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橘家の人人・アルマゲドン  作者: 佐々原廠
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第二話「賢い殿様たち」

 後年までそうであったように、慶喜には、二百五十年続いた旧弊の幕府を蘇らせようという気持ちはまるでなかった。

「新国家の建設」

 というところに、むしろ慶喜の関心はあった。

 彼の政権は、大胆な政治改革を次々と実行し、徳川幕府を変貌させた。

 幕府軍は強化され、江戸城は訓練の行き届いた親衛隊によって守られるようになった。昨年の夏、島津久光の護衛と称して江戸へ進軍してきた三千の薩摩兵に脅かされた記憶は過去のものとなり、旗本八万騎という戦国時代風の軍制は、西洋式の陸軍に改められた。その総司令官は、むろん、一橋慶喜その人である。

 ところで、慶喜という人は、生まれ育ちがよく、誰もが認める秀才なだけに、どこか下層階級の大衆運動を誘発しやすい性質があるらしい。

「それにしてもあれだよ、徳川家直参のサムライというの、御家人とか旗本とか、ああいうのね。あいつらって何とかなんないの。役立たずばっかりじゃん」

 発端は、お昼のワイドショー番組に出演した土佐国主・山内容堂の発言だった。

「賢い殿さまたち」というこの番組は、幕府政治に参与している諸侯による生討論で、人びとに幕府への協力を呼びかけるものである。出演者は、将軍後見職・一橋慶喜、政事総裁・松平春嶽(越前福井)、宇和島藩・伊達宗城、そして土佐藩・山内容堂である。

 容堂は、目立ちたがり屋だった。

 彼は、突飛なことを言って世間の注目を浴びるのが何よりも快感だったので、この日も台本にない不規則な発言をした。その矛先は、先祖代々、江戸で家禄を食んできた旗本、御家人たちに向けられた。この幕府存亡のとき、将軍家のために真っ先に身を捨てて奉公せねばならないはずの彼らは、いったい何をやっているのか。

「奴らは何もやってない。ゼロだ! 奴らの功績はゼロなんだ。もしおれが将軍なら……」

 と、彼は容易ならぬことまでいった。幕府全盛期なら、その一言だけで土佐二十四万石は消滅していたであろう。

「もしおれが将軍だったらな、無能な御家人連中は全部処分する。――消しちまえ! ごく潰しの首をちょん切って何が悪い? 死体は太平洋に捨ててだな、クジラの餌にしちまえよ。それでクジラどもは幸せになってよ、クジラ好きの異人が喜ぶではないか」

「ははあ、そういう考えもござるか。……あの、土佐殿、もうその辺で」

 政事総裁・松平春嶽は、番組の司会役で、温厚な紳士である。

 不穏な気配を察し、容堂を止めようとした。が、容堂は豪傑風な田舎大名で、泥酔もしていたので、紳士の手には負えなかった。

「クジラのために餌をあげる日本人は文明人だということになり、世界からも認められ、条約も改正できるんじゃないか? あ?」

 容堂はいった。顔は酒気を帯びて、真っ赤である。

「いま地球環境は、公害と温暖化で、危険なんだよ! 北極のシロクマやペンギンや、太平洋のクジラは泣いてるんだよ! だから幕府はいらない御家人を削減してえ、海の食料不足を補うために活用しろって言ってんの。あいつらの吸ってる酸素とかむだだから。大気中の二酸化炭素濃度へらせ! アマゾンの森林守れよ!」

「あ、はい、わかりました。土佐殿、ありがとうございました」

「ありがとうじゃないんだよ! 議論しないとでしょ、これを」

「あ、はい!」

「これ、討論番組なんだから」

「はい」

「どうするの、あの連中をどうするの。あの連中をやっちまえ! 皆殺しだ!」

「そ、そうですなあ」

 容堂は声が太く、マフィアの親分のように見た目がこわい。それにひきかえ、福井候・春嶽は、後年までそうであったが、物分かりがよく進歩的な思考を持ちつつも、胆力がなく、行動力がいまいちであった。性格なのである。

 そこで春嶽は、隣席の慶喜に話を振った。

「ひ、一橋殿はどう思われるかなっ?」

「ん?」

 慶喜は、呼ばれてはじめて顔を上げた。彼は、後年までそうであったが、自分の興味のない話題には、まったくもって集中力が続かない人物であった。彼は、軍の近代化には興味を持ち、熱心に取り組んだが、御家人や旗本はどうでもよかった。これも性格である。

「なんの話であったかな? 円四郎」

 慶喜は、この数分間夢中になっていた爪の垢を取り除く作業をやめ、後ろに控えさせていた書記官にそっと訊ねた。円四郎とは、一橋家家老で、慶喜政権の官房長官とでもいうべき、平岡円四郎という男である。文政五年江戸に生まれ、長じて慶喜の参謀となった。生真面目な男であったが、元治元年、攘夷主義者のテロにあい、死んだ。

「クジラの話でござる」

 平岡は、いかにも東洋人の官僚らしい、感情のないのっぺりした顔を、年来の主人に向け、答えた。

「クジラ?」

 慶喜の貴種然とした白い顔が、言葉とともに歪んだ。解せない。

「クジラとはあの海にいるクジラのことか」

「はっ、然様に――。容堂候の仰せには、外人はクジラが好き。幕府としてはこの際、クジラ保護の政策を打ち出し、列強に我が国の文明ぶりをアピールすべしとのことにござる」

「おお! それはよいぞ」

 慶喜は、一転、歓喜して膝を打った。彼はすっと立ち上がり、

「土州土州」

 上ずった声で容堂を呼び、幼児のように笑った。

「よくぞ申された。余の心もそれと同じだ」

「えっ?」

 これには、春嶽だけでなく、容堂自身が仰天した。山内容堂は、後年もそうであったが、病的な自己顕示欲のせいで、最初こそ身も蓋もないムチャなことを言い出すが、いざそれが公的に実現しそうになると、途端に動揺し、慌ててしまうことが多かった。性格である。

 慶喜は、名案に飢えている。すぐやろう、といった。

「今すぐ取り掛かるんだ! すぐにやれ、すぐにやれ

「わかりました」

 平岡は懐から携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。もしもし、私だ。公の思し召しを伝える――。

「やめなされ、やめなされ」

「そ、そうだ」

 春嶽は慌てて、慶喜を思いとどまらせようとした。幕臣全員を解雇し、クジラの餌にした場合、幕府はその瞬間、物理的に消滅するのだ。容堂も、自分がめちゃくちゃな政策の発案者になってしまうのを恐れ、できるかぎりの努力をした。

「あれは、一時的な錯乱で、正常な判断力はなかったから、おれには責任能力はなかったんだ。北極のシロクマやペンギンは、自分で努力をするべきだ。甘えてんじゃねえ、社会は厳しいんだ」

「電話をよこしなさい!」

「なにをするか、きさまらーっ」

 会場は騒然となった。

 春嶽と容堂は、慶喜から携帯電話をもぎ取ろうと揉み合いになり、取っ組み合いの喧嘩になった。

「行くぞお!」

 そこへ、バットやパイプ椅子を持った各藩家臣たちも加わり、阿鼻叫喚の修羅場の中で、お互いを殴りまくった。ぼかぼかぼかぼか。

「たすけてーっ」

 セットがめちゃめちゃに壊れていくなか、幕府テレビ局の撮影班は逃げ出した。

「賢い殿様たち」の四人のうちのもう一人、宇和島候・伊達宗城は、元の席にただ一人座ったまま、なにもせず、周囲の喧騒を見守っている。後年までそうであったが、この殿様はおとなしく、争いには加わらず、特段なにをするでもなかった。宗城は、置き捨てられたカメラがまだ回っているのに気付いて、それに目線を向けた。

「では、ここでCM」










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