Hospital.5 それぞれの闘い【前編】
「アッシュはどこだ」
「さあ。知らないわ。一般病棟にはいるんじゃない」
ディンガーに腕を引かれて病室から出たものの、セシリアは無気力にただ歩いているだけだった。
まるで、市場に売られていく仔牛のように、引っ張られているから仕方なく足を動かしているという風情だ。
ティオゲネスに積極的に報復する気力はないし、かと言って、ディンガーに協力する気も起きない。何もかもがどうでもいいから、質問には素直に答えているが、それ以上の何かをしようとも思えなかった。
「アッシュの方の発信器が作動していない。どういうコトだ」
「知らないってば。結局あたしに何をさせたいのよ」
ディンガーから腕を取り戻そうともがくが、三週間寝たきりでいた身体は思うようにならなかった。こんなことなら、真面目にリハビリしておくのだったと思うが、後の祭りだ。
「これから、この地下病棟の監視ルームを乗っ取る」
「言っとくケド、戦闘に参加はできないわよ。こんな身体だし」
「分かっている。そこまで期待はしない。だが、監視システムを使って捜し物くらいはできるだろう」
セシリアは目を瞬いて、ディンガーに目を向ける。
彼女のアイス・ブルーの視線を、ディンガーの紅い目がしっかりと受け止めた。
「お前の腕が必要だ」
お前の腕が必要だ。セシリアは、言われた言葉を脳内で反芻する。
お前が必要だ。オマエガヒツヨウダ――
“――いらっしゃい、一緒に。あなたの力が必要なの――”
脳裏に、艶やかに翻るダーク・ブロンドが蘇る。
紅い唇が弧を描いて、白い手が差し出されたあの日から、セシリアの居場所は彼女の隣だった。
“お前なんて、必要ない! もう用済みだ!”
そう言われ続けていたセシリアに、手を差し伸べてくれたのはあの女性だけだったのに。
まだ必要とされている、と目の前の男に縋り付こうとする自分と、必要として貰えるのなら誰でもいいのか、と叱咤する自分の間で、心が引き裂かれる錯覚を覚えて、セシリアは混乱した。
「――スティール?」
ハッと現実に返ると、紅い毒々しい瞳が目の前にある。
――同じ“紅”でも、あの人とは違う。そう自嘲したが、拒絶するのももう面倒だった。
「……いいわ。やってあげる」
肩を竦めて、投げ出すように言うと、ディンガーは再びセシリアの腕を引いて、無言のまま歩を進め始めた。
***
一発撃った直後には、アレクシスはもう駆け出していた。背後を、小銃から吐き出された銃弾が追ってくるのを肌で感じるが、振り返らずにとにかく全力で走る。
エレベーターホールを素通りし、通路の奥にある階段へ飛び出す。
瞬時迷った後、アレクシスは上へ進路を取った。
セシリアをフォローするには下の地下病棟へ向かわなくてはならないが、何だか分からない侵入者をそちらへ導く訳にはいかない。
二階へ昇る途中の踊り場まで来た時、チラと自分を追って階段へ駆け込む男の姿を確認してから、アレクシスはまた階段に足を掛ける。
『おい、アレク! 大丈夫か!?』
「大丈夫よ。何かあったら連絡するから暫く話し掛けないで」
銃声を聞き付けたらしいラッセルからの通信に素っ気なく、しかし必死で応えながら、男が踊り場へ到達するのを確認し、二階へ飛び込む。
階段から出た先は、通路だった。
右手・左手、どちらを見てもどこかの科の受付がある。
(しまった……!)
駆け上がり続ける体力を温存したつもりが、一般人を巻き込む可能性の高い進路を取ってしまった。これなら、地下病棟へ向かった方が、いくらかマシだったかも知れない。
引き返すこともできない、どうする、とまたも逡巡した直後には、もう男の銃口が背筋に押し当てられていた。
***
エレベーターはダメだ。そう告げられた次の瞬間には、通信機の向こう側から激しい銃声が聞こえ、それが唐突に止んだ。
安否を気遣う声を無情にも跳ね返されるが、取り込み中なのだろう。暫くは、階段を通る足音が慌ただしく響いていた。しかし、それも前触れなく、ガリッ、という不穏な電子音を最後に途絶えた。
「おい、アレク。アレク?」
いくら呼び掛けても返答はない。
『……何かあったのか』
「らしいな」
舌打ちと共に、ティオゲネスからの通信に応えながら、ラッセルは慎重に階段を降りていた。
『今何階だ?』
「三階。何かあったとしたらここか、二階辺りだろうな」
『分かった。俺も行く』
「ちょっ、」
反射で声を上げようとして、ラッセルは慌てて空気を呑むように口を閉じる。
「待て、早まるな。お前に今何ができると思ってる?」
低く抑えた声音で改めて問うと、息を吐くような笑いが返って来た。
『さてな。フツーに歩くくらいはできるし、銃も撃てると思ってるけど?』
それが何、と続いて、ラッセルは天を仰いだ。
「待てって。お前、何か意地になってねぇか?」
『ねぇよ。どの道誰かがここに攻め込んで来たなら、五階に連中が到達するのは時間の問題だろ』
「だからって」
『部屋にいる所突っ込まれたら、逃げ場がねぇ分、却って危ねーよ』
普段通りに身体が動くならともかく、と続いた台詞に、ラッセルは少しだけ力が抜ける思いがした。安堵、と言っては語弊があるが、それが一番近いだろうか。
心中の深いところは分からないが、今はいつも通り――少なくとも上辺の“思考”はいつも通りの彼のようだ。
『……おい、ラス? 聞いてんのかよ』
こちらの沈黙が長過ぎたのか、苛立ったように問い質される。
「ああ、聞いてる。分かった。無理だけはするなよ」
『りょーかい』
しかし、通信を終えようとしたラッセルは、行くぞエレン、と通信機の向こうで続いた言葉に、またしても目を剥いた。
「って、待て!」
思わず上げた声が階段中に響いて、ヒヤリとしながら口元を押さえる。
『何』
「何じゃねぇ!」
サッと視線を走らせて、誰も来ないのを確認しながら、抑えた声量で通信機に向かって叫ぶ。
「エレンちゃん連れてく気か?」
『ああ。何か問題でも?』
「アリアリだろ! それこそ普段通りのコンディションならともかく、彼女を連れてなんて無謀過ぎる!」
『目ぇ離す方が無謀だよ。悪ぃケド、それはこないだ嫌って程思い知ったんでね。同じ後悔二度と繰り返したくねーし、繰り返すのは“バカ”って言うんだよ』
「その心意気だけは買うけどな。お前、まさか死ぬ気じゃねぇよな?」
先程までのティオゲネスの様子では、それも充分に有り得る。だが、通信機の向こうから聞こえたのは、『まさか』という、あっけらかんとした声音だった。
『仮にそんなコトしたら、今度こそアイツにボコボコにされた上で追い返され兼ねねーからな』
「……アイツ?」
誰のこっちゃい、と首を傾げたラッセルに、ティオゲネスは『何でもねー。こっちの話だよ』と言って通話を切ってしまった。
***
「行くぞ、エレン」
ラッセルとの通信を終えて、彼女を振り返ると、エレンはどこか不安そうな顔をした。
「……何だよ」
「だって……本当にいいの? 一緒に行って」
あたし、足手纏いにしかならないよ? と首を傾げた彼女は、今にも泣きそうになっている。
「アホか。どっち道、車椅子押して貰わねーと、俺だって出歩けねーんだよ」
ティオゲネスは、肩を竦めると、首から下げていた左腕の布を外した。動かす許可は出ていないけれど、非常時だから仕方がない。
そのまま腕を恐る恐る曲げ伸ばししてみる。痛みはないが、今まで固定していた所為か、強張っていて、やや動かし辛い。でも、その程度だ。掌をゆっくり握って開いてみる。
意思通りに動くことに、少しホッとした。
小銃の弾幕をまともに浴びた所為で、実を言うと外側の肉は八割方もげていたらしい。だから、左腕の手術もそう簡単なものではなかったと聞いている。もっとも、ティオゲネス自身は殆ど意識のない状態だったものだから、手術・治療方針は諸々ラッセルとアレクシスに丸投げだった。意識がはっきりしたのは術後のことで、『もげていた』という実感はない。
肩から動かして、その動きを徐々に早める。最後に首を回して、よし、と頷いた。
「覚悟決めろよ」
改めて彼女の顔を見上げて、決然とした声音で言う。
「お前は今から俺の足になるんだ。それだけでいい。戦おうとか俺を守ろうとか、そんなコトは一切考えるな。俺の言う通りに動いてくれりゃ、それでいい」
「でも」
益々気弱になるように眉尻を下げる彼女に、思わず苦笑が漏れる。
「落ち着けよ。台所で動き回る時は、結構器用に立ち回ってるだろ」
右手に比べて格段に力が落ちた左手で、彼女の腕をポンと叩く。
「ホラ、目閉じて。深呼吸してみ?」
伸びたティオゲネスの左手を、縋るように握り返した彼女が、言われた通りに目を閉じる。気休めのように深呼吸を繰り返したエレンは、やはりどこか強張ったままの表情で目を開けた。けれど、普段よりは引き締まっているようにも見える。
「頼んだぜ。その代わり、お前は俺が必ず守るから」
ラッセルにはああ言ったし、目覚める前にアマーリアにも釘を刺されてはいたが、ティオゲネスはとっくに覚悟を決めていた。今の身体でも、彼女の弾除けくらいにはなれる。離れた所で死なせるくらいなら、この身体を盾にするくらい、何ということはない。
覚えず自嘲の笑みを浮かべた直後、前触れなく彼女が抱き付いて来た。
「……エレン?」
いきなり何だ、と言う意味を込めて名を呼ぶと、彼女が耳元でボソリと呟く。けれど、それは聞き取れなかった。耳元に、彼女の唇があるにも関わらず。
「おいエレ、」
「……き」
ようやく何かが聞こえて、目を瞬いた刹那、エレンは更に回した腕に力を込めた。
「……だから、死なないで」
彼女には見えない角度にある顔の中で、瞬時、目を瞠る。
驚きに強張った頬は、ゆるゆると苦笑を刻んだ。
(……ったく、何でこんな時ばっかり)
普段は考えられないくらい鈍臭いクセに、こんなことばかり察しがいいのはどうしてだろう、といつも思う。これだから、彼女を手放したくないのだ。それでも一時は――今さっきまで、この手を放すことを考えていたのに。
「……バカヤロ」
彼女の背に、左手を回しながら内心で毒づく。
(……もう、放せないじゃねぇか)
エレンからは見えない角度にある美貌が、痛みを覚えたかのようにくしゃりと歪む。
手を放した方が、きっと彼女は幸せになれるのは分かり切っている。だって、自分の手はこんなに血で汚れているのだから。
イェルド=エーデルシュタインのような男は論外だが、自分以外に彼女を幸せにできる、普通に育った男は多分探せばいくらでもいる。何も、こんな自分でなくても、と思う傍から力の入らない筈の左手は彼女を捕まえて放したがらない。
バカヤロ、ともう一度呟いたそれが、自身に向けたものだったのか、彼女に向けられたものかは分からない。滲みそうになる涙を呑み込むようにきつく目を閉じて、ティオゲネスはエレンの肩口に顔を埋めた。
***
「――いたわ」
ディンガーが目論見通り、監視ルームを制圧した後、セシリアは十五分程で目標の人物を見つけた。
この地下病棟は、地上の一般病棟の管理システムをも兼ねているらしい。ご丁寧に顔認証システムも導入されていて、彼を捕捉するのは造作もなかった。
とは言え、彼はそもそも飛び抜けた美貌の持ち主なので、顔認証がなくても見つけるのはさほど苦労しなかっただろう。
セシリアが座った椅子の背凭れに手を添え、数十ある画面を彼女の背後から見つめていたディンガーが、彼女の指に示された画面を注視する。
そこには、確かに車椅子に座ったティオゲネスと、それを押す少女が映っていた。
バカね、アイツも。
呟くともなしに内心で呟いたセシリアは、そっと溜息を吐いた。
一緒にいるのは、エレン=クラルヴァインだ。車椅子に乗っているところを見ると、ティオゲネスもまだ歩行がままならない状態なのだろう。なのに、あんなお荷物をわざわざ連れて、この非常事態にノコノコ乗り込むなんて、無謀にも程がある。
「よし、いいだろう。ご苦労だったな」
ポン、と肩を叩かれて、セシリアは思わずディンガーを振り仰ぐ。
「この後、どうするの?」
「そうだな。捕らえるのが先決ではあるが……」
言い掛けたディンガーは、まだ画面を見ている。セシリアも、釣られるように視線を画面へ戻した。
画面の中のティオゲネス達は、エレベーターホールに入っていた。
***
ティオゲネスは、迷った。
アレクシスも、エレベーターはダメだと言っていたが、今のコンディションで階段を降りるなんて、エレベーターと同じくらいリスキーな選択であることくらい分かっている。
仮に降りられたとしても、その後車椅子がすぐ手にはいるかは保証がない。加えて、左腕にはまだ力が入らず、右手には拳銃を固定してしまっている。
更に、エレンに車椅子を抱えて階段を降りるなんて芸当がこなせるかどうかなど、考えてみるまでもない。
消去法で行くと、気持ちいいくらいに選択肢は他になかった。
エレベーターの前まで来て、車椅子用の昇降ボタンを押すと、程なくポンと暢気な音と共に、向かって左手の扉が開いた。
無言で顎をしゃくると、エレンが車椅子を押し、内部に歩を進める。箱の内に落ち着くと、ティオゲネスは二階のボタンを押して、扉を閉じた。
病院のエレベーターはベッドでも乗れるように設計されている箱もあるが、今乗っているのは普通の広さだった。外からの見舞い客用といったところだろう。
ティオゲネスは、静かに深呼吸した。
こういう状況の時は、降りる際が一番危険なのは、身を持って体験している。頭上のパネルが二階に近付くに連れ、緊張が高まる。だが同時に、脳裏はあり得ない程冷めていた。
トリガーガードに添えていた指先を、トリガーに引っかけて腕を持ち上げる。
「……エレン」
声を掛けると、彼女は先に言い聞かせた通り、ティオゲネスの(正確には車椅子の)陰に隠れるようにしてしゃがみ込んだ。
直後、異常な振動と共に、エレベーターが停止した。




