なろうで評価されるために、いわゆる「なろうテンプレ」の話を書いてみたいのだが、書けないという作者の方々へ。同類の作者である私の閃きが、何かの参考になるかもしれないので、気が向いたら読んでいただきたい。
このエッセイは、以下のような方を対象としています。
・評価されるために、テンプレ作品を書いて注目されたい方
・テンプレに挑戦したが、上手く書けずに断念した方
・テンプレが書けない原因が、「テンプレが面白いと思えないから」である方
ここに当てはまらない方は、読む必要がありません。
また、このエッセイを読むにあたり、以下のことはご了承ください。
・このエッセイは、テンプレでなければ問題なく書ける作者の方々を想定しております
・このエッセイに書いてあることを実践しても、テンプレ作品が書けるようになるとは限りません
・仮にテンプレ作品を書くことができても、それが注目されたり、評価されたりするとは限りません
・はっきり申し上げて、題名とあらすじに力を入れた方が楽だと思います
なお、このエッセイが対象としているテンプレは、「平凡だった主人公が、チートで最強になり無双するバトルファンタジー」のみです。
他のテンプレ(知識チート・悪役令嬢・おっさん・スローライフ等)に応用することは想定しておりませんのでご了承ください。
なろうで、あまり注目されていない作者の方々がいらっしゃいます。
その方々の中には、他者の評価にはあまり関心がない、という方と、もっと評価されたい、という方がいらっしゃいます。
さらに、評価されたい方々の中には、「評価されるためであっても、書きたくない話を書いてまでウケを狙いたくない」という方もいらっしゃれば、「評価されるためなら、多少無理をしてでも、ウケそうな話を狙って書く」という方もいらっしゃいます。
では、なろうで評価されるために、ウケそうな話を書こうとしている作者が、最初に狙っていくべきものは何でしょうか?
そう尋ねれば、多くの方が「なろうテンプレ」だと答えるでしょう。
いわゆる「なろうテンプレ」には、はっきりとした定義があるわけではありません。
そのために、時が経つにつれて、ジャンルが広がっていく傾向にあるようです。
それでも、「テンプレ」と聞けば、「異世界」「主人公最強」「チート」「ハーレム」は、多くの方が思い浮かべる言葉だと思います(悪役令嬢等のことは、今回は忘れてください)。
そこで、「異世界で、チートによって最強になった主人公が、無双しながらハーレムを形成するバトルファンタジー」を書くことを想定したいと思います。
それに問題なく成功した作者の方々は、書籍化を目指して突っ走ってください。
まだ人気が出ておられない方でも、非テンプレ作家よりは、注目されるチャンスが多くあると思います。
問題は、「テンプレを書こうとしたのに書けなかった」という作者の方々です。
この方々は、おそらく、かなりの割合で「読者としてもテンプレを楽しめない」方々なのではないかと思います。
自分が楽しいと思えない話を書くことは、大抵の作者にとっては難しいことのように思えるからです(その他の、技術的な問題等は、今回は扱いません)。
というわけで、迂遠ではありますが、「何故テンプレを楽しめない読者がいるのか?」ということを考えることにより、「どうやったらテンプレが書けるようになるのか?」を考えたいと思います。
なろうでエッセイを頻繁に読んでおられる方々が、「なろうテンプレ」を批判するエッセイを目にしたことは、1度や2度ではないと思います。
それだけ、「なろうテンプレ」には問題点が多い、ということです。
「なろうテンプレ」のおかしさを要約すれば、それは「ご都合主義」の一言になるでしょう。
誰かにチートで力を与えて、最強にしたうえで無双をさせ、ハーレムを形成させる。
これは、従来の物語とはかけ離れたストーリーの始め方であり、あまりにも主人公が優遇されているために違和感を覚える人が多いわけです
しかし、私は思います。
本当に、「主人公最強」「チート」「ハーレム」は無くすべき設定なのか、と。
物語の設定におかしな点があるのは、「なろうテンプレ」でないファンタジー作品でもそうでしょうし、ファンタジー以外の作品でもそうでしょう。
一般的に、読者は、自分が気に入った作品やジャンルに対しては、欠点を許容する傾向があるようです。
ということは、「主人公最強」「チート」「ハーレム」という設定があっても、気に入ってもらえるストーリー構成があるならば、必ずしもこれらの要素を排除する必要は無いわけです。
そんなことを考えながら、テンプレの主人公の特徴を見ていると、あることに気付きました。
それは、「特に苦労することもなく、短期間で莫大な力を手に入れて大活躍する」という彼らの設定は、ずっと前から我々が目にしてきたものである、ということです。
そういった、瞬間的に無双する権利を得た主人公たち。
彼らは、昔話の頃から存在する、教訓めいた物語の主人公と同質の存在です。
というわけで、「なろうテンプレ」で間違っているのは「チート」や「ハーレム」ではなく、「結末」なのではないかと思います。
端的に申し上げれば、「テンプレ主人公の末路は、バッドエンド以外にはあり得ない」ということです。
であれば、対処法は簡単です。
「なろうテンプレ」が面白く感じられない作者の皆様は、「主人公がチートで最強になり、無双しながらハーレムを形成するが、最後は破滅して終わる話」を考えれば良いのです。
テンプレが書けないことに悩んでおられる方々でも、昔ながらのこの展開ならば、書ける可能性が高いのではないでしょうか?
大まかなプロットは以下の通りです。
①主人公が、チートによって、容易く最強になる
②その力で無双して、どんどん調子に乗る
③さらに、多くの美女を侍らせて、堕落の道を辿る
④力を失う・民衆の支持が離れる・女達の憎しみを買う
⑤主人公が苦しみながら死んで、読者がスッキリする
書いていて鳥肌が立つほどの、とても私好みな話だと思います。
これこそ、テンプレが楽しめない読者の皆様が求めていたものではないだろうか、などと自慢したくなってしまいます。
……はい、何も解決していませんね?
今回喜ばせたいのは、テンプレが嫌いな人ではなくて、テンプレの読者です。私が満足しても仕方がありません。
「なろうテンプレ」は、主人公が最初から最後まで面白おかしく暮らしている「ストレスフリー」だからこそ好まれているのです。
「なろうテンプレ」にバッドエンドはあり得ません。そんなもの、テンプレの読者は求めていないはずだからです。
作者様の実力次第では、作品の完成度が高すぎて、人気が爆発する可能性も否定はできませんが……最悪の場合、読者を騙したと言われて炎上してしまうかもしれないので、決して実行はお勧めできません。
ならば、どうするべきか?
躊躇なく打ち切りましょう。
「故意にエタらせるのか!?」と言われてしまいそうですが、少し考えてみてください。
教訓めいた物語の主人公には、必ず絶頂期があります。そこから転落するのです。
ということは、主人公が絶頂期を迎えたタイミングで作品を打ち切れば、これ以上ないほどのハッピーエンドになるはずです。
具体的にイメージするために、一度なろうから離れましょう。
例えば、源氏物語であれば、女三宮が登場する前に打ち切ってしまえば、ハッピーエンドにすることが可能であるわけです。
この例えがよく分からない皆様、ご安心ください。
歴史上の人物である、平清盛のことはご存知ですよね?
彼ら平氏の栄枯盛衰を描いた物語が「平家物語」です。
平氏が、栄華を極めた後で源氏に滅ぼされてしまうことは、皆様もご存知の通りです。
それを全て描いた「平家物語」は、バッドエンドの作品であると言っていいでしょう。
しかし、仮に、平氏が栄華を極めた段階までしか描かない物語を意図的に作ったら、その物語はハッピーエンドに見えるはずです。
作品には、きちんと「彼らはこうして幸せになりました。めでたしめでたし」という結末が付いているので、1つの物語としては完結しています。
歴史を知っている方々は、納得しないかもしれませんが……作者が一から考えた物語であれば、そのような問題は発生しないので、気にする必要はありません。
実際に、有名な映画に「主人公が、好きな人を結婚式場から連れて逃げ出す」という話があります。
これなど、「バッドエンドになりそうな、その後のストーリー」を打ち切って、ハッピーエンドっぽく見せている作品の典型例でしょう(NHKのドラマの中で、そのことを批判されていました……)。
「これ、その後どうするんだよ?」という批判が噴出したとしても、そこは描くべきではない部分である、ということです。
というわけで、もう一度プロットを考えましょう。
①主人公が、チートによって、容易く最強になる
②その力で無双して、どんどん調子に乗る
③さらに、多くの美女を侍らせて、面白おかしい生活を送る
④嫌味を言ってくる者がいるが、全員がモブであり、負け犬の遠吠えにしか聞こえない
⑤些細な問題が発生するが、全て主人公が丸く収める(ように見える)
⑥最後に、ちょっと大きめの問題が発生するが、結局主人公が解決して、それと同時に物語を終わらせる
いかがでしょうか?
これならば、テンプレを好む読者の方々から、激しいバッシングを受けずに済む気がします。
肝心なのは、「作者の頭の中には、常に本来のバッドエンドがある」ことです。
そうでなければ、書き進めることはできないでしょう。
テンプレには不必要であるはずの、不愉快なモブがプロットに混ざっているのは、「時々不穏な空気を出すことによって、作者のモチベーションを維持するため」です。
読者からのクレームを恐れて、それらを全て無くしてしまうと、作者のストレスが高まり続けてしまいます。
そうなると、エタるリスクが高まってしまうでしょうから、お勧めしません。
「そこまで考えるなら、きちんと最後まで書きたい」という方もいらっしゃるでしょう。
簡単な方法があります。本編をハッピーエンドで終わらせ、「その後の話」として主人公の破滅を描けば良いのです。
「その後の話」は、「(本編の題名)破滅編」とでも題名を付けて、タグには「バッドエンド」を入れてください。
投稿時期は、本編終了後から半年以上は待つべきでしょう。その間に書き溜めておいてください。
そこまで露骨にやれば、「テンプレにしか興味がない」人を遠ざけることが可能だと思います。
これに近い方法として、「一度破滅を迎えた主人公が、その後立ち直る物語」にしてしまう、というものもありますが……こちらは、テンプレからはかけ離れてしまいますのでお勧めしません。
某ゲーム(を原作にしたアニメ)のストーリーなど、これに近い構成でした。
「敵に騙されて、多くの人を死なせてしまう主人公」と言えば、知っている人なら大体分かると思います。
以上で、「テンプレが書けない人のための、テンプレの書き方講座」を終わります。
もしも、この程度の提案で、人気になる作品を書ける作者様がいらっしゃったら……その方は、元々とても実力の高い作者様だと思います。
本当は、テンプレに頼らなくても、実力者が注目される環境こそが必要なのですよね……。
※以下はおまけです。
仮に、私の思い付きを全面的に肯定していただけるのであれば、「なろうテンプレ」にまつわるいくつかの疑問点を、容易に説明できることに気付くと思います。
どうして、テンプレ主人公は過剰に優遇されるのか?
それは、本来の構造が「持ち上げてから落とす」ものだったからです。
教訓めいた物語は、どれもそのような構成です。
いわゆる「なろうテンプレ」を不快に感じる読者が多いのは、その「落とす瞬間」が、そもそも存在しないからだと思います。
「こいつ、最後は破滅するはずなのに、一向にそういう気配がないんだけど?」という感覚、従来の物語とのズレが、「なろうテンプレ」の不快感の根源にあるのではないでしょうか?
不快だから、「チート」や「ハーレム」などのおかしさの方に、読者の目が行ってしまう、というわけです。
また、「なろうテンプレ」が頻繁にエタる原因も説明できます。
それは、「結末を書いてしまうと読者が離れるから」です。
テンプレのファンは、バッドエンドなど求めておりません。
それを避けるためには、途中で打ち切るか、最後まで書き続けない、という方法しかないわけです。
話が脱線してしまいますが、同様の論法を使うと、「主人公が、大した苦労もせずに美少女に囲まれるハーレムラノベが、いつまでも完結しなかったり、終盤になって展開がおかしくなる」現象も説明することができます。
そういった主人公も、なろうテンプレの主人公と同様に、破滅しなければ「書いている作者が落ち着かない」のです。
プロの小説家になるような人物ならば、その大半が、幼い頃から多数の物語を楽しんでいるはずだと思います(漫画すら殆ど読まなかったという人気作家の某氏は、例外中の例外でしょう)。
それらの物語には、「猿の手の話」の類似作品や、「ドラえもん」などが含まれている可能性が高いです。
楽をして成果を得ようとした者の末路は、多くの人が無意識のうちに学んでいるのです。
というより、現実の世界にこそ、「大成功を収めて、そこから転落する人物」は溢れています。
私が、平清盛や平家物語について言及したのも、そのことを意識していただきたいからです。
以上は、単なる一つの考え方であり、それだけが唯一の答え、といったものではございません。
また、勘違いをしていただきたくないのは、「昔ながらの創作論の方が、なろうテンプレより優れているわけではない」ということです。
「猿の手の話」は、物語としてはまとまっており、良識的な人の支持は得られるかもしれませんが……それだけに、使い古されており、何より説教臭いのです。
そういう「説教物語」にも、たくさんのアンチがいます。
とっくに飽き飽きしている、多数の読者の存在のことを、物語を書く者としては意識しておくべきでしょう。
そういう意味では、「なろうテンプレ」が好きな読者がいることは当然だと言えます。
従来の常識を打ち砕き、作品の構造を塗り替えたことこそが、「なろうテンプレ」の優れた点であり、同時に欠点にもなるのだと私は思います。
ここまで苦労してテンプレを書くくらいなら、どう考えても、オタク受けしそうな長文の題名を考えた方が楽ですよね……。