【鍵の開いた刑務所】
《・ずっと……。
ずっと。人と会話するのが億劫だった。
言葉は、言葉は文字通りの意味で通用しない。「ありがとう」と言っても、そのままの意味で通 用しないことがある。「お願いします」と言うとき、相手の目を見なければ「どの口が言ってるんだ」と誠意が伝わらないことがある。「大丈夫」大丈夫じゃない。「違うよ」違くない、私はあなたが思ってるほどで来た人間じゃない。「もう別れる」別に別れたいわけじゃない、止めてほしい。「ふざけるな」怒鳴った。別に赤の他人であればお前に説教などしない、息子だからだ。
人間が嘘を付ける生き物である限り、言葉の裏を勘繰る作業は消えない。「気づいてほしい」「気づいてほしい」「察してほしい」「いや、知らねえよ」「わからねえよ」赤の他人――そう識別すれば、表面上の言葉を訝る行為は簡単に消えた。
ずっと人と会話するのが億劫だった。
人を不快にさせる言葉はこの世に溢れていた。嫌いだった。いや、本気で言ったわけじゃないよ、冗談だ、と言われようが、言われていい気がする言葉でもない。
そんなとき、小説に出会った。
小説は、会話できると知った。絵画でも音楽でもメディアアートでも、芸術は言葉を使わずに会話できると知った。
小説は言語だ。名前も顔も知らないどこかの誰かと、小説という言語を使って会話したい――という思いが募っていった。
小説は出会い系掲示板のようなものだ。そこには文字の羅列だけがあって、書き込んだ人の顔も知らない。声も知らない。容姿も知らない。普段どんな服を着ていて、学生なのかサラリーマンなのか自営業なのかどんな仕事に就いていて、その人が何を好んでいて、何が嫌いで、どういう人なのか全くわからない。不特定多数の人が小説を手に取って読む。その行為が出会いだ。
相手のことを何も知らないままがいい。男とか女とか、格好いいだとか不細工だとか、美人だとか阿婆擦れだとか、スリムだとかデブだとか、可愛い、可愛くない、イケメン、キモい、タイプだ、生理的に無理、礼儀正しい、でも無理、付き合えるか付き合えないか、セックスできるかどうか、そういうのを抜きにして人と会話してみたい。
最近病院に行った。わたしは憤慨した。妄想性障害と診断された。わたしのすべてを否定された気分だった。わたしが生きてきたすべては嘘だった、と診断書は嘘をついた。わたしはそれが嘘だと知っている。だから、[ ]。
・あなたたちの幸運は被害者が私だったこと。私は皮肉にもあなたたちがしたことを罪だと思えるような人間じゃなかった。間宮、水城、八条、喜友名、自由に生きなさい。あなたたちは許される罪を犯しただけ。
「のぼらないくだらない日常が一番の幸福だ。煙草をふかして肺を黒くし、脳を縮ませ、周囲の者たちから煙たがられても近寄るなと毎日出勤する。新しい煙草のフィルムを剥がして一本咥え、一人夜更けのベランダで突っ立ち、小説を開く。火種が消えれば再び眠る。そこに変化は必要か」
さあ、時間だ。変化はいらない。欲しいのは一つの羨望と妄想。道は自分で切り開くものではない。されど本人たちが切り開くもの。
私は何もしちゃあいない。彼ら各々が決めたことなのだから。彼らが切り開いた道を眺めて見届ける――それはわたしにとってくだらない日常の一端で、変化なんてとんでもない。パラノイアの見ている妄想、世界に溢れたフィクションらと、何ら変わりないはずだ。》




