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おつきつ! ~お付きの狐の回顧録~  作者: 物戸 音
第一章 地鳴りの式
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第05話 地鳴

 神様がいるあの学校で大地震が起こる。それも、後僅かな時間で。

 ふわりふわりと飛んでいた行きとは比べ物にならないくらいの速度で石畳に沿って飛んでいく。

 身を切り裂くように前から吹きすさぶ風は、驚くほど冷たく私にぶつかってくる。


 高天ヶ原二丁目。

 見慣れたその場に立つと、私は慌てて神様がいる人世へ繋がる扉を開けた。

 扉の先に広がる白い光。その中に足を進めると、渦巻く力に従って勢いよく飛び込んだ。


 白い光と暗闇の世界。

 普段ならその中で身を委ねて、次の扉が開かれるのを待つ。

 しかし、今はそれどころじゃない。

 海の中泳げない子供がもがくように、力の渦をかき分けて、出口の扉に手をかける。

 勝手に開かれるのを待つなどと悠長なことは言っていられない。


 地上で地鳴りの式で大地震と書かれることは、人間の歴史にも深く刻まれるほどの大事だ。

 災厄に巻き込まれ、神様の意中の人が死んでしまっては何が起こるか分からない。

 開きかけた扉を無理やり開くと、白い光の中から太陽に包まれた明るい光のもとへと飛び出した。


 太陽の刺すような光に一瞬目を閉じた。

 明るすぎるせいで見づらい。

 しかし、目もすぐにそれに慣れ、世界はいつもの姿を私の目の前に見せた。


「君! そんなところに入ってはいけないじゃないか!」


 本宮の扉が勢いよく開かれて出てきた私に、驚いた宮司は大声で私を咎めた。

 本来、高天原に開く道が開かれる時、そこを人に見られないように人払いがなされる。

 今回も無理にこの扉を開けなければ、自然と人はここから立ち去り、誰にも気づかれることなくここに帰ってくることができたはずだ。


「宮仕えの者、大地震が起こります。気を付けよ!」


 私の手を掴もうとした宮司に一声そう掛けると私は、賽銭箱を踏み台に飛び上がり、鳥居をくぐって山を降りた。


 きっと私の大声に驚いたのであろう。

 宮司は私の手をとろうとしたところで驚いて、その場で固まっていた。


 暑さに熱されたアスファルトの石畳は、来た時と同じようにその暑さを世界にばらまいていた。

 この世界では大きな神通力が使えない。

 規則でそう決まっているからだけでなく、人世だと思い通りに力を行使できない。


 本当なら、神様がいる学校まで飛んでいきたいのだが、短い距離ならまだしも十数分という長い距離を飛ぶことは難しい。

 こんな場所でもさらっと天候を変えられるあの方は、本当にすごい神様である。


 アスファルトの地面を蹴り、学校へと戻る。


「早く、神様に伝えないと!」


 上履きに履き替えることなく土足のまま学校の中に駆け込む。神様がいる教室は二階の一番端の教室。

 すでに授業が始まっている学校の廊下は、人の気配が全くなかったが、ガラス一枚向こうには多くの生徒が授業を受けていた。

 教室と言う箱に入っている人間を私が見ているはずなのに、静かな廊下にいる私が、騒がしい教室から見られているような不思議な感覚。


 内と外が逆転したような不思議なこの道を神様がいる教室まで走っていく。

 静かな廊下に私の荒い呼吸と速いテンポの足音だけが響く。


「早く! 早くしないと!」


 ドアの隙間から見える教室の時計に目をやる。

 午後二時四分。


 もうすぐだ!

 何とかしないと!

 でも!

 何とかできるの!


 この一年通いなれた学校の中――


「神様!」


――教室の扉を勢いよく開いた。


 勢いが強すぎて、戻ってこようとした扉を私の手ががっちりと押しつけた。

 ずっと走って来たせいで、首を絞められたように息ができない。力が入らなくなって落ちた首を、もう一度息を吸い込むために無理やり持ち上げた。


 静かになった教室の中、全員の視線が私一点に集まった。

 それは、もちろん神様も。

 全員の視線が私に刺さり、私と神様の目もしっかりと結ばれた。


「逃げてッ!」


 短いこの言葉しか私は言えなかった。

 そして、その瞬間、世界は寝返りを打った。


 耳がどこかへと行ったかと思うほどの轟音。

 首を動かしてもその音の波は変わることなく私の耳に飛び込み、足が立つことを拒ませるように地面が激しく揺れだした。

 

 地鳴りの式だ。間に合わなかった。

 それは一瞬だった。

 揺れた地面に目の前の生徒は悲鳴を上げることも忘れ、その一瞬を受け入れた。

 天井は一部が壊れ、落下して、ようやく、人はこれからの自分を想像して恐怖に身を駆られた。

 開け放った扉は、揺れに呼応して勝手にその扉が閉まり鈍い音と共にいびつに歪みその身を固めた。


「神様! 危ない!」


 一瞬だった。

 天井の欠片が揺らぐのが見え、その下には神様の姿があった。

 欠片と言っても岩の塊だ。

 それが天井から離れた瞬間、私の身体は光が差し込むように飛び出し、彼を助けるためにその両手を強く突き出した。

 両手に触れた神様の温かい体温。

 でもそれは一瞬で、私の手に突き飛ばされ、転がるように身体を崩す神様の姿。

 次いで、私の身体に響いた鈍い痛み。


「お清!」


 突き飛ばされた神様の顔がいやにゆっくりと見えた。

 口を動かしているのが分かったが、耳鳴りのようなものがうるさくてはっきりとは聞き取れなかった。

 ただ、短く動いたその口を見て、あぁ、私の名前を呼んで下さったのだろうと何となくそう思える事ができた。


 突き飛ばされた神様がゆっくりと倒れていく。

 これだけゆっくりだったら私も逃げられるんじゃないだろうかと手足を動かそうとしたが、この時の流れに合わせるように私の身体もゆっくりとしか動けず、やはり逃げられないのだと悟れた。

 突き飛ばされて倒れる。これって一体何秒くらいかかるんだろう。

 普通は一秒もかからないはずだ。

 あぁ、まだ何か考えられる時間がある。


「痛ッ!」


 不意に強烈な痛みが身体に走り、それと同時に私の思考は途切れ、ゆっくりと流れていた時間が思い出したように元の流れを取り戻した。


「神様、神様。大丈夫ですか!」


 痛みの原因はすぐに理解できた。

 今はそれよりも、神様の心配をしなければならない。

 突き飛ばして、もしかしてどこか打ったりしなかっただろうか。倒れる時に手足を挫いたりしなかっただろうか。

 激しい揺れは一分ほどで収まったけれど、その被害は一分でよかったと言われるものじゃなかった。


 鼻につく血の匂い、痛々しい悲鳴。

 砂埃と学校が軋む音に、人の心が音を立てて崩れた。

 神様が私を呼ぶ声さえ、周りを蝕む人の声にかき消されそうになっていた。


「あぁ、私は大丈夫だ。それより……」


 神様の青ざめた顔。何が言いたいかすぐに分かった。


「えぇ、大丈夫ですよ。大丈夫ですとも」


 崩れ落ちた瓦礫はそれほど大きくない。

 よくて人一人分くらいか。

 それでも、それが無防備な背中の上に落ちてきてしまったら、私としても対処ができなかったようだ。

 瓦礫の下になっている私の身体は外からじゃ見えないが、たぶん、悲惨なことになっているのだろう。

 それは何となく感覚で分かった。私を中心として鉄臭い赤い円が広がっているのが分かる。よく生きているものだ。


「待っていろ。今助ける」


 圧し掛かった瓦礫でもどけてくれるのかと思ったが、神様は両手を真っ直ぐ私に向けて目を閉じた。普通の人間なら気づかない雰囲気の変化。

 間違いない。このような人がいる場所で、力を使うつもりでいる。


「何しているんですかッ!」


 私の叫び声が予想だにしていなかったのだろう。神様は驚いて一瞬身体をすくめた。

 そのせいだろう。神様の身体をまとっていた異質な雰囲気が離散した。


「力を使うつもりですか。高天原の規則をお忘れになったわけではありますまい」


 神が人の世界に降りる時に、特に際立った規則はない。

 あるとすればひとつ。

 自分が神としての存在を示すこととなるならば、畏怖か敬意を持たれる存在になること。

 神が神とあらんとする唯一で最大のルール。

 こんな人の多いこの場所で力を使い私を助けると、神様は自分が神であることを皆に知らせることになる。

 そうすれば、神様は今まで通りここで学生のような振る舞いを続けることはできない。

 神が神であるためには、神でなければならない。


「何を言っているんだお清。神使を見捨てて何が神であろう」

「何のためにここに来たんですか!」


 怒られている子供のように、神様はまた肩をびくりと震わせた。


 昔から神と人間が恋をすることは多々あった。だから、誰にも咎められなかった。

 そして、それを成就するために神様はここに来た。

 それなのに、ここで私を助けてしまうと、神様は神としてその人と会わなければいけない。

 過去、多くの神が神であることを隠し人と恋仲となった。そして、正体をさらけ出すといつも結末は決まっていた。


「ここで愚かな狐が一匹、その身を天に返すだけです。

 神様はどうか自らの御道を進んでください」


 神様の神使になってどれくらい経っただろうか。他の神使と比べたらまだまだ日は浅い。

 あの時、部屋に入ってきた神様は笑顔で私を神使に向かい入れてくれた。

 なぜ、私だったのか。いつも話をはぐらかして答えてはくれなかった。

 それでも、私には決して短くはない時間だった。


「お清……」


 神様の目から一筋の涙が流れた。

 あぁ、決心していただいたのだろう。御心のままに成すのが一番。


「神使としては、不出来かもしれませんが。私は嬉しゅうございます」


 狐は天に帰ります。どうかお幸せに。


「今助けるぞ!」


 神様の両手が強い光に包まれて、私の上にあった瓦礫を一瞬で払いのけた。


「神様! 何を考えていらっしゃるのですか!」


 立ちあがって怒鳴り付けようにも、その身体はピクリとも動かない。完全に折れた背骨は、もう立ち上がることすら許さなかった。


「黙りなさい」


 静かで重くて優しい声。四肢を包む温かい光。

 痛みに張り裂けんとしていた胸と身体が、まるで温泉に入っているかのように解きほぐれていくのが分かる。


「これで私が神ということがばれてしまったな」


 神様は倒れている私を見ながら少し残念そうに笑った。

 私が不甲斐ないばかりに神様の恋路を無碍にしてしまった。私は何と愚かなのだろう。

 数回の瞬きもせぬ間に、私の身体はあれだけ無残に壊れていたにもかかわらずもう何事もなかったかのようにそこにあった。


「私はどこまでいっても神なのだな」


 私と神様のやり取りを見ていた者、必死で逃げだそうと走り回っている者。

 教室の中には大勢の者がいた。いびつに歪んだ扉は建物の重みにその身を取られ人の力で押し引いてもピクリとも動かない。

 私たちは完全に閉じ込められた。

 それがより人の心を蝕み、辺りは混乱を極めていた。


 神様はその両の手を肩幅程度に開くと大きく息を吸ってその息をとめた。

 本来なら、神でない人間が行うその所業。

 神を呼び、故人を弔い、その意識を不可思議へと誘う儀礼。


 柏手一つ。


 水の一滴が落ちるような静かで澄んだ音。

 神である彼がやるだけでこれほどの音が響くのだろうか。

 神様が行った一つの拍手があれだけ凄惨で混乱した気配をたちどころに吹き飛ばした。

 まるで水を打ったような静寂。

 この教室だけではない、一帯全てが完全なる静寂に包まれた。

 たった、一度の拍手でだ。


「狐が神使、清よ」

「はい」


 電気が落ちたその教室は日の明りがあるものの少し薄暗かった。

 その瓦礫に陰った教室を照らすような白く淡い光が神様の身体全体を覆っている。

 私が高天原へと踏み入れるあの道と同じような淡くて力強い光。

 それを前にすると、人は直視できなくなる。ある者は跪き、またある者は手を合わせる。

 神使である私さえも、その神々しさに動けないでいた。


「高天原の長が命ずる。

 そなたに神使一階位を授ける。名を銀の清としまた永劫の時を歩みなさい」


 神使一階位。神使の中で最高級の階級。

 それは神と同一視される位。


「ありがとうございます」


 両の目から涙が流れ落ちるのが分かる。

 こげ茶色だった私の髪や尾が白く銀色をした毛色へと変わっていく。


「しかし、お清。慌てすぎだねぇ」


 神様はため息つきながら言葉を続けた。


「お前、耳と尻尾を隠さずに戻ってきただろう」

「はにゃ!」


 驚いてその手を頭の上、お尻へと持っていくと確かにその先には人にあってはならぬものがひょこりと生えていた。

 高天原を出てすぐ、宮司が驚いた理由がやっと理解できた。

 本宮からまさか狐の姿をした女が出てくれば、さすがに驚いただろう。


「まったく、先の見通しが甘い子だねぇ」

「わ、私は神様ほど賢くないですから」


 恥ずかしさのあまり自分で何を言っているか分からなくなってしまった。

 意思とは無関係に耳がしなりと倒れ込み、揺れていた尻尾がその動きを止めた。


「大丈夫だ。私は気にしていないよ」


 とんっと頭に乗せた神様の手は温かかった。軽く乗せただけですぐ手をどけてしまったが、神様が手を置いたそこはじんわりと火照っていて、私はそれを忘れないようにそっと両の手を置いた。


「さてと、この騒ぎをどうしようかねぇ」


 神様が仕切り直しというように辺りを見回した。


「何か妙案が?」

「それが全くない!」


 ということは、流れに任せてこんな事をしたのだろうか。

 もしかして、この方はちゃんと考えているようで、実は全く考えていないのではないのだろうか。

 一緒にいると正直こんなことさえも思ってしまう。


「神様は考えているのか考えていないのか分からなくて、心配になります」

「お清がもう少し賢かったら、私も楽なんだけどねぇ」

「神様が思うほど世界は自分の思い通りにいかないものですよ」

「本当にそうかな?」


 神様は、何を期待しているのかにやりと笑みを浮かべた。


「いつか私が驚かせて見せます」

「それは、それは。期待せずに期待しているよ」


 この人は……まったく。



****


 時代は進んで科学の時代。平成で言うところの二十五年。隣町のジーザスさんが生まれて2000と少し。

 世界は神の時代から科学の時代に進んだ。

 と言っても、未だ神社も寺も教会も、現役で建造されているし神への信仰がなくなったわけではない。


 六月七日に起こった大地震は幸運な事に死傷者なし――

 ――とはいかなかった。

 起こってしまったことは神さえもどうすることもできず、ただその被害を抑えるために高天原の長である神様が、人間の世界で指揮を振るった。


 地震で壊れて捨てられるはずであったろう家電製品は九十九神として尽力し、どこからともなくやってきたひょっとこが、電気が消えた夜の街を煌々と照らしてくれた。


 私は改めて高天原で神使一階位の階位を得て、正式に神の名に参列した。

 とはいっても、神使は神使。

 基本的には神様に仕えている。


 その相手はもちろん――


「神様! 何やってるのですか!」


 見慣れた扉を勢い良く開けると、そこには何食わぬ顔で授業に参加している神様の姿があった。


「そんなに慌ててどうしたんだい、お清」

「どうしたもこうしたもないでしょ!

 神様は神なんですから早く高天原に帰って下さいよ!」

「ヤダよ。こっちの方が楽しいもん」


 神様でいるためには神様でなくてはならない。

 あれだけの惨事の後、神は人のために尽くした。


「子供じゃないんですから!」

「先生も、お清に言って下さいよ」


 助けてと目線を送った先の教師は急に話題を振られ、少々困った顔をした。


「う、うむ、そうだな。清原、さすがに銀髪はまずいんじゃないか?」


 急に自分の髪色を言われて、思わず自分の肩から垂れ下がっている白く光り輝いている髪を握りしめた。


「いやですよ。気に入っているんですから」

「お清も何だかんだでわざわざ制服に着替えてここまで来たんだから。

 授業くらい受けていったらどうだい?」


 神様がそう言うなら仕方がない。


「いいですか、神様。これが終わったら絶対に高天原に帰ってきてくださいよ」

「はいはい、分かった分かった」

「絶対ですからね」


 私は座りなれた教室の堅い椅子に腰を下ろすと、緑色をした黒板を真っすぐに見つめた。


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