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おつきつ! ~お付きの狐の回顧録~  作者: 物戸 音
第四章 激変する日常
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第18話 共闘

「香ヶ池さん! どうしたんですか!」


 何かおかしい。

 あの香ヶ池さんが、力負けをするはずがない。

 力任せに押された香ヶ池さんは、地面に倒れ込むとまるで人間のように擦りむいた膝を押さえた。


「ははは、狐。ちょっと、まずいや」


 地面にうずくまったままの香ヶ池さんが流す、さっきまで辺りを圧倒していた者と同一人物とは思えないほど弱々しい声。


「くそがっ、ビビらせやがってよ!」


 立ち上がったカツユは、倒れている香ヶ池さんをまるで打ち捨てられたボールを蹴るように、お腹におもいっきり足を叩きこんだ。


「あがっ――」


 喉の奥から絞り出されたような声が漏れ、香ヶ池さんの身体が後ろへと飛んだ。


「さすがだな」


 再度地面に転がった香ヶ池さんのところまでゆっくりと歩きながらカツユは言葉を続けた。


「後ろに飛んで衝撃を和らげたか。そこんところは、人間離れしてやがるな。

 だがな、痛てぇだろ。腹ん中掻き毟られたように痛てぇだろ」


 地面にうずくまったまま、お腹を押さえ、陸に打ち上げられた魚のようにのた打ち回る彼女を見て、私は戦慄が走った。

 まるで、人間の様。

 体勢を低くし、両手に狐火をまとう。赤い炎のその温度で、空気が歪み、辺りの景色が揺れた。

 それも一瞬、手を後ろに伸ばし素早く走り出し、カツユの懐まで一気に近づくと、炎が揺らめく左手を一気に相手の顔へ伸ばした。


 カツユの気は香ヶ池さんに向いていた。

 不意打ちだが、この一撃がカツユに入れば香ヶ池さんを助けに行く事ができる。

 少し手を伸ばせば頬に当たりそうなところまで手を伸ばした時、目の前に何か黒い影が見えた。 それがカツユの拳だと言う事に気づくのにそう時間はかからなかった。


「きゃん――」


 子犬のような叫び声が口から洩れ、私の顔は、ボールが壁に当たったように向かった方向とは逆方向にはじき飛ばされた。


「てめぇ、みたいな子供が出る幕じゃねぇンだよ!」


 カツユが振りむいたのも、殴りかかって来たのも全く見えなかった。

 気づいたら自分は殴られ、そして、地面に倒れていた。


「ほらよぉ、大蛇さんよう」


カツユは香ヶ池さんの頭を踏みつけると、まるで詰るように足を動かしたり力を強めたりした。


「頭踏みつぶされたいか?

 ほら、さっきまでの威勢はどうしたよ」


香ヶ池さんは踏みつけられている足をのけようと必死に足を掴むが、それができず、踏

みつけられた痛みに声を上げながら足をばたつかせるしかなかった。


「潰しちゃうよ。いいよな。くちゃ、くちゃって、亀の甲羅みたいによ。

 硬いの潰したら中から柔らかいのがトロッとよぉ。へひゅへひゅへっへ――」


 助けなきゃ。

 私が立ち上がった瞬間、楽しそうに香ヶ池さんを踏みつけていたカツユの顔だけがぐるりとこちらを向いた。


「一歩でも動いてみろ。この女の頭を踏みつぶすぞ」


 フクロウのようにぐるりと回った首に驚き、そしてその顔が本気であることを察した私は、動けなくなってしまった。

 助けなきゃ。

 でも、どうすれば。

 私の気配は完全にカツユに捉えられている。

 何かしようものなら、すぐに勘づかれてしまう。


「分かったら俺の楽しみを邪魔すんじゃねぇぞ」


 踏みつけて、苦しむ声を聞く事をこいつは本気で楽しんでいる。

 でも、どうすれば。

 誰かに助けを求めるように、私は空を仰いだ。

 上を見たからと言って誰かが助けに来てくれるはずもなく、そんな都合のいいことが起こるはずもない。

 ただ、青い空。

 不安になるほど広がる青い空には小さな黒い影とどっしりとした雲がそこに鎮座していた。


「あっ!」


 思わず出した声に、カツユがじろりとこっちを見、私は慌てて両手で口を塞いだ。

大丈夫かもしれない。

 たぶん。

 そんな気持ちが一瞬浮かび、それが表情に出たらしい。


「てめぇの、その顔がなんか気にいらねぇな。

 まだ何とかなるとか思ってるんじゃねぇのか? あぁ?」


 何とかなるかどうかは分からないが、安心感がある。

 カツユが私に気を向けた瞬間、空にあった黒い小さな影が音もなく、カツユのすぐ後ろに降りてきた。


「やり過ぎだ!」


 軽快に飛び上がれるとは思えないくらいふくよかな身体をもったそれは、腰を下ろし、大きく開いたその手でカツユのを突き飛ばした。


「河津さん!」


 お相撲さんよろしく突っ張りでカツユを突き飛ばした河津さんは倒れていた香ヶ池さんを抱き起した。


「河津……」

「大丈夫か?」

「はぁ、はぁ、はぁ。あんたは、高天原につくんじゃなかったの?」


 呼吸がまだ整っていない香ヶ池さんだったが、河津さんの腕の中では少し元気そうににやりと笑って、嫌みを放った。


「すまない。まさか、こんなことになるなんて……」


 あの、八岐大蛇である香ヶ池さんがここまでボロボロにされるとは河津さんも予想ができていなかったようだ。


「あぁ、それね。たぶん、これだわ」


 香ヶ池さんはそう言って、片腕を上げて手首を見せた。

 香ヶ池さんの腕には綺麗な色をした石がいくつも連なった数珠のようなブレスレットがつけてあった。


「こ、これは本物か?」


 それを見た瞬間、河津さんは大声を出した。

 河津さんが驚いたのもの納得ができる。

 私は実際に見た事がなかったが、それでもこれは知っている。


「にゃはは。じゃなかったら、あたしがここまでやられるはずがないでしょ」


 空元気とはこういうことを言うのだろう。彼女の誤魔化すような笑いに河津さんの表情が揺れた。


「あ、あの、どうなっているんですか?」


 香ヶ池さんと河津さんには今の状況が理解できているようであったが、私だけは現状が理解できなかった。


「私が説明してあげようか?」


 困惑している私の耳に聞き覚えがある女性の声が届いた。

 誰が喋ったのかはすぐには分からず、声の方に視線をやった。

 グラウンドに立っているのは、私と香ヶ池さんと河津。そして、カツユ。

 そして、校舎からゆっくりと歩いてきた人物。


 照りつける強い日差しには合わない、白い肌と小さな身体。声の主はまだ少し離れていたけど、彼女がそこまで大きい声を出せると思わなかった。


「加茂野さん! 危ないですよ!」


 私が加茂野さんがこちらに来るのを止めようとすると、加茂野さんと私の間に河津さんが割り込んできた。


「どういうつもりだ!」


 あまりの大きな声に驚いてしまった。


「ちょっと、河津さん。どうしたんですか?」


 河津さんはちらりともこちらを見ずに、ずっと加茂野さんを睨みつけていた。


「折角、私がそこの狐に教えてやろうと思ったんだけどね」


 目の前にいるのは確かに加茂野さんだ。

 人形のように真っ直ぐに長い黒髪。そして、透き通るように白い肌。この日差しが熱いのだろうかうっすらと汗をかいている。

 声も私がいつも耳にしている彼女の声だ。

 けれど、何か違う。

 これが、その違和感の原因かは分からなかったが、加茂野さんは話している間、一度も瞬きをしていなかった。


「加茂野さん、どうしたんですか!」

「清原さん、違うんだ。今の加茂野さんは加茂野さんじゃない」

「いやねぇ、私は加茂野だよ。正真正銘ね。

 ほら、この中にも人間の血が流れているのよ。見てみる?」


 香ヶ池さんは表情一つ変えず、見開いた眼のまま、自分の右手でゆっくりと首を絞めた。

 首を絞めて呼吸ができなくなるのなら、その表情は苦しみの色に染まるはずだ。

 けれど、加茂野さんは一切その表情を変えなかった。

 まるで、いつも通りの日と言わんばかりの表情。

 首が締まってないのかとも思ったが、そんなことはなかった。

 その証拠に加茂野さんの唇や顔色はどんどんと紫色へと変化していった。


「蛭外道、やめろッ!」


 河津さんの声が合図であるかのように、加茂野さんはぱっと自分の手を首から離した。

 血液が回り始めたのだろう。じんわりと加茂野の顔色は元の色に戻っていった。


「蛭外道?」

「そうとも、私の名前だ」


 声は加茂野さんだが、喋り方が全然違う。


「この娘は本当に憑きやすかった。その家系だろうがな」


 蛭外道が加茂野さんの身体を借りつつ、言葉を続けた。


「ひもろぎか。良い家系だ。私のような憑依するものにはなぁ」


 ひもろぎ。祭事などで、臨時に神を迎える依り代となるもの。

 それは、場所であったり石であったり。その形状は問わない。


 だから、人だとしても十分あり得る。加茂野さんの祖先は巫女か何かだったかもしれない。


「さて、カツユよ。どうする?」


 河津さんに突き飛ばされたカツユがいつの間にかすぐ近くにいた。


「へひゅへひゅへっへ――いいんじゃねぇか。殺してよぉ。

 足止めだけだとか言ってたけどよぉ。もう、我慢できねぇよ」

「そうねぇ。もう、大蛇も封じられたしね」

「香ヶ池さんが?」


 私の声に、加茂野さんはこちらを向くと無表情ににこりと笑った。


「そうよ、大蛇の腕を見たでしょ」


 見たも何もそれが本物だったら大変なことだ。


「あら、本物よ」


 感情と表情のちぐはぐなバランスが不気味さをより感じられる。


「あれは、三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉よ」


 生きていて本物が見られるとは思わなかった。


「酔狂よね。あの大蛇が人間の姿で生活しているなんて。

 まぁ、御蔭で、大蛇を人間にする事ができたけどねぇ。大変でしょう人間は。

 何たって生きているからねぇ」


 感情のない笑顔から笑い声が漏れる。まるで、人形のような造られた顔。


「神は存在という最も重要な力を神通力に変えているからねぇ。

 まぁ、そのせいで存在が危うくなってしまうから、人間の存在は絶対になってしまうけどね。

 でも、その力を失っても存在を優先させようなんて私は死んでも思わないけどねぇ」


 神が神通力を使えるのは、ここにいるという存在の力を使っているからだ。

 だから、より巨大な神通力を使うためには、より存在が薄くなる。

 その為、神は人々に知られる必要がある。高天原の奇怪な掟はそのためだ。


 薄くなった存在は人間が知る事で、覚えている事で補完している。

 だから、有名な神ほど、強い神通力を使う事ができる。


 代わりに、人間は神通力が使えない代わりにその力を存在の力に変えている。

 だから、人は誰からも知られなくても生きていくことができる。

 しかし、存在の力は死という概念を作り上げた。


 誰にも頼らずに生きてはいけるが、いつかは死ぬ存在となった。

 神はいつ消えるか分からない恐怖を持ち、人間に憧れるが、同時に死が必ず存在する人間を嫌悪している。


「あら、あたしは人間の身体も気に入ったわよ。

 あんたもなってみたらいいのに」


香ヶ池さんは少し苦しそうに身体を抱えながら加茂野さん、もとい蛭外道の方を見た。


「人間がいいって。はっはっは、お前、人の生活に溶け込んで頭も人間になったか?

 お前みたいなやつが高天原を恐怖させた八岐大蛇とは、笑いが止まらないわ」

「まぁ、あんた程度の小物なら私が人間でも問題ないけどね」

「お前ッ――」


 一瞬、掴みかかろうとしたその動きを蛭外道は何とか抑えた。


「いえいえ、そんな安い挑発には乗らないわ。カツユ、殺してしまいましょう」

「へひゅへひゅへっへ」


 風に乗って流れてくる、カツユの耳障りな笑い声。


「河津。あんたが裏切った意味は良く理解した。あたしに手を貸しなさい。

 加茂野さんは助けてあげるから。それと――」


 香ヶ池さんはちらっとこっちに視線を送った。


「狐、ちょっとこっちに来て」


 近づいた私の肩を掴むと、耳元に顔を近づけ小さな声で耳打ちをした。

 香ヶ池さんの吐息が、耳に吹きかかりくすぐったい。

 耳打ちが終わった瞬間、香ヶ池さんは間髪いれず、私の両肩を掴むと私の唇に自分の唇を重ねた。


「んむンっ――」


 香ヶ池さんのぬるっと舌が弄るように私の口の奥に入り、私の舌と絡む。

 こんな香ヶ池さんを近くで見た事がない。

 綺麗な肌。蛇のようにひんやりとした体温。冷たくて気持ちいい。

 舌は長く、私が届かないようなとこまで口に入り込んでくる。

 鼻息がお互いの顔に当たり、恥ずかしくて閉じようとする歯を舌で無理やり開け、香ヶ池さんの舌が私の中へと耳打ちしたそれを受け渡した。


「ん、あん、はぁはぁ、はぁ――」


 香ヶ池さんの口が離れると、鼻の中へ一気に新鮮な空気が入る。

 初めての口付けが、まさか香ヶ池さんだと思わなかった。今回のこれに限っては数に数えない事にしなければいけない。


「さて、私らの事はいいから、高天原に向かいなさい」

「えっ、でも」

「あいつらは、そうとう私を殺したいらしいからね。

 まぁ、高天原から足止めを命令されたんだけど、こいつら馬鹿だから。

 そんなことどうでもいいって感じだもんね」


 馬鹿という言葉だけ、強調して香ヶ池さんは話した。

 もちろん、それが誰に向かっているのか、私だけじゃなくてその本人たちも理解している。


「お前、殺してやる! ぐちゃぐちゃにして、永劫に犯し続けてやる」

「ほら、狐!」


香ヶ池さんは、私の身体をトンっと押すと、竹刀を構えなおした。


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