一緒にごはん
彼は、首を傾げながらノエルに問う。
――五十点だ。
ムカッとする気持ちを押し殺して、冗談のように点数をつけた。
まず初対面の人には、自分から名を名乗り、『それは美味しいのですか』と敬語で尋ねるべきだ。この学校は、身分の高い人間ほど対人スキルを学んだ方がいいのではないだろうか。
しかし、彼の表情の中に、嘲りの色が無いので、返事をしてやった。
「もちろんです。手で持って食べることができますし、全部まとめて口の中に入れるので時間短縮にもなります。――召し上がりますか?」
最後の一言は皮肉だ。
こんなもの、どうせ『気持ち悪い』などと言って口に入れることもできないだろう。だったら、美味しいかどうか問うて何の意味があるのか。
ここで働き始めてから、常時、生徒たちからバカにされていたのでノエルは少々やさぐれていた。
「いいのか!?」
彼が、嬉しそうに言うまでは、貴族様が雑多に材料を挟み込んだものを食べることは無いと思っていたのだ。
「……は?本気でいるんですか?」
思った反応じゃなかったことで、ノエルは目を瞬かせて相手を見る。
「あ、や……、やっぱり、君のお昼をとることになってしまうな。いや、うまそうだと思って思わず声をかけた。すまなかったな」
――謝った!貴族様が!!しかも、うまそう!?
見た目だけでノエルが貴族でないことは一目瞭然だ。なのに、そのノエルに謝った。
驚きすぎて、ノエルは彼の顔を呆然と見上げることしかできなかった。
「いや、いいんだ。じゃあ――」
彼が踵を返そうとした途端。
くぅ~きゅるきゅる。
「…………」
「…………」
小さな可愛らしい音が聞こえた。
ノエルはその音ではっと正気に戻って、まだもう一つ残っているパンを彼に差し出した。
「いえ、私は一つで足りますので、良ければ、どうぞ」
実を言えば、少し欲張りすぎていた。パンに適当に具材を摘めたのだが、意外とずっしりと重量があって食べきれないと思っていたところだった。
しかし、本当に食べるのだろうか。
半信半疑で彼を見つめるノエルの目の前で、彼は情けないというように眉を下げて、ノエルの手からパンを受け取った。
「すまない。いつも昼は食べる時間がなくて……隣に座ってもいいだろうか?」
「はっ?あ、はい。どうぞ!」
本当に彼は驚くことばかり言う。
こんな平民の隣に座って大丈夫なのだろうか。
戸惑うノエルを放って、彼は隣に座って大きな口でパンに食いついた。
……本当に食べた。しかも、手に持ったまま。
皿に移してナイフとフォークを手にしなくてもいいのだろうか。
「うまい!」
お腹がすいていたことも関係しているだろうが、男性はノエルから受け取ったパンをあっという間にお腹に入れてしまった。
ぼんやりしていたノエルの方が遅くなってしまった。
「ああ、うまかった。ありがとう!」
満面の笑みでお礼を言われて、思わず思ったことがそのまま口からこぼれた。
「本気で食べたんですね……」
ノエルの言葉を聞いて、彼はまた眉をハの字にする。
「あ、すまない。君のお昼を……」
「いえ、そうではなく。手づかみでものを食べるということに驚いただけです」
また謝ろうとする彼を両手で制して、ノエルは言う。
美味しかったと言ってくれているのに、いつまでも謝らせるわけにはいかない。
ノエルの疑問に、彼は声を立てて笑う。
「君だって食べていたじゃないか。あんまりおいしそうに食べるから、思わず失礼にも声をかけてしまった」
……誰もいないと思っていたのだ。さすがに、公衆の面前でパンにかぶりつくのはみっともなかった。
「こんな食べ方もあるのだな。初めてだ。しかしうまかった」
満足げに頷く彼に、ノエルは初めて笑顔を見せた。
「それは何よりです」
そして、彼も微笑んで、ノエルが残りを食べている間、彼は自分の自己紹介を始める。
「名前も名乗らず失礼した。俺はガーリン・エクスィアート。この学校で生徒会長をしている」
「せっ……!?」
生徒会長!?
この学校のトップに立つ人間だ。もちろん、高位の人間のはず。
そんな人に先に名乗らせてしまったことに慌ててノエルは頭を下げた。
「わ、私はノエル・アリータと申します。ここの食堂に雇っていただき、空き時間に授業を受けさせていただいています」
「そうか。ノエル、と呼んでもいいだろうか?俺のこともガーリンと呼んでくれ」
今の説明でノエルが平民だと気が付いたはずなのに、彼はにっこりと笑ってそのまま。ノエルへの態度が変わらない。しかも、名前呼びを許された。
彼は、ノエルを窺うような視線を投げてくる。
通常、我が国では男女が名前を呼びあうのは親密な証だとされている。
それを、いきなり初対面で言ってくるということは……。
ノエルはため息を吐きたくなるのをこらえてにっこりと笑った。
「私のような平民がお名前を呼んでもよろしいのなら。光栄です」
男だと思われているのだろう。だったらそう思っていればいい。別に彼に勘違いされていたって困ることは無いのだ。
ノエルの言葉を聞いて、ガーリンは驚いたように目を見開いた後に、困ったように首を傾げて笑う。
もしかして、平民だと気がついていなかったのだろうか。今、平民だと聞いて後悔したのかもしれない。
だったら、今後彼がノエルを名前で呼ばない限りはノエルから彼の名前を呼ぶのは控えよう。
同性同士でも、名前呼びは親しさの現れだ。友人ではない関係では絶対にない。
ノエルは、きっと彼はすぐに立ち去るだろうと思っていた。
しかし、ノエルが食べている横で雑談を始めたのだ。
ノエルが驚いているのに気がついていないのか、彼は大きなため息を吐いて語り始める。
曰く、休み時間が皆無らしいのだ。
「何故だか、授業が終わると多くの人が俺のところに来る。重要な話だったりそうでもない話だったり」
彼の表情から判断して、そうではない話の方が多そうだ。
「俺は生徒会の仕事もあるから、誰かが来る前に終わらせて食堂に行こうとするのだが、仕事が終われば、もう誰かがいるのだよ」
時間差で次から次へ相談が持ち込まれるという。
「断ってお昼へ行くというのは……」
「誰を断る?どのタイミングで?普段は切られないのに自分だけが無視をされたと思う人間が出てくる。……それは、俺の家的にも困るのだ」
なるほど。そう言われればそうだ。
他の人の話は聞いているのに、自分だけは断られてしまう。それは、悪感情を抱くには充分な理由だろう。
「腹の虫がなりそうだったから、体調不良と言うことで授業を抜けてきたのだが」
ちらりと、彼がノエルを見る。
ノエルはその視線の意味を正確に理解して、苦笑いを浮かべる。
「私は、仕事に戻らせていただいたのです」
建前の理由を言う。授業に出られないほど急ぐ仕事ではなかったことは、ここでお昼を食べていたことからも明白だ。
ガーリンは愉快そうに目を細めて、それ以上追及して来なかった。
さぼっているのはお互い様なのだ。
その時、ちょうど授業が終了したチャイムが鳴った。
ガーリンは独り言のように「次の授業は出ないとな」と呟く。
ノエルも手早くお弁当を片付けてから立ち上がる。
思った以上に長居してしまった。料理長がイライラしているかもしれない。
「私は、本当に仕事に戻ります。失礼します」
「ああ……」
ガーリンが立ち上がったノエルを見て動きを止める。
何か言いかけたような気がして、ノエルもその体勢のままで待った。
「え~と……よければ、なのだが……、また、明日もここで……」
もごもごと言う彼に、ノエルは破顔した。
お世辞ではなく、そんなに気に入ってもらえたのか。
「本当においしかったんですね。残り物次第なので、今日とは違う具になってしまいますが、いいですか?」
しまった。残り物とか言ってしまった。
そんな残飯を食わせたのかと怒られることを想像して固まる。
しかし、彼は一瞬、驚いた顔をしたものの、すぐに頷いた。
「いい。それで……別に、なくても」
ガーリンが困ったように頷く。
「なかったら意味がないじゃないですか。わかりました。がんばりますね!」
料理長の目を盗んでパンに具を挟むなんて難しいけれど、今日できたのだ。明日もできないことは無い!美味しいことは確認したのだから、張り切って作らせていただこう。
「あ……ああ、うん」
思ったよりもうれし気な返事ではなかったが、まあいいだろう。高位の方がお昼をゲットしただけでテンションが上がるはずもない。残り物だし、それで嬉しそうにするのも難しいだろう。
ノエルは勝手に脳内で判断してにっこりと笑って見せる。
「じゃあ、また明日持ってきますね!」
「ああ。また明日」
ノエルの笑顔に、彼は少しだけ小さなため息を吐いて手を振った。