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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Case-book.5―Hospital―
61/72

Epilogue

「セシリア……亡くなったそうよ」


 病院の襲撃事件が片付いてから、一ヶ月後。

 そうティオゲネスに告げたのは、意外にもエレンだった。


 セシリアが亡くなったのは、この日よりも一週間程前だったらしいが、こちらに伝わるのが遅くなったのは、ティオゲネス自身も寝込んでいた所為だ。

 まだ治りきらない左腕で無理をしたのが祟ったらしく、あの後高熱を出して意識不明に逆戻りしてしまったのだ。

 幸い、二週間程でICUから個室に戻れたものの、ラッセルの知人であるという主治医にこってり絞られてしまった。

 曰く、『君みたいに平気で無茶をする患者は初めてだよ。これじゃいくら治療してもキリがないから、今度同じコトやったら独房行きだと思いなさいね』と。

 独房というのは、どうやら、囚人達が収容されている病棟を指しているらしい。底なしに晴れやかな笑顔でそう宣告されたのが、却って恐ろしかった。


 個室に戻ってからも、警察関係者以外は面会謝絶の状態が続いていたので、あの後エレンと顔を合わせるのも、今日が初めてということになる。

 ディンガーのその後は、その間にラッセルから大まかには聞いていた。

 ディンガーは、ラッセルが監視ルームに駆け付けた時、既にセシリアに重傷を負わせ、逃亡しようとしていた。当然抵抗したようだが、どうにか生け捕られ、今はより厳重なCUIO本部下の監獄に収監されているらしい。

 セシリアはまだ息があったので、地下病棟のICUで治療を受けているという話は聞いていたが、それ以後のことは知らなかった。


「……そうか……」

 ティオゲネスは、吐息と共にそう口に乗せた。

 そうか、としか言えなかった。

 エレンを害されて、一度は殺したいと思ったこともある。

 けれど、一歩間違えば自分も彼女と同じ道を辿ったのかも知れない。ティオゲネス自身、アマーリアを手に掛けた事実もある。それらを思うと、彼女のしたことを一方的に責める気には、どうしてもなれなかった。

 かと言って、彼女が亡くなったことをすぐに悼む気持ちになれるかどうかは別の話だ。

 組織にいた頃も、彼女とはそんなに親しく会話をしたことはなく、格闘訓練で対戦したことも、仲間として組まされたこともなかった。

 彼女について何を知っているかと訊かれれば、本名とコードネームと上っ面くらいだとしか答えられない。

 だから、ただかつて同じ組織にいた顔見知りが命を落としたという程度の認識しか持てなかった。彼女の死に対して、どこか喪失感というか、寂寥感のようなものは漠然と感じるが、それだけだった。

 いずれ、自分も同じように死んでいくのかという思いも、チラリと頭を過ぎるが、それは今考えても詮無いことだ。

 エレンも、特にティオゲネスの言ったことに、何かリアクションを口にすることはなかった。

「……あ、お茶……でも、淹れる? ポットとか、あるかな」

 そうか、の後の沈黙が重く感じたのか、エレンが取り繕ったように言って腰を浮かせる。

「いーよ、別に」

「そ、そう?」

 短く返したのが、素っ気なく響いたのだろう。エレンは、落胆したような表情で再び椅子に腰を下ろした。

 再度沈黙が続くかに思えたが、すぐに口を開いたのは、ティオゲネスの方だった。

「……あれから、さ」

「え?」

「何か、あったか? その……身体の調子が変だとか」

 エレベーターから咄嗟にダイブした時、ティオゲネスは自身の身体は勿論、エレンの身体を気遣う余裕さえなかった。自分は高熱を出して何日か唸っていたが、彼女は大丈夫だったのだろうか。

 その若干の危惧を、エレンは微笑して首を振ることで打ち消してくれた。

「へーき。ちょっと打ち身とかあったけど、その程度。ティオに比べたら全然何てことないよ」

「そっか……ところで、お前……これからどうするんだ?」

「どうって?」

 話題の転換がまた唐突だった為か、エレンはキョトンとした顔で首を傾げる。

「だから……生活する場所だよ。もう教会はなくなっただろ」

「教会がなくなったってどういう意味?」

 教会ならあるわよ、と返す彼女に、早くも苛立つ。変なところで敏いクセに、平時にはやはり鈍いままだ。

 何で俺はこんな女に惚れてるんだろう。自分で自分の感性に不安を覚えながら、ティオゲネスは言葉を捜した。

「建物はあっても、その……神父様とかがもういないだろ」

 はっきり口にするのは躊躇われたが、現実を直視しない訳にはいかない。けれども、エレンはそれをあっさりと否定した。

「神父様となら、こないだ電話したわよ」

「……電話?」

 どういう意味だろう。まさか、天国に通じる電話がある訳もない。

 首を百八十度捻り兼ねない程傾げたティオゲネスに、同じように再度首を傾げたエレンが頷く。

「うん。何でも、ラスさんが暫く教会の皆でこっちに……あ、メストル・シティね。こっちに来るように提案したんだって。例の、ディンガーって人が脱獄したって言ってた時に」

 だから今は、メストルでCUIO直轄のホテルにいる筈よ。

 そう続けられて、ティオゲネスは安堵と腹立ちが綯い交ぜになった気分を味わう羽目になった。

 背凭れ状になったベッドにズルリと崩れたのを見たエレンが、慌てて「どうしたのっ??」と言いつつ立ち上がる。

(……聞いてねーぞ、ラスのバカヤロー……)

 無事なら無事だと早く報せとけよ。

 安堵の余り、涙が出そうになるという初体験をしながら、心配げに見つめるエレンには「何でもねぇ」と力なく返すのが精一杯だった。

 あのヤロー、全快したらマジで脇腹ぶち抜いてやる。

 そんな物騒な決意を知る由もないエレンは、まだ心配そうにしながらも腰を下ろした。

「……でも、教会はどっち道そろそろ出なくちゃいけないから、それはずっと考えてたんだけど」

 ふう、と息を吐いて、エレンは目線を落とす。

「……あのね」

「ん?」

「あたし……医大に進もうかと思ってるの」

「医大?」

 意外な思いがして、ティオゲネスは鸚鵡返しに言った。

 孤児院を卒業した後、エレンがどういう進路を選択するのか、正直言ってティオゲネスには読めなかった。彼女なら、幼い子に慕われているし、彼女自身も子供が好きそうだから保育関係か、本が好きそうだから司書の道とか、料理も得意そうだから調理関係か、と挙げていけば合いそうな道はいくつか挙げられる。だが、まさか、選りに選って医学関係とは思わなかった。

「お前、血とか見るの苦手なんじゃねぇの?」

 問えば、エレンは言葉に詰まったと言いたげな顔をした。

「う、それは……まあ、得意じゃないけど、その……あんた、何かと生傷絶えないじゃない? 今回だって短期間に二回もICUに入ったりしたし」

 ぐ、と今度はティオゲネスの方が言葉に詰まる。返す言葉もないとはこのことだ。だが。

「……大半お前の所為なんだけどな?」

「だ、だからその、……責任取るって言ったじゃない、あの時も」

「エレベーターで心中しそうになった時の話か?」

 そう訊くと、何故か彼女は耳まで真っ赤になって俯いた。

「そー言や、あん時何つったんだ? ホラ、エレベーターに乗る前」

 ふと思い付いて続けると、更に赤みを増した顔がガバリと弾かれたように上げられる。

「“死なないで”とか何とか言ってただろ。その前って」

「きゃあぁああ、何でもない、何でもないっっ!!」

 ってゆーか、何で聞いててくれなかったのよぉ、バカ、と理不尽な文句が続けられて、ティオゲネスは眉根を寄せる。

「聞いて欲しかったら、もうちょっと大きな声で言えよ。耳元に口があって聞こえないって、どんだけ小さい声だったんだよ」

「だっ、だからっ……お、女の子は勇気が要るのっ、そーいうコト言うのはっ」

 それに、と言い()したエレンは、スカートの裾をキュッと握ってまた俯く。

「それに――何だよ」

「な、何でもないっ」

「何でもねぇコトないだろ。言い掛けられたら気になるし」

「だ、だって……どうせ、ティオなんてあたしを女として見てないんでしょ。言ったって無意味よ」

 プイと顔ごと視線を逸らして、唇を尖らせた彼女に、反射でムッとする。

 あの日より前なら、「そうだよ」と返していたかも知れない。彼女を突き放して、傷付けてでも、幸せになって欲しかったから。それが、自分でない男とでも、自分がいないことで彼女が幸せになれるなら構わないと思っていた。

 だけれど、気付いてしまった。もう、手放せないと。少なくとも、彼女の横に自分以外の男が並んでいたら、きっと相手を撃ち殺し兼ねないくらいには。

 はあ、と溜息を吐いて、ティオゲネスはベッドから足を下ろそうとした。あの日までのリハビリも、寝込んでいた所為で振り出しに戻ったので、今のティオゲネスはまだ碌々歩けない。

 それを知っているのか、エレンは「あ」と言いながら立ち上がり、咄嗟にティオゲネスの身体を支えようと手を伸ばして来る。

 自然、顔が近付いた途端、前触れなく理性が切れた。

 相手の気持ちも確かめずにそんなコトしたら、男としてあのイェルドと同じ程度まで堕ちるぞ。という僅かに残った理性の囁きは、あっさりスルーされた。気付いた時には衝動的に首を伸ばし、彼女の唇に自分のそれで触れている。

 微かに触れ合った二人の唇は、一瞬で離れた。

 自身の唇を手で押さえたエレンは、その若草色の目を一杯に見開いている。顔色が、瞬時に赤いそれに逆戻りした。

「……悪い。嫌だったか?」

 しれっと、平板な謝罪を口に乗せながらも、ティオゲネスは唯一動かせる右手で、彼女が唇を押さえた手首を取る。

「い、やって言うか……」

 嫌か嫌じゃないかって訊かれたら嫌じゃないけど、と口の中でモゴモゴと言いながら、掴まれた手を振り解こうともせずに、エレンは赤らめた顔を俯けて視線を逸らす。

「でも、」

「俺、女と思ってない相手にキスできる程器用じゃねぇつもりだけど」

「~~~~ッッ……」

 泣きそうに眉尻を下げた彼女は、益々顔を赤くさせてウロウロと視線を彷徨わせた。

「なあ」

「な、何よっ」

 捨て鉢気味に叫ぶ彼女に苦笑しながら、ティオゲネスは彼女の手首を引いて続ける。

「嫌じゃないなら、そろそろちゃんとキスしたいんだけど」

「~~~~ッッ」

 逸らしようのない距離で覗き込みながら言えば、エレンは更に赤くなった上に、今度は陸に打ち上げられた魚のように口をパクつかせた。

「……ティ、ティオこそズルいんじゃないのっ!?」

 ややあって、やはりヤケクソのように吐き捨てたエレンに、「何が」と問い返す。

「ちゃ、ちゃんと言ってくれないと分かんないわよっ!!」

「お前こそ。言い掛けた方が先に言えよ」

 逃げだと、分かっている。けれども、こればかりは自分が先に言う資格などない。

 傍にいて欲しい、だなんて。好きな女の傍にいたいなんて、言う権利は本当はないのだ。相手に、気持ちを告げる資格さえも。

(それでも、お前が欲しいって言ってくれたら)

 きっともう、拒めない。拒む気なんて更々ない。先に口吻けておいて、勝手なことを言っている自覚もあるけれど、ここはティオゲネスにとってギリギリのけじめだ。

 エレンは、羞恥で死にそうだと顔全部で言いながらも、更に逡巡した後に、ポツンと言った。

「……好き」

「誰が」

 意地悪く返すと、やはり泣き出しそうに眉尻を下げた彼女は、「ティオが好き」と繰り返す。

 一度言ってしまうと、気恥ずかしさが薄れたのか、今度は目を逸らしながらも一気にまくし立て始めた。

「あんたがいなくなったら死んじゃう……かっ、勝手だって分かってるわよ。一度汚れた女がこんなコトっ……し、しかもあたしの方が年上だし、いつも足手纏いだし、きっとこんな気持ち、ティオには重いだろうって分かってるけど、だけど」

「もういい」

 それを遮るように、彼女の後頭部に手を伸ばす。有無を言わさず引き寄せて、今度は本気で口吻けた。「ん」と濡れたような甘い声が漏れて、それに煽られるように彼女の唇を思う様貪る。

 この唇に、自分以外の男が先に触れたと思うと、嫉妬も手伝って勢い口吻けが深くなるのはどうしようもない。

 どこか甘く感じられる唇を散々味わって、ひとまず満足する頃には、彼女はすっかり脱力状態だった。

 ベッドに元通り背を預けながら、凭れ掛かる彼女の上体を右腕に抱えて、今更のように「嫌だったか?」と確認すると、涙目になった彼女からは「バカ」と返ってきた。

「……ま、取り敢えず消毒はできたな」

 栗色の髪を指に絡ませながら言うと、まだ息を弾ませた彼女が「へ?」と間抜けな声を出してこちらを見上げる。

「しょ、消毒って」

「あのロクデナシとのキスなんて、忘れたろ?」

「~~~~ッッ!!」

 エレンは、やはり顔を赤くさせて再度陸に打ち上げられた魚になっている。そろそろ、耳から蒸気でも噴きそうだ。

「べ、つに、別に、あたしは、」

「別に何だよ。気にしてなかったってコトねぇだろ? お前の葛藤に付き合って散々()けられた身にもなれよ」

「あ、あんただって散々避けてたクセに、」

「それはそれ、これはこれだよ。まだ消毒するか?」

「い、いいいい、また今度っっ」

「へえ? 今度っていつだよ」

 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべたティオゲネスに、エレンは痛烈な一打を見舞った。

「あっ、あんたもちゃんと言ってくれたら!」

 それって当分お預けってコトだな。

 翡翠の双眸を細めたティオゲネスが、内心で落胆していたことを、勿論エレンは知らなかった。

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