《卒業式2》
水城は中学生活最後のホームルームを終えた後、三年四組の教室で仲のいい友人たちと話していた。担任が唐突に「集合写真を撮ろう」と言い出し、教室内の生徒が黒板の前に集まる中、生徒の一人が「さっき真子ちゃんと明衣ちゃん出て行ったよね」と言い出した。担任は「トイレにでも行ったんだろう」と口にし、保護者との会話に華を咲かせていた。真子と明衣は数分してもなかなか帰ってこなかった。「まだ帰ってこないのか」担任はてっきりもう帰ってきているかと思っていたようだった。保護者との会話を中断し、「誰か呼んで来い」と言った。担任のすぐ横にいた水城が指名された。
なんであたしが、とは思ったが、仕方がないので教室を出て探しに行った。トイレの戸を開けて中を覗くが、どの個室も赤いマークが見えず、鍵がかかっていないとわかった。教室棟の反対側にある、化学室や視聴覚室のある南校舎棟の方にもトイレはある。一応そっちも見ておこうと思い、渡り廊下を渡っていた。
ふと、渡り廊下の窓ガラスから中庭を眺めた。それは、単に視界の端に黒い影、虫か何かが通ったような気がしたから「なんだろう」と反射的に中庭に視線が向いただけだった。どん、という重く鈍い音が薄く響く。その音に反応して窓際へと近づく。見下ろす。渡り廊下の窓ガラスに蛙みたく水城は張り付いた。
最初、それが人間だとは思わなかった。目に留まった黒い塊から、白い脚のようなものが伸びていた。普段この渡り廊下を渡るときには見ない異物だ。きっとここの渡り廊下を通ったのが水城ではなかったとしても、気づくには気づく。ただ、第一発見者が水城だったというだけのこと。
窓際に張り付いて、中庭でうつ伏せになる人の姿を水城は確かに見た。口があんぐりと開いた。
は?
大きな足音が聞こえた。視線を外せば、奥の方から走ってくる生徒がいる。セーラー服姿。ロングヘアー。佇まい。真子だった。
「真子!」
水城は呼んだ。「集合写真撮るらしいから教室来てって!」真子は水城の顔をいったん見るには見たが、その顔が強張っていた。一応頷くには頷いたみたいだが、足を止めることなく水城の横を走り去ろうとする。
「明衣さん知らない!?」
水城が呼びかけたときには真子はもう水城の後ろを走り抜けていた。真子はそのまま走って、廊下の奥に見える教室の扉を開けていた。「おう、やっと戻って来たか!」雑音が漏れた。教室の扉の向こうで担任の佇まいが見えた。父母の黒や白の服が見え隠れした。
水城は一人取り残された気分だった。
嫌な予感がしたのは言うまでもない。
水城は一階に降りて中庭へと急いだ。
ちょうど化学室の真下だった。見上げると、窓が開いている。カーテンが風に揺れて窓の外にひらひらと顔を出している。そこから視線でたどって、足元でうつ伏せになっている生徒に視線を当てる。
明衣だった。
乳白色のコンクリートの上に彼女はうつ伏せになっていた。頭は割れていない。脚が九の字に開いている。顔の方へ視線を泳がせる。後頭部だろうか。わからない。髪の毛の色と一体化した絵の具がどろりと膨らんでいて、コンクリートの傾斜の先、U字溝の中へと流れていた。
――は、はやく先生を。
そう踵を返そうとしたときに、つんのめりそうになった。水城の右足首を明衣が掴んだのだ。
「あなた、今どう思った?」
水城は、あれ、と思った。口調から苦しい息遣いが伝わってこなかったのだ。明衣は化学室の窓から何かがあってコンクリートの上に落ちた。そして血を流している。うつ伏せになっている。なのに、口調がまるで友人と休み時間に話すような滑らかさだ。
「ねえ」
そう急かされて水城は素直に答えた。「先生を呼びに行こうと、思って」
「それはどうして?」
「どうしてって、そりゃあ……」
――頭から血を流しているから。
「そりゃあ、何?」
「頭から血が流れてるから……でもなんか話した感じ大丈夫そうだけど……」
「要するに、私を助けようとしてくれたってことよね?」
明衣は無表情で水城を見つめた。
「そ、そういうことになるかな」
なんだか自分で言うのも照れるものだった。
「じゃあ助けて」
一瞬間をおいて水城は戸惑った。助けて、と言われてもどうすればいいのかわからなかった。それはきっと、明衣の口調が切羽詰まっている様子ではなかったからだ。手を取って彼女を立ち上がらせればいいのだろうか……そう思って手を差し伸べた。明衣はその手を掴み、立ち上がる。セーラー服に血の跡は見当たらなかった。じゃあ頭は? そう思い彼女の髪の毛を見ると、血らしきものがこびりついていた。
「血、平気なの?」
「ええ、これは絵の具。ありがとう。そんなことより」
そんなことよりって、血を流して平気なわけ……。それに絵具だなんて見栄を張って……。
「あなたは私のこと助けようとしてくれた。それは人間としての善意から……立派だと思う。意外とこの世の中そういう人って少ないから。庶民は息詰まるような毎日を暮らしてたり強いられている人ばかりで、余裕のない人間に他人を気にかける余裕なんてあるはずもないものね。でもきっとあなたは、物事の見かけに騙されない人なんだと思う。根付いた価値観や知らず知らずのうちに自分を縛り付けている制約条件に騙されず、自分の核となる本音を持ってる。それを自覚してる。そんな少数派の優しくて、そんでもって容姿端麗なあなたに、助けてほしいことがあるの」
明衣はセーラー服に被った砂を手で払う。ぱんぱん、と砂ぼこりが空気中を舞い、くしゃみがでそうな煙たさが水城の鼻を刺激した。
「私を殺した奴がいるの。そいつが嫌いなの。だから仕返しをして欲しいの。ねえ、これも人助けでしょ?」
水城は、自然と舌の上に溜まっていた唾液を一口に飲み込んだ。
喉が鳴った。




