ハッピーエンド ―終わる惑星(せかい)の、平和(しあわせ)な一時(さいご)―
ある日、一人の少女が、空に光るものを見つけた。
朝でも夜でもいつでも、何となく、どんよりと暗い空に、それは、ちかっ、と、光っていた。
空を見上げる黒い肌の少女は、その光を、かつて聞いた、流れ星というものだと思った。
黒い肌の少女は願った。
――世界中のみんなが、幸せになれますように。
世界中というのは、どれくらいの広さなのか、幸せとは、どういうものなのか、よくわからなかった。
でも、とても真剣に、願った。
いつもいつも、願い続けていることだから、すぐに、上手に、お願いできた、と思った。
いつか流れ星を見たら、絶対にこのお願いしようと、ずっと前から決めていたのだ。
願いごとをする間、閉じていた目を開けると、空の光はもう消えていた。
もしかしたら、願いごとをとなえる前に、消えていたのかもしれない。
あとには、いつもどおりの、ただただ暗い空が広がっていた。
短い休憩を終えた少女は、さびた鉄と傷んだ木でできた、扉もない家へと戻り、作業を再開した。
日暮れまでに、矢をあと百本は作らないと、夕飯をもらえないのだ。
となりの家からは、聞きなれた怒声が上がり、家の入口からは、腐臭が入ってくる。
毎日毎日繰り返される、退屈な日常――
頭に浮かびかけたそんな感覚を噛みしめる余裕もなく、少女は矢じりを削り続けた。
それは、ずっとずっと永い間、誰からも忘れられたまま、宇宙に浮かんでいた。
宇宙を漂う、大きな機械。
それは、遠い昔、青かった惑星から打ち上げられたものだった。
打ち上げられてからずっと、惑星を見続け、その周りを回り続けていた。
そうして、誰かが自分を思い出してくれるのを、見てくれるのを、待ち続けていた。
その日は、数百年に一度だけの、機械が一番、惑星に近づく日だった。
そして、黒い肌の人々が住む、南の国の村で、空を覆う煙が、ほんの少しだけ、薄くなる日だった。
その日から、機械の落下は始まった。
世界は、大騒ぎになった。
どれだけ空が、煙に覆われていたって、機械が落ちてくることは、よく分かった。
機械は、それだけ大きかった。
大昔、東の国と、西の国が、いっしょに作って、宇宙へと打ち上げた機械。
それは、相手より先に宇宙へ行くために、ずっと争っていた二つの国が、初めていっしょにした仕事だった。
でも、そのあと――
宇宙へと上がった機械をどう使うのか、意見が分かれ、東の国と西の国は、また争い始めてしまった。
争いはどんどん大きくなって、今では、世界中が、世界中と、争っていた。
そうして、空は灰と煙に包まれた。
空の先に、より広い宇宙があること。
大昔、宇宙へ、大きな、世界中の空を全部覆いそうなほどに、大きな機械を打ち上げたこと。
みんな、すべて忘れてしまった。
覚えていても、意味がなかった。
もう、機械は、誰にも見えず――
宇宙へは、誰も行けないのだから。
――世界を全て覆うくらいの、大きな機械が落ちてくる。
――機械がぶつかれば、この惑星はおしまいだ。
世界の真ん中にある塔は、電波を飛ばして、世界中へと伝えた。
最初は、みんなで話し合った。
機械を止める方法は。
惑星から逃げる方法は。
どこか安全な場所は。
争いも一時やめにして、大あわてで話し合った。
でも、惑星を助けるための、どんな方法も、見つからなかった。
もしかしたら、大昔なら、何かできたかもしれない。
でも、今の世界では、できることは少なすぎた。
今からでは、遅すぎた。
機械が惑星にぶつかって、全部が壊れてなくなるのは、一瞬のこと。
世界の真ん中の塔にある計算機が、そう示していた。
先になくなる国。
最後に残る国。
そんなものはなかった。
大昔に作られた計算機は、ものすごく正確で、賢かった。
今では、誰も作れないほどに。
それから世界は、今まで以上に争った。
終わるから。
終わるなら。
最後は、絶対に……。
西の国の青い肌の人々と、東の国の赤い肌の人々は、どちらも、どうしても相手に勝ちたかった。
機械の使い方で争ったときから、宇宙へ行く競争をしていたときから、決着がついていなかった。
南東の国の緑の肌の人々は、北西の国の紫の肌の人々から、聖地を取り戻したかった。
大昔、国ができたときから、そのためだけに戦い続けていた。
北東の国の桃色の肌の人々は、南西の国の橙の肌の人々から、土地を奪いたかった。
その土地だけは安全で、機械が落ちても平気な場所だと、どういうわけか信じていた。
たくさん戦って、たくさん死んだ。
あらゆるものを奪い合った。
同じ国の中でも、みんな、そこかしこで、なぐって、壊して、燃やした。
黒い肌の少女が住む、南の国の村にも、争いは広がってきていた。
かつて少女が作った矢は、獲物を狩るためでなく、人を傷つけるために使われていた。
となりの家からは、怒声と悲鳴が上がり、家の入口からは、腐臭と、何かが焼けているにおいが入ってくる。
少女は、家の奥に身をひそめ、矢を握りしめていた。
世界中が、今までにないくらいの争いに包まれいた、ある日。
北の国で、白い肌の少女が、空を見上げて、祈りの言葉をつぶやいた。
――もう、世界は終わります。
――誰が何をしても、誰が勝っても、終わります。
――みんな、消えてしまいます。
――だから最後は、仲良くしましょう。
――お願いです。
――みんなで静かに、終わりましょう。
その祈りは、電波に乗り、北の国中を、飛んだ。
いまや電波は不安定で、国の放送以外の言葉も、時折飛ばしていた。
隣の、煉瓦の家の国が、その電波を拾った。
煉瓦の家の国は、その隣の、鋼の家の国へ、電波を飛ばした。
鋼の家の国は、その隣の、積み木のような国へ、電波を飛ばした。
そうして、いつしか、世界の真ん中の塔へ、電波が届き――
白い肌の少女の祈りは、世界中へと、伝わった。
機械はもう、惑星のすぐそばにまで、来ていた。
空を見ると、機械のかたちが、はっきり分かるほど、終わりの時は近づいていた。
世界のあちこちで、白い肌の少女の、祈りの言葉が、流れていた。
一人ずつ、争いをやめていった。
疲れた。
飽きた。
もう、争っても意味がない。
争わなくていいと思うと、安心する。
考えたことは、みんな違っても、争いをやめたことは、いっしょだった。
本当はまだ、争いたい人々もいた。
でも最後に、少しくらい、休んでもいいような気がした。
黒い肌の少女は、南の村で、白い肌の少女の言葉を聞いていた。
ずっとずっと、自分がいる国と、戦争をしていた国。
そこにいる人の言葉を、初めて聞いていた。
白い肌の少女の言葉は、自分が考えていたことと、同じだった。
遠い遠い国に、自分と同じ考えの、同じ年頃の少女がいたと、知った。
――もし、会えたら。
――お友だちに、なれたかな。
黒い肌の少女は思った。
黒い肌の少女の村も、だんだん静かになっていった。
お父さんが出て行ってから、暴力を振るうようになったお母さんも。
お母さんがときどき連れてくる男の人も。
みんな、少しだけ優しくなった。
そして、その日がやってきた。
機械が、惑星に、ぶつかった。
惑星中の人々は、みんな、隣の人と、手をつないでいた。
手をつなげない人々も、近くの人々に、寄りそっていた。
みんな、独りで最期を迎えるのは、さびしかった。
惑星へと落ちてくる、機械の上から見下ろしたら、一つの大きな輪が、出来ていたかもしれない。
黒い肌の少女は、思った。
――お星さまへのお願いが、届いたのかな。
――思っていたのとは、違うけれど。
――でも。
――もう、いいか。
両の手を、お母さんと、新しいお父さんと、それぞれつなぎながら――
少女は、静かに目を閉じた。
その機械は、人の願いをかなえるために、作られた。
空の上から世界中を見て、人々の願いを受信し――
一番大きな、一番真剣な願いを、何でもかなえる。
そのために、打ち上げられたものだった。
世界が終わる瞬間の、ほんの少し前。
その惑星で、人類が誕生してから初めて――
全ての争いが、なくなった。