深夜の偵察で行動計画を立てるのは無理がある気がする。
「こんな場所にあったとはな……全然気がつかなかったぜ」
夜。星たちが顔を出す時間であるが、今日は星よりも雲の方が優勢のようだ。木々の狭間から見える暗い夜空に、黒々とした雲が互いの隙間を埋めるように漂っている。
頼りなげに光る街灯の明かりを頼りに、森の中を進んでいく。その森の主役たる木々のお陰で、城の影はほとんど見えない。よっぽど注意してあたりを見ないと、普通に歩いているだけでは気付きにくい場所に、その城はあった。
森の中に、ポツリと佇む城に続く道は、一つ。
クリスを先頭に森の中の小道を進んでいく。あたりは暗く、少しばかり視界を照らしている明かりは、頼りなく光る街灯のみ。道は整備されていないのか、時々飛び出した石ころに足を取られながらも何とか歩みを進めていく。
しかしクリスは、途中から街灯の明かりの届かない脇道に入っていった。ただでさえ歩きにくかった小道を外れ、木々の間を縫うように進んでいく。明かりはほとんど届いてはこない。夜道を歩いているうちに、暗闇には目が慣れてきたものの、その足元はやはり少々おぼつかない。
「ここが、裏道に続いています」
立ち止まって振り返り、クリスがヘイズたちに示した場所には、古めかしい井戸が一つ。
「この井戸の中が地下道になっています。縄梯子がかかっていますから、それを下りていけば大丈夫です」
クリスの説明に、ヘイズが井戸の中を覗き込む。落ちないようにその頭にしがみついて、テフラも中を覗き込む。
井戸といってもかなり古いもので、外観はかなり風化している。誰かが粉砕しようとでもしたのか、砕けた破片がところどころに散らばっている。それも相当古いらしく、どこにどの欠片が当てはまるのかは、すでにわからなくなっていた。
「うわあ……ねえヘイズ見てよ、真っ暗だよ、深いし、ねえっ」
「テフ、もう少し落ち着いてくれよ」
宿から出て、暗い道を歩いているときから、ずっとこうである。街灯から離れてからは、とくに。暗い場所を嫌う気持ちはわからないでもないが、頭の上で騒がれるとちょっと困る。……さっきから髪の毛をつかんでわしわしとかき混ぜるようにしているので、髪の毛も乱れるし。
「ねえヘイズぅ、暗いよ、怖そうだよ、オバケ出ない?」
「いやだから落ち着けって、大丈夫だよ、うわっ揺らすなっ押すなっ、うわっ……っ?!」
「あ」
「だあああっ!」
どすんっ
落ちた。深くて暗い古井戸の中に、頭から。
(痛ぇっ! 背中打った! 息できねえっ)
顔面から井戸の底に接触するのを避けたのか、落ちながらも体勢を変え、背中から落ちたようである。
声にならない声でのたうっているのが気配でわかる。ヘイズが落ちた後を恐る恐る覗き込むテフラ。クリスもテフラと同じような顔をして、ヘイズが落ちていった井戸を覗き込む。
「ヘイズ……? 大丈夫?」
姿は見えず、返事がない。恐らく背中を強打したおかげで息が詰まっているのだろう。しかし、無事であることは、ヘイズがのたうっている気配からなんとなくわかる。
「あの……大丈夫ですか?」
縄梯子を使って下まで降りてきたクリスが心配そうに聞く。片手を挙げて大丈夫なことを知らせるようにうなずくヘイズ。まだ背中をさすっている。テフラは、今度はクリスの頭の上に乗っかっている。
「ヘイズ泥だらけだよ」
服の白い部分が黒い影になって見える。色こそわからないが、相当汚れているようだ。
「誰のせいだっ、誰のっ」
やたらと声が響く地下道で緊張感もなく騒ぎながら、壁伝いに歩いていく。テフラは、再びヘイズの頭に自分の居場所を戻し、相も変わらずしきりに『暗い怖い』を繰り返している。ヘイズが井戸に落ちたことで、テフラの緊張は解けたようだが、それでもしっかりとヘイズの髪の毛をつかんで離さない。
クリスを先頭にしたまま、気配と足音で確認しながら、離れないようについて行く。足場も悪いので歩みは遅いが、一行はなんとか古びたドアの前に到着した。
「ここです。このドアを開けて上に進めば、玉座の後ろに出ます」
ドアと言われたが、はっきりとはわからない。もう何年も使われていないのだろう。かなりかび臭く、湿っている。触ってみると、グローブ越しにでも錆びているような感触が伝わってくる。
ここでクリスと場所を入れ替え、ヘイズが先頭に立つ。ドアを開けようとしたのだが、かなり強固に錆付いているのか、クリスの力では開けられなかったのだ。クリスは自分の非力を悲しんでいたようだが、今はそんなことを嘆いている場合ではない。何とかクリスを慰めてから、クリスに代わってヘイズがドアを押し開ける。
ドアを開ける前にもしっかりと確認したが、このドアの周辺には何の気配も感じられなかった。
ドアの向こうには、一本の廊下。少し湾曲しながら緩やかに上へと続いているようだ。井戸からの通路とを隔てていたドアは開け放したままで、一行はさらに進んでいく。現在彼らがいる道は一本道。もし敵が襲いかかってきた場合に隠れるような場所もない。闘うにしても狭すぎて、ヘイズの剣なら真っ直ぐに構えて突き出すくらいがやっとであろう。いつでも引き返すことができるように、退路を確保し、慎重に歩みを進めていく。
それほど大きな音ではないのだが、廊下に響く自分たちの足音が、やたらと大きく聞こえてくる。
それからしばらく無言で行進を続け、そのまま、誰に会うこともなく玉座に到着した。
続いていた道が突然終わり、目の前は壁。クリスの言葉に上を見上げると、一枚の扉が張り付いている。天井の扉まではそれほど高さはない。少し背伸びをするようにしながら、ヘイズがその扉を押し上げ、開ける。幸いなことに、扉は音を立てることなく開いてくれた。
扉をよじ登ったその場所は、ちょうど玉座の真後ろに当る場所だった。巨大な椅子の影に身を隠し、豪華絢爛に飾られた室内を見回す。壁際には燭台が飾られ、誰もいない室内を、柔らかな光が満たしていた。
「何か……拍子抜けだな。本当にそんなヤツいるのかよ……」
張り詰めていた警戒の糸が、だんだんと緩んできているのか、少しずつ気が抜けてきているようだ。これだけ入り込んでも見張りの一人もいないとは。いないほうが好都合であることは間違いないし、誰も使うことのない裏道を使っているのだから、当然といえば当然ではあるが、やはり張り合いがない。
「!」
「どうしたの?」
「しっ」
気が抜けきる寸前、何かがいる気配を感じ、テフラを黙らせる。足音が一つ、さらに様子をうかがうと、廊下のあたりにも数人の気配。
「見張りですか?」
クリスが消え入るように押さえた声で、ヘイズに問う。
「ああ、向こうの廊下にも数人。……どうした?」
「おかしいですね……この時間にそんなに見張りはいないはずですが……」
「何だって?」
声のトーンを極力抑え、椅子の裏に隠れるように姿勢を直しつつ、ヘイズ。
クリスの声に緊張が混じる。……この時間にいる見張りの数が増えている? クリスがいたときとは明らかに城の様子が違うらしい。
この夜は、その見張りを確認しただけで引き返すこととなった。
「……なるほどな……憑依した『何か』っていうのが夜行性なわけね」
クリスの言葉を胸中で反芻し、少し考え込んでから、自分にも言い聞かせるように説明する。
これまではなかったのに、夜間の見回りが増えている。ということは、夜間起きている者が増えているということ。夜中に見張りをたてるということは、その時間に何か警戒すべき事態があるということだ。
しかし、つい最近までこの城で生活していたクリスが何も知らない。このあたりに夜盗が出るなどという話も耳にしないし、ドラゴンの噂があった以外は、いたって平和な街である。もちろん、クリスが大臣を追放するための証拠探しとして城に戻ってくることも考えられることであるが、それにしては、裏道に見張りがいないのはおかしい。ということは、内部で何かが起こっているということであろうが、それにその大臣が無関係であるわけがない。兵士たちが『何か』に憑依されているという話が本当ならば、ヘイズの説明でも十分に納得がいく。
「それじゃあ、その憑依した『何か』は、夜行性かもしれないわね」
翌朝。朝食をとりながら昨夜のことをライアに話したときに、ライアからもヘイズと同じような言葉が返ってきた。
「多分な」
「ならば、昼間だったら奴らの動きも鈍くなるかもしれない……」
「そういうことだ」
自分に言い聞かせるようにつぶやくクリス。
自分が離れている間に、城の様子が変わってしまっている。
命令を聞かなくなった城の兵士たち。衰弱し、床に就いている父親。自分を執拗に付け狙う狼男……。今この現実にあるすべてのものが、自分を追いつめているように感じる。
クリスの表情は、硬い。これからしようとしていることが本当に正しいのか。間違っているのは、自分の方なのではないか……。重い考えが頭の中を支配してくる。
「心配すんな、今日これから確認しに行って、そいつが本当にヤバいヤツだったらぶっ飛ばしてやるよ」
クリスの顔を横目で見ていたヘイズが、ぽんっ、と気軽にクリスの背中を叩いて、声をかける。クリスが何かを言いかけようとしたが、ヘイズはそのまま、何事もなかったかのように食事を続けている。
(心配すんな……か)
胸中で、ヘイズの言葉を繰り返す。つい一昨日、ただ街角でぶつかっただけの青年が、今こうして自分を励ましてくれている。ヘイズにとってみれば、気軽に小突いただけである。が、それはクリスにとって何より嬉しいことであった。多少は表情に出ているのかもしれないが、ヘイズに向かってはっきりと不安を表出したわけではないのに、彼はクリスの心中をわかっている。
今だって、たくさんの言葉を並べて励ましているわけではないが、クリスにとっては十分であった。声に出さないでいてくれる分、他者にクリスの思いは伝わらない。仲間を気遣いながら、不安を和らげてくれる。
(不思議な人ですね……)
クリスの肩の重みが、少し軽くなったような気がした。
「あの……」
「ん?」
「城まで行って、大臣の部屋まで行けたとして……具体的にはどうするつもりなんですか?」
不安は少し軽くなったが、やはり現実に戻るとそれなりの心配事というのはある。ましてや、これまで戦闘経験が皆無に等しいのだ。昨日のヘイズの戦いぶりには驚いたが、実際魔術師を相手にするとなると、どうすれば良いのだろう。
「そう、問題はそれだ」
「どうするのさ?」
今度はテフラが聞く。ちょうどヘイズやライア、クリスの影になって、周囲からは見えない位置にいるので、今は姿を消していない。テーブルに身を乗り出して、わくわくしながら聞いてくる。
「城の連中は、恐らく俺たちの推理通り……何かに憑依されてると思って間違いない。できるだけ手加減して戦って欲しいんだが……」
言ってちらりとライアを見やる。
「手加減は苦手だって言ったでしょ?」
腕を組んで威張るように、ライア。予想はしていたが頭を抱えるヘイズ。
「それなら大丈夫じゃない?」
「何でだ?」
まるで何の問題もない、と言わんばかりにテフラが言う。
「だってお姉さん、ブレス攻撃できるでしょ? 眠らせることってできないの?」
そう、ライアはドラゴンである。ブレス攻撃と言えば、ドラゴンの王道ではないか。炎のブレス、氷のブレスから毒ブレスまで、数多くの種類があるとされている。実際に見たという者の話は聞いた事がないが。
「そうか、その手があったか。で、どうなんだ? その姿のままでブレス攻撃ってできるのか?」
急き込んでヘイズが聞く。
「ふふふっ、このライアさんに任せなさい。確かに、ドラゴンの姿のときより威力は弱いけど、並みの人間が相手なら、十分におつりがでるわ」
眠らせることくらいならわけはない、と、胸を張ってライアが答える。その会話を、心底不思議そうな顔でクリスが見ている。それに気付いたテフラが一言。
「そういえば、言ってなかったね。お姉さんはドラゴン種族だよ」
「ど……?」
再び、クリスの目が点になった。
「堀を渡る橋が……」
呆然と放ったクリスの言葉が、空間を漂い消える。
朝食の後、装備を確認して宿を出た一行は、城門の前で固まっていた。堀を渡るための橋が、破壊され、無残な姿をさらしている。
堀の幅は十メートルはあろうかと思われる。さすがに、ジャンプして渡るには無理がありそうだ。
どうしようもなく城門を見上げている一行であるが、幸いなことに、ここには見張りの姿はない。だからこそ、間の抜けた顔を並べて立っていられるのだが。
「これでは、城に入れない……」
立ち尽くすクリス。ヘイズたち以上に衝撃を受けているのは間違いない。昨夜は、森の中の古井戸を通って城内に侵入することができたが、まさか正門がこんなことになっているとは、予想外であった。城内ならば、多少変化があっても納得できる。衝撃を受けることはあっても、あの大臣の仕業と思えば、夜間の警備が増えていることにも納得がいくのだが……。何故城門まで破壊する必要があるのだろうか……。
「まさかこんなことになってるなんて……。昨夜のように……井戸から行くしか」
「あの暗いところ? 嫌だよぉ」
テフラがヘイズの頭にしがみつき、泣きそうな声を上げる。気のせいであろうか、井戸と聞いた瞬間に、テフラとヘイズの額に冷や汗のようなものが浮かんできた。
「俺も嫌だ……」
泣きそうにこそなっていないが、ヘイズも似たような声を出す。昨夜の出来事を思い出したのであろうか。決していい思い出とは言えない。そんな場所に再び訪れることだけは避けたかった。ましてや、今はライアもいるのだ。ライアの口から文句が出ないとも限らない。
「でもこのままじゃ……」
確かに、いつまでもここで立ち尽くしているわけにはいかない。城門は壊れているが、まったく見張りが来ないとも思えない。
と、昨日のことを思い出し、突然ヘイズがライアに向き直る。
「ライア、その姿で翼だけとか出せないのか?」
確か昨日、食堂に狼男が押し入ってきたとき、ライアは怒りの感情とともに尻尾を生やしていたではないか。尻尾が出るというのなら、ライアの持つドラゴンの翼も出すことができるかもしれない。
「嫌よ」
「へ?」
身も蓋もない返事が返ってくる。
「な……なんで?」
「だって背中が破けちゃうじゃない。冗談じゃないわ」
……確かに今の服装では、翼が出てくるであろう部分には、しっかりと装飾まで施されている。翼を出せば当然破れるのは必至である。だからといってこの状況であっさりと拒否するとは……。いや一応女性であるから当然といえば当然だが。
(尻尾はいいのか、尻尾は……?)
思わず半眼になって胸中でうめく。
そういえば、昨日見た尻尾はどこから生えていたのだろうか……。後ろから見たわけではないので、実際どこから生えているのか見ることはできなかったのだ。
ライアの尻尾に関して、ぐるぐると考えが巡る。どうやらはっきりと表情にでているらしい。妙な間をつくったヘイズを訝しがるように見やったライアが、殺気のこもった視線をヘイズに投げかける。その瞬間、ヘイズの思考回路が遮断された。
軽く溜め息をついて気を取り直し、再び考え込んだ。目の前の堀をどうクリアするか。ライアの翼の他に思いついたアイディアはもう一つ。
「テフ、できるか?」
今度はテフラに聞いてみる。ヘイズの頭にしがみついたまま、テフラがヘイズの顔を覗き込む。
「あれやるの? OK、任せといて!」
何を、とはっきり告げたわけではないのだが、テフラの方は理解したようだ。どうやら、テフラもそれしか方法は思い浮かばなかったようだ。いつ話を振られてもいいように、心の準備は万端であったようだ。
先ほどの古井戸の話をきっちり忘れたように、一転して元気を取り戻す。
テフラがヘイズの頭から離れ、ヘイズの斜め前上空に待機するのを待って、ヘイズは、背中の大剣を抜き、目の前で十字架の形になるように構える。
「二人とも、俺から離れるなよ。テフ」
視線を合わせて確認すると、テフラが詠唱を始める。
『契約を交わせし者の命により 我 今ここに汝に願う
天井に輝く汝の光 かの者の剣に宿りて 我らを大地の束縛より解き放たん』
テフラの周囲を紅い光が包み込む。
ヘイズが続く。
『我らを 天空へ導かん』
テフラから放たれた紅い光が、ヘイズの剣を伝って大地に降り注ぐ。光はそのまま意思を持ったように地を滑り、彼らの足元に紋様を描く。彼らをすっぽりと包み込むような円を描き、中に炎と翼をかたどっていく。魔法陣である。
紅い光で描かれた魔法陣は、やがて一枚の紅い結晶となる。その結晶は、やがてゆっくりと大地を離れ、彼らを乗せたまま、真っ直ぐに天に向かっていく。
「浮いてる……」
クリスがつぶやくように言う。
剣を自分の前に真っ直ぐに構えたまま、ヘイズは方向を定めるように意識を集中している。クリスとライアは、ヘイズから離れないように、ライアはヘイズのマントをしっかりとつかんだまま、宙に浮いている魔法陣の上で息を呑んでいる。
柔らかな風を全身に感じながら、ふよふよと浮かぶその感覚に酔っていくようだ。
彼らを乗せた魔法陣は、そのまま上昇を続け、ヘイズが定めた方角にしたがって、二階のテラスに降り立った。全員の足が床についた瞬間、紅い魔法陣は音もなく消え去った。
「テフラ、大丈夫か?」
剣を収め、術を解いたテフラに聞く。
「うんっ」
聞かれたテフラは、元気にうなずくと再び定位置、つまりヘイズの頭の上に戻った。
一応クリスとライアの様子をうかがう。未だ宙に浮いている感覚が抜けないのか、クリスの方は少々足元がおぼつかないようだ。
クリスが落ち着くのを待って、場所を確認する。
「大広間の廊下に続くテラスです。……ここを右に行けば、真っ直ぐに大臣の部屋です」
まだ少しばかり驚きが収まらない様子であったが、しっかりと場所を告げる。
「開いてるかな……」
言ってヘイズが両開きのドアに手を掛ける。
カチャン……
心地よい音を立てて、テラスから大広間に続くドアが開く。
彼らがいる廊下を挟んで、目の前に広がっているのは、名前に恥じない立派な空間。床には真紅の絨毯が敷かれ、中央には石膏であろうか、巨大なオブジェが上品に飾られている。ヘイズたちが入ってきたドアの両側に、廊下が続いている。
クリスの話では、この廊下を右に進めば、目指す場所に到着する。
周囲を警戒する。見張りの兵士はいないようだ。昨日この城に来てから、一定の場所にとどまって警備をしている兵士の姿というのは見かけない。どうやらすべての兵士が巡回しながら見回りをしているらしい。となると、いつどこからその兵士が現れるのかわかったものではない。
「! 何か来る……」
姿を確認する前に、ヘイズがその気配に気づき、小さいが鋭い声で注意を促す。
これから進行しようとする方向とは逆の方向から、複数の気配が近づいてくる。ヘイズが、収めたばかりの剣を再び静かに抜き放ち、構える。
隠れる場所がないのだ。戦うしかない。
「来たわよ」
角を曲がって姿を現したのは、城の兵士と思しき人間たち。そのうつろな目で彼らを見据え、武器を携えて向かってくる。走ってくる、というよりは小走り程度の早さである。
「行くぞっ」
短く告げ、兵士たちに背を向ける形でダッシュする。兵士たちが現れたのは、彼らの左側の廊下からである。目的の場所に向かう廊下には、まだ気配は感じられない。とても広いとはいえないこの場所で、大人数を相手に立ち回るのは得策ではない。
「そのままでいいのっ?」
ヘイズと平行して飛びながら、テフラが叫ぶ。その声には若干恐怖が混じっている。ちらっと振り返ってから、ヘイズが答える。
「よく見ろよ、半分寝てる! ほっとけ!」
ヘイズたちはほぼ全力疾走に近い。兵士たちとの距離がどんどん広がっていくが、彼らはまだ追跡をやめないようだ。
「正面からも来たわっ」
ライアが見据える方向、つまり向かう先には、まだそれらしき姿は見えない。恐らく気配で察したのだろう。
「下からも上がって来てるみたいですよ!」
廊下から見える階段室から、複数の人影をみとめ、クリスが声を上げる。
自分の意思で動いているとは到底思えぬ動きである。武器を持ってはいるが、構えることなく、重力にしたがってぶら下げるようにしている。上体を不自然に揺らしながら、操り人形のように迫ってくる。まともに方向を定めることもできないのか、虚ろな瞳でふらふらしながら集団で向かってくるその光景は、ある意味非常に恐ろしい。
「ちっ……うぜえな、ライア! 一発かましてやれ!」
正面の敵の姿はまだない。一行は足を止め、振り返りながらヘイズが叫ぶ。
「おっけぇ~」
振り向きざまにライアが口から何かを発した。光も色も、音もない。誘われるような甘い感覚が、ヘイズたちの嗅覚をついたが、ただそれだけのように思えた。
「? 何やったんだ?」
甘い感覚を振り払うようにかぶりを振って、構えを解かないままで、ライアの方を見やる。その瞬間、追ってきていた兵士たちが次々と倒れていく。
「な、何をしたんですか?」
クリスもテフラも、ヘイズと同じような顔をしている。振り返り、後ろから迫ってくる兵士たちが突然倒れたように見えたが、ライアが何をしたのか、見当もつかないようだ。いや、テフラの方は気がついているのかもしれない。ドラゴンの能力については、精霊であるテフラの方が詳しいのだから。
兵士たちが倒れていくさまを呆然と見ているうちに、正面から来ていた気配がその姿を現しはじめた。倒れた兵士と同様に、虚ろな顔で、よろよろと集団で迫ってくる。
ライアはもう一度、同じことを正面から来た兵士たちに向かって放つ。やはりその兵士たちも、次々と倒れていった。
「眠らせたんだね?」
テフラ一人、納得しているようだ。どうやら、眠らせるためのブレス攻撃であったらしい。ライアの放つ甘い感覚、つまりブレスの余波が、後ろで見ていたヘイズたちにも少しばかり影響を与えたらしい。かなり強力なものであったのだろう。何はともあれ、鬱陶しい兵士たちは動けなくなった。これでずいぶん楽になる。
「よし、行くぞ」
「こっちです」
クリスに先導され、倒れた兵士たちをよけるように蛇行しながら、なんとか進んでいく。そして、突き当たりに少し広めの空間が見えてくる。どうやら、目的の場所はもう目の前らしい。