とあるバレンタインの日
ティオとエレンのextraに掲載していた第一話目の再録です。
「ティオ、いる?」
自室で読書をしていた少年の元に、そんな台詞と共に、淡い栗色の柔らかなウェーブを描いた髪を持つ少女が顔を覗かせた。
「何」
ティオ、ことティオゲネス=ウェザリーは、読んでいた本を閉じて、顔を上げる。
銀灰色の髪は、今は無造作に下ろされているが、女性めいて整った容姿と相俟ってまったく違和感がない。
極上のエメラルドを思わせる翡翠の瞳を上げると、少女の若草色と視線が噛み合った。
エレン=クラルヴァインという名の少女は、怖ず怖ずといった様子で、ティオゲネスの座るベッドの前へ来ると、「あのね」と躊躇いがちに口を開いた。
「ティオ、甘いものって嫌い?」
「甘いもの?」
鸚鵡返しに訊ねると、エレンがコクリと頷く。
「別に好きでも嫌いでもねぇけど」
それが、何なんだ? とばかりに眉根を寄せる。
幼少期の環境柄、ティオゲネスは特に食べ物の好き嫌いはない。というより、選り好みしていたら、あっと言う間に餓死するような環境で育ったので、そういうことは言っていられなかったのだ。
生存本能に従い、出されたものは食べるという習慣が染み着いていたので、CUIOに保護されたばかりの頃、ラッセルには「がっつきすぎだ」などとからかわれていた。
「じゃあ、ちょっと下まで来てくれる?」
「何なんだよ」
「あの……あのね。チ……」
「チ?」
心なしか頬を薄赤く染めながら、中々肝心なところを言わない彼女に、ティオゲネスは早くも苛立ち始めた。
しかし、エレンは自分のことで精一杯なのか、こちらの苛立ちに気付く様子もなく、次の一言を思い切ったように一息に言った。
「チョ、チョコレートケーキ焼いたの。お茶にしない?」
「? ……ああ」
ひどく思い詰めた様子だったので、内心何事かと思ってもいたのだが、蓋を開ければお茶の誘い。
それだけのことを言うのに、何をそんなに躊躇っていたのだろうか、と思いながら、ティオゲネスはベッドから立ち上がった。
彼女のあとについて階段を降りると、階下にあるダイニングには、テーブルの上に、言った通りの可愛らしいデコレーションのチョコレートケーキと、ティーセット一式が鎮座している。しかし、その室内に、普段ならいるはずのほかの子どもたちや、修道士・修道女たちが見当たらない。
「なあ。ほかの連中は?」
「あ、うん。ブラザーに連れられて出掛けたわ。今日はその……バレンタインでお菓子とか安売りしてるみたいだからって」
「バレンタイン?」
その一言に、翡翠色の瞳がわずかに見開かれる。
弾かれたように向けた視線に、エレンの若草色の瞳が、逃れるように明後日を向いた。
ティオゲネスが、二月十四日にあるこのイベントの存在を知ったのは、育った暗殺者養成組織が崩壊したあと、この教会へ引き取られてからだった。由来はよく知らないが、要するに、恋人の為の祭典らしい。
さっきから挙動不審だったのはそういうことか、とティオゲネスは納得すると同時に、ニヤリと唇の端を吊り上げる。
つい先日、ティオゲネスはこのエレンと男女として気持ちを確認し合ったばかりだった。彼女が焼いたというこのケーキは、自惚れ抜きに自分へのものだろう。
それが分かっているからこそ、からかいたくなる。
「ってことは、これって」
「べ、べべべ別にっ、ティオだけにって焼いたわけじゃないんだからね! みんなが帰って来たら、おやつにいいかと思って!」
「今、ちょうど三時だけど」
「~~~~っっ」
爆発しそうに真っ赤になったエレンは、反論するほどに墓穴を深くすることに気付いたのか、それ以上言葉を発することなくヤカンを取る為にティオゲネスに背を向けた。
その拗ねたような様が可愛く見えて、思わず忍び笑いを漏らす。それを、意識して無視するように、エレンは慎重にヤカンを取り上げて、ティーポットに湯を注いだ。
取り立てて運動神経が悪いわけでもないのに、何もない場所で転んだりするほど鈍いエレンだが、家事全般に関してはそうでもない。手慣れた仕草で湯を注ぎ終えたティーポットに蓋をすると、茶葉が蒸れるのを待つ間に、包丁を手に取り、ケーキに切れ目を入れていく。
綺麗に八等分したケーキの内の一切れと、空のティーカップが、ティオゲネスの前へ置かれた。きっかり三分間茶葉を蒸らして煎れた紅茶も、ティーポットからカップへ注ぎ入れられる。
「はい、どうぞ」
やや素っ気ない口調で言うエレンを特に気にすることなく、ティオゲネスは彼女の作ったケーキにフォークを入れた。
「……どう?」
自然な動きでケーキを口に運ぶティオゲネスを覗き込むようにして、エレンが訊ねる。ついさっき、若干むくれていたのが嘘のようだ。
「ん、美味い」
「ホント?」
「嘘言ってどうするよ」
言いながら、ティオゲネスはもう一欠片をフォークに突き刺して口に運ぶ。
彼女の作るものは、ケーキに限らず、何でも文句なしに美味だと、彼女への気持ちを自覚するより前からティオゲネスは思っていた。
「よかった」
ホッとしたように笑う彼女は、花が綻ぶように可愛らしい。ドキリと上がる心拍数を誤魔化そうと、ティオゲネスはもう一欠片、ケーキを口に突っ込んだ。
はっきり言って、彼女への気持ちを自覚するまで、自分がこんな風に特定の異性の一挙手一投足に振り回される日が来るとは、想像もしたことがなかった。
ここへ来た時から、彼女は色んな意味で目の離せない存在ではあったが、今は尚のことだ。
(……何か、恥ずかしいけど)
幼なじみが『女』に変わるというのは、こういうことだろうか、と思う。
チラリとエレンに視線を向けると、彼女も漸く自分が作ったケーキにフォークを入れて口に運んでいる。
「ん、美味しい」と小さく自画自賛して、紅茶を口に運ぶ姿が、特別どうということもないのに、いちいち可愛らしく見えて困る。
(バカじゃねぇの)
口には出さずに自分に毒づいても、可愛いものは可愛いのだから仕方がない。
「ティオ? どうかしたの?」
一方、こちらの脳内の葛藤を知らないエレンは、急に黙ってしまったティオゲネスを、不審に思ったのだろう。
「ご、ごめんね。やっぱり、その……お砂糖入れ過ぎたかな」
「いや、別に……」
言い掛けて、いつの間にか下げていた目線を上げたティオゲネスは、次の瞬間、軽く吹き出してしまった。
「え? え、なぁに??」
突然笑われたエレンは、勿論、何故自分が笑われるのかが分からないらしい。
「何って、おま……」
口元にケーキのチョコレートクリームが付いてるぞ、と言おうとして、ティオゲネスはまた不意に口を閉ざす。
代わりに、おもむろに立ち上がって、エレンのすぐ傍へ歩を進めた。まだ事態を把握していないエレンは、オロオロした小リスのような顔で、自分の脇に立ったティオゲネスを見上げる。
無防備なエレンの顔に、ティオゲネスは前触れなく自分の顔を伏せた。
「え」
見開く若草色が目に入るが、敢えて無視する。
「ここ」
言いながら、彼女の唇の端に付いたクリームを舌先で拭う。
「クリーム付いてた」
「っ、な、」
エレンは、案の定、またしても顔を爆発しそうな赤に染めて、今度は陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクとさせている。
それがまた、何とも表現しようがない程に愛らしく見えて。
(……あー……ダメだ)
降参。
自分の意地に対して白旗を揚げると、ティオゲネスはチョコレートよりも甘いに違いないその唇に、自分のそれで蓋をした。
そのタイミングで戻って来たほかの子どもたちに、あとで散々からかわれる羽目になるのを、二人ともまだ知る由もない。
(fin)脱稿:2014.02.15. 加筆修正:2021.02.14.




