第七話「攘夷主義者(ジハーディスト)と警察官のテイク・ツー」
思いがけない捕り物であった。
「伊藤俊輔、志道聞多」
という二人の名前は、彼らの免許証でわかった。
それらの名前が、テロ活動容疑者として幕府の指名手配になっていることは、大淀も利根屋も知っている。
「伊藤俊輔、あなたを逮捕します」
大淀は、俊輔の身体をミニパトに向けさせ、手錠を取った。
手錠をかける大淀も小柄だが、かけられる俊輔も同じくらい痩せており、身体が小さい。前回、彼は、同志の聞多とともに追捕され、その途中、死んだのだが、いろいろな事情により、それはなかったことになった。この業界ではよくあることである。
維新の志士というものは、生まれ持った天命が尽きない限り、決して死ぬことはない。
「破壊活動防止法、公務執行妨害、駐車違反の現行犯です。容疑を理解しましたか? 分からない場合は、祝日を除く月曜から金曜の午前九時から十二時まで、十秒あたり二十文でご利用いただける、カスタマーサポートセンターにお電話ください。このたびは、北町奉行所ポリスサービスをご利用いただき、ありがとうございます」
大淀は容疑者の権利として認められているミランダ警告を読み上げると、俊輔をミニパトの後部座席に押し込んだ。
後席にはすでに、聞多が乗っている。
志道聞多は、俊輔と違って大柄で、ちょっと肥りぎみでもあった。
ぎゅうぎゅう詰めである。
この時代は、生まれた身分によって摂取できる栄養に差があるため、体格の差が顕著になる傾向があった。
例えばこの場合、俊輔は足軽のなかでも最低のような家の者で、身分があまりにも低いため、下級藩士向けの私塾であった吉田松陰の松下村塾でさえ、
「おまえみたいなのが入ったら、塾の品位が下がる。入るな」
といわれ、入れなかった。彼が聞いた松陰の授業は、外で立ち聞きしたものである。
対して聞多は、百姓相手の松下村塾などにはまず行ったこともない。
長州で志道家といえば、りっぱな名門である。
禄高は大組二百五十石、藩主に近い守役で、上士階級であった。
高杉晋作、桂小五郎など、幕末の長州藩を動かした指導者は、この層に多い。
西郷吉之助など、最下級の藩士を指導者として仰いだ薩摩藩の倒幕派とは、このあたりで食い違っている。
「長州には智者は多いが、勇者は少ない」
とは、当時よく言われたことで、長州の武士は議論には強いが、戦には弱い、というものであった。先述のことと関係のある話かもしれない。
さて、話をミニパトに戻そう。
逮捕したテロリストどもの国許での身分など、大淀も利根屋もどうでもいい。
手柄になればいいのだ。
「やい、サツどもめ」
狭いミニパトの車内で窮屈そうにしながら、聞多がいった。
彼は、運悪く利根屋に逮捕されたため、必要以上にぼこぼこに殴られている。
「言っといたるがのう、わしらはそこらの浮浪と違うて、歴とした長州藩三十七万石、毛利大膳大夫さまの士籍持っとるんど。外交特権いうもんがあるんじゃ。わかっとんのか、ぼけーっ」
「国際問題じゃのう!」
一緒になって、俊輔もわめいた。
「藩邸に電話するけん。桂さんに言うて、すぐ出してもらうけんのう。そしたらおまえら、クビじゃ、クビ! ざまあみさらせ。わしらァ糞も垂れんけえのう、幕府の犬は犬小屋に帰れ!」
「ほうじゃほうじゃ、犬め犬め」
二人は罵詈雑言を散々ぶち上げたあげく、がっはっは、がっはっは、と豪傑じみた大笑をし始めた。その言い草はともかく、彼らが言うのは根拠のないたわ言ではない。長州藩三十七万石は、まだ諸侯のひとつとして幕府の保証を受けており、のちの年代のような公の敵にはなっていない。
「おい、大淀」
助手席の利根屋。彼らのわめき声を黙殺しながら、親指をうしろに向けた。
「聞いたか。あいつら、バックがあるみたいだぜ」
「ははあ、そうらしいですね」
奉行所に向けてミニパトを走らせながら、大淀は、運転席のダッシュボードにつけてあるタクシーのメーターを押した。表示を「割増」に変え、初乗り料金を百両にセット。
「取りそびれがない人、すきです」
「保釈金と一緒に請求しようぜ。賊ども、あて先は長州藩邸、桂どの、でいいのか?」
「わ、わしは知らんぞ」
黙秘する、と聞多。俊輔も笑みを消し、額を押さえた。
「あーっ、また桂さんに怒られる……」
明治国家の指導者になってからもそうだが、この二人は、すでに公費濫用の常習犯であった。
長いドライブになった。
メーターは回り続け、たっぷり二時間半も遠回りして八重洲の奉行所に着いた頃には、天文学的な額になっていた。
大淀と利根屋。
意気揚々と奉行所の門をくぐった。
「なんだ、なんだ」
ミニパトから出てきた逮捕者の姿をみて、同心たちはざわざわとなった。
「よおーっ、善良な警官の諸君、元気かな?」
引っ括った聞多と俊輔を追い立てながら、利根屋は十手を振り回し、陽気に挨拶した。
町方の役人たちは次々に集まり、すぐ百人ぐらいの人垣になった。
みな、しいんとしている。
「ここにいるのは何とびっくり、長州のアルカイダ野郎、伊藤俊輔と志道聞多どのだ。悪名高い凶悪犯罪者どもだが、あたしら二人の敵じゃなかった。今日この通り、みごと逮捕に成功しました! はい、大きな拍手をどうぞーっ」
奉行所前の同心や御用聞きたちは、大淀と利根屋による空前の大手柄にすさまじい拍手喝采を――しなかった。
ぼーっとしている者が多い。
それはまだいい方であった。
なかには、親の仇を見るような視線を大淀・利根屋に送り、睨みつけている者もいる。
――あー、そうか……。
大淀には、その理由がわかった。
同心たちが締めている赤い鉢巻や、空に翻っている赤旗、「ストライキ」と大書された赤い横断幕をみて、それがわかったのだった。思い出した。
手柄を立ててはいけなかったのだ。
「あんだあ? テメーら、やけに白けてやがんなあ」
だが利根屋の頭は、そういうことがわかるようには出来ていない。
利根屋はだんだん、むかむかしてきた。喧嘩を売り始めた。
「テロリスト二人も捕まえてきたんだぜ? よろこべや。これ、葬式か? だれか死んだか。あ? それともナニか、女が男を逮捕したのが気に食わねえんだな? やだねー、これだから。土台おまえらの頭はふうけん主義的でいけねえんだよ。アフリカのライオン見なさいよ、メスが狩りをして、オスは子守りをしてんじゃねえか。それのどこが悪いんだ? あ? 答えろや、おい。ジャングルの掟があるんだ」
「利根屋さん、利根屋さん」
大淀は利根屋の袖を引っ張り、啖呵を止めようとした。まずいことになる予感がした。
結果から言えば、予感はあたった。
ひとりの人物が、奉行所のなかから出てくるのが見えた。
「利根屋。大淀」
筆頭与力・安藤日向は、ぱち、ぱち、と手を叩きながら、二人を出迎えた。
彼の羽織の袖には、ストライキの赤い腕章がついている。
安藤はいった。
「わたしの部屋に来い。――すぐにな」
糸のように細い安藤の眼は、大淀と利根屋を映しながら、敵を見る色になっている。