15話
「獣化したほうがまだ暖かいだろうが! 早く!」
「え? え?」
目を塞がれたまま状況が理解できずにぽかんとしているわたしに、なおも焦ったヒューイ君の声がとどく。
「早く! 凍死するぞ!!」
「は、はい!」
わたしは慌てて獣化した。もう獣化もお手の物で、苦労することなく犬の姿になれる。
剥き出しの肌が毛に覆われ、冷たい空気から身体を守ってくれる。
さらに全身を激しく震わせれば冷たい水滴が飛んでいき、寒さで激しく震えていた身体はすこし落ち着きを取り戻した。
ほっとしたようなため息が背後からきこえてふりかえれば、全身びしょ濡れの狼さんがわたしを見つめていた。
え~と、これはもしかしなくても、そういうことですか……?
なにか言おうと口を開いたら、狼さんに問答無用で首根っこを咥えられた。
頭が混乱しっぱなしのわたしは、気が付けば狼さんにくわえられたまま巣穴の前まで戻ってきていた。
雪の上に下されると、いそいで横穴にはいるように促される。
え~っと、狼さん。つまりあなたは……。
狭い横穴をまえに、つい後ろにひかえる狼さんをふりかえる。
狼さんはいつものごとく、さっさと入れといわんばかりにお尻を押してきた。
いやっ、ちょっと待って、ちょっと待って! いやぁああ、問答無用でお尻をおさないでぇええええ!!
身体がひえきっているせいか、巣穴に入るとまるで暖房が入っているように暖かく感じる。
じわじわと暖かさに身体がほぐれるのを感じながら、まだ身体に残っている水滴を舐めとろうと身をよじった。
「うひゃんっ!!」
いきなり狼さんに頭をなめられる。
身をすくませるわたしにおかまいなく、わたしについている雫をすべてなめとろうと狼さんがべろんべろん舐めてきた。
いや、今までも舐められた。それこそ全身べろんべろん舐められた。
今更になってなんで焦って変な声が出てしまうのか。
あぁ、そうだ!
今回は身体が冷え切っているせいか、狼さんの舌の暖かさがとくに生々しく感じてしまうからだ。
あぁ、そうか!
獣は身体に付いた雫をとるだけじゃなくて、冷えた子供の身体を暖めようと舐めることもあったような気がする……。
……うん、誤魔化すのはもうやめよう。
「きゃいん、きゃんっ! きゃんきゃん!」
わたしが考え込んで抵抗しないのをいいことに、べろんべろん舐め続ける狼さんに反抗して吠える。
狼さんは表情もかえずにわたしを不思議そうに眺めた。
あれ、わたしがおかしいのか?
あれ、狼さんって、彼じゃないのか?
べろんべろんに舐められてるこの状況って、おかしくないのか?
「う~っ、きゃんっ!」
あぁ、この犬の姿じゃ話ができない。
熟練したご年配になってくると獣の姿でも人の言葉が話せるようになるらしいが、今のわたしでは吠えることしかできない。
もどかしくなったわたしは、狼さんが静かに見つめる前で人化した。
天井はそこまで高くないので自然と四つん這いになる。
「も~っ、べろんべろん舐めるの、恥ずかしいからやめてよっ!」
「ギャイン、ギャインッ!!」
とたんに挙動不審になる狼さん。
いや、狼のヒューイ君。
そういえばよく挙動不審になる狼だと思ってたけど、あれ全部ヒューイくんだったんだよな……。
「もう! 吠えたって何言ってるかわかんないよ! ちゃんと言葉で言ってよ!」
「グルルルルゥゥ……」
狼ヒューイ君は困ったように唸り声を上げたあと、くるりと背を向けて壁際にいってしまった。
そのままわたしに背をむけてこちらを見ようとしない。
「何だよ、そんなに話をしたくないの……」
そこまで言って自分の状況に気が付いた。
素っ裸ジャナイデスカ。
わたしは間抜けな悲鳴をあげながら、狼ヒューイ君に背を向けて反対側の壁にぺたりと張り付いた。
慌てて胸と下を手で覆う。
おや、柔らかくてふにふにしていい感触……じゃない!
ギャー!! ヒューイ君に裸を見られたぁ!!
いや、おれは男だから恥ずかしがる必要なんてなにもないんだよな!?
いや、でもこの身体はまちがいなく女の子のもので……!!
「……こんな寒い中で人型になってると風邪ひくぞ。言いたいことがあるならさっさと言って」
パニックになっていたわたしに、ヒューイ君の声がとどく。
あれ、ヒューイ君もヒト型になった? と思わず振り返りそうになり「こっち見んなよ!」と慌てて付け足された言葉で必死に思いとどまる。
ってことはあれか。ヒューイ君もマッパか。
うっひゃあ、よく考えたらさっき川から助けてもらった時もお互いマッパだったわけだぁ。
あぁ、あのとき目を塞がれたのはそういうことかぁ。
そしてふと村でのヒューイ君を思い出す。
畑仕事で鍛えたヒューイ君の身体、さぞやひきしまったいい身体してるんだろうなぁ……。
あの大きくて男らしい手とか、若々しい筋肉に覆われた腕とか……。
「ひぃいいいいい!!」
もわもわと想像しかけた自分に気が付き悲鳴をあげてしまった。
い、今のは恋する乙女の妄想なのか、それとも無垢な少年少女を毒牙にかけようとする犯罪者な変態男の邪念なのか!!
いや、どちらにしても不味いだろ!!
「あの……何も話すことないなら寒いから早く獣化したいんだけど……」
「あ、あぁっ! ちょっと待って!! あ、あの。さっきみたいに身体を舐められるのは恥ずかしいからやめてほしいんだけど!」
背後からヒューイ君が戸惑ったのが伝わってきた。
人になればよけいこの巣穴は狭く、お互い手を伸ばせばすぐに届く距離だ。
気配も、息遣いもすぐそばにある。
「え? だって今までは普通にしてきただろ?」
「いや、だってまさか狼さんがヒューイ君と思わなかったから……。それにおかーさん狼だと思ってたから……」
「え……、俺だって気づいてなかったの?」
「う……」
背後で大きなため息が聞こえた。
「……どうりで。いやに素直に甘えてくれるなとは思ってたんだよな……。そっか、母親狼とか思われてたのか……ん? オスだってのもわからなかったのか?」
「う!」
なんて説明をしたらいいかわからずに言葉につまっていると、背中に焦れたようなヒューイ君の声がかけられた。
「……言わなきゃ後ろを振り返るぞ」
「ひゃぁあああ、ちょっと待って! 今言うから!!」
そして焦ったわたしは、挙動不審な狼だとドン引きしていたこと、母親になりたいオス狼なんだと思っていたこと、心の中で狼かーさんと呼んでいたことまで全て包み隠さずに暴露した。
巣穴にひびく大きなため息の音。
「……なんかごめん」
そのまま黙りこくってしまったヒューイ君に罪悪感を覚え、何がわるいのかよくわかってなかったがつい謝った。
「……いや、おかげで俺もおいしい思いをさせてもらったから、おあいこだな」
「そっか……。って、おいしい思い!?」
「うわっ、こっち向くな! も、もう寒さの限界だから獣化しようぜ!」
その言葉を最後に、背後から獣の息遣いが聞こえてきた。
……逃げたな。
確かに身体は冷え切っていて、いまでも外よりはましとはいえ冷気が身をむしばむ。
納得はいかないがとりあえず獣化した。身体を覆う毛が、瞬時に冷たい外気をシャットダウンしてくれる。
あぁ、やっぱ毛の力は偉大です。
身体に残る雫を舐めとり、濡れた毛を何度も舐めて身体が少しでもあたたまるように頑張ってみる。
ふと視線を感じて顔をあげると、狼さん、いや狼ヒューイくんが物欲しげな顔をしてじっとわたしを見つめていた。
「ぎゃふっ!」
もう舐めないでっていったでしょ!
わたしがそう思いをこめて吠えると、狼ヒューイ君は耳をぺたんと伏せてすごすごと引き下がった。
あらま、尻尾まで力なくたらんと下げちゃって!
もう、これだから男ってやつは! ……いや、わたしも中身はおとこだけどさ。
そうやって夢中で毛を舐めていたら、とつぜん首根っこを咥えられた。
「きゃん、きゃんっ!」
まだあきらめてないのか、と抗議して吠えると、雫の飛んでいない乾いた地面にの上に運ばれた。
そのまま狼ヒューイ君は有無をいわさぬ勢いでくるりとわたしをつつんで横になった。
思わず悲鳴をあげて身じろぎするが、やんわりと抑え込まれて動けない。
しばらくよじよじしていたが、じんわりと伝わってくる狼ヒューイ君の体温に、気が付けば身体の力を抜いて身を預けていた。
そっか、身体が冷え切っている時は身を寄せ合うのが一番だもんね。
そこでぽんこつな頭が勝手に、人型で身体を密着しあうわたしとヒューイ君の姿を想像してドッと変な汗が噴き出す。
そうだね、これが一番適切な方法だね……。
包み込むような暖かさにほっとする。
この感覚はもうわたしの中で馴染みのモノになっていることに気が付いた。
でもおかーさんじゃなかったんだよね……。
そこまで考えて、今まさにヒューイ君に抱きしめられているような状態になっていることを思いだし、かっと顔が熱くなって心臓が暴れ出す。
うっはぁ! やめろ、これ以上何も考えるんじゃない!
深呼吸をして平常心をもどそうとしていると、背中からも激しい鼓動をかんじた。
……ヒューイ君も緊張してんのか。
なんだかおかしくなって心のなかでこそっと笑う。
色気もへったくれもない状況なのに、なんで二人してこんなに意識しちゃってるんだろう。
耳にパタ、パタ、と軽い音がとどいて音のほうを見やる。
わたしに寄り添って寝そべっている狼ヒューイ君の尻尾が軽やかに上下し、地面に当たっては軽い音をたてていた。
違う、ヒューイ君は緊張してるんじゃなくて喜んでやがる!!
これだから男ってやつはっ!!