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3話

 



「あ、蕾がついてる」


 それは昼のちょっと前。

 親父のいる畑まで、母さんの弁当を届けに畑道を歩いている途中だった。

 まだ風が冷たくて上着が手放せない寒さだが、ふと葉のついていない裸の果樹を見上げれば、白い蕾がぽつぽつと見えた。

 そういえば親父の畑仕事を手伝っていると、雑草が生えてくるのが早くなったような気がする。


 あぁ、今から花や草木が芽吹いてくる季節なんだな。


 膨らみ始めた蕾を見ていると、自然に笑みが漏れる。

 冬の間に息をひそめていた生き物や植物たちが、さぁこれから咲くぞ!と活動しはじめワクワクする季節。次々と賑やかになってくる予感に期待する季節。

 この季節になると自然と陽気になってしまう。

 変態さんもこんな感じで春先にわくのかと思うと、少し共感するとともにもっと建設的なことにそのエネルギーを使えよ!と思ってしまう。


 生命が輝くこの季節、春! 


 そこで道端にしゃがみこんで俺はため息をついた。足首まであるワンピースをちゃんと手で押えるのはもう忘れない。

 意味もなくウキウキするたび、不安にかられる。


 まさか、発情期の前兆なんじゃないだろうな……。


 何ていうのか、春の陽気に浮かれてるっていうのは前世からそうだった。

 だけど気になるのは、それとは別に何か俺の身体がムズムズするときがあるのだ。

 かゆいとかじゃなくて、何かじっとしてられないというか、うまく言えないんだがうずうずするというか。

 発情期によるものだとしても嫌だし、春にわいてくる変態さんの兆候としても嫌だ。



「どうした? お前ミモザだろ、気分悪いのか?」


 背後からかけられた声にしゃがんだまま振り返ると、村で同じ年頃の男の子ヒューイ君が心配そうに俺を見下ろしていた。


 素朴で誠実な村の少年と言った感じだが、毎日家の畑仕事を手伝っているので体も引き締まっており、日に焼けた感じが更に男の子らしい逞しさを感じる。黒髪青目で完全な人の姿の少年、ヒューイ君だ。

 崖から落っこちる前のミモザとよく遊んでいた男の子の一人らしい。幼馴染というと村の子供全部当てはまってしまうが、彼とは特に仲の良い悪ガキ仲間だったようだ。


 ミモザの目が覚めたと聞いて、ヒューイ君の家族が見舞いに来てくれたことがある。

 それが俺と彼との初対面となる。


 お互いの母親が「昔一緒に遊んでたのよね」と紹介しても、彼はふてくされた顔で一言も口を利かなかった。

 よくわかるよ、その気持ち。

 久しぶりに会った同い年の子なんて何を話したらいいかわからないし、特に異性なら照れくさくて尚更だ。

 俺だって昔一緒に遊んでたと紹介されても、彼に関する記憶が一切ないせいで罪悪感があって話しかけることができない。



 今までも同じ年頃の子が親と一緒にお見舞いに来てくれた。

 だけど女の子も男の子もヒューイ君と同じように戸惑って、俺からも話しかけることができず、特に仲良くなる機会もないまま今に至っている。


 母さんどうしが話しているのを聞きながら、彼も今までの子と同じように俺を遠巻きにするだけなんだろうなぁ、と思い横顔を眺めるぐらいしかできなかった。



 だけど彼は他の子たちと違った。


 後日俺が一人で歩いている時に声をかけてくれた。

 そして俺がミモザとしての記憶が無いことを慰めてくれ、これからまた宜しく!と笑って握手してくれた。

 握り返した手はすでに俺の手より大きくて、畑仕事を手伝っているためかごつごつしていた。


 何ていうのかじんわりと、部活で野球を頑張っていた頃の自分の手を思い出して懐かしさに胸が暖かくなる。

 それと同時に、難しい年頃の甥っ子に懐かれたようなくすぐったさを感じた。



 そんな彼のおかげで、記憶のない後ろめたさを感じることもなく俺は気さくに接することができるようになった。年下だから微笑ましく感じるとともに頭があがらない。

 初めての友達、いや、唯一の友達といえた。



 心配そうに俺を見下ろしている彼を安心させるため、俺は立ち上がって笑ってみせた。

 立って並んでもヒューイ君の顔は頭ひとつぶん上だから、少し見上げる。


「ううん、もう花が咲きそうだなって見てたんだ」

「あぁ、最近畑の草取りが面倒になってきたもんな」


 私もそう思ってたところ、と二人で笑いあった。女の子なら、ここで「あの蕾可愛いね」とか言うのだろうか。いや、ぶりっこすぎるか。


「もう暖かくなるな」

「うん、発情期がくるね」


 蕾を見ているヒューイの言葉に何気なく返事をし、はっと口を押えた。尻尾の毛もぶわっと逆立つ。


 い、いかん! 今まで発情期のことを考えていたからついぽろっと口に出してしまった!!

 これって思春期の男の子と女の子が二人で世間話をしているときに、AVだのセッ○スとか突然言い出すようなもんだよな! かなりドン引きだぞこれ!!

 やっべぇ、どうしよう! 何も言ってなかったようにしれっと流そうか、それとも言い間違えちゃったテヘ☆とでも誤魔化すか!!


 俺は冷や汗をダラダラ流しながら、隣に並ぶヒューイ君の様子をちらっと伺う。

 彼は普通と変わらない様子で果樹の蕾を眺めていた。


「あ~、そうだな。お前、目が覚めてからいきなり発情期がくるからなぁ」

「う……うん」


 内心ドキドキしながら俺も何気ないように返す。良かった、ヒューイ君の反応を見るに、年頃の子の会話として普通の内容だったようだ……。


「安心しろよ、さすがに目が覚めたばかりのお前をつがいの対象にみる奴はいないよ」

「そ、そっか」


 大人だけの言葉じゃなくて、同じ年頃の子の言葉だと説得力がある。俺はほっと溜息をついた。ついでにへたれていた尻尾もくるりと元気に巻き上がった。

 そしてようやく隣に立つヒューイ君の顔を見た。


「気が楽になったよ、ありがとう! これから畑に行くの?」

「あぁ」


 俺の感謝の言葉に、彼はまだ目の前の蕾を見つめたままぶっきらぼうに返事する。

 照れてんのか、可愛いなぁ。

 何か自分のガキの頃を思い出して無性にくすぐったくなるな。


 頑としてこっちを向かないヒューイ君が微笑ましくて、俺は年上の余裕で彼をリードしようと手に持っていた弁当を目の前に掲げてみせた。


「今から父さんに弁当を届けに行くんだ。ヒューイ君も畑に行くなら一緒に行かないか?」

「いや、俺ちょっと忘れ物をしたから」


 ははっ、頑固だなぁ。でも耳が少し赤いぞ少年。


 俺はそれ以上追及せず、そのまま手を振って彼と別れた。彼は最後まで俺の方を見ようとしなかった。

 でも俺の心はヒューイ君と話したことで軽くなってて、尻尾も歩くのにあわせて左右にふるふると元気に揺れていた。


 鼻歌でも歌ってやろうかと、歩きながら口を開けた時だった。


「……あのさぁ」

「へ!?」


 いつの間にか背後にヒューイ君が立っていた。


 あっぶねぇ! 鼻歌歌ってる時に来られたらまた俺恥ずかしくて顔を見られなかったよ!! 俺、犬の獣人のくせにそこまで耳も鼻も性能よくないのよ!? 

 何かに気を取られていると背後に人がいても気づかないほどポンコツなのよ!!


 ドキドキしながらヒューイ君を振り返る。

 彼は走ってきたせいか、もしくは照れているのか耳と頬が赤くなっている。


 何だい、やっぱり一緒に行く気になったのかい?


 俺は驚かされた分なんか意地悪な気持ちになり、内心ニヤニヤしながら彼の顔をわざと覗きこんでみたりした。


「……発情期のことを話すってのは、……その、誘ってると思われることもあるから。……気軽に言わない方がいいぞ……」


 それだけ気まずそうに一気に言ってしまうと、ヒューイ君は風のように走り去って行ってしまった。


「ひぃいいいいいいぃぃぃいい!!」


 残された俺はぐわぁあああっと顔に血がのぼって、しばらくその場でフリーズしていた。


 そのせいで親父の弁当は昼をたいぶ過ぎてから届けられ、しかも俺の様子がおかしいのを心配した親父に抱えられてその日は家に帰った。


 ぐおぉおおおお、くっそ恥ずかしいぃいいいい!!




 その日の夜は何となくいたたまれなくて、目を閉じて寝ようとするのに全然眠気がきてくれない。

 落ち着かなくて何度も寝返りをするけど、ますます眼が冴えてきてイライラする。

 しまいにはどうやって上ったのか覚えていないが、気が付けば屋根の上で遠吠えをしていた。


 何度目かの遠吠えでふと我に返る。

 うん、何だかスッキリした。もう寝よう。

 そして周りを見回す。

 真っ暗で足元が見えないんだけど、どう降りたらいいんだ? これ。


 結局俺は夜に泣きながら、屋根にしがみついた状態で両親を呼んで助けてもらった。

 恥ずかしいよう、恥ずかしいよう!!


 迷惑をかけたことと、夜中に何やってんだろうという恥ずかしさから何度も両親に謝った。

 母さんたちは苦笑交じりに「春も近いからしかたない」って慰めてくれた。


 違うよう、意味もなくこんなことしたんじゃないよう! 

 昼間のやりとりが恥ずかしくて、気が付いたら屋根の上で遠吠えしてたんだよう!

 ……………。

 ……それって結局、発情期が近付いているせい? それともやっぱり変態さんの仲間入りに近づいているのか!?


 結局その日は恥ずかしさに泣き疲れて眠ってしまった。




 次の日の朝、目が覚めた俺は布団の中で愕然としていた。

 いや、直前まで見ていた夢のせいで飛び起きたといったほうが正しいか。


 とにかく心臓がバクバクしていて、背中だけでなく体中が寝汗でびっしょりしていた。


 夢の中で俺は完全な犬の姿になっていた。

 そして野原を駆け回って遊んでいる。

 遠くで誰かに名前を呼ばれ、その人のところへ一目散に走っていく。

 両手を広げて俺のことを待っているその人の胸へ飛び込むと、俺は嬉しくなってその顔をベロベロと何度も舐めまくった。相手はくすぐったがっているが構わない、ほっぺだろうが口だろうがべろんべろんに舐めていく。

 口も顔も涎まみれにしたところで、その相手がヒューイ君だと気が付いた。


 そして目が覚めた。


 声なき声で叫んでいる俺をよそに、家の外では夜の間に凍った霜を溶かすようにお日様がポカポカと照っている。


 あぁ、春が来る。



 あぁ、発情期がやってくる……。





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