第03話 報告
時代は進んで科学の時代。平成で言うところのどれだけか。隣町のジーザスさんが生まれて2000と少し。
世界は神の時代から科学の時代に移った。
と言っても、未だ神社も寺も教会も、現役で建造されているし神への信仰がなくなったわけではない。
高天原も絶賛稼働中で、今も新規の神様が生まれては移住している状態だ。
神様事情は、結局今も昔と変わっていない。
新しいものができてそれが愛用されれば神様が生まれ、そのために尽くす。
最近ではパソコンの神様の眷属だったスマートフォンが近々神様に昇格する予定だ。
元々、パソコンの神様も情報を司る神様の眷属だったことを考えると妥当な判断なのかもしれない。
私たち神使も神様に昇格することだってある。
というよりも、狐の神使である私の一族を神と奉っているところは多くある。
これでも一応、血筋としては偉い部類に入るのだ。
それなのに数年前。
あのお神様の神使となり、去年、高天原から降りてきた。
人間に化けて名をつけて、今は立派な学生としてこっちで暮らしている。
人世での私の名前は清原狐子。
お清というのが高天原での私の名前。
高天原に住んでいるお清という狐の子という意味を込めてこの名前を付けたらしい。
この名前を付け、私をここに連れてきた元凶は、一応高貴な身の神様らしい。
ここでの名前は神原唯男。
神の原に住むが、恋に焦がれた唯の男という意味らしい。
はっきり言おう、ネーミングセンスについては恐ろしいほどない。
神様がいたこの屋上は安全のために、唯一繋がる扉にはしっかりと鍵が掛けられており、一般の生徒はどうあっても侵入することはできない。
例外があるとすれば、私たちのような人にあらざる力を持つ者くらいだ。
御蔭様で、ここは私と神様の密談の場によく使われている。
教室に向かった彼の後を追い、私は行きと同じく屋上からふわりと飛び上がった。
****
教室に戻るとやはりこの奇怪な雪で持ちきりだった。
男子の何人かはまだ雪が降らぬのかと空を見ており、女子は固まって雪の話で騒いでいた。
この楽しそうに騒いでいるのを見て、神様は、一人満足そうにしている。
「はぁ」
この騒ぎとは場違いな深い溜息をつくと、私は精神的な疲労で重い身体をゆっくりと席につけた。
「狐。なに、溜め息ついてるんだい」
ぐったりと、席に座り込んだ私の後ろから、誰かが突然覆いかぶさるように抱き着いてきた。
「あっ、香ヶ池さんですか。」
私を狐と呼んだ彼女の名前は香ヶ池ほおずき。
すらりとした長い手足を持ち、身長は男子にも勝るとも劣らない高さ。
三年生が引退した剣道部の主将を務めている彼女は、その赤みがかった短髪と大きな瞳が印象的で、特に女性に人気がある。
とは言え、人気だけで主将になれるわけではなくその実力も相当なもの。らしい。
「さっき、雪が降ってたんだけど。狐は見てた?」
「えっ、あっ、一応」
一瞬、神様の顔が頭をよぎり、思わず言葉に困ってしまった。
「あたし、寒いのダメなんだよねぇ。冬眠したくなるから」
「私は寒い方が好きですよ。
暑いのが嫌いです」
「河津も寒いのダメみたいだってさ。
さっきから席でぐったりしているよ」
香ヶ池さんが指差した方を見ると、なるほど。
神様よりも五割増しほど横に大きい河津さんが座り込んだ熊のように席にうずくまっていた。
このぽっちゃりとした彼は、河津大海といい、人世に来て初めて神様にできた友達だ。
この体型のイメージ通りというものなのか、控えめな性格の方で、動きも非常にゆっくりしていおり、温厚さという雰囲気をそのまま表していた。
そういえば、去年の冬も緩慢な河津さんの動きが更に緩慢だったような気がする。
「それにしても、なんで、こんな季節に雪なんて降ったんだろうね?」
「えっ、た、たぶん、異常気象とかですか?」
「普通に考えてこれが正常な気象じゃないってのはあたしでも分かるって」
「そりゃ、そうですよね」
「原因ってなんだろう?」
はい、神様が原因です。
とは、言えるはずもなく、私は思わず黙って俯いてしまった。
「あはは、さすがに、狐でも分からないか」
むしろ、分かってしまっているから答えられない。
さっき、神様も言っていたように人間にとって今は神の時代ではなく、科学の時代だ。
まさか、ここで、神様がその力で雪を降らせたなんて言っても誰も信用してくれないし、ともすれば、笑いものにされてしまう。
「しかし、ここ一年くらいよく異常気象が続くもんだね。何か、呪われているんじゃないのかい」
「ま、まさか」
神様は信じなくても、呪いは信じる。今の人間はなんともアンバランスだ。
「去年は秋に桜でしょ?
そういえば、グラウンドに魚が降ったこともあったよえねぇ」
「偶然ですよ。偶然」
「そういや、テレビでも言ってたしね。
秋に桜が咲くのってまれにあるだってさ」
「そうなんですか?」
「らしいよ」
気象の条件さえ揃えば、風に飛ばされた魚が偶然グラウンドに落ちることもあるし、秋に桜だって咲くこともある。
ただし。ただしだ。
今回に限って、どんな条件が揃っても、真夏に雪なんて降ることはない。
「はぁ」
私は再度大きく溜息をついた。
神様がクラスの騒いでいる風景に満足したのか、それともただ単に飽きただけなのか。
降雪は終わり、隠れていた太陽が顔を出した。
太陽が元に顔を出すと、後は一瞬だった。
薄く積もっていた雪はあっという間に溶け、身を切るような寒さはなくなった。
グラウンドやアスファルトには、まだ溶けた雪で濡れてはいるが、これも夏の熱気と日差しですぐに乾いてしまうに違いない。
人間の記憶からはいつかこの出来事は消えるかもしれないが、記録には残ってしまう。
さすがに、これは高天原に報告しなくてはならない。
いくら神様といえども、人世に深く関わることは禁止されている。
これは高天原ひいては神世のバランスのために決められていることなのだ。
「香ヶ池さん、今日は体調が悪いので、早退しますね」
「えっ、大丈夫なの?」
「はい、帰って寝ればすぐに元気になりますから」
私は荷物を学校指定の鞄の中にしまうと、神様の側により、小さく声をかけた。
「神様、今回の件は高天原に報告してきますので、そこのところ覚悟しておいてください」
「私は悪いことはしてないんだけどねぇ」
「十分しています!」
私は思わず足を踏みそうになるのをぐっと我慢した。仮にも彼は神様なのだ。
「それと、お弁当は昨日の煮つけの残りです。
家に帰ったら洗い場に出しておいて下さい」
「おぉ、ありがたいねぇ。私はあれが好きなのだよ」
今回の件を高天原に報告するために、午後の授業は休むことになる。
とはいっても、安穏な学生生活を営むつもりもない私にとってそれはどうでもいいことではある。
「それでは、神様が帰宅するまでには戻ると思いますので、くれぐれも無茶なさらないようにお願いします」
「任せなさい。私が無茶をしたことがあるかい」
この言葉が冗談なのか真剣なのか。もう私には判断できない。
「お願いですから自覚を持ってください」
****
神世はその広さが広大ではあるが、神が住む場所は限られている。
住み分けられていると言った方が正しいかもしれない。
その神世へ人世から渡るのは実はそれほど難しくない。
細かい規則などはあるが、ほとんどが儀礼的で、本当に必要かどうかもわからない。
兎も角、高天原へ行くには、神がおわす社から神世へ渡る入口をくぐると辿りつくことが出来る。
校門を出て、十五分。
田んぼの横を通り抜け、遠くに見える山の方へ足を進める。
昼下がりのこの時間。気温はあっという間に戻ってしまった。
左手には山が広がり、右手には田んぼが広がる。
都会とは言えない、何ともほどよく田舎であるこの町。
アスファルトから照り返す暑さを避けるように木陰に隠れ山沿いを進む。暑さと湿気に混じり、山にまだ入っていなくてもかすかに土のいい匂いが鼻に入ってくる。
田んぼと道の間にある側溝には数センチほどの水が流れている。
たぶん、雪が解けたものだろう。
人間には笑って済ませられる温度かもしれないが、魚や虫には少し厳しかったかもしれない。
神様はもう少し精細な目を持ってほしい。
眩しいほどの日差しが木々の陰にさえぎられ優しく照らしている。日差しを遮っているこの山が目的の山となる。
この山は蛇宕山と言って地元では、蛇宕さんと呼ばれている。遥か昔から、ここには大きな蛙の姿をした土地神がおり、山の神と共に奉られていた。
しかし、言い伝えではもっとも、その土地神はある日を境に隠れられたと言い伝えられているので、今は山の神のみとなっている。
人世に来て一年。
神世に帰るたびにこのお社は使わせてもらっている。
それだけではない。
よくよく話の分かる方で、私は事あるたびに足を運んだ。
私の仕えている神様とはまさに月とスッポン。
神使とは神に仕えるものであって、使われるものではない。
神使としては基本なのだが、如何せんここ一年は使われている気がする。
今度暇ができたら、彼の方に相談でもしてみようかしらと思うほど。
木陰に隠れながら歩いているが、暑い日差しは黒いアスファルトの地面に当たりそこから空気と言わず全てを熱するように気配が立ち上ってくる。
暑い。
長い毛皮に覆われた狐にとって暑いのは苦手だ。犬みたいにはしたなく舌を出す気にはなれないが、気を抜けば変化が解けてしまいそうだ。
後一ヶ月もすれば今よりももっと暑くなる。去年はそれでずいぶんと苦しめられた。
高天原に帰ったら、一度狐の姿に戻って毛の生え換わりをしよう。
どうせ、神様が帰宅するまで帰らないと言ったのだからそれくらいの時間はあるだろう。
アスファルトの道を歩き、山の麓まで足を進める。
山の裾野にぽっかりと空いた口。灰色をした鳥居を入り口として、そこから長い長い三百段ある石段が上へと続いている。
鳥居の真ん中をくぐり、肌を辿る汗を拭って石段に足をかける。
ここからは聖域だ。
森の木陰と静まった空気に暑さが少しだけ和らげられる。
神使であり、神でもある私は一応参道の真ん中を歩くことが許される。
人としての二本の足を使い、山に沿って作られた石段をゆっくりと上へ昇っていく。
一歩一歩上に行くにしたがって肌に受ける神気は疲れた身体を癒してくれる。
頭の上に生えた二本の耳も今は元気に上を向き、長い髪が尻尾のように左右に揺れる。
故郷に帰って来たような足取りは三百段の階段をあっという間に登らせてしまった。
長い階段を上りきると、頂上付近にある開けた大きな場所に出た。
そこには、朱色の大きな鳥居があり、境内には小さな本宮が。
そして、末社に我々稲荷の小さい社があった。
「さてと、まずは挨拶をしないとね」
朱色の鳥居をくぐると、本宮に向かって大きく手を打った。
「たびたび、申し訳ございません。狐が神使、清でございます」
細かい礼儀は省略し、自分の名前だけ名乗り上げる。
「いやいや、よくおいでなすった」
皮のしっかりと張られた太鼓を叩いたようなドーンという低い音が響き、山の頂上付近から声が流れてきた。姿は見えないが、本宮が背負うように構えている山からひときわ低く大きな声が耳に入る。
「神事ご苦労。
高天原へかい?」
「はい。今回もよろしくお願い致します」
蛇祇山に住まう妻奈備神。
この方の力を借りて、人世から神世へと移動する。
妻奈備神の笑い声と共に、誰もいないはずの本宮の扉が独りでにパタンと開いた。
私がなぜ高天原に戻らないといけないのかをこの方は知っているのだ。
もっとも、この季節に雪などとあからさまなことをしてしまえば気づかない方がおかしい。
自分の事ではないとはいえ、恥ずかしいやら情けないやら。
そんな気持ちになってしまう。
「そうそう。話は変わるが、この間の煮つけはどうだった?
彼の神も気に入ったらしいが」
彼の神とは私の主でもある神様の事だ。
妻奈備神は神様の事をそう呼んでいる。
「味が染み渡って大変良きものでした。
出汁は何を使ってらっしゃるんですか?」
私の影響というわけではないが、こちらの神も最近料理にはまっておられるようで、よくおかずの御裾分けをしている。
凝り始めたらとことんやるというのは、どうも神に限らずこの国の癖のようなものなのだろうか。 この間は欲しい材料があるとかでわざわざアテネの神のところまで足を運んだようだった。
「出汁はこの間と変わりませんよ。
ただ、ローマの知人に塩を貰えないかと頼んでね。そこがいつもと違うのですよ」
「塩で御座いますか。
確か高天原に塩を作る石臼があったはずですね。
高天原に寄るついでに、いつもと違う塩を使ってみることに致します」
「できましたら、また味見したいものです」
「もちろんで御座います」
「あぁ、それと私が料理を作っていることはくれぐれも秘密でお願いしますよ。
恥ずかしいですから」
妻奈備神の恥ずかしそうな笑い声が風に乗って聞こえてきた。
「えぇ、もちろん」
そう言えば、煮つけを神様が気に入っていたと言うのは誰から聞いたのだろうか。
この話はまた後日と仰ったので、私は頭を下げ、開かれた本宮へと足を踏み入れた。
人の手によって開かれた扉は人世に通じるが、神の手によって開かれた扉は神世へと通じる。
開け放たれた本宮は本来のそことは違い白い光に満ち溢れていた。
溢れ出る力の渦に身を任せると自分の背中の方で、開いた時と同じように本宮の扉が独りでに閉まる音が聞こえた。
人世とつながる扉が閉ざされて、目の前は白い光と暗闇に包まれた。