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「ジークちゃん」
無数の本が立ち並ぶ書斎。その隅に置いてある木の温もりを感じさせる見事な椅子に腰掛け、分厚い本に目を通しているジーク。
その本に記載されていたのは、歌の歌詞のようなものである。
静寂の中にあった室内にふと涼やかな声がジークの耳元へ入る。
ジークが顔を上げるとそこには簡素だがしっかりとした作りの白を基調としたワンピース型のドレスを纏い、ジークを優しい眼差しで見つめる妙齢の女性がいた。
その女性の名前はエレオノーラという。
ジークの母親である。歳はもう30過ぎであるがその整った顔立ち、透き通るような肌、大きな瞳に綺麗な鼻。見た目は20歳でも通じるほど若い。ジークはそんな母親を自慢に思っていた。
「またそんな難しそうな本を読んで……たまには私に甘えてきても良いんですよ?」
エレオノーラはそう言うと、椅子に座るジークの後ろに回り込み、その豊満な胸でジークの後頭部を包み込んだ。
ふにっ──と幸せな感触に包まれる。
ジークは思わず分厚い本を取りこぼす。そして椅子からバッと立ち上がるとエレオノーラの2つの魅力的な物体から距離を取る。
「──お母さま!? もう僕は子供では無いんですよ!? そんな子供扱いはやめてください!」
「やあね〜、ジークちゃんはまだ9歳じゃない。まだまだ子供でしょう?」
「もうすぐ10歳になりますし……それに10歳になれば『祝福の祈り』をしていただき、大人の仲間入りです」
「……『祝福の祈り』は楽しみよね〜、ジークちゃんが『主神さま』からどのような『祝福』をいただけるか、私今から楽しみで夜も眠れないわっ」
エレオノーラはそう口にしながらジークへと近づき、再びその豊満な胸で、今度は正面からジークの顔を包み込む。
今度も逃げようとしたジークだがエレオノーラががっしりと抱きしめていて、まだ9歳であるジークに逃げる術はなかった。
良い匂いのする胸の中でジークはもう完全に逃げることはやめて、体を弛緩させる。しかしジークは、このままただ抱きしめられているのもどうかと思ったので、先程読んでいた本で気になったことをこの美人の母親に聞いてみることにした。
「……お母さま、少々質問よろしいでしょうか?」
「あら、ジークちゃんから質問とは珍しいわねっ、良いわよ、何でも答えるわっ」
片方の腕でジークを抱きしめつつ、もう片方の腕でその妖艶な魅力を放つ胸をぽよんと叩くエレオノーラ。目の前で揺れるその光景にジークは思わず目を逸らした。
が、逸らしながらも、しっかりとしたよく通る声で質問を投げかけた。
「実は先程読んでいたこの本についてなのですが……この本には我がロレーヌ伯爵家に伝わるとされる聖歌の歌詞が書いてあったのです」
「ふんふん、そうね。私もレオン様から伺ったことがあるわ」
レオンとはジークの父親である。普段から伯爵としても激務で忙しく、中々この家には帰ってこない。
「はい、それでですね? 独唱で歌う前半の第1節から第6節の歌詞は記載があったのですが……その続きがどこにも書いてないのです」
「そうなの? でも全部で第6節までしかないのではなくて?」
「……はい、僕もそう思ったのですが……ここを見てください。ここの文です」
「どれどれ……『この聖歌は全12節から成る』ね。確かにこの文を読むと変よね〜。第6節までしか書き記してないだなんて」
本へと目を通したエレオノーラは、軽く上を見上げ困ったように整った眉をひそめた。しかしすぐにパッと表情を綻ばせるとジークへと話しかける。
「そうだわ! レオン様にお伺いを立ててみましょう! 明日はジークちゃんの『祝福の祈り』がありますから、忙しいあの人もこの家にお帰りになりますから!」
「そうですね、お父さまにお伺いを立てることにしましょう。お母さま、ご面倒をおかけしました」
「いやだわっジークちゃんったら! 私が可愛い息子に頼られて面倒だなんて思うわけないじゃないの!」
再度、豊かな胸の中に沈み込むジークの顔。ジークはもう完全に諦めてされるがままである。しかし今時の貴族でここまで親子仲がいいのも珍しかった。
通常の貴族の子供はナースと呼ばれるメイドに育てられるのが基本である。それなのに、ここまで楽しそうに会話をする貴族の親子は滅多にいないだろう。
ふと──。
書斎の入り口の方からドタバタと2人ほどの足音が聞こえてきた。
「──お兄さまっ! お兄さまはいらっしゃいますか!」
「──兄さま! 兄さまはいらっしゃいますか!」
重厚な書斎の入り口の扉が荒々しく開く。そしてその扉から姿を現したのは、見た目そっくりな男の子と女の子。
男の子は金髪に母親似の整った顔立ち、白のシャツに膝上の半ズボンを履いている。女の子はこれまた金髪。そしてここにはいない父親似の鋭い眼付きが印象的な将来が期待できそうな可愛い顔立ち。
最初に入ってきたのが、チャーリー。あとから入室してきたのが、カタリナという。ジークの双子の弟と妹である。因みに今年で7歳になる。
──が、しかし、この2人。
部屋の中にエレオノーラがいるとは思わなかったのであろう。彼女の姿を目にした途端、双子は顔面を蒼白にした。
「……チャーリーちゃん? カタリナちゃん? 扉をそのように開けてはいけませんよ」
「……申し訳ございません、お母さま」
「……申し訳ございません、母さま」
双子は声を揃えてエレオノーラへと頭を下げた。2人してしゅんとなっている姿はどこか小動物のように思えた。しかしすぐに顔を上げ、双子はエレオノーラへと抗議の声をあげた。
「──ですが、扉をバンッと開けろといったのはカタリナです! 僕は悪くないです!」
「──なっ!? ですが母さま! 実際に扉をバンッと開けたのはチャーリーです! 私は悪くありません!」
「っ!? カタリナ! 悪いのは君だろう!?」
「っ! ? チャーリー! あなた、それは言わない約束だったでしょう!?」
双子はお互いを睨みつけると、取っ組み合いの喧嘩をする。が所詮子供のケンカである。そこまでひどいことにはならない。せいぜい衣服が乱れる程度だ。
しかし、ひどいことにならないのはケンカだけである。双子はまだケンカに夢中でそれに気がついていない。ジークは1番近くにいたため、いち早く気付くことができた。ジークは
1人エレオノーラからゆっくりと離れた。
「……チャーリーちゃん……カタリナちゃん……」
地面の奥底から響くかのようなその声にやっと事態の重大さに気が付いた双子。ジークはこれはもう後の祭りだなと思い、心の中で弟と妹になんとか凌ぎきれとエールを送った。完全に他人事である。
「……お、お母さま……?」
「……か、母さま……?」
ゆっくりと声のする方へと視線を向けた双子。その表情はここで初めてエレオノーラを見た時よりのさらに顔面が蒼白していた。もう青を通り越して紫になるまである。
そのあまりの顔の様子にさすがのジークも兄として放っておくには可哀想に思えてきたようで助け舟を出そうとエレオノーラへと抱きつき声をかける。
「……お母さま、そのように怒らないでください。僕は素敵な笑顔を浮かべているお母さまが好きだなぁ……」
「──ジ、ジークちゃん!?」
「だから笑ってくれませんか? お母さま?」
ニコッと──。
ジークが滅多に見せない満面の笑顔に、怒り顔だったエレオノーラは若干頬を赤く染め、気色満面でジークの背中へと手を回し抱きついた。
そして後ろではなぜか双子も頬を赤く染めていた。
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了