ウソツキー
かつて、和を以って貴しとなす、の精神で正直に平和に暮らしていたその国に、ある日「ウソツキー」が現れた。
それは人々が気づく間もなく、その和の中に入り込み、ウソをついて人々を惑わし、その国の和を壊し、その国の精神を退廃させた・・・
― トントン ―
あるアパートに、まだ和をもった人がいるという噂を頼りに、私たちはそこを訪ねた。扉を叩くと、中からパタパタと足音が聞こえてきた。そして、玄関の向こうから声がした。
「は~い、どなたですか~?」
能天気な声。
ああ、ここもダメだっただろうか。
しかし、私たちは一縷の望みを抱いて尋ねた。
「高橋です。こちらに、ウソツキーはいますか?」
私たちの声に応えるように、玄関のカギがガチャと開けられる音がする。
緊張しつつ、開けられる扉を見つめる私の後ろに家族は隠れるようにして息を潜める。
「高橋さん?まあ、ようこそ。待っていましたよ!」
そう言って扉を開けて顔を出した人は、背が低く目がクリっと大きくて、鼻が単一の乾電池のようにそびえたっていた。その人は続けてこう言った。
「ここにウソツキーはいませんよ」
ニコニコと人の好さそうな顔で私たちのことをジロジロと観察するその目。邪気のなさそうな真ん丸の目には、もう人の和は見られなかった。
「そうですか。失礼しました」
私たちはそれ以上、そのウソツキーに関わらないように、その場を急いで立ち去った。
どこへ行ってもウソツキーしかいなかった。
ウソツキーに汚染されていない人はもういないのだろうか。そう思いながら、私たちは旅を続けている。
ウソツキーの住む町をいくつも歩き続け、和をもった家族を探しているのだ。
いや、家族でなくても良い。1人でも良い。ウソツキーに汚染されず、正直に生きている人に会いたかった。
次の町に行く前に、食料を調達しなければならない。
私たちはコンビニに入った。
― ピローン ―
入店を知らせるチャイムが鳴ると、店の奥から店員がレジに立った。その顔は、汚染されていない普通の人に見えた。目は少し釣り上っていて鼻も普通の三角形をしている。
私たちはおにぎりを10個とペットボトルのお茶を5本、レジに置いた。
店員はピ、ピ、とバーコードを読み取っている。それから、チンと小計のボタンを押した。レジに金額が映し出される。
― 2250 ―
私が財布からお金を出そうとすると、店員が
「2500円になります」
と言った。
「え、2250円って書いてあるじゃない」
私がそう言うと、店員は目を大きくさせて
「はい、2250円と税金250円で、合せて2500円です」
と言った。その時、その店員の鼻が少し丸く円柱形になったのを私たちは見た。
ああ、この人はウソツキーに見えなかったのに、すでに汚染されていたのだ。
この町もダメだったか。
私たちはそのウソツキーに対抗してしまいそうになるのを、グっとこらえて2500円を支払い、がっくりとうなだれてそのコンビニを後にした。
ウソツキーに対抗してはいけない。ウソツキーと長く接してもいけない。なぜなら「ウソツキー」はどんどん感染するからだ。
まだ人の和をもっている人間が、ウソツキーにならないためには、ウソツキーとの接触を極力避けるしかない。
しかし、ウソツキーはいつの間にかそばにいて、私たちを惑わす。
そうして増えたウソツキーたちのせいで、いまや国は不正だらけである。店ではぼったくりが常となり、人と人は顔を見合わせて笑顔で心にもないことを言い合う。
ウソをついた方がラクに生きられることは分かる。
ウソをついた方が得をすることも分かる。
だけど、私たちはウソツキーにはなりたくなかった。
私たちはひと気のない公園に行くと、ベンチに腰を下ろしておにぎりを食べることにした。
「はあ、このおにぎり、昆布だった」
鮭、のパッケージは偽りである。
こんなことはよくある。
缶コーヒーを買ったら水だった、とか、ビールが麦茶だった、とか、キャベツがレタスだったとか・・・言い出せばきりがない。
ちゃんとしたものが食べたければ自分で一から作り出すしかない。
しかし、今は旅をする身。そんな手間はかけられない。あるもので我慢するしかないのだ。
私たちがおにぎりを食べていると、誰かが走ってくる足音がした。
その人はエプロンをしたまま、何かを探すように走ってきて、私たちを見つけると手を振って公園に走り込んできた。
「はあ、はあ!お客さん!おつり」
その人は250円を私の手に載せてくれた。
「え・・・」
見ると、エプロンに先ほどのコンビニのマークが付いている。あの店員がぼったくった分のお金を返しに来てくれたのだ。
この嘘つきだらけの旅で、初めて出会った、正しい行いだった。
私はあんまりにも嬉しくて、目頭が熱くなり、手のひらの250円が歪んで見えた。
「ウチの店員が失礼しました」
そのエプロンの店員は深々と頭を下げてくれた。
そして起き上がった顔を見ると、先ほどの店員に似てはいるけれどもっと大人の、釣り目の顔をしていた。きっと親子なのだろう。
「わざわざありがとうございます」
私は250円を返してくれたことに礼を言い、それを財布にしまった。
「お客さんたち、今日はこれからどこかへ行きますか?」
エプロンの店員が聞いた。
この人は特別にこやかではない。しかし、ウソツキーのあの独特の白々しい笑顔とは違う、優しさが漂っていた。
そう、これが人の和だ。懐かしい、心地良い、人の和。
「次の町へ和をもった人を探しに行こうと思っていました。しかし、もしやあなたは、ウソツキーではありませんね?」
私が聞くと、エプロンの店員は頭を掻いて照れたような顔をした。
「そうですね、多分まだ大丈夫だと思いますよ。ウチの倅はあんなですけどね。でも、まだきっと治ると信じているんです」
やはり先ほどの店員はこの人の息子のようだ。どうやら少し汚染されているらしい。この人はそんなことも正直に話してくれた。
「あなたがたもどうやら、感染していないようだ。久しぶりに和をもった人に会えてとても嬉しい。良かったら今日はウチに泊まりませんか」
なんとも嬉しいお誘いだった。
この旅を続けてはや1年。やっと和をもった人に出会えたのだ。
私たちはお言葉に甘えてその人の家に泊まることにした。
コンビニの裏口から入ると、懐かしい人の住む家の匂いがした。
勿論私たちだって、旅に出る前は普通の民家に住んでいた。しかし、周囲にウソツキーが増えてくると、騙しあうばかりの世知辛さに心が萎れ、また感染を防ぐため、そこに住むことができなくなった。
このコンビニの周囲だってウソツキーばかりが住んでいて、とても和をもった人が住める環境ではない。そんな中で、この人はコンビニを営んでいるのだ。
「どうしてこんなところで、商売が続けられるのですか」
居間に通されるとすぐに私は尋ねた。
するとこのエプロンの店員(どうやら店長らしい)は頭を掻きながら答えてくれた。
「知っていますか。昔、たった1人のウソツキーがひっそりと現れたことを。そのたった1人のウソツキーが、いつのまにかその友人を汚染し、その友人たちがまた家族や友人たちを感染させた。まだウソツキーという名前すらないころ、それが異常なことだとは誰も気づかなかった。そのために、ウソツキーは瞬く間に国中に広まった」
「はい、知っています」
私たちが頷くと、店長は話を続けた。
「だけど、本物のウソツキーは今も昔も1人だけです。他の感染した人たちは本物ではありません。きちんと話して矛盾を正せばウソツキーであることに気づき、治るのです」
「なんですって?」
私たち家族は驚きと喜びで思わず飛び上がった。
家を出て、初めて汚染されていない人に会えただけでなく、ウソツキーが治るとまで言うのだ。
そこへ先ほどの店員、つまりこの店長の息子さんがやってきた。彼は先ほどの少し丸くなった鼻をしていた。ウソツキーが感染しているのだ。
「息子です」
店長が紹介すると、息子さんは私たちのそばに来た。そして人の好さそうな目をして挨拶をした。
「どうも初めまして」
さっき会ったばかりの家族連れの私たちを忘れたとは思えない。ウソをついているのだ。
「では、見ていてください」
店長は私たちにそう言うと、息子さんに向き直って話を始めた。
「お前は、この人たちを見るのは初めてかい?」
息子さんは、その顔立ちよりもずっと幼い口調で答えた。
「初めてだよー」
「お店で会っただろう?」
「会ってないよー」
「さっきおにぎりを10個も買ってくれたお客さんだよ」
「おにぎり10個で1500円」
店長と息子さんの会話は奇怪しいものだった。ウソツキー独特のお調子者で責任を伴わない適当な喋り方に、普通の人間は翻弄される。
「ペットボトルのお茶も一緒に買っただろう?」
「ペットボトルのお茶は・・・ペットじゃないよ~」
「内税と分かっているのに、小計が出た後に勝手に税金を足しただろう」
「税金なんて知らないよー」
息子さんは別に悪びれる風もなく、かといって少しばかりバレていることを分かっているような顔をしていた。
すると店長は長いレシートを出して見せた。
「ほら、ここに値段が書いてあるだろう。それからレジのお金が250円多かったぞ」
その証拠を前に、息子さんはキョトンとした目をして、グッと口を結んだ。初めて少しだけ真剣な顔が見られた。ウソツキーがこんな顔をするとは知らなかった。それから彼は、ハッと何かを想い出したかのような顔をして
「おにぎり10個で250円の税金が買えます」
と言った。
訳が分からない切り替えし。それがウソツキーだ。
「税金は内税。勝手に付けてはいけないよ」
「か、勝手に買ってないよー」
店長はブレることなく、息子さんにレジの間違いを指摘する。ウソツキーは逃げ場がなくなってきた。そこへ店長が畳み掛ける。
「じゃあ、間違えて250円多く取ったんだな?」
これは難しい問題だ。ウソツキーにとって、どう答えてもオチがつかない質問だ。なんて絶妙な質問をするのだろうと私たちは感心した。
息子さんは上手くウソがつけず困っていた。
間違えていようが、間違えていまいが、自分のウソをつくというポリシーが曲がってしまう。どちらにしろ、ウソとは相手にバレる前にスムーズにつかなければ意味がない。
息子さんの頭の中でわけがわからなくなって、答えられなくなったその時、彼の鼻の丸みが取れて、元通りの三角の鼻に戻った。
彼の中のウソツキーは、今治ったのだ。
「おおおー!」
私たちが驚いて低い歓声をあげると、店長はにっこりとしてこちらを向いた。
「こうやって、自分の矛盾を感じ取らせることが大切です。そうすれば、ウソツキーは治るのです。感染しないように避けるのではなく、負けないつもりで真剣に話すことです。
ただ、難しいのはタイミングです。うまく畳み掛けないと、すぐに話をはぐらかしにかかりますから」
「なるほど」
「事実だけを、ウソか本当か、本人に考えさせるのです。そして、ウソツキーが治ってもしばらくは、他のウソツキーとの接触をさせないことです」
「わかりました!」
たった1人のウソツキーから始まったこの哀しい退廃現象をこれで食い止めることができるかもしれない。今度は少しばかり残った人間が、和を増やすのだ。
きっとできる。
そんな希望で、私は心が燃えた。
ただ疑問もあった。
「質問なのですが」
私は落ち着きを取り戻してまた座り、店長に聞いた。
「私たちが買い物をしている時、息子さんはウソツキーになったと思うのです。それはどうしてですか?ウソツキーに接触していなくてもぶり返すことはあるのですか?」
私が聞くと、店長はサッと私の家族を見回した。
「多分、あなたの家族にウソツキーがいるのでしょう」
「ええ!?」
私は耳を疑った。
私の家族に、感染者がいるとは・・・知らずに連れ歩いていたのか。一体誰だ、誰がウソツキーなのだ。
私が家族を見渡すと、私の息子が
「僕、しらないよー」
と声を上げた。
その丸くなり始めた鼻を見て、私はガックリと肩を落とした。
国中のウソツキーを何とかする前に、自分の息子を何とかしなければならない。ウソツキー以前に、しつけの問題だ。
先は長い。
しかし、ウソツキー撲滅の日を夢見つつ、その日はとっくりと「和を以って貴しとなす」の意味を息子と語り合ったのだった。