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擬死態  作者: 面映唯
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【愛の絵空と邪な】

 ――やっと、最後。


 肆、陸、捌……。彼らは生き方を間違えた。だから私が殺した。

 私の生き方は間違っていないのか。

 周りの人間が決められることじゃない。

 自分が自分を疑ったら終わり。


 中庭から炎が広がってきている。早く決着をつけなければ――廊下を進み、放送室の前にたどり着く。分厚い扉の取っ手に手をかける。ギシギシと軋みながら扉は開いた。


 放送室内。透明なガラスの向こうはスタジオ。手前に様々なスイッチが並んだ機材が横一列に並んでいる。機材の奥にはモニターが一つ、機材の置かれた机の手前に椅子が一つ。そこに座っていたのが玖だった。


「なあ、そろそろ茶番は終わりにしないか」玖は椅子に座ったままだ。背中で話している玖の表情は見えないが。


 明衣は身構えた。


「柒なんだろう?」


 明衣は口を閉ざしたままだった。


「俺が何でこんなことしたか知ってるか?」


 明衣は答えなかった。


「整形して行方をくらませた柒を探すには、本名で探す必要があった。柒の過去を調べていくうちに同情したよ。お前学校の担任と付き合ってたんだってな。十二分にその気持ちがわかったよ。幼い頃に俺たちは親に捨てられた。物心ついたときには親はいなくて、俺たちの目の前にあったのは教育だった。その教育は義務教育なんて座学ではない。毎日が拷問のような英才教育だ。体術を一通り体に覚えさせ、市販で売っているスタンガン程度の電流じゃ怯まない身体になった。でもその体を作るまでには相当な拷問が必要だった。何度も何度も電流を食らっては気絶し、目覚めればまた電流を食らって気絶し、あの頃の俺たちは生きるのではなく眠るために息をしている脱殻みたいなものだった。でも、人間慣れると怖いよな。慣れると効かなくなるんだ。それは電流に限った話じゃなくてすべての物事に共通してる。悪口を言われ続ければいつしかそれが戯言の様に耳をすり抜ける。逆も然り、人を殺すことを何度も行えば、それが至極真っ当な行いだと思って疑うことを忘れる。それが世の中にごまんと転がっている文化、固定概念、浸透した価値観と同じように人の身体に「普通」として定着する。


 だから、俺たちは同じ日本で生きているのに、在日した外国人みたいに、文化の違い……周りが当たり前に行っていることを不思議に感じた。学校っていうコミュニティは特にそれを感じさせるにはもってこいの場所だった。俺たちにとっての教育は体術を習うことだったはずだ。俺たちにとっての教育は電流を身体に流されることだったはずだ。なのに、クラス内で行われているのは国語、数学、歴史、科学、そういった座学ばかり。椅子にじっと座って、良く知りもしない大人がラジオのように平坦な口調で淡々と言葉を並べる。それを聞き、ペンを使ってかみっぺらに文字を書き写す。最初はお前らおかしいんじゃないのかと思った。始業のベル、終業のベル、それに従って規律よく起立着席する生徒。軍隊、そんな言葉も浮かんだ。制服っていう同じ身ぐるみを纏っているから特にな。でも次第に自分がおかしいのかもしれないと思うようになった。周りの生徒たちは当たり前のようにその規律正しい生活を送っている。それが数人だったらまだ理解できるけど、俺以外の全員が己の行動に疑問を抱いていないようだった。そのとき気がついたよ。おかしいのは彼らじゃなくて、俺の方だって。でも本質は違う。今ははっきりと言える。おかしいのは、過半数がやっていることの方が正しいと思えてしまう人間自身だって。


 中学……特にあの頃は一番それが色濃く感じられていた時期だ。不定期に学校に通う傍ら、俺たちの拷問教育は続いた。肆、陸、柒、捌と毎日同類同士で戦って体に傷が増えていく。身体に残る疲労感と、何やってるんだという疑問と、なんでこんなことしてるんだという根本的な問い、そしてそれが正しいことなのか、自分が間違っているのではないか、中学で座席に座って行儀良く過ごすことが本当は正しいのではないかって否応に回る思考。怠かったよな。誰かに肯定してほしかったよな。


 そんなときに柒は担任と付き合っていたんだろう。同情する。俺だってあの頃は恋人みたいな相手が欲しかったよ。俺たちは親に捨てられてから柒や肆たちと一緒に同じ教育を受けてきたとはいえ、会話は一切なかった。一切できなかったし、それが当然の行いだと思って疑わなかった。一人で生きてきた。「信じられるのは自分だけ」そう教え込まれ、会話することを許されたのは自分の心だけだった。心の中で自分と対話することだけを許されてきた人間がいきなり社会に出て、中学校っていうコミュニティに所属して、当たり前のように他人と話す生徒を目の当たりにして、話しかけてくる生徒がいても返事をしていいのか迷って、返事をせずにいたらなんだこいつと不審がられて、周囲の生徒は自然と離れて行った。当然だよな。


 多分担任に優しくされたんだろう? 自分の思ってること、口に出して話していいんだよ、みたいに自分の心を優しく包んで許容された。優しい、なんて言葉俺たちの生活からは無縁の言葉だったからな。初めてそういう感情を抱いたんだろう。胸が熱くなって涙が零れそうになって、やめようとしても自然と目頭が熱くなる経験。


 そういう経験ってのは、一番最初が一番色濃く自分の中に確固として反映されるはずだ。


 でも、俺たちに恋愛なんてのはご法度だったんだよ。それは柒も感じたんじゃないか? キス、性交、性欲、そういったものが俺たちにはない。だからそれを強いてくる相手が敵に見えた。


 普通に考えればそうだよな。付き合っている、同意、って肩書と概念さえ外してしまえば、全部が強姦で全部が性犯罪だ。それが俺たちは露骨に受け取れた。付き合っているからキスをするという概念も知らなければ、付き合うっていう言葉の定義も知らなかったからな。ただ隣にいて話すことが、なぜ恋人、付き合う、という言葉を介さなければいけないのか。唇と唇を合わせることがどうして恋人同士が行うものなのか。性器の凹凸に出し入れすることがどうしてそこまでに感情を揺さぶるのか。俺たちにはまるで理解できなかった。それは他人とのかかわりを隔ててきたこともある。他人を信用するなと教え込まれてきたこともある。「この人は違う」そう思える人が身近にいなかったこともある。


 俺たちは日本語っていう言語以外、日本の世の中のことを全然知らなかったんだよ。それは柒だけじゃなくて俺もずっと前から思ってたことだ。柒とは別の中学に入ったけど、あの頃よく思ったよ。俺にとって一人でいることは昔から続いていることで普通だったから、それがおかしいことだと疑わなかった。でも周囲のクラスメイトは、あいつ浮いてるだぼっちだなんて揶揄してくる。浮いてたりぼっちだったりすると何か不都合があるのか? 不思議でならなかったよ。最初に自分の上靴が消えたときは先生が汚い上靴だからって洗ってくれてるんじゃないかと思ったぐらいだ。今思うとアホだよな。でも、本当にそう思っていたんだ。いじめっていうものを知らなかったから。そのいじめが、俺に不快感を与えなかったから。


 上靴が消えてはゴミ箱やトイレで見つけた。ゴミ箱やトイレが汚いところだと思っていなかった俺は、誰かが見つけてここに置いといてくれたんだぐらいにしか思っていなかった。それが何日か続いて、見つけては戻して消えてって繰り返して、もう面倒だから裸足で過ごす日が始まってやっと気づいた。今度は教科書が消えたんだ。あれ、ないなと思って周囲をふと見渡したら、周りで笑っている生徒がいる。明らかに俺に対しての嘲りだった。


 上靴も教科書も、こいつらが面白半分に取り上げてたのかってそのときになってやっと気づいた。

気づいたときに暴力を振るわなかった当時の俺は、結構冷静だったんだろうな。今だったら真っ先に殺してるよ。


 俺は思ったんだよ。じゃあクラスメイトの靴をゴミ箱やトイレに入れてもいいんじゃないかって。お前たちもしていることなんだから、俺もしていいんじゃないかって。咎められることはないんじゃないかって。


 その日の放課後、クラス全員の上履きと教科書を焼却炉に突っ込んだよ。明日の朝、何も知らない教師が点火するスイッチを押すだろうと思って。そんなことしたもんだから次の日は大騒ぎだ。上履きがないだ教科者がないだ、あれお前も? 私もない、そんな声が飛び交って、廊下を走ってきた生徒が教室のドアを忙しなく開けて、焼却炉で燃えてる、やばい、とにかくやばい、だなんて言い出した。犯人はすぐにわかったよ。上履きと教科書が残ってたのは俺だけだったからな。一時限は化学で、化学室に教科書を持って行儀よく座ってたのは俺だけだった。すぐに化学室に担任と校長が入ってきて生徒指導室に呼び出された。担任と校長に詰められた。どうしてこんなことをしたんだ。俺の上履きと教科書が毎日消えるのはクラスメイトの仕業だと気づいたからです。だからってしていいことじゃないだろう。実際に焼却炉のスイッチを押して燃やしたのはあなた方の誰かですよね? ふざけるな! でもあいつらには許すのに俺には許さないんですか? そういうのは先生に相談するのが普通だろう。大人に相談しろなんて言われたことないですけど。そんなのあたりまえのことだろうが。 


 このとき悟ったよ。人間同士が分かり合えることは絶対にないって。少なくても俺が人間の気持ちを理解する日が来ることは永遠にないと思った。皮肉だよな。俺も同じ人間なのに。人間って同じ括りにされることに嫌悪感すら抱いた。拷問の無い中学は楽だったから結構好きだったのに、嫌いになるのはあっけなかった。拷問の方がましなんじゃないかって思えた。


 その日から俺は学校に行かなくなったよ。でも柒は違うだろう? 通ってはいた。確か学校に行く日が決まってたよな。二日おきに一回、だっけ? あの頃何考えてたんだよ」


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