6話
「お邪魔します」
いつも畑仕事を少し早目に切り上げてヒューイ君はやってきてくれる。
本当は家に帰って着替えて汗を流してから来ようとしてくれるのだが、青少年が土に汚れながら健全に汗を流した後の姿が微笑ましくて眩しくて、何かと理由をつけてはそのまま来てもらっている。
うちのノックをする前に、服に付いた土や泥を念入りに落とす姿は、こっそり見ていて悶えるくらいに可愛い。
「いらっしゃい!」
「これ、田んぼに咲いてたルアルの花」
「ありがとう!」
わたしはヒューイ君が差し出した小さな花を受け取って、思わず笑みをもらす。
外に出て花が見れない、とぼやくわたしのために彼は必ず野花をお土産に持ってきてくれる。
その後は母さんが用意してくれたお茶を飲みながら彼の話を聞く。
彼は口下手だから、いつもわたしが聞きたい話をふっては彼が答えるように話してくれるのを楽しんで聞いている。
今日わたしが彼に聞いたのは、獣化についてだ。
「あの時男を追っ払ったヒューイ君、すっごい格好良かったんだよね! 獣化できたらわたしも、あんな男けちょんけちょんにできるのかな!」
やっぱね、獣人とかファンタジーな存在になるとさ、こう秘められた力とか、人間とは違う能力ってものを試したくなるよね。
今のわたしって、全く持ち主のいう事を聞かないへたれ耳とすぐにへたれる尻尾ぐらいしか獣人らしくないんだよな……。
興奮しているわたしに、ヒューイ君は照れくさそうに頬をかいた。
「あぁ、あれな。でもあれは俺の力じゃなくて、田舎の俺と都会の奴の違いが大きかったのかも」
「?」
「ちょっと都会のほう人だと、獣化することは感情の抑制がきいてない証とか、とても未熟で原始的で恥ずかしいことって考えるらしいんだ」
へぇ? この村ではご年配の方とかは完全な獣か、二足歩行の獣でいる人も少なくないが。
「この村でも、今どきの奴は滅多に獣化しない。それでも『獣化は古風で粋』とか『マジになったら獣化』みたいな緩い認識でさ。恥ずかしいとか未熟だとかいったのは感じないな」
だからあの時の獣化しかけてたヒューイ君を見て、恥も捨てるぐらいに理性の無くなった危険人物と判断してびびったらしい。あと単純に見慣れない獣化を見て仰天した可能性もあると。
更にヒューイ君が言う事には、あの男が獣化を恥ずかしいと思わず二人とも獣化した状態でやりあっていたら、完全に負けたはずたと包み隠さずに教えてくれた。
「俺は強くなんかないよ、本当に運がよかっただけ」
何て素直でいい子なんだ、ヒューイ君。
わたしが女の子から褒められたら「その通り! あれは全て俺の実力なんだよ、ふふっ」とふんぞり返るというのに。
「だからミモザも、獣化の力を過信しすぎていらんことしないように!」
あ、わたしに釘を刺すためですか……。さすが(自称)お兄様です……。
首をすくめたわたしに笑いながら頷くと、ヒューイ君はふと真顔になった。
「ミモザは一時的に、獣化のやり方が分からなくなってる可能性が高いんだってな」
「……うん」
お医者さんが言うには、完全に獣化できなくなったわけではないらしい。
そしてミモザとしての記憶と違って、歩くことと同じで身体が覚えていることは基本的に消えないのだそうだ。
10年間もどらなかった意識が回復したように、何かの拍子にできるようになるかもしれないと言われた。
「小っちゃい頃のミモザは、獣化したら俺たちの中で一番速くてさ。悪戯して怒られるときも、ミモザだけはぶっちぎりで逃げ切ってたんだよな。早く思い出せるといいな」
「う~ん。今のとろいわたしからすると、信じられない……」
小さい子供は危険が迫ると、獣化して逃げるのだそうだ。
あの男に襲われた時だって、俺が獣化できたなら簡単に逃げ切れたのだ。
わたしはふと妙案を思いついた。
「ヒューイ君が獣化するのを見せてくれたら、わたしも少しは思い出せるかもしれない!」
「え……」
ヒューイ君の獣化を見損ねたわたしとしては、あれから気になってしょうがなかったのだ。
そんなわたしの提案に、なぜかヒューイ君は口ごもってしまった。
「あれ? なんかまずいことでも言った?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「?」
何だか微妙な空気になったとき、すぐ近くで家事をしていた母さんが笑った。
「あらあらミモザ。昔の人はそうでもないんだけど、今どきの子たちはね。獣化した姿を見せるのはつがいだけ、ってのが流行りみたいなのよ。『私の本当の姿をあなただけに捧げます』って口説き文句もあるみたいだからねぇ」
そして、今どきの子はロマンチックねぇ。私たちのときは考えもしなかったわ、とけらけら笑いながら家事に戻って行った。
「あぁ……」
つまりわたしは、『僕に味噌汁を毎朝作ってよ!』もしくは『三千世界のとりを殺し、ぬしと朝寝がしてみたい』みたいなことを言っちゃったわけか……。
つい気まずくて耳と尻尾がへにょんと垂れる。
「いや、ミモザがそういう知識が無いのは知ってるから。俺もわかってるから! そんな気にするな!」
ヒューイ君が慌ててフォローしてくれた。
ありがとうヒューイ君、おかげで君から見えないだろうが尻尾は少し回復したよ。
だけどさ。
無自覚な女の子の無意味なボディタッチや際どい発言って、わかってても振り回されるもんだよな。
わたし、きっと前世でそういう女の子に振り回されて、何度も苦い思いをした気がするんだよ。
しかも、中身が男のミモザが無自覚発言してもキモイだけだよ、本当にごめんよ……。
何だか思考のドツボにはまってどんどん顔が下がっていく。
「ま、まぁ! 発情期にぜったい獣化が必要ってわけじゃないから、そんなに焦るな!」
「そうなんだ……」
ちょっとだけ気持ちが軽くなって顔をそろりと上げる。
「………………」
「……ヒューイ君?」
今度はヒューイ君が口をおさえて真っ赤になっていた。
「どうしたの?」
「あ、俺! 用事を思い出した! それじゃ、急がないと母さんにどやされるから! じゃっ!」
言うが早いかヒューイ君は風のように帰っていってしまった。
これはもしかしなくても、ヒューイ君が今度は地雷を踏んでしまったという事か。
なんでヒューイ君が赤くなっていたのか無性に気になって、すぐに母さんに聞きに行った。
「あぁ、発情期でお誘いを受けたときにね、断りたい時は獣化すれば完全な拒否になるの」
「獣の力で全力で逃げるってこと?」
わたしの前世の記憶にも、メスにアプローチしたオスが全力で拒否された上に、そのメスから攻撃まで喰らって怪我をする光景をテレビで見たような気がする。
まさに弱肉強食の世界!
「あら、近所の奥さんにそこまで教えてもらわなかったのね。そうじゃなくて、獣の姿だと体格に違いがありすぎる場合があるでしょ?」
わたしは熊である父さんとアライグマである母さんのことを頭に浮かべてうなずいた。
「だから、『私はあなたを受け入れられません』って意味で獣化するし、受け入れる時はお互い人の姿なの。最近の子は人の姿で拒否するみたいだけど、やっぱり獣化するのが一番手っ取り早いからねぇ……」
………………。
それはつまり、『私はあなたのナニを受け入れられません』ってことか!?
父さんと母さんを思い浮かべながら聞いていたわたしは、地味に脳内にダメージを受けた。
そんでもって、子作りをいたすときはお互い人間の姿でするんだぁ……。
ふとヒューイ君の声がよみがえる。
―――発情期にぜったい獣化が必要ってわけじゃない―――
発情期に一発目でつがいと運命的な出会いをしたなら、拒否する必要もないから獣化は必要でないと言いたかったのか。
もしくは、子作りするのは人型だからヤルことやるのに獣化は必要ない……と言いたかったのか。
ヒューイ君の反応をみるに、たぶん後者の意味で言ったんだろうな……。
うん、ヒューイ君を追求しなくてよかったぁ……。
ぐはぁ……。