名前を付けよう
何時間もかけて、弘は怪物の死体の解体を進めた。
怪物の表皮は頑丈で、素手や定規でどうにかできるレベルを超えていたが、頭部は既に肉の大部分がこそぎ落とされていたため、そこを取っ掛かりにして地道にはがしていった。
時には焚き火を利用して、表皮の部分部分を焼きながら分解していく。弘は汗だくになっていた。
できる限りの努力を尽くした結果、怪物の頭骨は丸ごと露出し、取り外せそうな状態となった。
弘は頭骨を両手でつかみ、両足を死体の肩にかけて、思い切り引っ張った。
ズボォ!
弘は勢い余って後方に転がった。
少し頭を打った弘は、頭をさすりながら半身を起こし、手元に残った物に目をやった。
どうやら無事に頭骨を取り出すことができたようだ。体組織の一部だろうか、細い繊維が何本か垂れ下がっている。
「脊髄までは無理だったか…」
頭骨と一緒に、脊髄やらの骨も取り出せればなお良かったのだが…
それでも、弘は一定の結果が出たことに満足していた。
頭骨は器に使えるだろう。さながら髑髏の杯を用いた武将のように。
仮に穴が開いていたとしても、ろ過装置に変えるならむしろ手間が省けるというものだ。
加えて、この頭骨から垂れ下がる繊維。これは、乾かせば紐の代わりになる。
一本一本は細く短いが、束ねれば頑丈になるだろう。
弘は歯と定規を用いて繊維をちぎると、焚き火の近くにきれいに並べた。
弘は取り出した頭骨を眺めた。あらためて、自分が立ち向かっているのが常識を外れた異形の生物であることを痛感する。
硬いボウルを二つあわせて、目と鼻の穴を開けただけのように見える無駄のないフォルム。びっしりと生えた歯は、触るだけで指が切れてしまいそうなほどだった。
「そうだ。この歯…」弘はひらめく。
この鋭い歯は刃物の代わりになる。
そのままでもナイフとして使えるし、棒にくくれば槍にもなるだろう。
弘は自分が傷つかないよう、石とティッシュと布を使って慎重に頭骨から歯を取り出していった。
数時間かけた解体作業の結果、弘が手に入れた道具は以下の物になる。
・怪物の頭骨
・怪物の歯数十本
・繊維数本
繊維が乾くのを待って作業を再開しよう。弘はそう考え、食事をとることにした。
解体の際についでにとっておいた肉の塊を焼いて、食べる。
最初はその味に感激したこの肉だが、流石に連続して何度も食べると飽きが来る。以前は気にも留めなかったような、舌触りや臭みなどのまずさがはっきりわかるようになってきていた。
だが、他に食べられるものなどない。元の世界に帰還できるその日まで、贅沢など言ってはいられないのだ。
黙したまま肉をかじる弘。その頭の中では、先程の女性が最後に残した言葉がぐるぐると回り続けていた。
【私はラ=ヴィア。健闘を祈ります ヒロシ】
「非日常」としか言いようのない状況で行われた、ただ「お互いに名乗る」というだけの「日常」の行為。
これがどれだけ弘を救ったか。
弘は思わずにやけながら、壁の隅で肉をかじる獣に向かって語りかけた。
「お前にもつけてやろうか?名前」
獣は全く反応しなかった。まさか自分に話しかけているとは思っていないのだろう。
弘も返事など期待していないので、一方的に会話を続ける。
「そうだな、お前は…火を吹くから、『ヒョットコ』だ」
完全なるフィーリングであった。
「よろしく頼むぜ、ヒョットコ」
実はメスなのに「火男」などという名前をつけられたことなど露知らず、ヒョットコは小さくゲップをした。
いい機会なので、弘は今まで出会った怪物たちにも名前をつけることにした。
「でかい化け物は『手長甲竜』、小さいのは『赤錆竜』、そこの奴は『絶壁ゴリラ』だな」
同じくフィーリングで、適当に名前をつけていく。
どうにも間抜けな名前だが、これはこれでなかなか理にかなった行動であった。
「名づける」ことで未知の怪物たちを既知のものに変え、彼らに対する恐怖をやわらげるのである。
無論、弘がこんな事をしたのは単なる気まぐれであり、そのようなことは意識してもいなかったのだが。
食事が終わったので、弘は乾かしていた繊維の様子を見た。
思った以上に縮んでしまったが、強度は問題ないだろう。
まずは、これを結わえて縄を作ろう。
弘は本腰を入れて「武器」の作成を始めた。