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擬死態  作者: 面映唯
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「……別に。私が担任と付き合ったのは好きだったとか、愛していたとか、そんな美しい理由じゃないよ」


 明衣は玖の背中に呟く。長くしゃべる玖だったが、ずっと背中を向けたままだった。明衣も昔はそうだった。話す、という概念を知らなかった明衣にとって、目を見て話さなければならないということを知らなかったのだ。直そうとは思わなかった。だが、目を見て話すことの利点を知ったことで、自然と順応した。


 目を見て話す。それだけで言葉が上辺に聴こえなくなる。


 言語は要件を伝えるものだけだと思っていた明衣が、目を見て話すと相手に言葉以上のものが伝わると気づいたとき、これは使える、と思った。


 今でも他人の話を聴くときは目を合わせないことが多いが、自分が話すときは相手の目を見るようになった。


 要するにだ。明衣の理論で言えば、玖は今明衣に言葉以上のものを伝えたいと思っていないということだ。そして、明衣の返事にもそれを期待していない。


 玖が今しているのは、ただの言語を使った報告作業だ。


「お前の友達、三人とも死んだぞ」

「友達なんていた覚えない」

「言い換える。同じコミュニティに属していただけの他人が三人死んだ」

「それが?」

「何とも思わないか?」

「ええ」

「そうか」


 ふいに、玖の前にある透明なガラスに玖の顔が映っていることに気が付いた。ぼやけていて鮮明には見えない。


「お前、学校でいじめられてなかったか?」

「特には」

「大人になっていじめの本質を知った上でもか?」

「ええ」

「そうか」


 溜息が聴こえた気がしたのは、多くの人がこのタイミングで溜息をもらしてきたことが多いから。でもすぐに明衣は玖が溜息なんて漏らしていないことを理解した。そして、彼が今している表情も。


 無表情。

 目を合わせない対話。


 それだけで印象が変わってしまうコミュニケーション。言葉をよく聞きとろうとしなければ、彼が今感じていることを見抜けない。目を合わせないからなんか不気味、無表情だから感情が籠っていない。そういう印象を抜きにして言葉を見聞き出来る人間がこの世の中にどれだけいるだろうか。


 あまりいない。いないから、人間は目を見て、顔を上下に小さく振り、頬を口角を歪ませて会話するのだ。


「いじめの本質を知った上で言うとしたら……」明衣は口を開く。玖は明衣の顔を見ていないが、明衣は玖の方を向いて、口角を上下に歪ませながら話した。


「いじめの本質を知った上で言うなら、寧ろ私がクラスメイトをいじめてたのかもしれない」

「そうか」

「ええ」

「俺は柒が真っ当な人間の感情を手に入れたんだと思ってたよ」

「とは?」

「嬉しい、って言ってくれると思った」


 瞬間、明衣は玖から視線を逸らした。


「俺もさ、それなりに勉強したんだよ。自分が普通じゃないってのはわかってたから、普通の人が考えることとか心理学とかさ。図書館通い詰めた時期があって……今思うと馬鹿みたいだな。それも全部泡になった」


 明衣は玖に視線を戻そうとしたが、一秒も見続けられずに再び視線を落とした。


 心が、溶けていくみたいだった。


 これは、玖を憐れんでいるということなのか?


 いつか担任と話していたときに抱いた感情。あれは確か自分を誰かが受け入れてくれたような許容。だがそんなものは嘘っぱちだと思った。人間は嘘が付ける。嘘が付ける以上、許容の真似事をしているだけで本音は別にある可能性はあった。信用すること、そこに重きが置かれる人間界。信用して騙されたときの代償は大きい。確かに担任から許容という人間の身体が喜ぶ餌をもらった。確かに嬉しいと思った。餌をかみ砕き、身体が喜びを上げた。だから、付き合うことにした。疑いの目は消さずに、いつ騙されてもいいように。


 寧ろ私が騙してやると意気込んで。


 しかし、今抱いているのは担任とのそれとは少し違う。


 強烈に心の中にこびりついていた一つの感情が溶けて、新しいものに上書きされていくようだった。嬉しいとはなんかちょっと違う。なんだろうこれ……。


「ありがとう?」


 それが今の明衣の感情を言語化できているのか明衣自身わからなかった。心の中の感情を言葉にするのは昔から苦手だった。知っている言葉を並べて、さもそれが正しい感情の具現化かのように後付けで弁明することでしか、相手に何かを伝えることができなかった。そういう意味で、先ほど玖が口にした「人間とは一生分かり合える気がしない」というのは理解できた。自分ですら己の感情を言葉に乗せられているかどうかわからない。理解できていない。「ごめんなさい」と言っているのにそれが「ありがとう」という意味を孕んでいて、相手は感謝と解釈する。でも実際は謝罪の意味で伝えたに過ぎない。でも本当は、謝罪の意味で伝えたはずの本人は感謝の意味で「ごめんなさい」と言ったのかもしれない。そういうことを考えるのは億劫だった。真実なんてわからない、伝わらない、そういう前提で人と接していた方が気が楽なのは明白だった。


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