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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Case-book.1―Chasing Evidence―
8/72

Chase.7 ヴァレンクヴィストの攻防【後編】

(くそ……!)

 ティオゲネスは、その整った顔立ちに似合わぬ悪態を脳裏で吐いて、軽く舌打ちする。

 いつの間にか、二人を囲むように、何人もの男達が狭い路地に集まって来ていた。

 後ろに、倒れた男を含めて五人。前に、オールバックの男とその後ろに四人。倒れた男は戦力にならないとしても、九対一では分が悪すぎる。

 ティオゲネスは咄嗟に壁を背にした。壁と自分の背の間にエレンを挟み込むようにして庇いながら左右を見渡すが、蟻の這い出る隙間もないとは、正しくこのことだ。九名全員が、荒事に長けているのがイヤでも分かる。

 事実上リタから貰った拳銃も、残弾は恐らく少ない。全員一発で仕留められればそれでいいが、弾で貫かれるまで相手が大人しくしていてくれる筈がない。動かない練習用の的とは違うのだ。

 それでも、自分一人なら絶対に生きてこの場を離脱する自信があるが、エレンを連れては難しい。

 誰かを守りながらの戦い。それは、ティオゲネスがこれまでに経験したことがないものだった。けれど、自分一人ならどうにかできるのにと思いながらも、エレンを切り捨てるという選択肢はティオゲネスの中にはなかった。

 切り捨てるのなら、最初にリタと遭遇した時に、一人でさっさと逃げていただろう。それも、USBは持たずにだ。

(もう、切り捨てない)

 自分が助かる為に、仲間を見殺しにした苦い後悔は、一度味わえば沢山だ。

 確かにエレンは最高に鈍い。

 お人好し過ぎて、どんな時でも真っ直ぐに『正義』を貫こうとする姿は、一瞬の判断が生死を分ける場所で生きていたティオゲネスには、キレイゴトとしか映らないこともある。その性分故に面倒事を抱え込むのを見ていると、苛立つことも度々だ。

 だからと言って、彼女を嫌いなのかといえばそうではない。

 彼女の傍は、冬場の陽だまりのように温かくて、口にしたことはないけれど、居心地が好い。いつしか、彼女の傍にいることが当たり前になっていた自分を、ティオゲネスは認めない訳にいかなかった。

 ここで彼女を見捨てたら、『あの日』と同じ後悔を繰り返すことになることも。

(どうする……!)

 唇を噛み締める。

 向かって右手の四人を仕留めるのに五秒。その隙に後ろから撃たれて、ジ・エンド。

(ダメだ、無理だ)

 なら、どうする。

 考えろ、考えろ、考えろ。

 その時、声も出せずに怯えるように自分の背中にしがみついていたエレンが、微かに、ティオゲネスにだけ聞こえるほどの小さな声で名を呼んだ。

「……もう、いいよ」

「何がだよ」

「ティオだけなら、多分逃げられる。あたしは……あたしがいたら二人共……」

 ティオゲネスは、再度舌打ちした。

 彼女は確かに鈍い。鈍いが、肝心な時に限って空気の読めないバカでもない。厄介なことに。

 いっそ本当に命の懸かった時の空気も読めないくらい、底なしに鈍かったら、遠慮なく見捨ててやれるのに。

「いいから、黙ってろ」

「でも、」

「何だ、どうやって逃げ出すかの相談か?」

 黒ずくめの男が、こちらの会話を聞きつけたのか、クスリと小さく笑った。

「だが、残念。タイムアウトだな」

 いつの間に抜いたのか、男の手には銃が握られていた。その銃口が、僅かな躊躇も容赦もなく、自分達に向けられる。

 男の指が引き金を絞るより先に、ティオゲネスが動いた。

 背負っていたデイパックを素早く両肩から外し、チャックを開けてから男に投げ付ける。中身がてんでに振り撒かれながら、男に向かって飛んだ。決定的なダメージには繋がらないが、一瞬の隙ができればそれでいい。

 同時に、握ったままだった銃を右手にいた男達に向けて、連続で引き金を引いた。

 放たれた四発の弾丸の内、二発は過たず手前にいた男二人に命中した。その二人が悲鳴を上げてその場へ崩れる。狭い路地では二人ずつしか並べない為、後ろにいた二人は難を逃れたが、倒れた二人に気を取られ、一瞬ティオゲネスから視線が逸れた。

 素早くエレンの手を引いて、倒れた二人の男を遠慮なく踏み付けながら無事な男達に突進する。エレンは多少躊躇してどうにか避けて通ろうとしていたが、それこそそんな上品なことはしていられないとばかり、彼女の手を強く引く。

 たたらを踏むようにしてやむを得ず二人の男を踏み越えてついて来るエレンの手を引いたまま、向かって右にいた男の鳩尾に蹴りを入れながら、左手にいた男に向けて引き金を絞った。

「ティオ!」

 エレンの声に引かれるように視線を後ろへ向けると、黒ずくめの男の持つ銃口が火を吹いたのが見えた。

 咄嗟に左手で手を引いていたエレンを前方に突き飛ばすようにして押し出し、自分は男に向き直る形で半回転する。瞬間、右肩に思い切り押されるような衝撃が走って、体勢が崩れた。

 先に突き飛ばしておいたエレンが、倒れずにいるとは思えなかった。迂闊に転倒すれば、彼女を下に敷くことになる。背後に倒れることだけは避けようと、無意識に掴まるものを探して手を泳がせた。

 手に触れた雨どいの柱に指先を引っかけて、足を踏ん張り体勢を立て直す。

「ッ……!!」

 途端、反動で右肩に激痛が走って、ティオゲネスはその整った顔を苦痛に歪ませた。

 右肩が熱い。恐らく弾が当たったのだろうが、今この場で傷口を確認するような真似はしない。

 男の銃口が、容赦なく次の弾丸を吐き出した。相手の指先が引き金を絞る刹那を見極めて、壁へ張り付くようにして飛んでくる弾を避ける。そうしながら、左手に銃を持ち変え、丸で追跡するようにこちらを向く男の銃口が次の攻撃に移る前に自分も引き金を絞った。

「わっ……!」

 苦痛の叫びを上げたのは、黒ずくめの男ではなかった。勿論ティオゲネスでもない。黒い男が自分の背後にいた仲間を咄嗟に自分の前に引き寄せて盾にしたのだ。

 何度目かで軽く舌打ちするが、ティオゲネスは動揺を意識の外へ追い出すよう努める。過去に自分も経験があることだ。仲間を平気で犠牲にする男を責める資格はないし、動揺は隙を生む。

「ゃっ……!」

 そのタイミングで、背後から小さな悲鳴が上がった。

 反射的に振り返った視線の先で、エレンのスカートの裾と足が路地の奥へ消える。

「くそっ……!」

 追おうと踵を返したティオゲネスの上腕部を、銃声と共に熱が掠めた。

 銃口を後ろに向けて、闇雲に連続で引き金を引きながら走る。

「あっ……!」

 角を曲がる直前、相手の放った弾が左ふくらはぎにまともに当たって、ティオゲネスは横様に転倒した。地面に縋るように這いながら、どうにか相手の死角に自分の身体を納めるが、痛みのあまり声も出ない。

「立てるか」

 静かな声音が降って来て、ティオゲネスは必死で目を上げた。そこにいたのは、敵らしき男ではなく、見覚えのある顔だ。

 金茶色の髪を持つ三十代半ばの筈の男性は、爽やかを絵に描いたような所謂イケメンだが、切れ長の目元に収まった丸くてやや大きな琥珀色の瞳が、容貌を年より幼く見せている(実際、就職したばかりの新人と度々間違われているらしい)。

 その男性の背後で、エレンが不安と心配をない交ぜにしたような表情で、眉根を寄せていた。

「ラ、ス……?」

 痛みに喘ぎながらも、相手の名を口に乗せる。

 男性は、ラスこと、ラッセル=ギブソン刑事その人だった。

「何、で」

「しっ、いいから話は後だ。行くぞ」

 言われて無言で従おうとするが、既に右肩と左足が言うことを聞かなくなっている。

 見兼ねたらしいラッセルが、「少し痛むぞ」と短く断りを入れると、傷を負っていない左手を取って、負ぶさるように促した。無意識に相手の背にしがみつくと、ラッセルがティオゲネスの身体をしっかりと負ぶい直し、エレンを伴って走り出す。

 揺すり上げられた動きとラッセルが一足踏み出すごとに伝わる振動が、彼の予告通り傷に響いた。正直『少し』どころの騒ぎでない痛みが一足ごとに傷口に集中するが、歯を食い縛ってやり過ごす。

「何で……あそこが、判った?」

 先刻の戦闘現場から少し離れたと思えた頃合いを見計らって、ティオゲネスはラッセルに話し掛けた。

「おれは、殆ど駅からお前らの後ろに張り付いてたんだよ。多分、おれが一番近くにいたと思う」

 周り殆ど全部おっさんで、おれ、結構若い方だし? とおどけるように付け加えて、ラッセルは続ける。

「でも、強そーなお兄さん達が路地の入り口がっちり固めてただろ? 銃声がした方向から割り出したけど、違う場所から回り込むのにちょっと時間食ってな。助けに入るのが遅れて悪かった」

「じゃあ、さっきの、連中は」

「CUIOじゃない。何者かは判らんが、今頃は他の連中に取り押さえられてんじゃねぇか」

 『他の連中』というのは、CUIOの他の刑事のことだろう。

「すぐ……CUIOの、本部へ……向かって、くれ」

 脂汗が流れて、息が上がる。その所為か、不自然な箇所で言葉が途切れた。

「それはいいが、その前に聞かせろ。何があった?」

「何、が……って……」

 目眩がしてきた。自分が何を口にしているのか、よく分からなくなってきている。

 ふと油断すれば遠退きそうな意識を、痛覚が繋ぎ止めているというのも皮肉な話だ。けれど、頭に霞が掛かっているようで、現実が遠くなっているのも確かだ。

 話し掛けられる内容は理解できても、右から左へ通り抜けていく錯覚に陥る。それも耳から入ってくるのではなくて、頭の後ろ半分くらいから入ってきて素通りしていく感覚だ。

「話なら、あたしがします」

 そこでエレンが、普段の『ポエ~ン』とした様子からは程遠い、しっかりとした口調で割り込んだ。

「君が? えーっと、何だっけ、名前」

「エレン=クラルヴァインです。あたしが見た限りのことでいいなら、あたしが話します。だから、ティオの傷の手当てを先にお願いします」

 ラッセルは一度足を止めて、エレンの顔を見た。

「……な、ヒマ、……ねぇだろ」

 ラッセルが足を止めたのを感じて、ティオゲネスは早く行けと彼をせっつく。

「あんた……今、一人、じゃ、ない…ん、だろ。俺、達は……追われてる、筈、だ。……お仲間は…信用、できん……のか」

 ギク、と微かにラッセルの身体が強張るのが解る。

 逡巡は一瞬で終わったらしく、程なくラッセルは再び歩き始めた。

「ギブソン刑事!」

「ラスでいいよ、エレンちゃん。どの道、ここじゃ落ち着いて手当はできない」

「でもっ」

「なるべく急ぐから、黙ってついて来て。いいかい?」

 焦れたように抗議の叫びを上げたエレンに、ラッセルが優しく、だが、有無を言わせない口調で言い諭す。エレンがどんなリアクションをしたのか、ティオゲネスには分からなかったが、その後会話が続かなかったところを見ると、彼女も了承したのだろう。

 暫くは路地裏を移動したようだった。

 と言っても、自分で歩いた訳ではないティオゲネスには、周囲の様子からそう判断するしかない。が、何となく表通りのものと思える喧噪が、ワンクッション置いた場所から聞こえるように遠かった。

 ティオゲネスとエレンは、悲しいかな、この年にして見事にお尋ね者だし、更にティオゲネスの方は、右肩と左ふくらはぎから派手に血を流している。注目を避ける為の、ラッセルの判断だったのだろう。

 しかし、いくらも行かない内に、今度はラッセルの同僚と鉢合わせてしまった。

 背後から名を呼ばれて、それこそ一瞬ガッチリと硬直したラッセルは、逃げるべくダッシュを始めるべきか否か、本気で真剣に悩んだようだったが、結局それをしないで身体の向きを変えた。

「ラス……さん」

 こんな時まで、年上には敬語を使うべし(ティオゲネスに関しては既に諦めているらしい)というポリシーを持つエレンは、明らかに愛称と思える呼び名に敬称をつけるべきか否か、やはり真剣に悩んだと思える間が空いた末に、『さん』付けで不安げに彼の名を呼んだ。

「探したんですよ、ギブソン刑事! あれ……その子達は?」

「おれの弟と妹」

(嘘吐け!)

 ティオゲネスが(恐らくエレンも)心の中でツッコミを入れたのも無理からぬことだろう。

 三十代半ばと年齢の割れているラッセルと、どう多く見積もっても十代半ばを越えないティオゲネスとエレンの間には二十歳も差がある。せめて、息子と娘にしておけば不自然でなかったかも知れないが、咄嗟の嘘にも程がある。

 案の定、後から来た若い(かどうかは、ラッセルの背に負われて、しかもぐったりと目を閉じた状態のティオゲネスは直接見ていないので分からないが)刑事も怪訝としか言えない声を出した。

「ギブソン刑事の……兄弟いらしたんですか?」

(気にするとこ、そこか!)

 再度、ティオゲネスのツッコミが入ったのは言うまでもない。

「それより急いで下さい。予定外の捕り物があって、現場がてんてこ舞いなんですよっ」

 自分の疑問は軽くスルーした刑事が、さっさと踵を返すのを見て、思わずホッとしたのも束の間、その刑事はハタと思い当たったようにティオゲネス達に向き直った。

「あのー。間違ってたらすいません。その子達って、もしかして、手配のあった子供達じゃないんですか?」

 ティオゲネス、エレン、ラッセル三人全員の呼吸が一瞬止まった。

 やがて、詰めていた息を吐き出しながら、ラッセルが小さくティオゲネスに問うた。

「――……おい、どうするよ」

「……手負いの、ガキに、…決断、させるか、フツー……」

 言いながらも、左手に握ったままだった銃口を、若い刑事に向ける。

「あー、お兄さん。ちょーっと…視界、霞んでっから……もしかしたら、外すかも」

「「え」」

 若い刑事とラッセルの声が重なった。

「ちょっと、ティオ!」

 エレンも焦って小声で制する。

 言わんとするところは、『外したら関係ない人に弾が当たるかも知れないのよ、どうするの!』だろうが、本当に後がないのだ。

「だってよー……何だか、俺達…知らない内に指名手配犯に、なってる、んだぜ? だーれも…信じてくれなきゃ……逃げるしか、……ねぇじゃん」

「――……やっぱりお前らは巻き込まれただけなんだな」

「……多分、な」

 数瞬息を呑むような沈黙の後、確認するように問うラッセルの声に、短く頷く。

「何か、ねぇのか」

「何か、って?」

「リタから何か聞いたとか」

「それが……あったんですけど、ついさっき」

「ある」

「って、えぇーっ!?」

 ついさっき、見るからに悪そうな男に踏み潰されました、と続く筈だったエレンの言葉の途中で、ティオゲネスが割って入る。

 返答を遮られたエレンが、素っ頓狂な声を上げた。

「ちょっと、ハッタリも大概にしてよ! たった今さっきなくなったじゃないのっっ!!」

「……そうなのか?」

「はい。さっき、黒ずくめの男に踏み潰されて……きっとティオ、怪我の所為で混乱して」

「するか…っつの。マジで、あるから」

 ラッセルだけでなく、見知らぬ刑事の方も困惑しながらも、ティオゲネスを注視する。

「それで?」

「え、おれ?」

 話を振られたラッセルは、混乱したように自分に話し掛けられたのかどうかの確認を取った。

「そう、あんた。……訊く、からには…勝算、あるんだろうな」

「勝算って」

「証拠……あれば、俺達の…嫌疑は晴らせる、んだろう、なって……訊いてんだよ」

 ラッセルは、少し考えるように沈黙したが、「内容によっては多分な」と答えた。

「リタは……本部の本部長か…副本部長の、とこへ……行けって、言ってた。ガーティン……リヴァーモア…ギールグット……支部は、信用、できねぇ……って」

 再度、ラッセルは思考に沈んだように押し黙る。彼の中で何が渦巻いているのか、ティオゲネスには分からない。

 しかし、彼が沈黙していたのは、やはり数瞬の間だった。

「分かった、行こう。エレンちゃんも」

「い、行くって、どこへ行くんです!?」

 慌てたように引き留める言葉を発したのは、見知らぬ刑事だ。

「本部だよ。おれも最初は本部の本部長に会う為に出向許可を貰ってたんだからな。アポも取ってあったし」

「だ、だからって……彼らを捕獲した以上、指揮官に……今この場の指揮官であるベルリヒンゲン警部に届けるのが義務じゃないんですか!? 第一、この二人が手配されて、貴方も捜査班に加わった以上、当初予定は既に変更されてる筈でしょう!? 本部長だって承知の筈ですよ!」

 見知らぬ刑事の言い分は、公平に見ればいちいちもっともだった。もし、本当に手配中の犯人が凶悪犯ならそうするのが筋だろう。

 けれど、リタが、死ぬ間際に言い残したことは、それなりに意味がある筈だ。彼女が信用できると言ったのだから、恐らく本部長と副本部長は信用できる人物なのだろうとティオゲネスは思っている。

 ラッセルが、そこまで考えているかどうかは分からないが、上の命令に刃向かってでもティオゲネス達を庇おうとしてくれていることは理解できた。

「ティオ」

 どうするのかと思った矢先、不意にラッセルが自分の名を呼んだ。

「何」

「撃っていいぞ、こいつ」

「「えええっっ!?」」

 仰天して叫んだのは、『撃っていいぞ』と言われた本人と、エレンだ。

「な、な、何考えてんですか、ギブソン刑事!」

「そ、そうですよっ、そんなコト……!」

 実行に移したらどういう結果になるか、想像するほどの経験がないエレンは、最早その先を言葉にすることはできなかったらしい。恐らく、また陸に打ち上げられた魚になっているのだろう。

「だって、お前らが手配された時点で、CUIOは恐らく全部敵に回ってる筈だろ? それでも、本部長に直接その証拠とやらを提示できれば、起死回生の望みはある。けど、多分ベルリヒンゲン警部も恐らく『あっち側』、つまりお前らを手配した誰かに取り込まれちまってて、宛にならない。なら、邪魔が入らない内に本部に行って本部長に直訴するしかない。邪魔する連中は排除してでもな」

「へぇ」

 脂汗を流しながらも、感心したように、ティオゲネスがうっすらと笑った。

「珍しく、意見が、合うじゃねぇか」

「珍しいって?」

 ティオゲネスからは見えない角度に向いている顔の中で、ラッセルも唇の端を軽く持ち上げる。

「甘く見て貰っちゃ困るな。こう見えてもユスティディア北部出身の元ストリートチルドレンだぜ?」

 一瞬の判断が生死を分ける過酷な世界で生きていた者に、共通する何か。ティオゲネスがラッセルに気を許してもいいと思えたポイントは、そこにあった。

「今は、中年オヤジ、だけどな」

 クツ、と笑いをこぼしながら言うと、誰がオヤジだ、と軽口が返ってくる。ティオゲネスは重くなった左腕を、改めて上げて照準をもう一人の刑事に合わせた。

「外したら……責任、取って、くれんだろ?」

「正直取りたくねーんでな。できれば黙って行かせてくれねぇかな、ゲーペル刑事?」

 霞んだ視界の向こうで、ゲーペルと呼ばれた刑事が、棒立ちになっているのだけが分かる。多分、彼も陸に打ち上げられた魚よろしく口をパクパクとさせているのだろう。

「それこそ、勝手は許されないぞ、ギブソン刑事」

 ゲーペル刑事の横合いから声が掛かる。壁の陰から姿を現したのが誰だったのか、ラッセルの頭が邪魔でティオゲネスには見えなかった。が。

「やあ、また会ったね、ミズ・アマーリア=クラルヴァイン?」

 後から現れた男がそう言った途端、エレンが息を詰めた。

「ジークムント君はどうしたのかな。血が出ているじゃないか。手当しがてら話を聞かせて貰ってもいいと思うが、どうかな、ギブソン刑事」

 ティオゲネスも内心で舌打ちした。

 相手は、ナバスクエス駅の手入れで出会した、あの刑事だ。

 咄嗟に名乗った偽名――と言っても、ジークムントは本名の中のものだが――をよくまあ覚えているものだ。

「ラス」

 ティオゲネスは、ラッセルにだけ聞こえるように耳元で囁く。

 ラッセルは、おもむろに身体ごと右横を向いた。彼の頭の陰になっていた刑事の姿が、ティオゲネスの視界に露わになる。

 ともすれば、痛みで散漫になりがちな意識をどうにか掻き集めて目を凝らす。後から来た刑事の手元に、四角いものが見えた。携帯端末だ、と認識した瞬間、ティオゲネスは前触れなく銃口を上げて狙いを定めた。引き金を絞る。痛む肩を叱咤して、反動で吹っ飛ばないようにラッセルの背にしがみつく。

 銃弾は、ナバスクエスであった刑事の取り出した端末に命中し、突然上がった銃声に通りを行く群衆からどよめきが上がった。

「走れ!」

「来い、エレン!」

「えっ……ええっ?」

 回れ右で踵を返すと、ティオゲネスを背負ったラッセルが走り出す。エレンも泡を喰ったように目を白黒させたが、慌てて彼に続いた。

「逃がすな! ゲーペル刑事、応援を要請しろ!」

「あっ……は、はいっ!」

 端末を撃ち抜かれた刑事は、身体は無事だったらしく元気よくゲーペルに向かって指示を出す。反射で返事をすると、ゲーペルは「誰か、地元の警察に連絡をお願いします!」と叫び様、ラッセル達の後を先に追っていく刑事に続いた。

「ベルリヒンゲン警部! こちらゲーペルです! 被疑者二人を発見、追跡中! 応援を頼みます!」

「いやあぁ、あんなコト言ってるぅう!!」

「そりゃ、まあ、言うだろうよ」

「だろーよじゃないわよーっっ! 一体誰の所為だと!」

 突き詰めるとお前の所為だよ、とティオゲネスは余程言ってやろうかと思った。が、そうしたところで解決にはならないし、出血がひどいのか、もう言葉を発するのも億劫だった。痛覚がそろそろ麻痺して来ている。考えれば、ここまで止血もせずにいたのだ。そろそろ危ないのかも知れない。

「なあ、ラス」

「何だ」

「俺……そろそろヤバい、かも」

「何が」

「血……」

「血?」

 ラッセルは、言われてティオゲネスの左足を見た。そして、思わずギョッと瞠目する。

 ティオゲネスの左足ふくらはぎから、尋常でない量の血が流れている。確かにまずい。

 どこか――どこか隠れられるところがあれば。

「いたぞ、こっちだ!」

「げっ!」

「ラス、……あんた、土地勘って?」

「ねぇに決まってんだろ!」

 GPS機能は偉大だ。

 まるで吸い寄せられるように、次々と刑事が集まってくる。

 路地裏の狭いところで完全に追い詰められた三人は、足を止めざるを得なかった。


***


「さて、よくやったギブソン刑事――と言いたいところだが、なぜ彼らと一緒になって追い詰められているのか訊きたいな」

「さて、何ででしょうねぇ」

 野太い声が近付いてくる。その声に(あつら)えたように厳つい顔も一緒にだ。

「言葉遊びはいい。彼らを連れて戻るぞ。それと、君も取り調べを受ける覚悟はしておくように」

「一応訊きますが、どこへですか?」

 ラッセルが、吐息と共に訊くと、

「ギールグット支部だ」

 と当然のように答えが返る。

「理由をお訊きしても?」

「今回の件の総指揮権は、本来はガーティン支部の支部長にある。被害者はガーティン支部の刑事だからな。だが、支部長は支部を迂闊には離れられず、代行として副支部長がまずギールグットへ出向している。そういう訳で、捜査本部はギールグットが代行しているも同然だからだ。他に質問がなければ行こう。その少年も早く手当する必要があるだろう」

「分かりました」

「ラスさっ……!」

 エレンが口を挟もうとするのへ、ラッセルは目線だけで制した。考えがあるのだろうと、エレンは口を閉ざす。

「でも、その前に、本部長に連絡取ってもいいっすかね?」

「何?」

「ここへ来る道すがら、お話しましたよね? リヴァーモアの方へ要請貰ってこっちに寄越されるコトになったのがおれだって。その時、ヒューン警部が言ってたんすよ。本部にもこの件の捜査の了承は取ってるってね。なら、本部が関わるくらいの大きな事件の筈でしょ。何でこんな未成年のガキ追い回さないといけないのか、捜査の現場に伝わってないっておかしくないっすか?」

「何でも何も、リタ=クラーク刑事の殺害に関わっていると」

「この子らは何もしてないって言ってますけど」

「真犯人が素直に『やりました』なんて言う筈ないだろう」

「いくら西の大陸(ギゼレ・エレ・マグリブ)管轄下とは言え、一支部に勤務する一刑事の殺害事件の解決に、本部が関わるコトの方がおかしくないっすかって訊いてんすけど」

 ベルリヒンゲン警部は、言葉を呑んだように口を噤んだ。

 確かに、ラッセルの言う通りだ。

 少なくとも、常時なら殺された刑事の勤務する支部内で解決すべき事柄で、本部に連絡するとすればせいぜい事後報告くらいのものだろう。

「じゃ、この場で本部に連絡しますけど、構いませんね?」

「……好きにしろ。但し、スピーカーフォンでこの場の全員に聞こえるようにな」

「へいへい」

 ラッセルは、ティオゲネスを一旦地面へ下ろすと、懐から端末を取り出して操作した。程なく呼び出し音がその場に鳴り響き、やがてその音が途切れる。

『はい。こちら、CUIO本部、ベルチエが承ります』

「あー、こちら、リヴァーモア支部のギブソンっす。今日、本部長に面会のアポ取ってたと思うんですけど」

『ギブソン刑事ですね。お待ち下さい。照会致します』

 暫く何かを操作する合間の沈黙が続いた。

 ややあって、再度ベルチエと名乗った女性の声が告げる。

『お待たせ致しました。ラッセル=ギブソン刑事、確かに午後二時に本部長と面会のアポ、承っております』

「急で悪いんすけど、本部長、今本部にいます?」

『少々お待ち下さいませ』

 今度は保留の音楽が流れた。

 さっきよりも長く待たされた末に、再びベルチエの声が響く。

『お待たせ致しました。おられます』

「繋いで貰うコトってできます?」

『火急のご用件でしょうか?』

「もの凄く急いでます」

『少々お待ち下さいませ』

 こうして三度待たされた末に、ようやく本部長本人が電話口に出てきた。

『やあ、待たせたね、ギブソン刑事』

「いえ。こちらこそ、無理を言って申し訳ございません」

『いや。今日アポを取っているのに、それより前にわざわざ連絡してくるなんて、よくよくなのだろう。用件を聞こう』

「はい。実はリタ=クラーク刑事の一件で確認したいことがありまして」

『リタ=クラーク刑事の?』

 本部長の声のトーンが、訝しげに跳ね上がった。

「はい。ガーティン支部からそちらに連絡が行っていると伺っているのですが」

 しかし、次に本部長の口から出たのは、意外な一言だった。

『クラーク刑事がどうかしたのかね』

 その場で聞いていた全員が目を剥いたのは言うまでもない。

「……何もご存じない?」

『クラーク刑事は、諸事情でガーティン支部に昨年から出向している。先日も定期連絡の時に、近々こちらに来る予定だと話していた。その後連絡がなくて心配していたのだが……』

 ラッセルは、一つ深呼吸すると訊ねた。

「それは、……最後の連絡があったのはいつ頃のことでしょうか?」

『二週間ほど前になるかな』

 その場は完全に静まり返った。

『では、今度はこちらの番かな。クラーク刑事に何かあったのかね』

「……殺されました。昨日の話です」

『何!? それは本当か!?』

「はい。そのことで、ガーティン支部の副支部長・ヒューン警部が、そちらにも捜査のことはお話しているからと仰っていたのですが」

『いや、ガーティン支部からは何の連絡もない。それで、犯人は? 捜査に進展はあったのか?』

「今は、恐らく無実の子供二人が犯人として手配され、追われています。その二人が何か知っているものと」

『分かった。残念だが、私は本部を離れられない。副本部長を総指揮に任命してそちらへ向かわせよう』

「いえ、それには及びません。子供二人は保護しました」

『本当か』

「はい。これからすぐに本部へ連れて行きたいのですが、構いませんでしょうか」

『勿論だ。ギブソン刑事、これを最優先事項として本部長の名の下に任ずる。すぐにその二人の子供と共に本部へ来るように』

「了解しました」

 通話を切って、ラッセルはベルリヒンゲン警部に視線を投げた。

「という訳っすから、構いませんよね?」

「……好きにしろ」

 警部は、どこか渋い顔をしながら吐き捨てる。

 ラッセルは、彼に追い打ちを掛けるように畳み掛けた。

「ヴァレンクヴィスト・シティって、管轄の警察署、ヘリとヘリポート持ってましたよね。使用許可貰って下さい」

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