お年寄りには優しく。
漆黒のローブを目深にかぶり、ゆっくりと歩み寄ってくるその姿は、あからさまに怪しい。
ヘイズが、背中の剣に手をかけ、いつでも応戦できるように構える。
「ほほう……こんな所に人間が来るとはな……それに……精霊か」
黒いローブがくぐもった声でつぶやくように言葉を紡ぐ。
「ヘイズ……」
テフラが不安そうな声を上げる。こういう得体の知れない怪しいものは、テフラが苦手としているものである。テフラでなくとも、こういうのが大好きだという者はあまりいないかもしれないが。
ライアも不安なのか、ヘイズの背中にぴったりとくっついて、彼のマントをつかんでいる。
「テフ、ライア……少し下がってろ」
言うと同時にまた一歩、黒いローブに近づく。
「何者かって聞いてるんだがな」
警戒は緩めず、もう一度黒いローブに質問する。
「勇敢なる若者か……わしが興味あるのは、後ろの精霊だ」
しゅんっ!
「わあっ?!」
「テフっ!」
音と同時に、何か細長いものがヘイズの顔をかすめてテフラを捕えた。一瞬にして、テフラは黒いローブのもとに引っ張られる。
「いやあっ臭い臭いよ、何すんのさ離してよおっ!」
黒いローブにがっちりとつかまれてなお、テフラは暴れている。どうやら怪我はないようだ。
「てめえ……」
すらりっ、と背中の剣を抜き、構える。
「勇敢なる若者……だが用はない……我が力を使うまでもない、兵士に相手をさせるとしよう」
くぐもった声でそう言うと、右手でテフラをつかんだまま、左手を地面にかざす。
「聞き捨てならねえな……相手甘く見ると怪我じゃ済まねーぞ」
剣を構え、相手に視線を固定したまま、相手の隙をうかがう。
テフラをさらわれたからか、見くびられたからか、あるいはその両方からか、ヘイズの声に静かに怒りがこもる。
黒いローブが何かをつぶやく。
『時をさまよい歩くもの 空を渡りゆくものよ 導く闇の欠片をたどれ』
黒いローブの声のトーンが変わった。不自然にはっきりと、そして低く染み渡るような声。地面にかざされたその左手が、怪しげな黒いものをまとっている。
「ヘイズっ、今のネクロマンシーだよっ、地面に気をつけて、ゾンビが出てくるかも!」
捕らえられたままテフラが叫ぶ。同時にヘイズが地を蹴った!
「死体が怖くて葬式に出れるかっ」
走りこみながら訳の分からないことを叫ぶ。テフラがなにやら突っ込んでいるが、そんなことはどうでもいい。
「テフラ、暴れるなよ!」
声と同時に剣を振り下ろす! が、剣は黒いローブを避け、それをかすめて地面に向かう。刃が地面に触れる直前、再び刃が宙を切る。
どんっ!
鈍い音が響く。黒いローブをかすめて剣を振り下ろし、黒いローブがひるんだ瞬間を狙って、柄の部分でその脇腹を突いたのだ。
黒いローブがたまらず膝をつき、テフラをつかむ手を離した。
「ヘイズっ!」
泣きそうな声を出してヘイズにしがみつく。
未だうずくまっている黒いローブから距離をとるように、剣を収めるとヘイズはライアのもとへ移動する。
「ヘイズ……なぜ、切らなかったの?」
呆然と今の様子を見ていたライアが、驚きと疑問が混じったような声でヘイズに問うた。
ヘイズの剣は、黒いローブをかすめるように宙を切った。ヘイズのあの速さと技量があれば、一刀両断することも容易であったはずなのに、なぜそうしなかったのか。
「ん? だってあれ、フツーの人間、しかもジジイだぜ? 殺したらなんか夢見が悪くなりそーじゃん」
髪をかき上げながらヘイズが答える。
「でも……殺そうとしてたのよ? 私たちを……」
「それはあいつの意思じゃない」
「どういうこと?」
まったく意味がわからない、といった顔でライアが説明を求めるようにヘイズを見上げる。テフラも似たような顔をしていたが、ライアよりは状況を飲み込んでいるようだ。
「多分あれだ、何かに操られてるか何かだよ。多分もともとは死霊術士か何かだったことは間違いないと思うけど」
「死霊術士?」
「ああ、ネクロマンシー使ってただろ。お、立ち直ったか」
先ほどヘイズに脇腹を打たれ、しゃがみこんでいた黒いローブがよろよろと起き上がっている。すたすたとそれに歩み寄るヘイズ。
「悪かったな、じいさん。大丈夫か?」
「ちょっとヘイズ……」
「大丈夫だよお姉さん、あの人もう襲ってこないよ」
さらわれていたのを忘れたわけではないだろうが、テフラはいつもの無邪気さを取り戻している。一人状況が飲み込めないライアも、訝しがりながらヘイズとテフラに続く。
「わ、わしゃあ一体……」
「正気に戻ったみたいだな。あんた、精霊か何かの影響受けてたんだよ」
「ああ、そういうことだったのね……」
ライアはようやく事態を理解したようだ。
黒いローブの老人の回復を待つ間、わずかではあるが情報を得ることができた。
彼は、この近くにある教会に勤めていた死霊術士だったが、退職し、田舎に帰る途中であったらしい。不意に意識が遠のき、気づいたらこうなっていた、とのことである。
「何があったのかまるっきりわかんねーじゃん」
情報といえば情報なのだが、重要な部分が何一つ分からない。ヘイズも呆れたように頭をかいている。
「でも精霊か何かはわかんないけど、強い力が影響したってことは確かだよね?」
「だろうな」
「じゃあ近くに精霊がいるかもしれないってことでしょ?」
『精霊』の言葉を聞き、テフラがそわそわしながらヘイズに確認する。精霊がいるということは、テフラの仲間の情報が何か得られる可能性があるということだ。
「いや、……それはないだろうな」
少し声のトーンを落として、ヘイズ。
「ええっ、何でさ?」
「……気配がまるでない……精霊がそこらにいるんだったら、俺だって気配くらい感じるよ。それに、あの一撃でじいさんが正気に戻ったんだから、その力ってのも大分弱ってたってことだろうしな」
「そっか……」
しょんぼりとテフラが納得する。まだ諦めきれない部分も大きいのだろうが、ここで騒いでどうなるものでもないことは、テフラも良くわかっている。ヘイズにとっても同じであるが、ヘイズは自分の目的のことよりもテフラの目的を優先させている。テフラにとって大きな落胆があることは、誰よりも痛く感じていた。
「ねえ、何で側にいない精霊の力なんかが、人間に影響するの?」
少し間をおいて、ライアが疑問に思っていたことを口に出す。
「精霊に限ったことじゃないけど、彼らが居た場所には、彼らの力が多少残ることがあるんだ」
ヘイズが説明を始めた。
精霊や魔族など、人間以外の特殊能力を持つ種族というのは、その力が自然に影響を与え、その場に力のみが留まることがある。それに触れた者は、その力の影響により精神に何らかの変化をもたらす。多くは、その者の心の奥深くに眠る意識が強化され、表出するといわれている。
しかし、その力に触れたものすべてがそうなるわけではなく、精霊と契約を結ぶために特殊能力が必要となるように、影響を受けることに関しても条件がある。影響を受ける側にも、特殊能力が必要なのだ。潜在している能力が強ければ強いほど、影響を受けやすい。
今回の件に関して言うなら、影響を受けたと思われる人物は死霊術士である。
死霊術士とは、その名の通り、死んだ者の魂や死体を対象とする魔術師のことだ。彼らは、ネクロマンシーと呼ばれる術を使い、死体を操ったり、荒ぶる魂を束縛したりすることを生業としている。
普通の人間より、死者やその魂に近い場所に存在しているため、精霊などの力に影響を受けやすい。それに加えて、この死霊術士は老人である。若い者に比べて全体的に衰退していることを考えると、影響を受けるのは当然である。
「なるほどね……隠居の死霊術士でも影響を受けるものなのね」
ヘイズの説明にライアも納得の様子である。テフラはというと、さっきまでの落ち込みはどこにいったのか、そこら辺をうろちょろと飛び回っている。死霊術士の前ではあるが、自分が姿を消す前に出会ってしまったことや、彼が正気を取り戻してからは、あまり興味を示さないようなので安心しているのか、姿を消さずにいる。
「うむ……ではわしは、そろそろ行こうかの」
死霊術士がおもむろに腰を上げる。
「もう大丈夫なのか?」
一応心配してヘイズが声をかける。影響を受けていたことに加え、自分が彼の脇腹に強烈に突きを食らわしてしまったのだから、心配するのは当然であろう。が、死霊術士はわりとしっかりした足取りである。
「すまんな、すっかり世話になってしもうた」
「いや、こっちこそ。んじゃ、気を付けてな。あんまり無理すんなよ」
ゆっくりと歩き始めた背中を見送る。ライアもテフラも、一緒に丘を下ろうとしていたのだが、なぜかヘイズは動かない。
「ヘイズ? 私たちも街に下りましょうよ」
「ああ、でもその前に、やらなきゃいけないことがある」
「何のこと?」
ヘイズの後ろから頭に飛び乗り、テフラが聞く。
「お前気づかないのかよ?」
「何?」
聞き返してくるテフラに、地面を指差して答える。
「何か……いるわ」
ライアの方が先に気づいた。地面の様子が何かおかしい。いくつもの気配が地面の下を這いずり回っているような気配。
「さっきのじじい……結構もうろくしてたみたいだぜ。今頃反応してやがる」
どうやら、先ほど死霊術士が唱えていたネクロマンシーが、今になって効果を現し始めたらしい。
地面が急に生命を持ったように蠢き、土が盛り上がる。ぼこぼこっ、と沸き立つような音を立て、地面から何かが突き出してくる。
「きゃああああっ! 地面から……手っ!」
テフラがヘイズの頭にしがみついたまま悲鳴を上げる。テフラが言うように、地面から突き出したものは、手だ。ただし、血の気を失い、腐りかけているのか、異様な色を呈している。枯れた木の枝のように細く、ありえない方向に屈曲しているものもある。
「落ち着けテフ、一気に片付けるぞ」
言いながらテフラの背中を落ち着けるようにぽんぽんと叩く。恐怖というよりは気色の悪さに怯えながらも、テフラはヘイズの頭から離れ、ヘイズの斜め後ろ上空で静かにとどまる。
「ドラゴンの姉さんは平気だろうけど……一応俺の後ろに下がっててくれ」
「分かったわ。私が相手をしてあげたいところだけど、あいにく手加減って苦手なのよね……この丘が消え去ってしまうわ」
さすがに落ち着いているようだ。相手が何であろうと、正体が分かっていればやはり平気なようだ。自分の力で丘が消え去ってしまうことを避けたがっているあたり、面倒ごとは嫌いなのであろうか。
「テフラ」
「うん」
お互い相手の動きを空気で確認し、テフラが詠唱を始める。
『契約を交わせし者の命により 我 今ここに汝に願う
天上に輝く汝の光 すべてを包む根源の炎
我らの前に力を示せ』
テフラの周りを、紅い光が取り巻き、構えたヘイズの剣へと流れていく。剣に意識を集中させ、姿を現し始めたゾンビたちに狙いを定める。その数ざっと十体。そのうつろな瞳には何が映っているのか……ヘイズの視線は彼らを見渡し、その意識はすべてを捕らえている。
「我が剣に宿れ!」
ヘイズが叫ぶ。剣が紅蓮の炎をまとったように燃え上がり、ヘイズの剣の一振りで、炎が実態と化しゾンビに迫る!
断末魔の悲鳴すら上げることなく、土の中から現れたゾンビたちは虚空の塵と化した。一瞬である。
「もう……いない?」
しばらく間をおいて、テフラが確認するようにヘイズに聞く。ヘイズが剣を収めると、すぐにヘイズの頭にしがみついていた。
「凄いわね……あなた本当に人間?」
まじまじとヘイズを見ながら、ライア。本気で疑っているようだ。
「失敬だな、今のはテフラの精霊術があったからだよ」
やや憮然としながらヘイズが答える。勢い余ってあたりの樹木が焦げたようだ。ぶすぶすと燻っている煙を払うようにしながら、その場を離れる。
「精霊の契約は絶対だけど……それ以外にも何かあるみたいね……いい人間だわ。あなたなら信頼できそうね。私の目に狂いはなかったわ」
「……?」
歩きながら、何やら深く納得してライアがつぶやいている。どうやら、本気で彼らについていく気らしい。
「ところで、ライア」
「ん? なあに?」
「本気で俺たちと旅する気なのか?」
やや半眼になって振り返りつつ、ヘイズが問う。
「そうよ。まあ、嫌な視線の正体も分かってスッキリしたところで、私も世界を旅してみたいもの」
自分勝手な理屈を平然と言う。さすがはドラゴンの中でも自己中心的といわれているブラックドラゴンである。
「はあ……」
ライアには聞こえないように、溜め息をつく。何を言っても無駄のようだ。ここでヘイズがどんな説得を試みても、彼女の気持ちに変化を与えることはできないだろう。無言でダッシュして逃げるという手も考えたのだが、怒りを買って食われるかもしれない、という根拠のない恐怖に怯えていたのも事実である。
「さあ、楽しく行きましょうっ」
「おうっ!」
すでにテフラは馴染んでしまっているようだ。意気投合している。もはやヘイズに異論を唱える余地はなかったのである。