9話
「ひ、ひぃ……!!」
視界に入るのは、乱れまくったヒューイ君の服。
そして露わになっている胸や首筋についた無数の歯型。
「ひぃいいいいいいいいい!!」
「……ミモザ?」
様子のおかしいわたしに気が付いたヒューイ君が、乱れた吐息も悩ましげにわたしを見あげた。
潤んだ瞳、汗ばんでしっとりとした肌、上気して色気の漂う顔。
いやぁああああああ、何やってるのわたしぃいいい!!
動揺して身じろぎすれば、お尻でヒューイ君の暖かくて筋肉質な体を感じてしまう。
いやぁああああ、わたしどこに座ってるのぉおおお!!
さらに動揺してお尻をずらせば固い感触の上に思い切り乗り上げ、ナニに乗り上げたのか理解する前にヒューイ君が軽くもらした喘ぎ声が脳天を直撃し―――――。
わたしの頭は完全にショートした。
「いぃいいやぁああああああああああ!!」
気が付けば、窓からヒューイ君の部屋を飛び出していた。
背後でわたしの名前を叫ぶヒューイ君の声が聞こえたような気がするが、それにかまわずとにかく走る。
もうヒューイ君の顔を見れない!
もうヒューイ君の傍にいられない!
女の子としてヒューイ君のことを意識していたとしても、これはさすがに駄目だろう!
更に男としてヒューイ君のことを可愛い弟分と思っていたはずなのに、年下の男の子にこんなことするなんてどこの犯罪者だ!!
何重もの意味でわたしは終わっている!!
こんなことをしてしまったらもう家に帰れない。
母さんや父さんに合わせる顔がない!
村にだっていられない!
わたしは錯乱したままがむしゃらに走り続けた。
気が付いた時、わたしは獣化していた。
柴犬みたいな小型犬の姿になって走り続けていた。
とても体が軽い。
景色が風のように流れ去ってゆく。
どこか! そう、どこか誰もいないところへ行こう!!
そして発情期がきたって誰にも迷惑をかけないように、野生の一匹オオカミ(犬)となり一生を過ごすんだ!
か弱い女の子ならともかく、わたしは元男!
今こそ甦れオスの闘争心!
奮い立て、わたしの野生の本能!!
いつかの夢は正夢だったのだ! わたしはアマゾネーッッス!!
そう決意したわたしは、自分の足の赴くまま走り続ける。
そして日が暮れ、夜になっても速度を落とさずに走り続ける。
夜の方がなんとなく感覚が冴えわたる気がする。
こっちだ、こっちにわたしが求める場所がある。
研ぎ澄まされた嗅覚と聴覚を頼りに昼夜問わず走り続ける。
もはや何度日が沈んだか分からなくなった頃、空気が変わったことに気が付いた。
濡れた犬の鼻に、つんと痛いくらいの冷気がそよぐ。
見回せば、いつの間にか辺り一面雪景色になっていた。
「わふっ!」
思わず驚いて声が出る。
どんだけ夢中で走っていたのか、景色が変わっていたことにすら気が付かなかった。
後ろを振り返れば一面真っ白な雪の平原に、てんてんと小さな犬の足跡が一直線に続いている。
「わふっ……、わふん!」
足跡がつくのが楽しくなって、しばらく雪原の中をめちゃくちゃに飛び跳ねながら走り回った。
どのくらいはしやいでいたのか。
いきなり顔に雪つぶてが当たって我に返る。
「はふっ?」
あたりを見回せば、横殴りの雪が降り始めていた。
あまりにもはしゃぎすぎて体温があがったため、舌を出して「ハッハッハッ」と荒い息をしながら考える。吐き出す息が全部白くて、息を吸うたびに肺まで凍えそうになる。
このままじゃやばい。どこか穴倉でも探してこの雪風をしのがないと凍え死んでしまう!
「……っぷしっ!」
考えていたのはほんの少しの時間だったが、ごうごうと吹き付ける風にあっという間に体温をうばわれてくしゃみをひとつした。
とたんに体が震える。
慌ててどこか隠れる所はないか探して走り出した。
「ひぃ~ん、ひぃ~ん……!」
探し出してからだいぶ時間が過ぎたが、いくら探しても穴倉どころか身を寄せれそうな岩すら見つからず、つい情けない声が漏れてしまう。
くわえて何日か飲まず食わずで走りとおしてきたため、今頃になって急速な飢えにおそわれてきた。
うぅ、何で雪に興奮してはしゃぐ前に、食料や休める場所を確保しなかったんだ!
このままじゃ誰にも気づかれることなく野垂れ死にだ……。
わたしはアマゾネスになりそこねたのだ……。
ほんの少し先も見えないくらいに吹雪いてきた。
寒さでガタガタ体が震えてまともに歩けない。
そんなとき、ごうごうと鳴る風のなか、かすかに遠吠えが聞こえたような気がした。
はっと頭を上げて耳をそばだてる。
たまに木々を吹き抜ける風が甲高い笛のような音をだし、これと聞き間違えたのかと肩をおとしかけたとき。
……ォォォ……ォ……ン……。
いや、確かに聞こえた!!
わたしは最後の気力をふりしぼり、声のするほうへと駈け出した。
何てことだ! 神様は本当にいるんだ!!
遠吠えを頼りにたどり着いたところは、人が何人も入れそうな大きな穴倉だった。
そして、10数頭の野犬の住処でもあった。
野犬たちは最初、穴倉の外にいるわたしを警戒していたが、やがて「はいれ」とでも言わんばかりにみんなが中に引っこんでいったのでおそるおそる付いていった。
あぁ、雪と風に当たらないだけでこんなに違うんだね!
ここは天国だよ!
中に入るとじんわりと暖かくて、身体に付いていた雪をぶるぶると振り落すとおもわずため息が出た。
そんなわたしに数頭が近付いてきて、わたしのお尻をふんふんと嗅ぎ出した。
これはわたしに敵意がないか調べる犬の確認行動だ。
犬の本能は身体に染み込んでいるようで、特に恥ずかしいとか思わずに相手がにおい終わるまで待つ。
数頭が確認し終わったところで、わたしは野犬の集団にひとまず受け入れられたことを感じた。
とりあえず雪の中で凍死することだけは免れた……、と安心した時だった。
「ひゃんっ⁉」
いきなり背中、正しくは腰にずしっと重みがかかってきた。
振り返ると。
集団の中でもひときわ大きい野犬が、わたしの下半身にのしかかっていた。
顔がひきつるわたしの下腹部に、ごつごつして固いものが押し当てられる。
「ひゃぃいいいいいん!!」
何と、ボス犬に貞操を奪われそうになっていた。