1話
「あぁ! ミモザの目が開いたよ!! ミモザッ、ミモザ!! 母さんだよ!!」
目を開けると、見知らぬおばさんが俺の顔を覗きこんでいた。
寝起きに至近距離から叫ばれて仰天したし、そのおばさんが泣きながらまだ横になったままの俺にしがみついてきたからもう何が何だかわからない。
っていうか、ミモザって誰だよ。外国人か? 俺、どう見ても純日本人のはずだけど……。今俺にしがみついて泣いているおばさんは、髪の色が茶色で外国人顔だね。
と、今の状況に困惑して動けないでいると、
「ミモザちゃんの目が覚めたって本当かいっ!! 先生を連れてきたよ!」
「おおっ! 本当だ!! ミモザちゃんの目が開いとる!!」
「オルザさん呼んできて!! 畑にいるはずだから!!」
と、見知らぬ外国人顔の方がたがわっとどこからともなく俺の寝ている部屋にわらわらと入ってきた。
あれ? ここ、俺の部屋じゃない。
「ここがどこで、君が誰かわかるかな?」
俺がおばさんにしがみつかれたままきょろきょろしていると、眼鏡をかけた白髪のぽっちゃりしたおじさんが優しく話しかけてきた。
他の方々はおばさんをはじめものすごく興奮しているし、何か俺を見ては叫んだり泣いたりしているのでおじさんの落ち着いた感じが救いのように感じた。
「いやぁ、ちょっとよくわかんないっす……」
そう口に出して、目が覚めてからこの状況に流されていたが、そもそも何で俺は寝ていたのか思い当った。
「あ、俺。確かビルの屋上から落っこちたんだっけ……」
断片的に蘇る記憶。警備員の服を着た俺。ビルの屋上の端で何かを叫んでいる男。
そこから飛び降りようとする男を必死につかんで、床に投げ飛ばす。
その反動で空中に投げ出される俺。
そして身体に蘇るあの独特の浮遊感に、思わず身震いした。
「そう、君は木の実を取ろうとして、崖から落っこちた」
「は?」
ぽっちゃりおじさんは穏やかな笑顔を浮かべながら言った。さっきは救いに感じた笑顔に、途端に違和感を感じる。
いやいや、俺はビルの屋上から落ちたのであって、そもそも都会暮らしの俺は木登りをしたことすらないぞ。
ん? あの高層ビルから落っこちて生きてられるか?
「そして、10年間意識が戻らなかったんだ」
「はぃいいい?」
10年間寝たきりだったってことか!? なら、ん? 俺って何歳だっけ? あれ、よく思い出せない……。
「混乱してもしょうがない、今の君は14歳だよ」
「いやいやいや! よく思い出せないけど、確実にそれ以上は齢いってるでしょう!?」
「……ミモザ……?」
おじさんの言葉に思わず突っ込む。
何か変な空気になり、俺にしがみついていたおばさんも泣くのをやめて、不安そうな顔で俺の顔をじっと見つめている。部屋にわらわらといた人々もさっきまで喧しく騒いでいたのに、今じゃ顔を見合わせて何かひそひそ言ってる。
え、なに。俺が何か悪いの? そもそもミモザって何よ?
俺を囲む違和感に逃げ出そうかと思ったときだった。
「ミモザァアアアア!! お父さんだよぉおおおおおお!!」
「ぎゃぁああああああああああ!!」
部屋の壁がいきなり轟音と共に砕け散り、なんと、2mはあろうかという真っ黒い熊が立ち上がったまま凶暴なかぎ爪を振り回して部屋に飛び込んできた。
いっぱいいっぱいになっていた俺の意識は、そこでぷつりときれた。
「彼女の記憶は混乱している。それが当たり前なんだから、ゆっくりと今の状況を受け入れられるように周りが協力しないといけないね」
「つい興奮して……、申し訳ないです」
「いや、私もつい取り乱してしまって……」
おじさんと初めて聴く男の声、そして涙ぐんでいるさっきのおばさんの会話が聞こえて目が覚めた。
さっきの妙な空気を思い出し狸寝入りするかもう一度寝なおそうかと思ったが、何かおばさんのすすり泣く声を聴いていると居てもたってもいられなくて目を開けた。
身体を起こすと、さっき寝ていた部屋だった。
俺が寝ているこじんまりしたベッドと、小さな木のタンスとあとこまごましたものが置いてある簡素な部屋。よくわかんないがカントリー調というか、女の子が好きそうなお人形の家のような部屋だ。
あれ? 話している声はよく聞こえたのに、部屋には誰もいない。この小さな部屋じゃ大人3人が隠れるなんてムリだしな……?
不思議に思ってベッドから身を乗り出すと、肩口で髪の毛がさらりと揺れた。
はは、寝たきりだったから髪の毛も伸び放題ってか……。
苦笑いしながら髪の毛をひとふさ手に取った。
あれ?
…………何で茶髪? 伸び放題にしてはすっげぇサラサラでいい匂いがするんだけど??
そこで、どうして今まで気が付かなかったのか、体の違和感に気が付いた。
「あっるぇええええ!? 何で俺におっぱいついてんのぉおおおお!?」
白く清潔なワンピースのような服の上から、手にすっぽりおさまるほどのやわらかい双丘に気が付いて手を当てる。いや、思わず鷲づかみにした。
「ミモザ!! 気が付いたのかい!?」
泣いて腫れた眼で慌てて部屋の中に入ってきたおばさんと、俺は、自分の胸をわしづかみにした状態で再会しました。
あの衝撃的な目覚めから、はや数日が過ぎました。
俺、今ミモザという女の子として生活しています。
眼鏡のぽっちゃりおじさんで、この村のお医者さんが話してくれたことには、俺はミモザと言う女の子で、4歳の時に崖から落っこちて頭を打って10年間意識が戻らなかったのだそうだ。
俺が目が覚めたときにしがみついてきたのがミモザである俺の母さんで、今でも信じられないのだが、壁をぶち破って侵入してきたあの巨大な熊が俺の親父らしい。
なんと、この村は獣人という種族の村で、実は俺自身も獣人なのだ。
村には見た目は人間と全く変わらない人もいるし、頭に獣耳と尻尾が付いてる人もいるし、二足歩行の獣もいる。
獣の姿に近いほど血が濃く、いろいろな身体能力が人間よりも高いらしい。
生まれたばかりのときは獣の姿で、成長するにつれて自由に姿を変えられるようになるという。
昔は獣姿で過ごす方が粋だといわれていたが、今は人間に近い姿の方が流行りだそうで、若い人ほど人間と変わらない姿をしている。
ちなみに親父が熊で、母さんがアライグマ、そして俺は犬だ。二度目に目を覚ました時、隣の部屋の会話がすぐ近くに聞こえたのは俺が犬だったからだ。
熊とアライグマからどうして犬が産まれるのか理解不能だ。
親父も母さんも普段は人の姿で生活している。
ふっくらとして笑顔が愛嬌のある母さん、がっしりとした体格で真面目な田舎のおっさんって感じの親父。
俺が目覚めた日は取り乱して獣姿で暴走してしまったのだそうだ。
そして俺……。
自由に動けるようになった直後、まず湖に行って自分の姿を確認した。
茶髪のふんわりとしたショートカットに、髪より少し濃い茶色の犬耳があたまでへにょりと垂れている。
母さん似の愛嬌のある幼い顔は俺の感情をあらわすように情けない顔をしているが、翠の丸い目といいふっくらした頬といい、決して美人ではないがそこそこ可愛いといえる。
湖にはうつらないが、スカートの専用穴から出たふさふさでくるっと先っちょが丸まったしっぽもへにょりと垂れている。
別に犬耳しっぽ娘に萌えているわけではない。
引っこまないのだ。いや、引っこめないのだ。
俺は10年間意識がなかったせいで、獣人である自分の身体を自由に扱えない。
犬耳と尻尾が引っこまない代わりに、完全な犬の姿になることもできない。
今の時代は完全な人間の姿が流行ななか、そして粋な昔の人は二足歩行な獣姿のなか、ちょっと個性派で行きたい人やまだ小さくて自由に身体を操れない小さな子たちが獣耳と尻尾を生やしたなか、俺は自分で選べずに犬耳しっぽ娘でいた。
そして更に、いや、ここが一番重要といえるか。
俺はミモザと言う女の子の記憶がなく、男としての意識のまま犬っこ娘でいる。
だって崖から落ちたのが物心つく前だから、記憶がなくて当たり前っちゃ当たり前だ。そんでもって前世の男だった記憶が残っているのだが、その記憶すらも曖昧でしかない。死ぬ間際の映像の、成人の男で、警備員(自宅ではない)だったということだけだ。
そんな、ミモザとしても前世の男としての記憶もあいまいな俺だが、両親も村の人も暖かく受け入れてくれた。
そう、混乱していた俺はすべてを、ミモザの記憶なんて一切なく前世で男っていうか、今も自分が男としか思えないということを全て包み隠さずぶちまけてしまった。10年ぶりに娘の意識が戻って喜んでいる親御さんにだ!
後で冷静になってみれば自分でなんという鬼畜の行為をしてしまったのかとものすごく自分を責めた。
自分の心だけに秘めておくとか、もう少し徐々に小出しするとか、オブラートに包みながら誤魔化して伝えるとか、方法はいくらでもあったはずだ。
だが、俺の両親はすべてを受け入れてくれた。というか、10年ぶりに意識が戻ったんだから、そのくらいのこと気になんないよ!という感じだった。
それどころかそんな状況の俺のことをすごく心配してくれ、無理に女の子のようにふるまわなくていい、ミモザとして生きようとせず一番楽にしたらいいとまで言ってくれた。
そこまで言ってもらうと、俺はミモザとして、この両親の娘として精一杯生きたくなってしまう。
だから俺は14歳の女の子で、ミモザと言う名前で、この暖かい両親の娘として生きることを決心した。
いや、もちろん戸惑いとか違和感はバリバリある。小ぶりながら形も弾力もよい胸が自分のものであるとか、股間にぶらさがっていたものがないとか、その他いろいろ……。
今のこの格好だってスカートで、人前では自分のことを「私」って言ってみたり鳥肌が立ちそうになることもあるが、これも両親のためだ。
そんな違和感と戦いながらも、ミモザとして過ごしている数日のことだった。
「は、発情期ぃ!?」