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おつきつ! ~お付きの狐の回顧録~  作者: 物戸 音
第四章 激変する日常
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第17話 激戦

「へひゅへひゅ、お前らがあれの言っていた、狐と蛇か」


 この男は、浮き輪から空気が抜けたような耳障りな笑いをする。


「何か用?」

「俺ぁ、カツユ。確かどっちかだよなぁ。

 どっちも殺していいんだっけなぁ。へひゅへひゅ」


 この人はまずい! この人は監視者や交渉人と言った類のものではない。

 そう思った瞬間、私はすぐに声を張り上げた。


「皆さん! 早く逃げてください!」


 ぞくっとした嫌な感じが身体の芯を走り抜け、私はいつの間にか大声でグラウンドにいる全員に向けて叫んでいた。

 自分がここまで大きな声を出せるとは思わなかった。

 日頃、神様相手に叫んでいる成果なのだろうか。

 異常とも言える私の大声に、グラウンドにいる全員が私の方に目を向け、今ここで起きている異常を察したようだった。


 異常。その一言でこれを語り尽くせるだろうか。

 じりじりと日が当たる熱い校庭のど真ん中。この男はゆっくりとこちらを指差した。


「楽しいなぁ。もっと恐怖に慄いてくれ」


カツユの重心が少し揺れた瞬間、香ヶ池さんの身体が動いたのが分かった。

 一瞬、なぜと疑問に思ったが、すぐに理由が分かり、彼女の凄さを改めて感じた。


 香ヶ池さんは先手必勝、カツユの動き始めを崩すつもりだ。

 私は動く気配を察することはできたが、すぐさまそれに合わせて行動はできなかった。

 もしできたとしても、動き始めを予測して防御を間に合わせることぐらいだろう。


 香ヶ池さんは大きく右足を踏み出すと、それに合わせるように身体を低く前に倒した。

 地面に倒れたかと思うほど低く這った彼女は、片手で竹刀を持つと大きく横から相手の足を絡め取るように振り払った。


 竹刀がカツユの足に当たった痛々しい音。

 カツユの踏み出した足が掬われ、バランスを崩して倒れそうになったが、器用に空中で身体を捻り、倒れる姿勢をそのまま回転のエネルギーに変えた。

 香ヶ池さんに背中を見せたのは一瞬。

 払われた足とは逆の足が回転のエネルギーをそのまま残し、香ヶ池さんを刈るように地面と水平に振られた。

 香ヶ池さんが誘われた!


 いや、上体を低く保っているあの位置ならカツユの足は当たらない。

 香ヶ池さんは、身体を支えた二本の足を地面から浮かし、上体を低くしたまま仰向けになるように身体を捻った。

 香ヶ池さんを刈り取るために水平に振られた足の軌道が急に変わり、横にではなく、大きく翳された。

 下にいる香ヶ池さんを踏むように。いや、踏むなんて生易しいものじゃない。

 下にいる彼女の顔面に踵を叩きこむつもりだ。


「あぶッ――」


 高々と掲げられた足が真っ直ぐ香ヶ池さんに向かって振りおろされ、カツユは不自然に上体を後ろに反った。

 それとほぼ同時に、香ヶ池さんは横の回転でカツユの踵を避け、その勢いを殺すことなく、竹刀が円を描くように振られ、空を切った。


「――ッない」


 香ヶ池さんは空を切った体勢をすぐに戻し、後ろに飛び跳ね距離をとった。

 レベルが違いすぎる。

 あの攻防が一言発する間に行われた。


「くっそぅ、上体を反らさなきゃあたしの竹刀が確実に当たったのに!」


 カツユが踵を振りおろした時、不自然に上体を後ろに反ったのはそういう意味があったのか。

 ということは、香ヶ池さんには踵は既に織り込み済みで避ける事が前提だったのだろうか。

 実際のところ、どうなのかは分からないが、彼女の悔しさを見るところそうに違いないと思ってしまう。


「お前が竹刀さえ振らなければ、オレが踏みつぶしたのになあ」


 どちらも先を読んで回避と攻撃を同時に行っている。

 興奮で手が汗ばんでいるのだろうか、香ヶ池さんは先ほどから頻りに竹刀を握り直している。


「なかなかやるじゃん」

 少し嬉しそうに、香ヶ池さんがチロッと舌を出した。

 風向きを確かめるかのように出している舌が、心なしか人のそれより細長くなっているような気がした。


「これなら、どう?」


 竹刀を右手一本で持つと、切っ先をカツユの首一直線に素早く突いた。

 早い。

 が、カツユはそれを紙一枚入り込む隙間ほどの距離で避けた。


「だと思ったわ」


 若干、不意打ちに近い。

 これでにやりと笑うものだから、どちらが悪役か分かったものじゃない。

 香ヶ池さんは、素早く腕を引くと、再度首を狙って突いた。

 カツユが先程は、紙一重で避けたその突きを今度は腕でいなして防いだ。

 その瞬間、香ヶ池さんは二度目の突きを繰り出した。


 いつ竹刀を引き戻したのだろうか、早すぎて分からなかった。

 それでも、カツユはそれを受け流している。

 いや、これは辛うじてかもしれない。


 何度も何度も繰り返される高速の突きに、最初は腕だけでいなしていたカツユだったが、だんだん腕だけでは間に合わず、身体ごと避けている。


 これは、もしかして時間の問題か。

 連続で突いてくる竹刀を振りはらったカツユの手が大きく外に弾かれた。

 チャンスだ!

 香ヶ池さんが、そのチャンスを見逃すはずがない。

 今だとばかりに長い腕を伸ばし、右足を一歩踏み出し更に身体を横にして竹刀を奥深く突きさした。


「――これさえも!」


 避けられるなんて!

 香ヶ池さんが突きだした渾身の突きをカツユは身体をそのまま後ろに大きく反り避けた。

 隙ができたんじゃない。カツユが隙を見せたんだ。

 身体を捻り一度背中を見せ、倒れこむような姿勢で手を大きく振りあげたカツユを見て、やっとその事に気づく事ができた。

 突きをいなしているカツユの腕が大きく外に弾かれるはずがない。


「残念だな、数多の首の蛇」


 きつく握りしめた拳の手の甲が真っ直ぐ香ヶ池さんに向かう。


「どっちがかな?」


 誘われたわけじゃない。香ヶ池さんが誘いに乗せた!

 真っ直ぐに伸ばしていたはずの、腕がもう元に戻されている。

 不意打ちのはずのカツユの裏拳を一歩横にずれて避け、香ヶ池さんは竹刀を構えなおした。


「カウンターのカウンターってね!」


 一瞬、高々と竹刀を掲げると、そのまま地面まで切るのかと思うほどの勢いで竹刀を振りおろした。

 確実に決まったと思えるほど完璧な香ヶ池さんの竹刀を、カツユは受け止めた。

 どうしてそうなったのか、狐子には理解できなかったが、まるで骨がない軟体動物のように崩れた体勢を器用に捻じ曲げ、あっという間に体勢を戻してしまった。

 今までなら避けていた彼女の攻撃を、両手を十字に重ね、頭の上で止めなければいけなかったのだから、さっきの隙が最大のチャンスだったのかもしれない。

 追撃をするのかと思いきや、あまりに強く叩きすぎたのか、強い岩に棒を叩きつけたように、柄が香ヶ池さんの手から離れ、竹刀の先が半円を描くように跳ねかえった。


「へひゅっへひゅ、これが噂に聞く八岐大蛇! 弱ぇ、弱ぇッ!」


 声高々に勝ち誇った声。

 まさか、香ヶ池さんがと脳裏に過ぎった瞬間、焦燥するはずの香ヶ池さんが笑った。


「はい、残念!」


 嬉しそうに笑った彼女は、左手の平を上に向け、跳ね帰った竹刀の先を手で受けた。

 右手を下から上に竹刀を押し上げ、竹刀の先と呼応して半円を描いていた柄の先をカツユの顎に向かって掬い上げた。


 剣先の軌道を変え、柄での強襲。さすがのカツユもこれは予想だにしていなかったようで、無防備であった顎を叩かれ、頭を大きく後ろに仰け反らした。


「香ヶ池流剣術……なーっんてね」


 頭を後ろに仰け反った状態で、何とか倒れまいと一、二度そこで足踏みをしたが、カツユはその体勢を戻すことなく、そのまま地面に倒れてしまった。


「なんですかそれ」

「今、考えたの。恰好よくない?」


 子供じゃないんですからという言葉を呑みこんだ。

 年齢から言うと、子供は私の方だ。

 ついつい人の姿で照らし合わせて自分と同年代と思ってしまう。

 香ヶ池さんは私から目立ったリアクションが感じ取られなかったのが不満なのか、竹刀をくるくるとまわしながら倒れているカツユの方に歩いていった。


「さてと、こいつはどうしよっかなぁ」


 香ヶ池さんはまるで自分がしとめた獲物を自慢するように、カツユを覗き込むように座

り込んだ。


「そんなことより、高天原に行かないと」

「でもさ、こいつが気が付いたら色々とややこしくならない?」


 香ヶ池さんは座り込んだまま、首だけを私の方に向けて喋った。


「そんなこと言ってもどうしたら……」


 私が思案気に宙を見た瞬間、目の端で黒い影が鳥のように飛び込み飛び去っていった。

「なッ――!」


 何が動いたのかと、素早く目線の先を影が飛び去った方向へ動かした。

 その影の正体は香ヶ池さんのすぐ近く。倒れて気を失っているはずのカツユだった。

 香ヶ池さんは、私の方を見ていてまだ気づいていない。


「――危ないッ!」


 カツユは気がついたのか、それとも気を失っているふりをしていたのか。

 どちらかは分からないが、カツユは立ち上がり香ヶ池さんを抱え込むように手を伸ばした。


 私の表情と声に異変を察知した香ヶ池さんは、すぐに後ろを振り返ったが、その時には遅く、抵抗しようと手を動かす前にカツユの両手に抑え込まれてしまった。

 粘っこい何かが壁にぶつかったような耳触りな音が聞こえ、次いで香ヶ池さんの叫び声が聞こえた。


「香ヶ池さん!」


 痛みや苦しみの表情ではない。拒絶的な金切り声。狂乱的とも感じるその声に、助けに行こうとした身体を思わず竦めてしまった。


「いやぁぁぁあ、やめろぉぉ! はなせぇえ!」


 必死で剥ぎ取ろうと、手を動かすが、カツユの身体はどうもぬるぬるしているらしく、爪を立てようにも滑って身体を掴む事ができなかった。


「いやああああッ――っあああああああああああああ!」


 まるで壊れた玩具のように天を向き大きな口を開け叫び続ける香ヶ池さんに、私はどうしていいか分からずその場で立っている事しかできなかった。


「あああああああああああ、ぐっ! ごほっ――ごほっ、あががが」


 香ヶ池さんを抱きしめていたカツユの身体がきゅっと縮み、香ヶ池さんの身体を締め始めた。


 まずい! 喉を絞められている!


 咳き込み苦しそうに呼吸している香ヶ池さんを見て、ようやく私の足が動き出した。


「あ、あれ?」


 一歩、足を踏み出した瞬間。

 私の足が急に動かなくなった。


「えっ? えっ?」


 唐突に動かなくなった足に私の身体がついていけず、前のめりにその場に倒れ込んでしまった。

 何がどうなっているのか、状況が理解できず、私の口からは疑問符しか言葉が出なかった。


「お前……」


 苦しそうに咳き込んでいた音が止み、叫び声も止まった。

 香ヶ池さんは力なく、首だけを落とし下を向きながらぼそりと呟いた。


「……人世の身体で私と対等だから……と……調子に乗っているんじゃ……ない……の?」


 一つ一つの声は耳を澄ませばようやく聞き取れるほどの小ささだったが、その雰囲気や言葉、香ヶ池さんの感情は耳をふさごうとも目をそらそうとも身体中に突き刺さって来た。

 怖い。

 ようやく、自分の足が動かない意味を理解し、同時に足が激しく震えているのが分かった。

 友達だったはずの私でさえ、一言声を発したらそのまま殺されそうに思えてくるほどの威圧感。


「いいよ……混沌の蛇……喰ろうてみる?」


 皮膚が向け神経がむき出しになったように、身体全体がひりひりする。

 夏の暑い日差しを浴びながら、湧き上がる寒気が消える気配がない。

 身体から流れ落ちる汗が、暑さからなのかそれとも恐怖からなのか分からない。

 あれほど騒いでいたはずの教室からも声が一切聞こえなくなった。


「今から……世界ごと……お前を……壊してあげるから……」


 空気が破れた音がした。

 この音をそう表現するしかなかった。

 まるで、画用紙を思いっきり破ったような感じをこの世界で行った。そんな絶望感の音。

 

 ダメだ。壊される。


 その瞬間、殺されるではなく、なぜか壊されると感じ取った。

 それは正しいのかもしれない。

 ただ無残に、無慈悲に、抗いきれない力に潰される。

 それを壊されると表現しても間違っていないだろう。


「へっ、へひゅへひゅへっへ、脅したってなぁ。こっちにはあるんだよ。切り札が」


 カツユも怖がっているのは分かる。


「なら……使ってみなさいよ。その瞬間……お前の首が飛ぶわ」


 カツユがその締め付けている身体でずらし、香ヶ池さんの腕をとると、香ヶ池さんの身体から離れた。

 何かする気だ。

 カツユは香ヶ池さんの手元で何かをしていたが、間に合わない。

 身体が離れた瞬間、その距離を香ヶ池さんは一瞬で詰めた。

 ほんの一瞬で香ヶ池さんは左腕でカツユの首を掴むと力任せで無造作に地面に叩き落とし、何の躊躇いもなく、右腕を真っ直ぐカツユの首に突き刺した。


「へひゅへひゅへっへ……」


 狭い筒を空気が抜けるような耳障りなカツユの笑い声。

 香ヶ池さんの身体が重なっており、詳しくは分からなかった。

 ただ、香ヶ池さんは、馬乗りの状態で相手の首を押さえつけ、突き刺したはずの右手をそのままで驚いたようにそこで硬直していた。


「偽物だとは思ってないよなぁ。分かるだろ。こりゃ、本物だぜ!」


 馬乗りになっていた香ヶ池さんを両手で無理やり剥ぎ取ると、カツユはゆっくりと粘土

が隆起するように起き上った。


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