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私がこの学校に来たとき、昇降口にはスリッパが二つ並んでいた。そのスリッパを履いて三年四組の教室に向かおうとした。
声がした。下駄箱の淵に隠れていたらしいその男は私に知った口をきいているようだった。
「八条のこと、まだ憎いか?」
男は右側の下駄箱の端に寄りかかって腕を組んでいた。顔も向けないで何その減らず口、そう思ったら男の顔が私を見た。
「まあ、この同窓会に来るってことはそういうことだよな」
私は無視して教室に向かおうと左に振り返った。
思わず「わっ」という声が出て足を止めた。
目の前に男が立っていたのだ。瞬間移動でもしたのかってレベルだった。
「今日集まる人の中でお前だけは別格だ」
「意味わかんないんですけど。そこどいてもらえますか」
どく気配のない男の横を通り過ぎようとしたが、男は蟹のように横移動して私の前に立ちはだかった。
「まあそう気を悪くするな。お膳立てはさせてもらった」
「どういうこと?」
「俺の言うとおりにすればいい。そうすれば八条のことを殺させてやる」
「なんで私が八条を殺したいと?」
「お前、八条のこと殺したいのか? 今日殺しに来たわけじゃないんだろう?」
その通りだった。鎌をかけたつもりだったが、相手も鎌をかけて来ていたのだ。
相変わらず気にくわない。私が今日この同窓会とやらに来たのは、別に八条を殺したいからではない。
「玖って名前よね、あなた」
「ああ」
「これ、苗字じゃなくて名前でしょう?」
「ああ、よくご存じで」
「多くの生徒がクラスラインのグループを退会したっていうメッセージに隠れてわかりづらかったけど、あなたがクラスラインのグループに参加したのって結構最近よね?」
「よく見てたな」
「当然よ。だってずっとあのグループの動向を見てたもの。毎日毎日ね」
「それはご苦労さんです」
「それでやっと動きがあった。玖という人から同窓会の誘いのメッセージが来た。当時のクラス内に果たして玖という名前の人がいたかどうかなんてほとんどの人が覚えていないと思うわ。大体男子は苗字でクラスに浸透してたから」
「ええ、それで?」
「私の想像だけど、あなたは喜友名さんと親交があるはず。彼女は今どこにいるの?」
「場所は言えない……というか俺も知らない。だけど証拠ならある」
「証拠?」
「ああ、そうだ。探すのなんて専門家に任せればいいだろう?」
「……あなた、喜友名さんとはどういう関係なの?」
「強いて言えば……同期、かな」
「その同期の身を売る気?」
「いやいや、別にそういうわけじゃないよ。そもそも同期と言ったってみんな敵みたいなもんだからな。今じゃみんな強くなっちゃってもうやりたい放題さ。まあそんなことはいい。俺はあんたが八条を殺してくれればそれでいい。手順はな……」つらつらと八条の殺し方を玖は話し出した。私の返事を塞ぐように一方的に。
死因は一酸化炭素中毒死。
駐車場にセダンが止まっている。それが八条の車だった。その車に細工をしろとのことだった。マフラーの中に布を突っ込んで塞ぎ、その上からガムテープで塞ぐということだった。しかし、それだけでは不十分。最後に運転席のドアの取っ手に睡眠薬を塗れということだった。
なんでも、その睡眠薬は特殊なものらしく、匂いを嗅ぐだけで眠気を誘うもののようだ。舐めただけで数十分後には眠ってしまうらしい。
「一通りの道具は家庭科室にある。八条には、時間が来れば車に乗るように仕向けた。八条をしっかりと殺すことができたら、喜友名明衣が担任を殺したという証拠はくれてやるよ。警察にでも持って行って探してもらうんだな。まああんたが本人と対面できるかどうかは知らんが、手掛かりにはなるんじゃねーの。俺の予想じゃ人間は分身できないはずだけどな」
相変わらず減らず口。
昔っから気にくわなかった。ムカつく。私が言えた口じゃないけど。
ねえ、玖。
明衣は玖の指示通り、八条のセダンに細工を施した。そして校舎の物陰に隠れて、八条が車に乗り、車のシートに横たわる瞬間を目に収めた。確認しに行き――その場を後にした。
昇降口に向かうと異変は目から鱗が落ちるほど明確だった。
わっ、と固唾を飲む。
燃えていた。透明なガラスの向こう側、中庭が燃えていた。
明衣は急いで放送室へと向かった。