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橘家の人人・アルマゲドン  作者: 佐々原廠
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第四話「江戸市警察交通課」



 五月十日・朝。御家人解雇政策に反対する奉行所のストは、六日目に入った。


 行動は過熱している。


「ひゅーっ! 燃えろお!」


 奉行所前に集まった町方たちは、六尺棒に吊るした一橋慶喜のゴム人形に火をつけ、ぱんぱんぱんぱん銃を撃った。


「死ね、慶喜、死ね!」

「ゴルバチョフ野郎め!」


 彼らは叫び、慶喜の著作物や写真を焚き火のなかに投げ捨てる一方、初代将軍・徳川家康の肖像画を奉行所の屋根に掲げ、幕府の制度を絶対変えてはならぬという「東照権現語録」の言葉を引用し、連呼した。


「東照権現の祖法を守れーっ、修正主義、粉砕!」

「粉砕、粉砕、粉砕、粉砕!」


 御家人の群衆は、同心手帳の表紙にある家康の肖像をかざし、絶叫していた。関ヶ原の戦い以来、八丁堀の御家人がこれほどやる気になったことはない。


 一方、その人波を掻き分け、駐車場からゆっくり出ていこうとしている一台のミニパトがあった。


「まて、どこへ行く。スト破りは許さん!」


 役人二人が立ちはだかり、たちまちそれを停めた。

 二人とも、十二ゲージ弾を装填したショットガンを手に持っている。大淀は窓を開け、


「大淀と利根屋。交通課です」

「ああ、そうか。――通せ! 交通課だ」

「どうも」


 門前のスパイクベルトが取り除かれ、大淀はアクセルを踏んだ。プラカードを掲げて喧しく騒いでいる町方の群れをすり抜け、ミニパトはそろそろと町に向かう。大通りに出るとき、伝馬町牢獄の囚人護送バスが見えた。獄舎の役人は、囚人にバットや鉄パイプを渡し、片っ端から釈放していた。


「行け、行け、行け、行け!」

「ひゃあ! フリーダム!」


 自由になった犯罪者たちは、やる気になり、その辺の質屋や銀行に勇んで飛び込んでいった。防犯ベルが町中で鳴っていた。


「ふわー、眠いなあ。どのへんに行くんだ? 今日は」


 助手席の利根屋は、江戸市域の地図を手繰りつつ、あくびを噛み殺して訊ねた。大淀は前方を見つめ、運転に集中している。バックミラーの中で、人が撃たれたのが見えた。


「神田明神から九段下あたりを見回るよう、指示です」

「はあー? そんな遠くかよ、ダルすぎる。おい、浅草行って寄席でも見よーぜ」


「利根屋さん、私たちは警官ですよ。市民の生命と財産を守り、警察の任務を忠実に遂行するのがわれわれの使命じゃないですか」

「おまけに相棒までウザすぎるときた。ありがとうよ、最悪の日になりそうだぜ。本音は与力昇進試験の点数稼ぎだろが」

「あと四点で、受験資格が手に入るんです」


 大淀は珍しく、ちょっと照れたような横顔を利根屋にみせた。


 ――それから、すっと真顔に戻り、


「与力になれば、もう二度と飛ばされることはない……橘の里に戻されることもない……死ぬこともない……」


 利根屋は眉間にしわを寄せ、大淀の顔を注意深く窺った。口が半開きになり、目がぐるぐるし始めている。


 大淀はさわいだ。


「しなない、私は死なない! わたしはかんりょうになって、きゃりあになって、ほんちょうにいくんだ。ねえ! 利根屋さん! そうですよねえ!」

「病院に行け……」


 利根屋は時々、正しいことも言うのである。



 往来は、人でごった返していた。


「だれか、捕まえてくれ! 泥棒だ!」


 商品を略奪されたらしい店の店主が、表通りに出てわめいていた。


 とはいっても、通りを歩いている老若男女のほぼ全員が、どっかの店から盗んできたテレビ、プレステ、パソコンなどを抱えて家路についているため、その悲鳴も空虚というしかない。


「おまわりさん! 助けてくれ、泥棒だ、盗まれたんだ!」


 大淀と利根屋は、明神下のコンビニの前で、違法駐車のシビックから罰金を取っているところだった。


「泥棒? だめだめ」


 調書を作っている大淀のかわりに、利根屋が応対をした。


「あたしらは交通課、管轄違いだから。リクエストペーパーに書いて盗犯課に出しなよ」


 運がよければ十年以内に返事がくる、と利根屋は教えた。店主は激怒した。


「十年以内? ふざけんじゃない。ちゃんと捜査をしてくれ!」

「あんだよ、うっせーな! じゃまだよ!」


 店主がしつこいので、利根屋はむかついた。


「見てわかんだろ? こっちは仕事してんだよ、どっか行け!」

「納税者に向かってなんてことを言うんだ」


 店主も利根屋には腹が立ち、反論をしはじめた。


「あんたら警官じゃないのか! なにがストライキだ、犯罪を取り締まれ」

「うるせえ!」


 利根屋は十手を抜き、店主を叩きのめした。ぼかぼかぼかぼか。


 店主はうずくまり、やがて動かなくなった。事件は解決したんだ。


「違反金は二十両です」


 大淀は調書の内容を見せながら、シビックの運転手と話している。

「現金か小切手で、十日以内に納めなさい。支払いが遅れた場合、一日につき五パーセントの延滞料が加算されます。窓口手数料と事務手数料の合計金額は十両です。いまの説明を聞き、理解した旨の署名をここに書きなさい」

「そんなばかな、三十両だって? イカレてるのか!」

「いいえ、イカレてはいません。私は正常なので」

「そんな額はとても払えない。年収の三倍以上だぞ。なあ、ちょっとトイレに寄っただけじゃないか。三十両なんてひどすぎる」

「これからは出かける前に、家で排便をしなさい。いまのアドバイス料は二両です。――では、安全運転で」

「くそったれ! ビッチ!」


 シビックの運転手は、路上に立ち尽くしたまま、去って行くミニパトに叫んだ。


 利根屋に殴られた店主がどうなったかは記録がなく、よくわからない。



「とうとう、あと一点です」


 信号待ちのあいだ、大淀は溜まったポイントカードの判子を見て、うれしさと緊張が混ざり合った溜息を洩らした。


「あと八両か? ふん、もう一息だな。ご苦労なこった」


 与力昇進試験は、交通課の場合、十両の罰金をとるごとに一点が加算され、それを百点集めるのが受験資格になっている。――なお、殺人課の場合は十人殺すと一点、麻薬課は麻薬を十キロ押収すると一点である。大淀は江戸復帰後、わずか一ヶ月で九十九点を貯めたわけだが、もし配属先が別の課だったら、大量殺人者としてウィキペディアに載っていたかもしれない。


「出世主義者に付き合ってるあたしの身にもなってほしいぜ」

「あはは、分かってますよ。これも利根屋さんの協力のおかげです。色々あったけど、やはりあなたは、私の最高の……」

「腹が減ったな」


 利根屋はふいっと顔を逸らし、大淀の言葉を遮った。友達とか相棒とか言われることに、慣れない性格であった。大淀はくすりと小さく笑って、


「警官らしく、ドーナツでも食べますか。おごります」

「ドーナツはきらいだ……」


 利根屋はそう言ったが、本当のところはそうでもないというのを、大淀は知っている。


 余談だが、ドーナツが警官のステレオタイプになったのは、元禄年間に流行した人形浄瑠璃のせいらしい。


 少なくとも幕末期には、警官といえばドーナツという認識がすでに定着していたのは確かである。


 大淀は、ハンドルを切った。











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