彩 –Sigh–
「ねぇ」
優しい瞳が不意にトモキに向けられる。三歩前を行くチカは、ジャケットの裾を翻して振り向いた。
「どーした?」
「……べえっつに」
声をかけたことに意味はないみたいだった。楽しそうにチカはまた背中を向ける。実際彼女は、ここがいつものコースの中で一番好きなんだと言っていた。一面の並木道が鮮やかに赤に映え、黄に降り、そして茶に朽ちてゆくまで、何も彼もが混在している色彩の渦。冬の予感を孕む心持ち冷たい風と、夏より優しい色の青空の中。毎週水曜日の散歩道。
チカは一年前ぐらいからここを毎週通っている。最初は母に付き添われて。一時はひとりぼっちで。そして最近からは少し後ろにトモキを連れて。ほんの200メートル程のこの直線は、最後に後ろの白い建物に吸い込まれる。
「ねぇ、トモ」
「だから何だよ」
ぴたり。チカの足が止まった。もう一度あらためて180度ターンしたチカの目は、トモキを真っ直ぐ見つめて、やがてゆっくりと細められる。片えくぼを覗かせて、チカはチカだけの秘密めいたあの笑顔を見せた。
「キレイだね」
チカはえいっ、と細い足で勢いよく思いっきり蹴り上げる。薄く積もった枯れ葉が、乾いた音をたてて足元に舞い上がった。
その時トモキの胸で、激しく何かが疼いた。
「今が、一番、キレイな時期なんだよ」
区切るように噛みしめ、もう一度だけチカはそう言って、口を閉ざした。けれど目はまだ優しいままだった。きちんとした色彩を残している右目も、ぼんやりと濁っている左目も、まっすぐにトモキに向けられていた。
「……そっか」
「そうなんだよ」
そしてまたチカは前を向いて、あと少しになった道のりを行く。チカの色違いの目に、ここはどんな風に見えているんだろう。病院から真っ直ぐ伸びるこの道のこと。この落葉の季節のこと。そして色煉瓦に積もる、沢山の冬の兆し。トモキとはまったく違うものが見えている気がする。
ステップを踏みながらチカが行く。背中を追いかけながら、トモキもゆっくりゆっくりと歩きはじめる。ひとつ、またひとつと、赤い葉っぱがチカのジャケットにひっかかる。チカは何度も何度もつまづきかけてバランスを崩し、その度にトモキは手を伸ばす。
「おい、ただでさえバランス悪ぃんだか……」
肩をしっかり支えた瞬間、トモキはチカがかすかに震えているのに気がついた。思わず側に引き寄せて、顔を覗き込む。泣いているのかと、とっさに思った。
「……チカ?」
彼女が片目の視力を無くしたのは、ほんの偶然だった。そして一年たった今、酷使した残された目も、後を追うように、急速に見える力を落としている。チカにとって、色彩のある秋はこれが最後になるだろうと、お互い口に出さずに思っていた。
「寒いよね。帰ってあったかいコーヒー飲もっか」
チカは泣いてはいなかった。トモキはゆっくりと腕をほどいて、彼女を開放する。大丈夫、大丈夫。そう目で確かめながら、笑いあう。
「ぜってー、隠して砂糖は入れるなよ」
分かってるってば! チカはそう言って走りだした。枯れ葉を踏みしめる足音。わざと選んで音をたてる帰り道。トモキははしゃぐチカを慌てて追いかけて、そしてぎゅっと彼女の手をつなぐ。
この音が、この道がこの秋が――終わらなければいいのに。
叶わない願いだけがただ舞い上がる。