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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Intermezzo.2―daily life―
62/72

scene.1 決断

「元気そうで安心しましたよ」

 ラティマー神父が訪ねて来たのは、ディンガーの病院襲撃から半年程経った頃だった。

「安心した、じゃねーよ。こちとら、あんた達が死んだと思って、どんだけ泣いたと思ってんだ」

 ふん、と鼻を鳴らすティオゲネスはと言えば、まだベッドの上にいた。

 とは言え、身体を自分で起こすことくらいはできるし、歩くことも杖なしでこなせるところまでは回復している。特にどこが悪いという訳ではないのだが、入院している以上、居場所がベッドの上くらいしかないだけだ。

 病室内に設えられている丸テーブルに座るラティマーは、楽しそうに笑いながら缶入り紅茶を口に運んだ。

「おや、珍しい。ティオが泣くところなんて、そうそうお目に掛かれませんから、惜しいものを見逃しましたね」

「うるせーよ。俺が無駄に悲しんだ時間、返しやがれっ」

 反射で右手をベッドに叩き付けると、ボフン、という音がしてスプリングがギシギシと小さく悲鳴を上げる。

「相変わらずですねぇ。それだけ無茶振りができれば、もう心配要りませんね」

「どーいう基準だ、どーいう」

 再度、鼻先で溜息を吐いて、ふてくされたように視線を逸らせる。

 生の映像で、ニコライが撃ち殺されたと思い込んだのは、もう半年以上前の話だ。マルタン教会の全員が、もう生きていまい、という喪失感で、一時は自身の命もどうでもいいと思っていた。

 それが、つい先日、エレンの口から、彼らが五体満足に無傷でいることを知らされた。あれだけ悩んだのが、ひどく不条理だったことのように思えるが、彼らが生きていてくれた安堵の方が大きいのも確かだ。それがまた、何だか面白くないと思ってしまうのは、贅沢な堂々巡りというやつだろうか。

「ですが、まだ全快してないようですね。経過はどうなんですか?」

 テーブルに缶を戻しながら、ラティマーがそれまでの笑顔を少し曇らせて訊く。

 彼の視線の先には、まだ布で吊った左腕があった。

 ティオゲネスも、自身の左腕に視線を落として、肩を竦める。

「ああ、コレ。殆ど治ってるよ。医者がちょっと心配性なだけだ」

 とは言え、今までの事件で負った傷の中で、一番重かったことは確かだ。

 近距離で小銃の掃射を浴びて、腕がくっついていただけで儲け物だった、というのが主治医の言だ。

 外側の肉と、骨まで粉砕されていたらしいから、相当だ。腕がなくなっていても不思議ではなかった、とまで言われれば、かなり重篤な状態だったというのは、医学には素人のティオゲネスでも理解できる。

 実はこの半年の間、ティオゲネスは何度か左腕の修復手術を受けていた。最近の医療技術は、彼に言わせれば異様に進んでいて、なくなった肉と骨まで修復できるようだ。勿論、全てがティオゲネスの自前ではないという意味では、人工のモノらしいが。

 そんなこんなで、身体のリハビリだけなら退院しても良かったのだけれど、この左上腕部の状態だけがどうにも思わしくなかった。その為に、延々十ヶ月も入院したままだった(例によって、入院費その他諸々はCUIO持ちだ)。

 無事だと聞いたラティマー神父他、教会の面々ともまだ顔を合わせていなかったのは、それが主な原因である。

 リハビリの合間に手術を受けていたものだから、リハビリの進捗状況もこれまた思わしくない。走ったり格闘したり銃を撃ったりができるようになるのは、まだ先の話だろう、と思うと少々うんざりする。

「ま、本人が治ってると言うんですから確かなんでしょうけど。後でまた、先生にもお訊きするコトにしましょう」

「全っ然信用ねーな、おい」

 半眼でラティマーを睨め付けると、彼はにっこりと笑って、

「そうですね。ティオの言う“大丈夫”は一番信用できませんからね」

 と言った。

「満面の笑顔で皮肉言わないでクレマスカ、神父様」

「おや、そう聞こえましたか?」

 クスクスと再度楽しげにひとしきり笑ったラティマーは、不意に真顔になって「ところで」と話題を転じた。

「ティオはこの後、どうする予定ですか?」

「どういう意味だ?」

 反問すると、ラティマーはテーブルに置いた手を組んで、ヒタとティオゲネスに視線を据える。

「勿論、身の振りの話です」

 咄嗟に言葉を返せずにいると、ラティマーが目を合わせたまま話を続ける。

「……あの時、あなたにはああ言いましたが、実は、孤児院は閉鎖することになりましてね」

 そうだろうな。

 ティオゲネスは、口には出さずに呟いた。

「マルタン教会も、今いるブラザー・シスターは皆余所へ移ることになりました。管理人には、近々、別の神父が就任することになります」

「ガキ達は?」

「ギブソン刑事やグレンヴィル刑事とも話し合ったのですが、八人全員に生命保護プログラムを適用することになりました」

「そっか」

 生命保護プログラム――本来なら、何かの犯罪の証人を、読んで字の如く、保護する為の制度だ。時には何ヶ月にも渡る裁判の間、証人は命を守る為に、別人として生きることを強いられる。

 けれど、今回のケースの場合は、恐らく適用を受ける八人全員が、それまでの自分ではなく、新しい人間として人生を歩み直すということに他ならないだろう。

 まだ幼い子や赤子のニコライはともかく、十歳前後の子供達には、ある種のストレスとなるに違いない。命を守る為とは言え、彼らには過酷なことを強いることになってしまった。

「先に言っておきますが、それは全てティオの所為ではありませんよ」

 慰めなんて要らない。事実、その通りだ。

 そう言おうとしていつしか俯けていた顔を上げたが、恐ろしい程真剣な顔をしたラティマーを見た途端、口には出せなくなった。

「……分かったよ。それで神父様達は、どこに移るんだ?」

 感情に任せて喚きたいのをどうにか堪え、他に沸いた疑問を投げる。

 すると、ラティマーは、厳しくさせていた表情を和らげて口を開いた。

「実は、新たなるIOCAを任されることになりました」

「へえ」

 ティオゲネスは、微かに目を瞠った。

 IOCAは、これまで本部長だったビクトリアが旧ヴェア=ガングの回し者だったこともあり、職員の半分が既に旧ヴェア=ガングのメンバーに浸食されつつあった。

 先の件でのビクトリア逮捕を機に、IOCAの内部を一新するという話はラッセルから軽く聞いてはいたが、人事までは知らされていなかった。

「他のシスターとブラザー達は?」

「彼らも一緒です。何だかんだ、例の組織の件は長期に渡りそうな案件で、信用できる人材が人手不足なんだとか」

 そう言えば、ラッセルも同じようなことを言っていた。だが。

「言いたかないけど、あんた達だって、俺と関わってたコトで標的になる可能性はまだあるんだぜ。纏まってたら危なくないか?」

「ご心配なく。皆、あなたの素性も組織のことも承知の上です。それに、我々には神のご加護がありますから」

 ラティマーが、悪戯っぽく言ってウィンクする。

 ディンガーの手の者達が急襲した際のことを訊ねた時にも、どうやって連中を退けたのかを質したが、ラティマーは同じことしか言わなかった。

 余程何かなければ、そうやって躱す時は、ラティマーは口を割らないことは、経験で知っている。

 何だか釈然としないモノがわだかまったが、この件に関しては彼らの命に関わらない限り、追及しないことに決めた。ティオゲネス自身、深く追及されたくないことはある。

「身の振りが決まってないなら、ティオもIOCAに来ませんか?」

「え」

 ティオゲネスは、再度瞠目した。その視線を、しっかりと受け止めるようにラティマーが小さく頷いて続ける。

「これまでのIOCAの規定の一つである、“一度IOCAを出たら、再度戻るのは認めない”というのは、どうやらビクトリア=モンテス前本部長が、組織の都合によって定めたもののようでしたからね。私が新本部長に就任するに当たって、取り急ぎ、その部分だけは改めます。マルタン教会付属の孤児院はなくなりますが、私のあの日の言葉に――その言葉に込めた気持ちに、今も変わりはありませんよ」

 あの日の言葉。

『ティオも、いつまでも私の子です』

 そう小揺るぎもせずに、きっぱりと言ったラティマーの姿が脳裏に蘇る。

 ティオゲネスが躊躇っていると見たのか、ラティマーは立ち上がってベッドサイドへ歩み寄った。そこに置かれていた椅子に腰を下ろすと、そっとティオゲネスの右手に、ラティマー自身の手を重ねる。

「ティオ」

「……分かってるよ。あんたのその……言葉に嘘はないって言うのは」

 別に、IOCAに戻るのを躊躇っている訳でもない。そう挟んで、言葉を継ぐ。

「ただ……俺も、考えてた。ラスにはまだ言ってないし、もし……アイツに反対されたら暫くは世話になりたいけど」

「どういう意味ですか?」

 小首を傾げるラティマーから、視線を逸らすように目を伏せる。その先に、重なり合った自分達の手の甲が見えた。

「どう言えばいいかな……警察組織に入りたいって言ったら語弊があるかも知れねぇけど、それに近い位置に入れないか、ラスに訊くつもりなんだ」

 沈黙が返る。或いは、もう一度、どういう意味かと訊ねたいのかも知れないが、ラティマーは黙って先を促した。

 それに後押しされるように、ティオゲネスは言葉を捜しながら口を開く。

「アイツらを殲滅する為に」

「殲滅?」

「ああ。アイツら……組織の連中をこのまま野放しにしといたら、こないだみたいな事件はいくらでも起きる。もう疑いようもねぇよ。現に続けて三回も起きてるしな」

 は、と投げ出すような吐息を挟んで、ティオゲネスは後を続ける。

「だから、アイツらを徹底的に潰す。連中が攻めてくるのを待ってたら、後手に回る一方だから、こっちから仕掛けてやる。CUIOの内部にいれば、それらしいコトが聞こえた時、すぐ動けるからな」

「ティオ」

 咎めるような声音に、今度はクスリと自嘲の笑いが漏れた。

「あんたの言いたいコトは分かるよ。そんなの血で血を洗うだけの堂々巡りだって言うんだろ。カミサマは一番禁止しそうなコトだしな」

「勿論です。神は決してそのようなことはお許しにならない。けれど、それよりも……これは、神の前に、私の親としての個人的感情ですが、あなたにもうそんなことをして欲しくないんです」

 弾かれたように目を上げると、ラティマーは、その両手でティオゲネスの右手を包むように握って続ける。

「あなたは、そんな世界から折角出られたのです。だから、もう血に染まった道へ帰る必要はない」

 慈しむような、それでいてどこか泣き出しそうな顔をしたラティマーに、一瞬、何も言えなくなった錯覚に陥る。

 彼の気持ちが、有り難くて、どこか痛かった。素直に頷けたら、どんなに良いだろう。銃も捨てて、身に着けた体術も生き抜く術も何もかも忘れて、これからゆっくりリハビリに専念して、一介の孤児としてこの後の人生を生きられたら、どんなに――

「……ありがとう」

 彼の顔から、意識して目を逸らすように瞼を伏せる。

「でも、もう決めたコトなんだ」

「ティオ」

「あんたの気持ちは有り難いよ。そんな風に……何の見返りもなくただ普通のガキみたいに思われて……そんな人間がいるなんて、正直思ってなかったけど」

 四年前のあの頃は、それをうざったい偽善だとしか感じていなかったが、今は嬉しいと思える。そう、口に乗せるのにはまだ照れがあるけれど。

「だけど……あんたにも……エレンにもきっと、どれだけ頑張っても本当には理解して貰えないコトがある。一度人を殺したら、どんなに望んでも、もう陽の当たる場所には帰れないんだ」

「そんなことは」

「たとえ、あんた達がそう思ってくれたとしても、アイツらは違う。アイツらは、俺や、他のヴェア=ガングで育った奴らを、今もアイツらの都合のいい道具になるって考えてる」

 ラティマーが、言葉を失ったように眉尻を下げた。

「俺だけを狙うならまだいい。だけど、アイツらは遠慮なんかしないで、これからもきっとあんた達やエレンを人質に取ろうとするに決まってる」

 だから、と挟んでしっかりとラティマーに据えられた翡翠の瞳は、決然とした、それでいてどこか昏い色を宿している。

「アイツらがその気なら、俺も遠慮しない。こっちから徹底的に潰しに行ってやる」

 まだ幼さを残した声が、低く落ちる。

 ラティマーの手に包まれたままの右手を、ギュッと握り締めた。

「元々、血で汚れた手なんだ。逆戻りするくらい、何てコトない」

 あんた達を守る為に汚すなら、寧ろ本望だ。

 口に出さずにそう付け足して、泣き笑いのように顔を歪める。

「……ごめんな、神父様。ホントにその気持ちだけでありがたいから」

「ティオ」

「本当にどうしようもなくなったら、軒先だけ借りに行くよ。……ありがとな」

 泣き出す寸前のようになったその美貌を見つめて、ラティマーはティオゲネスの手を握ったまま口を開いた。

「……分かりました。そう言い出したら聞かないのがあなたですからね。気の済むようにおやりなさい」

「神父様」

「ですが、一つだけ約束して下さい。決して一人で抱え込まないで。私達でできることなら、何でも手伝いますから」

 手伝えることなど、ないだろう。

 これまで神に仕えて生きてきた彼らは、銃など握ったこともなく、荒くれと対峙したことすら、こないだの一件が初めてだった筈だ。

 けれども、その気持ちだけは本当に嬉しくて。ありがとう、と口の中でだけ呟いた途端、こぼれた滴が頬を伝った。

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