第三話「労働者の権利」
幕府が御家人十万人を解雇する方針と述べたニュースは、その日の夕方、五時のテレビで流された。
のちの明治維新の際の混乱のため、その番組自体はアーカイブに現存しないが、国立文書研究所の調べで、発表翌日の正午のニュースを録画した動画が、違法アップロードされてネット上に残っていることがわかった。
▼PLAY
「首切り反対、給料よこせ! わーっ!」
「わーわーっ、給料よこせーっ! オラーッ、このやろーっ」
「ちゃんと映ってる? ――こんにちは、こちらはBBC、幕府ブロードキャストのフクチ・ゲンイチローが、江戸城八重洲口・北町奉行所前よりお送りしております。昨日発表された御家人全員解雇の知らせを受けて、町奉行所は本日より、無期限の全面ストライキに突入すると発表しました。ご覧ください、現場はたいへんな騒ぎです」
「うおーっ! 首切り反対、給料よこせーっ!」
「首切り反対、給料よこせ、首切り反対、給料よこせ」
「てめーっ、ジャンプしろや、こらーっ! 警察なめとんか!」
「……この通り、奉行所の同心たちは一致団結し、首切り反対、給料よこせの掛け声のもと、プラカードを掲げ、コンビニやスーパーを強奪、そのへんの町民を手当たり次第にリンチし、カツアゲを行っております。それではここで、北町奉行所筆頭与力、吟味方・安藤日向殿にお訊ねいたします」
「筆頭与力の安藤です」
筆頭与力・安藤日向さん(吟味方)三十六歳
「えー、このたび、北町奉行所各位は、断固たる抗議を鮮明にすべく、ストライキの実行を決意しました」
「どのような抗議でしょうか?」
「犯罪との戦いを掲げて二十年。われわれは凶悪犯罪者との死闘を重ね、多くの警官が尊い命を犠牲にしました。正当な報酬として、われわれ全員が町民どもから相応の額の心づけをもらう権利があるのは言うまでもないでしょう。だが例の発表がされて以来、商人どもは付け届けを断ると言ってきた」
「付け届け、というのは、賄賂のことでしょうか?」
「賄賂ではない! 正当な報酬といったはずだ、きみはどこの記者だ、出禁にされたいか?――さて、市民のみなさん。われわれ警察は、町の安全と子どもたちの未来を守るため、日夜命がけで戦ってきました。もし、みなさんの愛する町奉行所がなくなってしまったら、江戸の治安はどうなるのでしょうか。警察は必要だという市民の声を知らせなければいけません。今すぐ町に出てください。そして、片っ端から火をつけるのです。焼き尽くせ! 人を殺せ! 女を犯せ! 誰も信じるな! カラシニコフを手放すな! 以上です」
「筆頭与力、安藤日向殿でした。はやく騒動が落ち着いて、問題がおさまるといいですね。現場からは以上です」
「首切り反対、給料よこせ!」
■END
幕府官報によると、陸奥国只蓑郡の山里、橘ノ庄保安官事務所勤務の幕臣であった大淀つかさが、文明から隔絶された僻遠の地での任を解かれ、征夷大将軍お膝元の江戸へ戻されたのは、文久三年四月一日のことであった。
辞令は突如、降って湧いた。
奥会津の山村地主の一族・橘家の陣屋を仮住まいに、保安官事務所の業務を営んでいた大淀は、春まだ遠い根雪に埋もれた山野を望んで、朝の冷気に震えつつ、その封書を開いた。軒には、雨だれの凍てついたツララが、きりたんぽの穂先のように列になって並んでいる。
「大淀つかさ女、右の者、現職を解き、江戸町奉行所・交通課勤務を命ず」
という一片の行書体が、町奉行の花押・捺印とともに記されていた。
町奉行の名は、更っている。
大淀を左遷した小笠原長門守ではなく、浅野備前守、という新しい人物になっていた。浅野備前守・長祚は、かつての京都西町奉行で、朝廷工作における幕府の有力者であったが、将軍継嗣問題で一橋派に属し、井伊政権の粛清を受けていた。
そのことは、大淀も知っている。
「慶喜の恩恵ってところだな」
上州ヤクザの元締めを親に持つ、大淀の元同僚・利根屋もみぢも、大淀と同じく懲戒免職を許され、江戸市警に復帰していた。
「あいつァ、てめえが井伊にこっ酷く苛められたモンだから、同じように痛めつけられた連中を片ッ端から無罪放免してるのよ。小笠原は、井伊のケツ掻いてたやつだろが?」
「はあ。それで、私と利根屋さんも無罪になった訳ですか……」
慶喜政権が誕生した結果、井伊派が下した裁判は全部まちがい、無効、やり直しということになったらしい。江戸に戻った二人は、交通課でまたコンビを組むことになった。
「言っときますけど。私、利根屋さんのこと、許したわけじゃありませんから」
速度超過、重量超過、一旦停止をしなかった、足が臭い、態度が気に食わないなどの理由でイチャモンをつけ、市民からカツアゲをして回るミニパトの車中、ある日、大淀は利根屋にいった。
「はあ? なんでだよ、テメー。文句あるのか?」
「文句あるのか? じゃないですよ! 去年の裁判のとき、わすれたんですか」
去年、つまり文久二年の夏だが、町奉行所風紀課刑事であった大淀と利根屋は、勤務中の不運な事件により、裁判になった。二人は法廷闘争の戦術を事前に決めていたのだが、利根屋は裏切って、自分だけ無罪になろうとしたのであった。
「出てけ!」
その結果が、二人ともクビである――。大淀は奥会津の無法地帯に左遷、利根屋は一旦、家業のヤクザ組織に戻った(前作、橘家の人人・ドゥームズデイ参照)。
「大淀、おまえなあ、まだそんな昔のこと気にしてるのか?」
「昔じゃないです! 一年も経ってないですし、おかげで私のキャリアはめちゃめちゃになったんです。あのイラクみたいな里で何回死にかけたか……。いいですか? 私は学歴もあって勤務実績も優秀ですし、日能研も一位ですごい存在なんですよ? 未来も出世もない利根屋さんみたいなクズとはちがうんです。わかりましたか?」
「なんだア、テメェ?」
「と、とにかくっ」
ミニパトの狭い車内、助手席の利根屋が指をボキボキ鳴らし始めたので、大淀は視線をそらした。現代の秘境のような橘ノ庄で保安官として暮らして八ヶ月、大淀が学んだことは、自分が賢いのを他人にひけらかすことは賢いことではない――ということであった。
「せっかく復帰がゆるされたんですし、犯罪者どもをばんばん取り締まり、やはり、大淀は優秀だ、江戸の治安になくてはならない逸材だ、左遷したのはまちがいだ、おめでとう、昇進だ、きみには不満だろうがまずは警部として、与力に昇格し、無能な同心どもを指導して、世界一平和な町づくりに邁進してってくれたまえ、連邦特捜機動隊の指揮官にきみを推薦しておいた、公方さまもお喜びになっている、と言われるように、がんばりましょう。利根屋さん」
「おまえ……、なんか、あの里に行って変わったか? 出世の権化になってないか?」
「もう、二度とあの村には帰らない……」
大淀はミニパトのハンドルを握りながら、昏い、暗黒の表情をしていた。
「あさ、わたしはブーツをみがいていました。すると一人の女の子がきて言うんです。ほあんかん、くつみがきですか、わたしがやってあげましょう。最初は断ったけど銃で脅されたので私は承諾しました……。それがおわると、こんどはわたしがかのじょのいうことをきくばんということになっていて……」
「大淀! 前、前をみろ!」
利根屋が手を伸ばして、ハンドルを操作した。プアーーンというドップラー効果を残して、トレーラーがミニパトの横をすれ違っていく。ミニパトは反対車線から、正規の車線に戻った。
「はっ、いま私は何を」
「大淀、ここは江戸だ……。おまえは戻ってきたんだぞ」
利根屋はいつになく優しい口調で、労わるように大淀にいった。ここ最近、大淀が勤務していた橘ノ庄という里には、利根屋も一度、行ったことがある。一見、のどかで平和な山里であったが、大淀はそこでどんな経験をしてきたものか……。
とにかく二人は、江戸に戻った。それが文久三年四月であるというから、ストライキはその一ト月くらい後ということになる。