞いた。
「えっと、こんな感じで、あり得ないようなことを起こす力っていうか…白魔法ってこの世界にあるの?」
「白魔法とやらが何かは知らないが…。
アユブは神官のお気に入りなのさ。
それは協会が秘匿している技術の一つ、治癒の力だ。
お前はラッキーだぜ。
こんなこと出来る使者はアタイの知る限り、アユブだけだからな。
そんなヤツに贔屓にされるなんて、滅多にないことなんだぜ」
「そりゃ、ボクの妻だから当たり前だよね」
なるほど、思ったより偉い人だったらしい。
とりあえず拝んでおく。
「アユブサマ、ありがとう」
「気持ち悪いから止めてください。
それから、どんな傷でも治せると思ったら間違いですからね。
骨折レベルの大きなケガや病気は治せません」
とはいえ、治癒魔法使える槍兵がいるなら旅の危険はずっと低く抑えられるよな。
俺は靴を履いた。
それからは二度と靴擦れは起こさなかった。
やっぱり慣れというのはあるらしい。
道中、二度、魔獣と遭遇した。
遠くにいることが分かったので、こちらはまったく動かず、音を出さないようにしてやりすごしたのだ。
遠くからだったけれど、魔獣というものを初めてみた。
オオカミに似ていると言われたが、オオカミというより形は熊に似ていた。
小型の熊。
しかし、熊は群れたりしないだろうから、やはりオオカミという方が正しいのだろう。
彼らは動くものはすぐ見分けるが、動かないものを見つけるのは苦手らしい。
オオカミと違って鼻がとてもいいわけでもないらしい。
人間には敵意を持ち、見かけると襲いかかってくる。
少数の部隊なら囲い込んで逃げなくするくらいの知能は持ち合わせている。
そして、襲われたら最後、骨まで食われるのだそうだ。
人間と魔獣、どちらが強いのかきいてみたら、
「一対一なら勝つ自信があるね」
とハウラは言っていた。
もっとも、人間の大半はハウラに勝てないだろうから、あまり基準にはならない。
アユブは火山に近いほど魔物は出ない、と言っていた。
確かにシャアバーンから首都ミシュアルまで魔物は出なかった。
そしてミシュアルから遠く壁に近づくほど、魔物は多く出現するらしい。
そのかわり、シャアバーンで感じた真夏の照り返すような暑さはすでにない。
寒いわけではない。
半袖でちょうどいいくらいだ。
そもそもこの世界に寒いという単語はないと言っていた。
ホントか?って思ったけれど、確かに寒いと感じたことはない。
要するに、暑いのを我慢するか、魔獣と戦う危険を背負うか、どちらかなのだ。
そして、三日目の昼、恐れていたことが起きた。
四匹の魔獣と出会い頭にぶつかったのだ。
俺たちは周りをしっかり確認していたつもりだった。
しかし、崖だらけの場所で死角は多かった。
幸いしたのは、魔獣の方も待ち伏せしていたわけでなく、不意にぶつかったことだろう。
「ルゥルゥ!アンタの出番だ!思いっきり空に行きな!
それで、魔獣の仲間が他にいるか、いたらどこに何匹いるのか教えるんだ」
ハウラが怒鳴った。
ルゥルゥは叱られた子供のように空に跳び、
「大丈夫!その4匹以外はここにいない」
そう言ったとたん、隣から矢が飛んで、魔獣ののど笛を思いっきり突き抜いた。
マイィだ。凄いな。弓矢って。
下手な鉄砲より殺傷力は高そうである。
「おらぁっ!」
ハウラが飛びこんで魔獣の一匹と格闘を始めた。
「後2匹、私の準備が出来るまで足止めしてください」
マイィが叫んだ。
弓矢は思ったほど連射が出来ないものらしい。
(時間稼ぎ、時間稼ぎだ…)
魔獣の前に槍を突き出す。
右、左、小さくステップを踏みながら少しずつ後退していく。
アユブに焦りが見える。
何しろ二匹の魔獣を前にしているのだ。
でもダメだ。
下手に俺が突っ込むと足手まといだ。
俺は自分を守るのが仕事だ。
そのとき、魔獣はジャンプした。
まっすぐ俺の顔を狙っているのが分かった。
後ずさる。足が石に当たる。
バランスを崩して尻餅をついた。
槍もすでに手放している。
(もうどうにでもなれっ!)
手の下にあった石を投げる。
ビュッ…
魔獣の目に当たった。
魔獣がひるんだ一瞬、マイィの弓矢がのど元をぶち抜いてそのまま隣の崖にぶっさした。
「…こ…こわぁ…」
情けない声が出ただけだった。
俺はとりあえず後退だ。
後の魔獣は二匹。
ハウラとアユブがいて、マイィが後ろから援護すればそこまで大変ではないだろう。
俺は手のひらを眺めた。
さっき…うん、とても運が良かった。
それは知っている。
しかし、とても運良く石が魔獣の目に当たった。
石を拾ってみる。どこにでも落ちている普通の石だ。
この石が俺を救った。
あと二匹の掃討戦は俺がぼんやりしている間に終わってしまったらしい。
この場所は危ないからということで、ちょっと見晴らしがいい開けた場所まで魔獣の死骸を運んだ。
キャンプの準備をしていたのだが、その間中、ハウラとアユブがずっと言い争いをしていた。
「魔獣が3匹以上出たときは、攻勢に出ずに、守勢を守る、
そういう約束でしたよね!?」
「まあ…そりゃ、そうかもしれないが、急に魔獣が出てきたら臨機応変だろう?
そのとき最善だと思ったことをするべきだ」
「あなたの勝手な行動で、私は二匹相手にすることになったんですよ!
たまたまうまくいったからいいものの、今回の任務はナオヤ様を守ることです。
それがうまくいかなかったら、失敗なんですよ!」
俺は少しだけ離れて小さな木に丸く線を描いた。
そして、石を拾えるだけ拾い、その的にめがけて投げた。
俺は中学生の時、野球部だった。
万年補欠で公式試合には出たことがない。
ピッチャーだった。
日の当たるところに出たことはないが、それでも三年間は部活動に励んでいたのだ。
「何してるの?」
ルゥルゥが聞いた。
「ま、ちょっとうるさいのでこちらはこちらで考え事」
「あはは。アユブはこういうとき、ちょっと頭固いよねぇ。
ナオヤが転んだのも、ハウラが突進したのも、私に言わせれば同レベルのミスだけどさ、アユブは頭の悪いミスには厳しくてさ、困っちゃうね」
「そりゃ、相性悪そうだな」
俺は笑った。
「まあ、金を出しているのは協会だし、叱る権利はあるんじゃないか?」
マイィはケンカしている二人のそばで黙って魔獣を捌いている。
本来なら、俺は少しでも教えを請うて捌き方を覚えるべきなのだろうが、二人がケンカしているのでそういう状況でもない。
そのケンカの一端は俺に起因していると思えばなおさらだ。
俺は右手で石を投げる。石は的に当たる。
もう少し離れてみる。石は的に当たらない。
中学生の時、野球部顧問の先生は
「中学生というのは体が出来ていないんだ。
だから、スピードボールだけを磨け。
きちんとコントロールした球を思う場所に投げられるように専念しろ」
と言っていた。
そうかもしれないが、野球少年としてはプロ野球にあこがれる。
そして、変化球を投げたいと心の底から思う。
だから、俺たちはずっと隠れて変化球の研究をしていた。
しかし、それはなかなか難しかった。
プロ選手は打者の手前で球を曲げる。
マウンドからキャッチャーまで、投げたことあるヤツは分かると思うが結構な距離だ。
それなのに、打者のところで変化させるなんて、神業としか思えない。
しかし訓練を続けるうち、先輩の一人がスライダーを投げられるようになった。
俺たちはこぞってそのやり方を教えてもらい、そのうち俺ともう一人のメンバーがスライダーを投げられるようになった。
もっとも、きちんとストライクゾーンでキャッチャーミットに収まるのは二十球に一球あるかどうかだったから、実戦では全く使えない。
しかも、
「本当に曲がったかな?」
と頭ひねる程度の曲がり方だ。
それでも嬉しかった。
俺もプロ野球選手みたいに、いつかすごいスライダーを投げられるようになるんだ、と思っていた。
「ちょっと、さっき石が曲がったんじゃないの?」
ルゥルゥがびっくりして聞いた。
「曲がるように投げてみたんだ」
「そんなこと出来るの?」
「自信も確信もなかったけどな」
だいたい、野球のボールは縫い目を指にかけることで投げることが出来る。
スピードボールすらそうだ。
ただ、スライダーは回転させて投げる。
スピードボールを投げるとき、手首を外側に回転させるのだ。
だから、石が曲がったとしても、物理法則に反するわけではない。
左右に曲がるシュートやスライダー、縦に落ちるカーブやフォーク、変化球にはたくさんの種類がある。
しかし、一つだけどの選手も出来ない変化球がある。
どんな変化球か分かるか?
それは上にホップする変化球。
もしかしたら可能かもしれないが、今のところ投げられる選手は世界中どこを探してもいない。
そして信じられないことだが。
今、俺は石を上に曲げることが出来る。