決着
「大丈夫ですか、筋肉さん!」
堅い金属の床に倒れた彼はピクリとも反応しない。
白と緑の粒子が彼を照らしているだけだ。
「…………っ!」
止めた足をまた動かす。筋肉さんの状態を確かめるために。
おかしな話なのかもしれない、殺すべき相手を心配するなんて。
心配する暇があるなら銃で撃ってトドメを刺すなり、そうでなくても距離を取るべきだ。
頭では理解している。けれど心がそうさせてくれない。
……これでいいんだ、きっと。自分の心と行動を信じよう。
「筋肉さん、生きているなら返事をしてください」
ガタイのいい体を揺り動かす。
反応がない。
呼吸をしているか確認しようと口元に耳を近づけようとした瞬間――――
「わりいな」
――――鳩尾に一撃が入った。
声は出せず、変わりに口に含んでいた空気はなくなる。
いたい、と思う暇すら許されずに俺は冷たく堅い床を転がる。
床の色は赤い。元々の色なのか、それとも自分の血の色なのか識別できない。
「…………ぁ」
体の動きは止まった。
けれども、目眩と痛みで頭の中で光が回り続ける。
今どの辺にいるのかがわからない。
「コールがされてねえってことはまだ生きてるな。
……わかっちゃいたが、俺もガタが来てるってことか」
右側からボヤくような声が聞こえた。
俺はまだ生きている。なら立ち上がらないと……
視界がぼやける中、両腕に力を込める。
「ふ……ん!」
立ち上がれない。
痛みのせいなのか力が入らない。
どうすればいい。
冷や汗がダラダラと流れている間にカタン、カタンと鉄の板を踏むような音が聞こえてくる。
「筋肉、さん」
マズい。彼が立ち上がってこっちに来たんだ。
もう一度殴られたら間違いなく死ぬ。
何かしなければと思っても、心臓の鼓動が激しくなるだけで何もできない。
そうだ、回復魔法を試してみるか。
「治癒」
奇跡はおこらない。
発動すらしていなかった。せめてこの痛みが誤魔化せれば。
こうしている内にもどんどんと足音が近づいてくる。
マズイ、マズイ、マズイ。
「俺の見込み通りだったな。
顔付きからしてどこかの甘ちゃんに似てたからな。
利用させてもらったぜ」
「…………」
ひゅーひゅーという音が聞こえる。
自分の体の音なんだろうか。異様な音だ。
何か手段を。
「可哀想にな、兄弟。
お前にしろ作業服にしろ戦いに向いてねえ。
強さとかじゃなく精神がな。……約束は果たしてやる、死にな」
「…………!」
「なっ、そんなオモチャでまだやるか」
俺は彼が拳を振る直前で、腰のホルスターからリボルバーをを引き出し撃つ。
躊躇はない。装填された弾が切れるまで右手で引き金を引き続ける。
「くっ、この俺様がそんな銃相手にガードか」
顔を歪めながらそう言った。
思った以上に効いている。彼ももう限界なんだ。
俺は左手でポケットからナイフを取り出し、足に刺す。
「ぐっぅ」
痛みで体全体が生きろと目覚める。
俺は、生きる。
ナイフを抜いたあと、俺は立ち上がる。
「まだやるってのか! お前だって嫌だろう。
頭をトマトみたいに潰されるのはよおッ!」
弾薬が切れる。
片手でリロードをし、また打ち続ける。
もう予備の弾倉はない。少しでもダメージを与えないと。
「それぐらいでなんです!
痛い殺され方だからって、生きるのを諦めるなんてできるか!」
自分の体に刺したナイフを投げ付ける。
「そんなナイフ如き当たっても痛くねえんだよ!」
「ならば!」
残りのナイフ四本を手に持ったあと、ほのおよと唱える。
イメージはできた。
「ふっ!」
先程よりも鋭く投げ付ける。
そして彼に当たり――――
――――爆発した。
「チッ、お前も魔法が使えるのか」
たいしたダメージではないが充分だ。
怯んでいる間に、俺はいくらか後退る。
カチッ、カチッ、
「お前のダメージ源はなくなっちまったようだな」
「あなた相手にここまで働けば文句はありませんよ」
銃を投げ捨てる。機械国製のだけあって使いやすかった。
銃を捨てた代わりに俺は、
「ふっふ、ハハハッ俺様相手に近接戦をするってのか!?」
「……そうです。今のあなたなら俺にでも勝機がある」
短剣を手に取った。
「そうか、そうか。確かに今の俺は弱い。
案外悪くねえ判断かもな」
口ではそう言っているが、表情はそうじゃない。
正直近接戦なんてやりたくない。明らかに不利だ。
だけど、俺が勝つにはこれが一番の選択だ。
「まさか最終決戦で純粋な近接戦ができるなんてな。
いいぜ、最高だ! ッツ!」
「当たってたまるか」
俺は後退しつつ、一撃必殺の拳を避ける。
時には体を反らしながら、時には剣でいなしながら避ける。
「いい避け方だなっ! それでこそ殺しがいがある」
彼は視線を鷹のように鋭くしながら、拳を振り続ける。
口元には笑みを浮かべている。近接戦が好きなんだろうな、本当に嬉しそうだ。
「わかってましたけど、拳で剣を弾くなんておかしいでしょ!」
必死に避けながらもどこか気持ちが高揚していた。
彼の気持ちにあてられたのだろうか。
左、右と飛んでくる拳を避け続ける。
俺がここまで避け続けられるのも、明らかに拳の速度が落ちているからだ。
魔法使いさんと戦ってた時の速度の半分もない。
だけど、そろそろ限界だ。
殴られた痛みや自分で足に刺した痛みのせいで、体が思うように動かない。
「オラオラオラ! 避けてばっかじゃ勝てねえぞ」
「……はぁはあ、空振りしてても勝てませんよ?」
喋るのすら辛くなってきた。
だけどあと少しのはずだ。
「…………」
俺が数歩下がった所で足が壁に当たる。
ここが決着の場所だ。
「残念だったな、お前の詰みだ。
言い換えるとゲームオーバーってやつだ。わかるか?」
「……ええ。最後に聞いてもいいですか」
「なんだ、答えられるのなら答えてやるよ」
「あなたの生きる目的、ここを出たい理由はなんですか?」
……返事はすぐに返ってこなかった。
上から降り注ぐ赤い光と下から溢れる白い光だけが、俺達を見守っている。
「俺は、俺様は、…………生きることが目的だ。生きるために生きている。
出たい理由なんて特にねえよ。あのクソジジイをぶちのめしたいだけさ」
嘘だ。
「そうですか、ありがとうございます」
筋肉さんの瞳は揺れて、宙を彷徨っていた。
この人にも何か理由があるんだ。だけど、迷いがある。
「満足か? ならよかった。……さよならだ、兄弟」
彼が拳を引きタメの態勢に入った所で、
「閃光」
下を向きながら俺はそう呟いた。
そうすると少し上の方から強い光と、彼のうめき声が聞こえてくる。
すみません。
「疾風疾風」
俺は下を俯いたまま、新たな魔法を唱える
魔法使いさんがやったように剣に風を纏わせ、彼の腹に刺した。
「ハアっ、グッ……」
苦痛の声と血が俺の頭上に落ちてくる。
もう、迷わない。
剣を抜くことはせず、抉り込む。体の内部を風が蹂躙していく。
一分程が経った頃だろうか、彼の声がなくなり空気が溢れる音だけになった。
もう充分だろう。俺は剣を引き抜き、彼の体を押し飛ばした。
酷い、殺し方だ。
「…………」
コールが鳴らない。
まだ、生きているんだろうか?
俺が疑念を抱いていると、
「おい、冒険者……」
蚊が鳴くようなか細い声が、前方から聞こえてきた。
「筋肉さん……」
「殺すなら、しっかりと殺せ。いてえ」
「……すみません」
俺は彼の体を見たあと視線を逸らした。
とても直視はできない。
これしか勝つ方法はなかった、だけど。
「謝ることじゃねえ。それより、こっちこい」
「…………!」
視界の隅で、彼が手招きしているのがわかった。
どうするべきだ、いや考えるまでもない。
行くべきだ。と考えていると、
「あーいや、その前に短剣を寄越せ」
俺は迷わずに渡した。
何の意味があるのかはわからないけど、必要なのだろう。
「あんがとよ。ふっ……!」
彼は倒れたまま左手で剣を取ると、右手の小指を何の躊躇いもなく切った。
「やっぱいてえな、体を切るのは」
「何をやってるんですか!? どうして小指を!」
「これで信じてくれないか?
もう不意打ちをするつもりはねえ」
「そ、そんなことしなくても信じますよ!」
急いで彼に駆け寄る。
そんなあっさりと自分を傷つけるなんて……!
俺は視界がボヤけるのを感じながら、筋肉さんの顔を見る。
殺気立った表情は消えて、全てを受け入れたかのような、穏やかな表情をしていた。
「大丈夫、ですか?」
「大丈夫じゃねえよ。お前がやったんだろうが。
ったくまさかこの俺様が負けるとはな」
筋肉さんは天井を見つめながら、呆れたように言った。
「ごめんなさい。
ああいう戦い方をしないと筋肉さんには勝てなかった」
「俺に勝ったんだ、堂々としろ。恨みやしねえ。
そもそも責められる戦い方はしちゃいねえだろ。
俺の昔の戦い見たらチビるぞ?」
ってそんなことはどうでもいい、と筋肉さんはボロボロの腕で頭を掻いた。
「聞いて欲しいことがあるんだ。いいか?
まあ、お前に拒否権はないが」
「ははは、どうぞ。しっかりと聞きます」
俺は筋肉さんの顔の近くへ座った。
「なんだ、聞いて欲しいことってのはな」
照れくさそうに頬を掻きながら、口を曲げていた。
この人もこんな表情するんだな。
「俺が死んだあとの話だ。
見ての通り、もう死ぬ。再生力には自信あるが流石に無理だ。
つうか話をするのも辛い」
「…………」
口から血を吐き出しながらそう言った。
俺はどんな表情をしているのだろうか。
「気張って聞けや。
俺が死んだあと、クソジジイ共を叩き潰して欲しいってのは言った。
他にも二つ願いがある」
「なんですか? 必ず叶えます」
「その言葉確かに聞いたぞ。
よし、なら一つはグレイフィスって野郎と戦って勝て」
「わかりました」
迷わず返答する。
正直安請け合いしてしまった気がするけど、大丈夫だろう。
俺の返事を聞き、筋肉さんは目線と首の両方でよし、と応えた。
「二つ目はだ、ヘルヴィって女に」
「女に?」
「あーあー、今のなし。いや、そうだな、元気かどうかだけ見てきてくれ」
「もう恥ずかしがらないで下さいよ。そのヘルヴィさんに何をすれば?」
「なしったら、なしだ! ゴホッ、ゴホッ」
力んだせいだろう、咳と共に血の塊を吐き出した。
もう長くはない。
「本当に、いいんですか?」
「ああ、いいんだ。この気持ちは俺だけのもんだからな……」
何かを思い出すように視線を上に向けた。
どんな関係だったんだろう、ヘルヴィさんと筋肉さんは。
きっと俺にはわからなくていいことなんだろう。
「俺様は疑り深いから確認する。
本当に約束守ってくれるか?」
懇願するような声で言った。
何かにすがるようなそんな声だ。
「もちろんです。
……短剣貰えますか?」
「うん? ああ、お前のだしな」
ほら、と言い渡してくれた。
……罪深いことだな、けれどだからこそ覚えていられる。
「ふっ」
俺は左手の小指を刎ねた。
「おまっ! バカじゃねえのか!
真似をするなんて……俺はもう死ぬからやったんだ!」
「ははっ……これで信じてもらえますか?」
「信じないわけにはいかないだろ……」
憮然とした表情で呟いた。
やっぱり痛いな。けど、小指を切り落としたのは自分のためでもあった。
約束を果たすと心へ誓うための行為だ。
作業服さん、魔法使いさん、そして筋肉さん必ず約束を果たします。
心の中へ静かに響かせた。
「あーダメだ。息ができなくなってきた。
そろそろ天使が見えてきそうだ。いや、俺の場合は悪魔か」
もう死ぬというのに筋肉さんは明るく振舞う。
そんな彼を俺はただ眺めていた。
「最後にお願いがある」
「なんですか?」
少しの間を置いたあと、
「手を繋いでくれ。言っとくが俺はホモじゃねえ、勘違いするなよ」
「わかってますよ……」
筋肉さんの左手を強く握り締めた。
もう手が冷たくなってきている……
「まさかこんな死に方だとはなぁ。
おいバカ泣くな。笑って見送れ」
「……ハイ!」
それっきり声はなくなって、呼吸音だけが存在してた。
静寂の中、筋肉さんは何かをいった。
「ぁー」
「なんですか!?」
言葉を聞き取るため、口の近くへ耳を傾ける。
「ぁー、空は青いか?」
「…………ええ、雲ひとつない青空です」
「っ、バカが……」
口元に笑みを浮かべあと、目をそっと閉じた。
閉じたと同時に機械の音声が告げた。
‘勝者:アンドリュー・C・ロイド’
と。
それと同時に筋肉さんを包む光は消え、俺だけを照らし続けた――――
次のエピローグをもちまして完結となります。
今日中に更新しますので、最後までどうぞよろしくお願いします。




