14話
「……はふっ、……はふっ、ふんっ!」
ほらあなに戻るとわたしは、いまだ暴れている狼さんのしっぽに何度もとびかかっては振り払われていた。
いっておくが、さっきみたいに我を忘れてはしゃいでいるわけではない。ちゃんと目的がある。
それは、特訓かつ体力づくりである。
吹雪いている中では無理だったが、さきほどのような好天なら村の様子を見にちょっと帰ることが出来る。
しかしここ数日のわたしは悪天候により外に出ることが出来ず、狭い巣穴のなかでダラダラとしていたためほとんど運動をしていない。
正直なところ村で家にこもっていた時の方が家事やらなんやらして動いていた。
くわえて狼おかーさんに甘えっぱなしのため、自然に生きる獣らしからぬポンコツぶりである。
さっきだって雪の中をはしゃいで(うれションの記憶は消去)まわっただけで体力がつきてしまった。
これではいけない。こんなことでは村にたどり着く前に行き倒れになってしまう。
そんなわけで特訓なのですが……。
「はひー、はひー、はひー……」
狼さんの尻尾が10往復しおわるまえに、私の体力はつきてしまった。
もうこれ以上動けません……、と息も絶え絶えに舌をだらりと出して地面にぶざまに横たわる。
情けないのと、吐きそうなくらいの疲労感におもわず涙がにじむ。
わたしに背を向けしっぽで相手をしていてくれた狼さんだったが、飛び掛かってくる気配がなくなったので不思議そうにこちらをふりかえった。
そしてへばっているわたしを見つけると立ち上がり、傍に来ていたわるように鼻をぺろぺろと舐めてくれた。
鼻がかわいちゃってきつかったの、おかーさんありがとう……。
狼さんはめずらしくすぐに舐めるのを切り上げると、しばしわたしを見つめたあと巣穴を出ていった。
そのしぐさは、「おかーさんが帰ってくるまでおりこうさんにお留守番してるのよ」と言っているように感じた。
うん、おかーさん。怖い狼さんが来てもドアをあけないで、いい子で待ってます。
へばったまま顔も上げずに、すでに姿の見えない狼かーさんに心の中で返事をする。
なんとなく間違っているような気がするが、頭が酸欠状態で働かないからもういいや……。
しばらく横になったまま休憩していると大分落ち着いてきた。
わたしは巣穴の中を見回す。
「……きゅ~ん」
狼さんのいない巣穴はとても広くて、寒々しく感じる。
あの黒い毛並みに顔をうずめてくるまれたい、おもいっきり匂いをかぎたい、暖かくてざらざらした舌でなめてほしい。
さみしいよ。
そう思った瞬間、へたれた耳が更にぺたんとなり、尻尾も力をなくしてしょぼんとなる。
狼さんの傍にいたくなって、わたしは横穴をよじよじと通って外に出た。
あいかわらず外はお日様が照り風もなくていい天気だった。
巣穴からさほど離れていないところにボスボスとついているたくさんの穴にちらりと目をやる。
おねがい、お日様。早くわたしのうれションのあとをきれいさっぱり溶かしてくださいっ!!
そうお願いをした後、巣穴からあまり離れていないところにマーキングをしといた。
狼さんをさがして迷ったとしてもここに戻ってこれるようにだ。
その前にそこらじゅうにさんざんまき散らしてはいるが、そこにはふれない、ふれない。
頭をあげてあたりを嗅ぐ。
犬化してはじめて気づいたが、雪のにおいってのは結構つよくて他のにおいをかくしてしまう。
ふんふんと一生懸命狼さんの臭いを探して嗅ぎまわるが、雪に邪魔されてなかなかたどれない。
「ぐぅぅううう」
悔しさと焦りからつい唸り声をあげて、雪の上にあるものを見つけた。
……狼さんの足跡がしっかり残ってら。
わたしは今まで必死こいて臭いを嗅いでいたのをごまかすように、狼さんの足跡をたどって勢いよく駆けだした。
狼さんは巣穴からそこまで離れていないところで見つけることができた。
だけどその距離ですら今のわたしには相当な負担で、狼さんから離れたところでぜーぜーとへたれこんで息を整える。
あと少しで狼さんの所にいけるのにぃ……。
だいぶ落ち着いてきたところで、遠目で見える狼さんがいつもと違う雰囲気をしているのに気が付いた。
何というか、ものすごい緊迫感を身にまとっているというか。
戸惑いながら見守っていると、狼さんが頭を低くしてそろそろと前ににじり寄りだした。
あ、獲物をねらってるんだ!
狼さんの目線の先には、毛づくろいをしてまったく気が付いていない様子の白うさぎがいた。
見守るわたしの心臓がなんだかバクバクしてくる。
「……っ!!」
狼さんは間合いを詰めると一気に跳躍し、見事に兎を捕えた。
耳につきささる兎の悲鳴に、思わず尻尾が股に逃げ込む。
目をそらすこともできずにいるわたしの目の前で、狼さんはそのままガツガツと兎を食べ始めた。
真っ白な雪の上に転々と散る赤が目に焼き付く。
呆然としていると狼さんはあっという間に食事をおえ、さっそうとわたしの前から去っていく。
あ、待って!
衝撃的な光景を見たためか、よたよたとする足を叱咤しながら慌てて追いかけた。
一度は見失った狼さんのすがたは、意外なところで見つかった。
雪解け水の流れる、身を切るような冷たい川の中にいた。
狼さんは頭から水をかぶってバシャバシャと水浴びをしている。
いくら毛に守られているとはいえ、あんなにビショビショに濡れたら寒いとかいうレベルじゃなくて痛いぐらいだろう。
ぼうぜんとしていると、狼さんは川からあがって雪の上で激しく身体を震わせて水を飛ばす。
そして自分の身体に鼻を寄せて何度もにおいを嗅いだ後、もう一度川の中になんの躊躇もなく飛び込んだ。
狼さん、血の臭いを落とそうとしてるんだ……。
狼さんの行動の理由におもいあたり、わたしは息を飲んだ。
あんなに冷たい水で死にそうな思いをしてまで水浴びをするのは、きっとわたしのためだ。
水浴びをつづける狼さんを見つめながら、涙がぼろぼろとこぼれてきた。
たしかに兎を食べる狼さんを見て衝撃をうけたが、あれが本来の自然な姿なのだ。
そんな姿を隠してまで、わたしに優しくしてくれる狼さん。
自分を犠牲にしてもわたしに優しくしてくれるその姿が、ヒューイ君に重なって何だが止まらなくなってしまった。
もういいよ、もうそんなことしなくていいよ! わたしはありのままの狼さんを受け入れるから! そんなに自分を犠牲にしてまでわたしに優しくしてくれなくていいから!!
わたしはたまらなくなって、まだ川の中にいる狼さんにきゃんきゃんと吠える。
狼さんはびっくりしたように動きをとめてわたしを見上げた。
狼さんに早く川から上がってほしい一心で、吠えながら川のへりまで駆け寄る。
ずるっと足元の雪がくずれ、一瞬何が起きたのかわからなかった。
わたしがいたのは川岸ではなく、積もって川にせり出した雪の上だったことに気づいた時には、わたしのからだはすでに足元の雪ごと川の中に落ちていた。
「ぎゃうん、ぎゃうんっ!」
高い所から落ちたせいで水の中に全身が沈み込む。
冷たい水に体温を奪われ、更に口の中に水が入って来てパニックになる。
自然と浮かび上がって顔だけが水面に出るが、流れる水に押されて再度沈み込む。
わたしは完全に溺れていた。
苦しいっ、冷たい! そ、そうだ。大きくなれば足がつくんじゃないか!?
わたしは必死になって水の中で人型になった。
「ひぃぃっ!!」
冷たい水の中でわたしは裸になっていた。
恥ずかしいとか思う余裕もなく、剥き出しになった肌が直接冷たい水にさらされる。
一気に体温を奪われ心臓がぎゅっと握られたように苦しくなった。
寒さで手足が固まったように動かなくなり、もがくことすらできなくなった。
しまった! これならまだ犬の時の方がましだった!!
そのまま悲鳴をあげることもできずに水の中に沈んでしまう。
人間て驚くほどの浅瀬でも溺れることができるんだ……。
そうだ、狼さんの目の前で人化しちゃったな。
狼さん、もうびっくりして逃げちゃったかもしれないな。
みんなの好意に甘えて、今度は狼さんを傷つけちゃったのか。
本当にわたしってダメなやつ……。
なんだか走馬灯のようにとりとめもないことが頭をよぎる。
ごめんね、みんな……。
そう心の中で呟いた時だった。
「ミモザァアアアア!!」
ものすごい力に抱きとめられ、一気に引き上げられて水面に顔が出た。
「げほっ、……うえっ! がほっ、げほっ」
肺に入った水で咳き込みながらも、酸素をもとめて喘ぐ。
そのままぐいぐいと川岸まで引きずられ、雪の上に倒れこんだ。
「げほっ……! さ、寒い!!」
素っ裸の身体に積もった雪がようしゃなく触れてびりびりと肌が痛い。
「ミモザ、獣化しろ!」
「へ?」
声の方をふりむけば、大きな手にいきなり目を覆われた。
「馬鹿! こっち向くな! いいからさっさと獣化しろ!」
あれ、この声……ヒューイ君!?




