19話
「ヒューイ君には、本当にお礼を言っても言い足りないくらいお世話になって……。本当に、ありがとう」
お母さんが声をつまらせてヒューイ君に話しかけているのが聞こえて、慌ててお父さんにしがみついたまま振り返る。
ヒューイ君は照れたように頭をかき、そして手をおろすと真剣な顔になった。
「いや、ミモザが村を飛び出していった原因は全部俺なんです……。俺こそ、ミモザを危険な目に合わせて本当にすみませんでした」
頭を下げるヒューイ君が視界に入り、わたしの頭は真っ白になった。
「ごめんなさい! 誰も悪くありません!! わたしがすべて悪いんです!! 皆に迷惑をかけてごめんなさい!! 本当に、本当にごめんなさいっ!!」
「ちょっ、ミモザ!?」
「ミモザ、何やってるの!?」
皆の驚いた声に気が付けば、泣きながら地面に頭をこすりつけて土下座をしていた。
「ミモザ、いいから立って」
お母さんに優しく腕をとられて、よろよろと立ち上がる。
お母さんは困ったような笑顔をうかべてわたしのおでこについた泥をとってくれた。
「はじめて見る謝りかただけど、とても反省しているのはよくわかったわ。でもね、ミモザは何も悪くないの。だからそんなに謝るのはもうなしよ、ね?」
お母さんの優しい笑顔を見ていると、また涙があふれてくる。
『わたしの優しいお母さん』と認識すると同時に、『年頃の娘をもつお母さん』としてとらえる冷静な自分が青ざめた。
「お、お母さん!」
「え、どうしたの!?」
わたしの剣幕に驚くお母さんの両肩をぐっとつかむ。
「わ、わたしとヒューイ君は二人で夜を何度か過ごしましたけど、誓って疚しいことはなにひとつしておりませんっ! ヒューイ君は年頃の男の子としては貴重なほどの紳士で、一切わたしに手を出すことはなく、それどころかまるでおかーさんのような慈愛と母性でわたしに接してくれました! 彼は素晴らしいほどの紳士、いえ聖人君子ですっ!!」
年頃の男の子と女の子が二人きりで何日か過ごせば、たとえ下種の勘繰りでなくてもそういうことをしたんじゃないかって思うだろう。
特に娘を持つお母さんならそういうところは敏感だと思う。
別にわたしにどんな噂をたてられてもいい。正直なところ、考えもなしに突っ走って野犬に貞操を奪われかけた愚か者だ。
だけど、ヒューイ君は違う。
ヒューイ君は年頃の男の子とは思えないくらいに、清廉潔白で高潔な精神をお持ちだ。
確か発情期の兆候が出始めていると本人が言っていた。
余裕がなくなるとか言っていた気がする。
そんな状態なのに、あの洞穴にいる間はそんな気配をみじんも感じさせなかった。
自分が男で14歳のときなんて、……とても口に出しては言えない。
そんなヒューイ君が『男と女が二人でいたら、ヤルことなんてきまってんだろ』みたいに思われるのは我慢できない。
「ミ、ミモザ……」
必死にすがるわたしにお母さんは絶句している。
お、お母さん。わたしを信じて……!
「ミモザちゃん、ヒューイのために言ってくれてるんだね。ありがとう」
ポンポンと肩を叩かれて振り返ると、穏やかな笑顔のおばさんがいた。
ついヒューイ君の姿を探すと、彼はちょっと離れた所で頭をかかえてうずくまっていた。
ヒューイ君、心配しないで! 君への疑いなんて一切ないくらいにわたしが証明するから!
なぜか小刻みにぷるぷると小さくなっているヒューイ君の姿を見て、わたしの決意はさらに固くなる。
いっそのこと、お医者様に処女の証を見せようか!? う~ん、だけどそんな技術ここにあるのかな……?
「ミモザちゃん」
メラメラと燃えていると、おばさんの声に現実にひきもどされる。
「とりあえず今日はおうちに帰って、お父さんお母さんとゆっくり過ごしなさいな。いろいろと誤解がとけたら、またヒューイに会ってあげてね」
「?」
ヒューイ君のおばさんの言葉で、わたしたちは解散して村に帰ることになった。
お父さんとお母さんと手をつないで村へ歩く。
ちなみに土下座をするときに、抱き付いていたお父さんを思い切り突き飛ばしたようでちょっとしょげていた。
重ね重ねごめんよお父さん!
後ろでおばさんの「父さんも家で待っているからね」とヒューイ君へ話しかけているのが聞こえて慌てて振り返る。
「ヒューイ君は何も悪くないんです! それどころかわたしを何度も助けてくれました!」
「ミモザちゃん、大丈夫。ヒューイを怒ったりなんてしないよ」
真っ赤になってまだプルプルと震えているヒューイ君の横で、おばさんがほがらかに笑った。
その様子にわたしはほっとする。
そしてよくよく聞くと、村に戻って来て動転しているだろうわたしに遠慮して、ヒューイ君のおじさんは家で待っているということだった。本当にもうしわけない……。
家に帰ると、お母さんが用意してくれたご飯をみんなで食べた。
たった何日かぶりだったけど、嬉しくって涙がこぼれながら夢中で食べた。
こんなにおいしいご飯を、村を飛び出る前の何日間かはむりやりお腹に詰め込んでいたことに後悔し、更に涙が出た。
落ち着いてからは、わたしが村を飛び出してからの話をまずいところだけ抜いて話した。
野犬に襲われかけた話とか、ヒューイ君にべろんべろんに舐められた話とか、うれションした話とか、お互いの素っ裸を見ちゃったこととか……。ほぼ抜いてるわ。
食後のお茶を飲んでいると、お父さんは「ちょっと出かけてくる」と家を出て行ってしまった。
今まで夕食の後にお父さんが外出したことはなく、不思議に思いながらお父さんを見送ると、お母さんがそれを待っていたように切り出してきた。
「今日は遠慮なく全部話しましょうね」
「え?」
お母さんはにこやかな笑顔を浮かべながら、だけどどことなく真剣な空気を漂わせている。
「ミモザは大人の男の人の記憶があるせいかどことなく考え方が大人で、それでいて獣人の習慣に疎いから私も勘違いしていたわ」
何となくかしこまって聞かないといけない雰囲気に、だまって背筋を伸ばして耳を傾ける。
「ミモザは発情期がきていたのね」
「ええっ!?」
驚くわたしをよそに、お母さんはわたしの目を見て淡々とつづける。
「発情期が始まった子を家に閉じ込めておけば、どこかで爆発するのは当たり前なの。だから、ミモザがヒューイ君のおうちに行ったのは当たり前なの。発情期の相手に断られたならともかく、告白もする前に会わせないのは下手すれば流血沙汰になっても文句はいえないの」
「ひ、ひぃぇえええ……」
告白させないと流血沙汰とか、どんだけデンジャラスなの……。
というか、わたしの発情期がヒューイ相手ってさらりとお母さんが言ったような気が……。
「ミモザを見ていれば発情期の兆候が出ているのは一目瞭然だったわ。だけど世間知らずなあなたが、そういう意志がないのに知らずにそういう行動をしていると思い込んでいたの。だから今回のこと、ミモザを追い込んでしまったのはお母さんとお父さん。ミモザもヒューイ君も何も悪くないの。わかる?」
わたしもヒューイ君も悪くないと言ってもらえて安心したけど、お父さんとお母さんが悪いっていうのは何か違う気がして素直にはうなずけなかった。
そんな思いが顔に出ていたのか、お母さんはくすりと笑った。
「まだまだ目覚めたばかりのミモザが子供のような気がして、……いえ。まだ子供でいてほしかったのね」
その言葉に顔が赤くなり、ついうつむいてしまった。
わたし、大事にされてるってことだね。
「そんなミモザが『疚しいことはしていない』って言うから、もうお母さんビックリしちゃった」
「ほ、本当のことなんだよ!」
「ミモザの言う、『疚しいこと』って、何?」
「え“!」
な、なんてお母さんに言えばいいんだ? え~っと……。
「……ふ、不純異性交際」
「それってなぁに?」
「え! う、う~ん……。……こ、婚前性交渉?」
「まぁ!」
まぁ!って言われちゃったよ! てか、実の母親にこんなこと言わされるなんて何この羞恥プレイ!
「ミモザの記憶だと、つがい……真のつがいになる前にそういうことするの?」
「はぁ、そんな感じです」
「そう……、それは凄いわね」
お母さんはため息をついた。
やだ、何のため息!?
「最初の方の発情期は身体ができていないからそういうことはできないの。成獣になって、真のつがいができてから初めてお互いの準備ができるのよ。いえ、逆ね。子供がつくれるほど身体ができたら成獣として真のつがいになることができるのよ」
お母さんの言う「できない」ってのは倫理的とか法律的なことじゃなくて、ニュアンス的に「物理的にできない」って意味なのかな?
「だって、発情期の子作りは一月続くから……」
そうでしたっ、そうでしたねっ!!
思わず赤くなる顔でぶんぶんと頷くと、お母さんは「そこは知っていたのね……」と呟いた。
ひぃやぁああああ! もうやめて!
「ミモザ」
「は、はい!」
「あのね、実際に愛し合うのは成獣になってからだけど、そういうのが今から気になるのは普通のことだからね。何も恥ずかしいことではないわよ?」
「はぃいいいいいいいい!」
もう顔から火が出てもおかしくないくらいに熱くてくらくらする。
おぉ、ヘタレ耳がピンとたってる!?
いっぱいいっぱいなわたしを見つめるお母さんの目が、なぜかすわっている。
「もうこの際ミモザが勘違いして苦しまなくていいように言うけどね、男の子の身体が気になったり触れてみたいと思ったり、成獣の営みを想像したり、それでモヤモヤして自分の身体をいじったりするのも、発情期がはじまったばかりの女の子としては当たり前のことだから、なぁ~んにも恥ずかしがることも後ろめたく思うこともないからね!」
もうわかったからやめてぇ~~~~っ!!