21話
次の日、ヒューイ君がうちにやってきた。
お母さんは二人分のお茶とお菓子を用意してくれると「あとはごゆっくりね」と意味深な笑みを浮かべ、更にわたしにこっそりウインクして家を出て行ってしまった。
お父さんは畑仕事で出かけている。
朝家をでるときにわたしの頭を撫で、「楽しんでな」と一言だけ言ってくれた。
お父さんの無理につくったぎこちない笑顔を見てると、涙が出そうになって誤魔化すのが大変だった。
「ミモザは昨日よく寝れたか? 俺はもう飯食ったらすぐに寝ちゃったよ。やっぱベッドが一番だとしみじみ感じたよ」
ヒューイ君がなんだかそわそわした感じで話しかけてきた。
だってこの状況、「あとは若いお二人で」状態だもんな。
そういうわたしも何だか気恥ずかしくて、ついヒューイ君の顔を見れずに視線をそらしてしまう。
あの巣穴にいたときは二人っきりでもっといちゃいちゃしてたのにね。……いや、いちゃいちゃはしてないか。
相手がヒューイ君とは思ってなかったし、獣脳になっていたから色っぽいことなんて頭になかったし……。
つまり、人の姿で二人っきりで顔を付きあわせているこの状況がくっそ恥ずかしい!
狼がヒューイ君とわかった後、獣姿だと顔をつきあわせて話ができないのがあんなにもどかしかったのに、今はあのときに戻りたいさえと何だか願ってしまう。
「あ、あは。わたしも。服を着ると文明を感じる……」
なに言ってんだわたし。なんで声がうわずってるんだ。なんか意識しまくりなのがめっちゃ恥ずかしい。
うつむきながらちらりとヒューイ君の様子をうかがう。
ヒューイ君は耳を赤くして落ち着かなさそうに目線をさまよわせていた。
「あ、うん。……獣化してたのは別として、けっこう裸になってたもんな」
「ごふっ!」
「あ、ごめん! 変な意味じゃないぞ! いや、マジでミモザの裸を思い出したりとかしてないからな!」
「げふっ、ごふっ、げほっ……!」
「あぁああ、ミモザ大丈夫か!」
思わず変な咳が出てむせてしまった。
そのまま止まらずに涙ぐみながら身体を丸めて咳き込んでいると、背中に大きな手がそっと当てられた。
ヒューイ君の手……。
「うっひゃぁあああ!」
「うぉっ、びっくりした!」
思わずバネのように背を伸ばして立ち上がると、わたしに手を差し出したまま固まっているヒューイ君と目があった。
あの大きな手がわたしの背中に触れたんだ……。
どうしよう、訳も分からず顔が赤くなってくる。
しっぽ、しっぽ落ち着け! ぶんぶん暴れるんじゃない!
「だいじょうぶか、ミモザ?」
「う、うん。もう大丈夫。ヒューイ君もすわって」
わたしを心配してそばに来てくれたヒューイ君が椅子に戻る。
その姿を目で追いながら、わたしは気持ちを落ち着かせるためにお茶に口をつける。
意識するなってほうが無理なんだよ。
だって、わたしたちはお互い発情期を迎えているにもかかわらず、仮のつがいになっているわけでもない中途半端な状態だ。
つまりこの先に進むためには、こ、告白という儀式をしないといけないのだ。
今日、どのタイミングかわからないが、告白のイベントがあるのをお互いわかっている状態なのだ。
どんだけくっそ恥ずかしい状況だよ。これ。
口に含んだお茶をのみこめば、「ごくり」と音がしてぎょっとする。
どんだけ緊張してんのわたし! もうやだこの甘酸っぱい状況!
外から見たら年頃の男の子と女の子がもじもじしてて可愛く見えるだろうけどさ、その片っぽの中身は実はいい年こいた野郎なんですよ!?
やだもう、ときめいてる自分が気持ち悪い……。
つい俯いて机を見ていると、「ごくり」とお茶を飲み込む音が向かいから聞こえてきた。
見上げればヒューイ君の顔がこわばっている。
ついにくるか?
わたしは息が詰まるくらいに鼓動が激しく暴れ出すのを感じながら、だけど頭はすぅっと冷静になった。
別に告白は男からとか女からとか関係なくするものらしい。
だけどわたしからはヒューイ君にできない。
だってわたしは、ヒューイ君が好きになったミモザではないからだ。
「……ミモザ」
ガチガチに緊張した声で名前を呼ばれ顔を上げる。
真剣に見つめてくるヒューイ君の青い瞳に、胸がぎゅっと苦しくなる。
今からわたしは断るためにヒューイ君の告白を聞く。
彼の想いを最後まで聞いたうえで断ろう。
中途半端に遮っては彼にだって未練が残るだろうし。
何よりわたし自身が彼の想いを全て受け止めたい。
決して受け入れることが許されない想いだけど、わたしだけの宝物にするなら許されるよね?
「俺はミモザのことが好きだ。俺とつがいになってほしい」
じぃん、とわたしの胸が熱くなる。
シンプルで単純な告白。
だけど嬉しい。
熱い想いが胸からじわじわと上がって来て、涙になってこぼれ落ちそうになる。
固く目を閉じてしばらくこらえる。
少しの間そうやって溢れそうな思いをやり過ごした後、目を開いて深呼吸した。
わたしを見守るヒューイ君を見つめ返す。
そして鼻声で言葉が詰まらないように慎重に口を開いた。
「ヒューイ君、ありがとう。とっても嬉しい。だけど、わたし、ヒューイ君が好きになったミモザとは違うの」
「…………」
ヒューイ君は戸惑ったような眉間に皺をよせた複雑な表情をしていたが、ぐっと黙ってわたしの話を聞いてくれている。
その沈黙に耐えきれなくてつい早口になりながら言葉を続ける。
「ヒューイ君はわたしが『男としての記憶があるという設定』をつくったと思ってたけど、違うの。本当に前世が男だった記憶があって、しかもその記憶しかわたしにはなくって、ミモザであったときの記憶がないの。ミモザの姿をしているけど、ヒューイ君が好きになったミモザとは違うの」
だめだ、もうヒューイ君の顔が見れない。
うつむいて絞り出すように言った。
「だから今のわたしには、……ヒューイ君のつがいになる資格なんてないの」
自分が言った言葉に胸が痛み、見つめる机にぽたぽたと涙が落ちた。
「え~っと……」
ヒューイ君のとまどった声に肩がビクッとなる。
もちろんすぐに理解しろなんていわない。ヒューイ君が納得できるまで説明するつもりだ。
顔が上げられないのは許してほしい……。
「ミモザがちっさい時の記憶が無くって、何でかどっかで獣人でもない男だった記憶があるって?」
声も出せずにうつむいたままうなずく。
ヒューイ君、わたしのことが気持ち悪くなったかな……。
「悪魔が身体を乗っ取るような感じ?」
「……!」
あんまりな言われように身体がこわばる。悪魔……。
わたし悪魔なのか、そうか……。
机にボタボタ涙が落ちる。
泣いちゃだめだ、泣く資格なんてわたしにはない。
「でも小さい頃に駆けっこしたこととか思い出したんでしょ? ならミモザが小さいころのこと忘れてるだけじゃん」
「あ……。か、駆けっこしたときの、お、お願い事……、思い出したよ……」
無様な涙声だけど、これだけはしっかり伝えたくてつっかえながら必死に言葉を紡ぐ。
くすっとヒューイ君が笑う声がして、わたしは涙でぐちゃぐちゃなのも忘れて思わず顔をあげた。
ヒューイ君が眩しいくらいの笑顔で微笑んでいた。
「思い出したならさ、俺のお願い事きいてよ」
なんだか想像していた反応と違うから、わたしは泣いて腫れぼったい目でヒューイ君をまじまじと見てしまう。
決意して告白したのをわけのわからない理由で一歩的に断られたのに、なんでヒューイ君はこんなに余裕な態度なの?
怒らせたり悲しませたりすることを覚悟していたのに、ヒューイ君の予想外の反応に戸惑って涙もとまった。
わたしは鼻をぐすぐすいわせてしゃくりあげながら必死に答えた。
「で、でも……。わたしは、ヒューイ君と約束したミモザじゃない……。ヒューイ君が好きだったミモザじゃないの……」
「言ってることがよくわからないんだけど、俺が好きになったのは今のミモザだから」
「……え!?」
今度はわたしが言われていることがよくわからない。
今なんて言った?