第一話「ケーキさんち」
これは実話である。
◇
江戸城郭内の北東に甍を誇る一橋家の屋敷に、朝、うぐいすが飛んだ。
雲は、晴れている。
やや風があった。
この季節、いっそう濃い青に染まる常緑樹の梢が、時折に鳴っている。
初夏である。五月である。
一ツ橋――。
という家名の由来となった橋は、徳川家康の江戸建設以前にさかのぼる歴史があるらしい。
日本橋川に架かり、その頃すでに、一ツ橋、という名があった。
慶長十一年、まだ大坂城に豊臣氏の勢力があったとき、関ヶ原の一戦に勝利し、得意絶頂の家康は、江戸城の大拡張工事を始め、その外郭を四方へ広げることに余念がなかった。やがて郭域は一ツ橋にも及び、城門の一部となって、一ツ橋門と命名された。
一橋徳川家の創建は、八代将軍・吉宗のころである。
「代々、将軍家を第一に。きっとお守りするように」
吉宗は、子の宗尹に屋敷を与え、一家を興させた。その屋敷が一橋門の中にあったので、家は、一橋家、と呼ばれるに至った。
文久三年――この年、一橋家の当主は、九代・慶喜であった。
一橋慶喜、のちの徳川慶喜。
天才であった。
「わが国を、世界最高の文明国にしたいものだなあーっ」
鉢の大きな広い額と、武家貴族らしい細面が対照的なこの若者は、天保八年、江戸小石川の水戸徳川家屋敷で生まれた。前の水戸中納言・徳川斉昭の七男である。
父子ともに、政争の世界で生きた。
――次期将軍には、慶喜公をこそ。
と望まれたこともあり、とりわけ越前、薩摩、土佐の諸侯は、慶喜擁立のため、一時は躍起になって運動した。
しかし、彦根の太守から大老の座についた井伊直弼が最後には勝利し、いわゆる安政ノ大獄の一環で、慶喜派の諸侯はすべて失脚、父・斉昭は隠居、慶喜自身も政治の世界を追放された。
本来なら、慶喜という人間の一生はこれで終わっていたであろう。だが歴史はあくまでもこの男を必要としたのである。万延元年三月三日、井伊大老は桜田事件で討たれ、慶喜は表舞台に復帰した。
――福井の松平春嶽を政事総裁にせよ。一橋慶喜を将軍後見職にせよ。
文久二年夏、薩摩の国主・島津久光の軍事力を背景とした勅命が江戸に降下し、幕府はこれを受諾した。こうして、二十七歳の若者は、日本一の権力者になった。
「安政の頃、掃部(井伊)めの取り結んだ洋夷との約定、あれは真によくない」
慶喜は言う――。傍らには祐筆・原市之進が仕え、その言葉に耳を傾けていた。
「わが国が下、洋夷どもが上というのだ。そういうばかなことはない」
安政五カ国条約として知られる、西洋諸国との修好通商条約のことを言っている。それは不平等な条約であり、国の威信と尊厳を、いたる所で傷付けていた。
このため幕府反対論者は、将軍を売国奴よばわりし、いまや公然と、幕府を討てと叫んでいるのである。
「そこで余は、まず不平等条約をなんとかして、政事をなんとかして、国の混乱をなんとかしたいのだ。そして、余の名前は歴史に残って、教科書にものり、英雄になって、ノーベル平和賞や、アカデミー賞にもノミネートされ、勿論アニメ化もされて、いっぱい、いっぱい感謝されて、沢山の沢山の……」
「あの。わかりました」
慶喜の絶えざる言葉を聴いていた原市之進は、そこまできて顔を上げ、二度ばかり鷹揚に首肯してみせた。その容貌はつるりとしていて、どこか茹で卵に似ている。武士というよりも商家の手代のような、目端の利いた感じであった。大正三年、感冒で死ぬまで、慶喜はそういう性の人物を好んだ。
「もうわかったのか。まだ半分も話し終えてはいないが……」
「この市之進、殿にお仕えする光栄を拝受いたしまして以来、殿のお考えの深さは、誰よりも存じ奉りおりまするゆえに」
原は、慶喜より八歳年長である。慶喜と同じく水戸藩出身で、主人が一橋家に養子として入った際、従って一橋家臣となった。
学問の才があり、国許では弘道館、江戸では昌平坂学問所に学び、優秀であったという。終生、慶喜に近侍し、この物語より四年後にあたる慶応三年、暗殺で生涯を終えた。倒幕派によるテロではなく、犯人は仲間の幕臣であった……。何故そうなったのかは良く分からない。
「謹みて拝察いたしまするに、殿の御心は、不平等条約を改正し、外国との対等なる立場を確立するをもって、大公儀の威信を回復せしめ、神州の禍乱を正し、君国を磐石の泰きに置かざるべからず。神威を四方に振るい、世界に比類なき強国となる。その方途や如何、とこういう事でございまするな」
「そのとおりだ!」
慶喜は、きゃっきゃっと甲高い声を立てて喜んだ。権力とは、自分の望んでいることを適切な言葉に直してくれる、便法な魔術である。
「市之進、それにはな、洋夷どもにな」
慶喜は笑いすぎ、ちょっと過呼吸になって、話しながら時々息を詰まらせた。原は、主人のために常時携帯している小型の酸素ボンベを懐中から取り出して、慶喜の口にあて、酸素を慶喜に吸わせてから、元の位置に下がった。慶喜は続けて話した。
「わが国を、文明国だと認めさせねばならぬ。洋夷は文明が好き……ぎゃはははは! そうだ洋夷は文明がなにより好きなのだ。だからだな、だからだな、洋夷どもに教えるのだ。日本は、高潔なサムライの国であるだけでなく、文化的にも先進国で、民主主義に基づいた、労働者の福利厚生と国民の権利をなによりも重んじる、天皇を中心とした神の国であるぞということなんだ。わかったな」
「はい、わかりました」
原は、何でもすぐ分かる、有能な男である。
要は、国づくりの先生である欧米列強が見て、たいへんよくできました、をくれる国を作ればよいのではないか。原は主人のもとから退き、同僚の祐筆たちが集まる部屋に行った。
「おい、お前等。殿の思し召しであるぞ」
原は、その場にいた二十人ばかりの一橋家の官僚総員を傾注させ、黒板に文字を書いていった。わが国、野蛮すぎ? たった五分で文明国になれる方法――。
「全員聞け。お前たち、恥ずかしくないのか? 殿は今、お苦しみになられている。神国である日本が、穢れた洋夷に不平等な条約を強いられ、正すことができないでいるからだ。かかる事態は、決して容認できることではない」
「ははあ、それではいよいよ、攘夷の戦がおっ始まるんで……」
官僚のひとりが、おずおずと口を開いた。
「なにい」
原は歯をむき出し、その者に詰め寄って、ぶん殴った。ぼかぼかぼかぼか。
「だれが話していいと言った。だれだ貴様は」
「はい、あのう、あのう、渋沢でございます。成一郎の弟でございます」
「なんだ栄一か。どん百姓の口出しすることではない。我々は、攘夷主義者のテロリストどもとは違う。平和を愛する徳川のサムライとして、わが国を文明国にし、目の青い毛唐人どもに、なるほど、日本は文化的な国だ、進歩的な国民だ、技術先進国だ、物を置いといても盗られないからすごい、四季があるなどと言わせ、不平等条約をなんとかし、政事をなんとかし、そして国の混乱をなんとかするのである。いいか、お前等は、この国を五分で文明にしろ。わかったな」
原はチョークを元に戻し、壇を下りて退出しようとした。
部屋のなかは、すでにざわざわとなっていた。官僚の一人が、原の袖をつかんだ。
「五分で文明化なんて、とてもむちゃです。どうやってやれと言うんです?」
原はつかまれた腕をまわし、その男の手を振り払った。
「自分で考えろーっ!」
文久三年初夏、改革がこうして始まった。慶喜の時代が到来したのである。