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擬死態  作者: 面映唯
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***

 明日死ぬことを免れないと知った人間たちは何をするだろうか。盛大にパーティーを執り行うだろう。この店に勤めた全員をかき集めて人生で一度か二度経験するぐらいの宴を執り行うだろう。


 理不尽だ、とは思わないのだろうか。


 かつてこの飲食店に勤めていた青年がいた。青年は犯罪者だった。しかし犯罪者ではなかった。どういうことか。実際には罪を犯しておらず、濡れ衣を着せられた、或いは実際に罪を犯した人間がいて、そいつの罪を青年が被った、そういうことだ。


 冤罪ではあるが、冤罪の事実を国の大半は知らなかった。加えてもっと恐ろしいのは、その青年も自分が冤罪であるという事実どころか、他人から犯罪者だとみられていることすら知らないということだった。水面下で事が進み、青年の知らないところで青年は犯罪者となっていた。そのため、青年はごくごくありふれた一般人のフリーターとして生きていると思っていた。青年以外の他の人間たちは、青年が犯罪者だと知りながら、「青年にはばれてはいけない」という暗黙の了解でその類について口に出さなかった。


 青年の母親は元貧乏人だった。青年を産んだ後、夫が浮気したという理由で離婚する。シングルマザーとして青年を育てながら家計を支えようと試みた。しかし、高卒の給料などたかが知れている。勤めていた会社は副業を禁じていた。息子のためにと構わずアルバイトを始めた。しばらくして会社にばれた。ばれた理由はとてもくだらない。母親は誰にでも愛想を振りまく優しい人だった。それをよく思わない同僚が告発したのだった。


 職場は首になった。アルバイトを掛け持ちするようになった。家に刎ねるために蛙だけだった。家事を息子に頼むようになった。それでも時間は足りなかった。消費者金融に手を出してしまった。

数百万ではあるものの、借金があった。あるとき、サラ金の紹介でとある人物と会った。「運が良ければ大金が手に入り借金をチャラにできる。それどころか生活環境をガラッと変えることができる」と、フードコートには似合わない黒服は言った。母親は「何でもします」と言った。言った後で後悔した。身売りだけは勘弁だった。夫が風俗に行ったことで離婚した手前、自分がそちら側に回るのはいかがなものか、悶々としていた。


 母親は真面目だった。


 黒服は母親に、大金を手に入れ、生活環境を上質なものに変える手段を説明した。


 母親はこのとき疲弊していた。セールで手に入れた量産品のブラウスは皴皴であった。それでも母親が着続けたのは、息子が洗濯をしてくれたものだからだった。母親は真面目だった。何よりも恩を大事にしていた。


 そんな母親が息子を売った。「お母さん、息子さんは朝から晩まで働くお母さんを見てどう思いますかね? 不憫だとは思いませんか? 若い子が帰り道にコンビニも寄れず、水筒の中身は水道水だ。お母さんは悪くないんですよ。この上なく頑張っているんですから。おかしいのはこの社会の体制であってお母さんじゃない。お母さんがいくら働いても息子さんがお金のことを気にせずに暮らせる日など来ない……お母さんもそろそろ気づいてるんじゃないですか? 借金は増える一方ですよ。利息っていうのはそういう仕組みになってるんです。お母さん、疲れたでしょう。そろそろ休みませんか? 息子さんを手放すこと、それは母親として苦しいことではあります。当然だ。自分が腹を痛めて産み落とした子なんだから十二分にその気持ちはわかります。でもね、ぎりぎりで繋ぎ止めておくことは息子さんにとって幸福ですか? 皴皴のブラウスを毎日アイロンがけして着ることが、本当にエコであるんですか?

 いっそ落ちてしまった方が楽だ。刑務所なら家賃食費光熱費ゼロ円で三食寝床付きだ」


 黒服に諭され母親は涙を流していた。このときの母親に正常な判断能力などなかった。「息子のためになるなら……」母親の脳内には息子への申し訳なさでいっぱいだった。たかだか風俗へ行っただけ。浮気と呼べるかどうかもわからない。カッとなって離婚した元夫。息子を悲しませることになるのだったら、嫌でも汚い男と同居するべきだった。悔恨の血が溢れ出した。


 そうして、多額の報奨金と引き換えに母親は息子の身分を売った。そのおかげで借金はチャラになったが、代償として息子は上級国民が貼られるはずだった「犯罪者」という烙印を押された。唯一の救いは、青年本人が自分が犯罪者だということを自覚していないという点だった。彼らはそういう薬を打たれた。彼らは【間引き人】と呼ばれた。


 母親は一生遊んで暮らせる富を手に入れた。金に始まり、土地、豪邸、好みのビジュアルをした異性、召使い――母親は欲のままに生きた。貧乏人だったころは息子のためにと今を生きるのに必死であり、「いつか……」と思い描きもしなかった。欲が、息子を売り、富を手に入れると弾けるように芽生えた。


 母親は息子の欲を奪った。


 息子――青年には欲がなかった。欲がなくなる薬を打たれたのだった。


 人間欲がなくなるとどうなるのか。やることがなくなり、すべてが惰性になり、やがて死に至る。


 生き物である以上寿命がある。いつかは死に至る。一般人であれば、死を予感させる年齢というのは決まっている。五十を過ぎ、六十、七十――二十代の青年であれば、それは遠く先のことだ。青年の寿命は長くて後、二年と言われていた。


 もし、「明日死ぬよ、お前」と忠告されたら、人は何をするだろうか。


 他人の寿命など見て取れない。本人さえ自分の寿命などわからないのだから当然のことだ。


 青年の働く飲食店の従業員の一人が、「飲み会しませんか?」と言った。口裏を合わせていたかのように、他の従業員もこぞってその意見に賛成した。


 数日後、青年の働いていた飲食店は閉店することになった。


 翌日、店を使っての飲み会が開かれた。従業員たちは盛大に盛り上がった。かつての従業員たちも飲み会に誘ったのだが、一人も連絡はつかなかった。その数分前の悲しみをすべて忘れてしまったかのように従業員たちははしゃいだ。酒を開け、肉を食べ、肩を組み、誰彼構わず子どものようにはしゃいだ。


 飲み会も終盤に差し掛かっていた。「私、最近思わずにはいられないことがあって」従業員の一人が改まったように口を開く。「なんとなくなんだけど、明日か明後日ぐらいに自分が死ぬような気がして……それで飲み会を……」


 彼女がそう言うと、つられたように「え、俺もなんだけど」「わたしも」まるで口裏でも合わせていたかのようにそう言った声であふれた。青年も同じように迫る死期を抱いていた。まるで以前の自分を取り戻したようであった。惰性ではなく、自ら進んで酒を飲んだ。肉を食べた。業務報告程度にしか会話しなかった従業員たちと、年齢構わず抱き合い、肩を組んで、会話した。


「もしかして……」青年が思い描いた予想図。従業員の皆は自分が近いうちに死ぬことを知って飲み会を開いたのではないか。自分を弔うために協力してくれたのではないか。いや、そうしなくてはならなかったのではないか。


 気づくと青年に自我が戻っていた。自分が【間引き人】であること、間引き人は犯罪者のレッテルを貼られる、その代わりに多額の報奨金を手に入れる、それらに関するすべてを理解できていた。


「もしかして、俺のために……」

「え?」

「え?」

「え?」


 皆が顔を見合わせた。


「私も……」真面目なアルバイトが自虐のように語りだした。「私も自分のために皆さんがこうして飲み会を開いてくれたのだと思っちゃってました。恥ずかしいですね。自意識過剰みたいで」


 そして、この場にいたすべての人間が真実を悟った。


 皆が同じ想像を共有していた、と。


 従業員たちは再びはしゃぎだした。グラスに酒を注ぎ、グラスとグラスをあてがう。グラスからこぼれた酒には振り向きもせず、子どものように無邪気にはしゃぐ。


 皆が同じ想像を共有していた――だが、本当にそうだろうか。


 間引き人は死ぬことがすでに決まっているが、薬――魔法使いの魔法によって生きながらえているようなものだ。魔法使いがその魔法を解くと同時に死に至る。


 よく考えてみろ。一般人だって同じはずだ。


 明日誰かに刺されればあっけなく終わる。長い目で見ていた老後は泡になり、二十代で息途絶えることになる。


 身近に脅威はたくさんあった。工事中の路肩を歩いていたら、不注意で重機が歩行人の頭を吹き飛ばした。車を運転していたら、居眠り運転の大型ダンプが突っ込んできて身体がぐちゃぐちゃになった。妹が強姦された。兄はその話を聞いて目を背けたくなった。弟は昂奮した。家族が壊れた。妹は自殺した。兄は自室にこもり泣き続け、ドアノブに引っ掛けた虎ロープで首を吊った。弟は犯罪者になった。若い女を強姦し続けた。その女の弟は姉の被害当時を妄想し、果てしない悲しみから逃れようと自殺した。父親は被疑者を殺そうと意気だった。被疑者の仲間に返り討ちに会い、死亡。初めて殺しをしたその青年は快感を覚え、また別の人間を殺した。殺した。殺し続けた。そのたびに家族が泣いた。泣かない家族もいた。自殺した奴が多かった。それもそのはずだ。


 人間は生きながらえているだけだから。生かされているだけだから。あっけなく死ぬ。


 従業員たちは夜通し騒ぎ続けた。

 彼らは皆理解した。自分の死がすぐそこに在るということを。ここに居る全員が間引き人なのだと。


「どうせ死ぬのなら……」と一人が言った。「どうせ死ぬのなら何がしたい?」


 どうせ数時間後には死ぬのだからと、一人ひとり思い思いの願望を語った。女を犯したいといった男は隣にいた女の服を脱がした。首を絞めてみたいと言った女子高校生は店長の首を両手で絞めた。サンドバックにしたいと言った男子高校生は主婦の腹を、顔を殴り続けた。男に侵されたいと思っていた女は、下腹部の膨らみを確認しながらそのまま犯され続けた。女子高生に首を絞められたいと思っていた店長はそのまま絞められ続けた。若い子にめためたにぶたれたいと思っていた主婦は、殴られ続けた。


 それを青年は、獺祭の注がれたグラスを口にしながら眺めていた。


 軋む音。汗の臭い。弾ける音。殴られる音。奇声。雄叫び、叫び。必死に腰を振り、必死に首を絞め、必死に拳を振るう。必死に腰を振られ、必死に首を絞められ、必死に拳を振るわれる――。


 やがて窓の外が明るくなり始めた。青年は徳利に注いだ獺祭を電子レンジで温めていた。チン、と音が鳴り響いた。静寂を保っていたテナントに余韻が響く。青年は徳利に口を付けた。ぬる燗だった。喉が鳴った。足音が店内に響く。電気はついていない。朝焼けの白い光が、窓ガラスに差し、埃を視認させた。それが綺麗だった。


 数時間前までの騒がしさは静寂に変わっていた。需要と供給が運よく合致し、その偶然に喜びを抱き、興奮を煽った。各々が各々のしたいこと、されたいことに没頭するあまり、周りが見えていなかったようだ。青年は仲間外れにされた。ひとり三番テーブルで獺祭を飲み続けた。


 本当に偶然だったのだろうか。


 青年は立ったままテーブルに徳利を置いた。あまりにも刺激的な夜と、刺激的な生の映像に興奮し、煙草を吸うのを忘れていた。ポケットからピースを取り出した。甘ったるい匂いがした。ライターで火をつける。煙が充満した。その煙を朝焼けが目に映した。


 一週間後に、青年も死ぬことになる。


 とても刺激的な夜だった。


 利害関係が居合わせた七人すべてを紐付けるなどできすぎた話だ。青年以外は間引き人じゃなかった。間引き人の妄想は、近くにいる人間に感応する。ストックホルム症候群みたいなものだった。


 すべては擬態した張りぼてだ。見掛け倒しだ。馬鹿真面目な女ですら己を理解していない。時に真実を見極められない。一番大切だと思っていたものをあっけなく売る。


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