第04話 逆走
高天原二丁目。
というのは、私たちの間の通称であって正式名称ではない。
私が住んでいる人世の一帯から神世に移動してきた時は大抵ここに着く。
まるでバス停のような名前の場所に降り立つと、私はしっぽを生やしてふわりとステップを踏んだ。
これだけのびのびと尻尾を生やせるのは神世だけだ。
これでもかというほど、手を空に向け伸びをする。
すっかりと馴染んだ人の身体だが、こうやって尻尾を生やして伸びをするだけで、
じんわりと凝りが解れていく。
尻尾がないと、どうも背中や腰に無駄な力が入ってしまう。
神代は人世とは似たような世界ではあるが、人世に比べて何もない。
地形も緩い丘がある程度で、切り立った崖はなく、ずっと短い草が生えた平原ばかりだ。
いくつか果物のなる木があるもののその数は決して多いとは言えない。
気候も人世のそれほど激しくなく、暖かな気候が一年を通じてずっと続いている。
この何もない場所から道に従って東へと進んだところに高天原がある。
この広い平原を何もないと思ったのは人世に来てからだろうか。
神世にいる頃、ここが何もないとは思っていなかった。
神世では高天原に住む神を居神。
人世で住む神を端神として、高天原に住む神々は人世に来ることを嫌っている。
そのためか、積極的に交流していた江戸時代以降の文化が高天原にはほとんどない。
木造の建築物に石畳。
人世にあるハイテクと呼ばれるものはほとんどない。
そして、高天原の長はただ今不在となっており、現在はその代理である立律若日子様が高天原を治めている。
今の人世で言うなら、昔ながらの建物が並ぶ高天原に着くと、そこから中央本宮までは更に歩いて20分ほど。
一直線に伸びた長い石畳に沿って歩いていくとそこが見えた。
他とは一段高い石垣が組まれたそこは、広く大きな木造の館が建っている。
宮と家の中間のようなそれは、鉄筋やコンクリートとは違う仕口や継ぎ手などの技法で建てられている。
どれも今の人世では見られない技法だ。
ここに来るということは事前に連絡をしているわけではないが、私が来ると言うことはどういうことなのか。
ここにいる大抵の人なら察しがつくことなのだ。
その為、本宮に降り立ち、奥まで歩いていく道すがら。
すれ違った多くの神や神使に笑いながら「お疲れさま」と声をかけられた。
たぶん。自分は全く悪くはないはずなのだが、私は下を向き恥ずかしそうに足早に通り過ぎた。
本来なら、高天原の本宮の神に会うのはそれなりの手続きが必要になる。
特に私のような神使なら尚更だが、今回は別だ。
人世で神の力を使うなど言語道断。
細かい手続きを省略して、高天原副長である立律若日子様への謁見が許された。
「狐が神使、清。お勤め御苦労」
「立律若日子様、
本日はお時間を取って頂きありがとうございます」
本来、長である者が座るはずの椅子に彼は深く腰掛けていた。
副長と言う長を補佐する立場ではあるが、実質の権限は全てこの方が持っている。
立場的にも高天原の中で最も高貴な神の一人と言ってもいい。
「地上はどうだね?」
「はい。すこぶる楽しいようです」
人世に住むという事は居神から端神になるということ。
いつの間にか、端神が居神よりも下のように扱われはじめ、皆の価値観もそれに傾いてしまった。
そして、それは立律若日子も例外ではなかった。
立律若日子様の前で膝をつき、頭を下げた私は、今回起きた【真夏に雪が降ってしまった事件】の詳細を説明した。
「まったく。いつも彼は楽しそうだ」
「神の本分を忘れてしまったのは私の責任。
どうか、責めるなら私を責めて下さるようお願い致します」
普段、不満は多くあるがやはり、私も神使である。
「気にしないでいい。彼はいつもああいう感じだからな」
「しかし、人世の記録には残るのではないでしょうか」
「あぁ、そのことか。人世ではここしばらく異常気象続きだったからな。
彼の悪戯もその中に紛れ込むだろう。今回のことは不問とする。
この程度は毎度のことだからな。わざわざ、ここまでご苦労」
「ありがとうございます」
感謝の気持ちを示すために、私は深々と頭を下げた。
まったく、私の神様もこれくらいの度量があってほしいものだ。
神様の悪戯が不問となると私の用もこれまでだ。
毎度、不問にしてもらっているだけに、いつ怒られるかとびくびくしてしまう。
そうなると大変だ。手続きやら誓約書やら膨大な時間がかかってしまう。
毎回それを覚悟しているだけに、御咎めなしとなると嬉しい反面、この急に空いた時間をどうしようかと何とも呑気悩みが浮かんでしまう。
神様には悪いが、このまま真っすぐ家に帰らず、久しぶりにお茶でもゆっくり飲もうかしら。
「あ、あの」
部屋の入り口で巻物を持った女官が顔色をうかがうように声をかけた。
「よい、先客だ。後にしてくれ」
青い和紙に巻かれた細長い巻物が三本。立律若日子様に声を掛けるということは緊急の仕事か何かだろうか。
「立律若日子様。所用が御座いましたらこの狐めが受けますが」
「大したものではない」
遠慮したのか、若日子様はそう答えたが、視線は先程からちらちらと女官の方を見ている。
たぶん、急ぎなのだろう。
「私めは帰りが夕頃とお伝えしましたので大丈夫でございます」
歯の奥が引っかかったような妙な顔をした若日子様は、女官を近くに呼び巻物の一本を手渡した。
「此度のリストだ」
「あぁ、地鳴りの式がございますか」
狐子が受け取った巻物を開くとさっと目を通した。
地鳴りの式とは人世で言うところの地震の事である。
神がそこにいる限り起こってしまう力の歪みを矯正するために行われる。
身震い程度の小さな地震ならわざわざ手続きを通して行われはしないが、天地を揺るがすほどの大地震となるならそれ相応の手続きが必要となる。とはいえ、ほとんど慣習と化しているため、手続きは自動的に行われる。
「今年は多ございますね」
この時、神使がする事と言えば、儀式の大きさに比べて少ない。
実際にその場に降り立ち規定された力の波形やその強さを維持しているかどうか。
いわば検分が仕事だ。
神の影響は人世の影響も考慮され、なるべく地底深くや海などで行うのだが、如何せん山の神などその場から動けない神はそこで行ってもらうしかない。
一応、被害が広がらないように力添えをすることもある。
「うむ、人間にとっては災厄であるから心苦しいが、これも必要な事だからな」
立律若日子様の口からその言葉が出ると嘘っぽく感じるかもしれないが、それは彼の性格のせいかもしれない。
少々、偉そうで不遜。ではあるが、立派なお方だ。でなければ、このようなお立場になるはずがない。
「これは!」
「どうした?」
一本目の巻物を見終わり次の巻物に目を通した時、一つの文字が目に留まる。【蛇祇山】。
見覚えがある地名。
忘れるはずがない!
今私たちが住んでいる場所の名前だ!
時刻はいつだ!
場所の横に記した神の名前、力の波形。そして、日時。綺麗に区分けされている表を目で追う。
蛇祇山。妻奈備神。大地震。六月七日午後二時五分。
そう遠くない時間だ!
「すみませぬ。私めから用をと申しましたのに、急用を思い出しました。
どうか、先程の言葉はなかった事にして頂いてよろしいでしょうか?」
ただ、だんだんと過ぎていく時間は確実に存在し、それが私の心を囃したてる。
「申し訳ございません。失礼します」
私は立ち上がると、答えを聞く間も惜しく本宮から飛び出し、ピクニック気分で歩いてきた道を急いで戻った。