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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Case-book.5―Hospital―
55/72

Hospital.1 告白

 小振りの花束と、メストル・シティの百貨店で買ったマドレーヌの箱を携えたエレンは、緊張の面持ちでティオゲネスの病室の前に立っていた。


 あの事件から――正確には、ラッセルがティオゲネスを救出した日から、約三週間が経過している。

 つい先日、やっと意識を回復したティオゲネスは、三日程前にICUを出たばかりだった。

 今は、面会謝絶も解除され、病室の扉も窓も開け放たれている。基本的には、誰でもウェルカム状態だ。但し、ここは五階だから、窓から入ってくるような酔狂な輩はいないだろう。それこそ、ティオゲネスと同じ人種でない限りは。

 今、室内にはティオゲネス以外の人間はいないようだった。

 ということは、彼が一人でいるという事実に他ならないが、それにしても静か過ぎる。

 そっと中を覗くと、現在、病室の主である少年は、どうやらうたた寝しているらしい。

 背凭れ状に、斜め四十五度程の角度に持ち上げられたベッドに背を預けたティオゲネスは、目を閉じて、安らかな寝息を立てている。その口元に、酸素マスクが付けられていないことが、彼が危機を脱した証のように思えて、エレンはホッと胸を撫で下ろした。

 音を立てないよう気を付けながら、エレンは室内に設えられた丸テーブルに、花束とマドレーヌの箱を置いた。

 花を活けようかとも思ったが、今は止めておこうと思い直す。

 花束の包装を解けば、結構な音がする。

 先日まで意識不明でいたとは言え、今眠っているのを起こすのは忍びない。

 ベッドサイドの椅子に、静かに腰を下ろすと、改めて彼の顔を見つめた。

 閉じられた瞼の先に伸びる長い睫が、白い頬に陰を落としている。元々色白な方だったが、それを差し引いても、まだどことなく顔色が悪いようにも見えた。

(……寝顔も綺麗ね)

 どうでもいいことが頭を過ぎる。ふと、彼が孤児院に来た日のことを思い出した。

 第一印象は、やはり今と同じだった。何て綺麗な子なんだろう、と。

 それが少年だと知った時は仰天したし、喋り出したら美貌も台無しな有様には二度びっくりした。

 そして、その美貌に似合わぬ凄惨な過去を聞いたのは、ほんの数日前のことだ。


『あたしも、彼自身じゃないし、捜査の過程で知ったことだし、彼個人のことは詳しくは知らないけど』

 そう前置きして、アレクシスが語ってくれたティオゲネスの幼少期は、エレンの想像を遙かに超えていた。

 この時、彼が幼少期を過ごしたのが、『ヴェア=ガング』という組織だったということも知った。マグダ=ルーナ女学院で、この単語を巡って一悶着起こした時、何故彼があれ程激昂したのか、やっと納得がいった。

 これまでの、エレンからすれば突拍子もない彼の言動も腑に落ちたものの、どう受け止めていいのか分からなかったというのが正直なところだ。

 だからと言って、彼を拒絶したり、軽蔑したりといった感情は、不思議と沸かなかった。

 過去はどうあれ、ティオゲネスはティオゲネスだ。それに、その過去があってこそ、今の彼があるのだし、彼が過去に犯した罪は、彼の所為ではない。

 ――もっとも、そんなことは、彼に身内を奪われた訳ではないからこそ言える、キレイゴトかも知れないとも思えて、エレンは未だ複雑な思いを消化し切れずにいた。

 本当は、きちんと自分の気持ちに整理が付いてから、彼には逢うべきなのだろうと思う。

 けれど、そんなことを言っていたら、その間に彼が姿を消してしまうような気がして怖かった。

 実際には、三週間も眠っていた所為で筋力が衰えている筈だから、そう簡単に消息を絶つようなことはないだろうが、一般常識の範疇で考えられないことをやって退けるのが、ティオゲネス=ウェザリーという少年だ。油断は禁物だった。

(……それにしても、寝顔なんかじっくり見るのって、もしかして初めてかも)

 それでなくとも、彼は気配に鋭敏な少年だから、人前で眠りこけているところなど、これまでに見たことがなかった。

 彼の眠りを妨げないように注意しながら、エレンはベッドサイドにある柵に寄り掛かって、彼の寝顔を覗き込んだ。

 教会に来た時、十二歳だった彼は、今十五歳だ。

 三年経って、輪郭の丸みが消え、顎がすっきりと鋭角になりつつある。鼻筋は綺麗に通り、薄く引き締まった唇が僅かに開いているのが、妙に艶っぽい。

(やだ、男の子に艶っぽいなんて)

 でも、女装も綺麗だったもんなぁ。スゴく似合ってたし……今度、ちゃんとお化粧させてみたいかも。ドレス着せても似合いそうよね。

「……実行しやがったら、張り倒すぞ」

「ひぇ!?」

 地を這うような低い声で言われて、飛び退くように上体を起こす。

 ふと気付けば、その瞼は持ち上げられ、美しい翡翠の瞳が睨むようにこちらを見ている。

「な、な、何のこと!?」

 脳内の独白だった筈なのに、まさか読心術!? 暗殺組織って、そんなコトまで教えるの!? と椅子から腰を浮かせてあたふたするエレンに、ティオゲネスは益々呆れたように目を細めた。

「ンな訳あるかよ。全っ部口に出てたぜ。何が『女装が綺麗だった』だよ。ったく、ヒトの人生の汚点を……」

 はあ、と溜息を吐いた彼は、無事な右手で額を覆う。

「汚点だなんてそんな……本当に似合ってたし」

「それ、全っ然フォローになってねぇから」

 つか、もういい加減その話題から離れろ、と素気(すげ)なく手を振られると、エレンはそれ以上何も言えなくなって、元通り腰を下ろした。

「……あ、あの……」

「…………」

「ティオ」

「……何だよ」

 彼が素っ気ないのはいつものことだというのに、今日に限っては投げるように言われると、全身で拒否されているような錯覚に陥る。

(知ってるのかな……あたしが、ティオについて色々聞いちゃったコト……)

 意識が戻ったのが三日前だから、その間にラッセルかアレクシスに聞いたかも知れない。

 勿論、覚悟の上で話を聞いたのだから、拒否されても仕方がないとは思う。

 だが、頭ではそう分かっていても、現実に拒否されると感情が付いて来ない。目の前にいるというのに、目も合わせて貰えないのが、こんなに辛いとは思わなかった。覚悟の絶対量が足りなかったということだろうか。

「――聞いたんだろ。俺の昔の話」

 ティオゲネスの態度に萎縮して、中々話を切り出せずにいると、彼の方が口を開いた。その視線は、窓の外へ投げられたままだ。

「……やっぱり、読心術」

「アホか。分かり易いんだよ、お前は。今のは全部顔に出てたぞ」

「う……」

 俯けていた目をチラリと上げると、ティオゲネスは窓の外へ向けていた視線を、いつの間にかエレンの方へ転じている。珍しく彼の顔に浮かべられた微笑は、苦笑と自嘲のそれがない交ぜになったような、複雑なものだった。

「いいぜ。何とでも言えよ」

「え?」

「『人殺しだなんてサイテー』でも、『軽蔑する』でも『失望した』でも。思い付くだけ罵れよ。その為に来たんだろ」

 覚悟はできてる。そう付け加えて、ティオゲネスは再度エレンから視線を外した。今度は、窓の外でもなく、どこか虚空を見据えている。

 確かに、ティオゲネスがもし、見知らぬ相手なら、散々に罵ったかも知れない。でも、そうしようという発想は、ティオゲネス相手では少しも沸いて来なかった。

「……っていうか、何でそんなコト決め付けられなくちゃなんないの?」

 そう思うと、何となく腹が立って来て、滑り出した声は普段より半音低くなる。

「は?」

「どうしてティオに、あたしの考えや言う言葉を決められなきゃなんないのかって訊いてるの! それにあたし、罵倒する為だけにお見舞いに来る程、暇じゃないんだけど!」

 ティオゲネスは、目を丸くした。本当に何を言われているか理解できない、という顔だ。彼がここまで考えていることを表情に出すのも珍しい。

 こちらに向いた視線をしっかりと捉えて、エレンはつんのめるように言い募る。

「だっ、大体ねっ、今更ティオが過去にして来たコトに付いてあれこれ言われたってピンと来ないし……キレイゴトだって分かってるわよ、でも、もう昔のコトなんでしょ? だったら別に」

「昔のコトなんかじゃねぇよ」

 まくし立てるように言うエレンを見ている内に冷静になってしまったのか、ティオゲネスが冷えた一言を投げ込んで、エレンの言葉を遮った。

「多分、必要なら今でも殺せるし、躊躇わないって言い切れる。ただ――」

 そこまで言い止して、ティオゲネスはふと口を噤む。

「ただ……何よ」

「いや……何でもない」

「何でもないコトないでしょ。言い掛けたら気になるじゃない」

 彼は、何事かを言おうか言うまいか、逡巡していたようだった。が、その逡巡は一瞬で終わった。

「何でもねぇよ。……とにかく、生きてきた世界が違えば、価値観だって違うんだ」

 それだけ言って、彼は目を伏せる。

 その表情は、ぞっとする程艶やかであるが故に、人を寄せ付けない空気があった。

 その空気に呑まれた気がして、無意識に椅子の上で後退る。

 けれども、帰る訳にはいかない。ここで引き下がったら、二度とティオゲネスに逢うことはできなくなる。それは、確信に近い直感だった。

「……だから何?」

「あ?」

「価値観が違うのなんか、当たり前じゃない。一般人だって、それぞれの家庭の価値観があるんだから。それで?」

「それでって」

 再度、目を丸くしたティオゲネスが、唖然と口を開けた。そのまま、彼が反論できずにいるところなど、滅多に見られるものではない。思わず吹き出しそうになるが、それはどうにか堪える。エレンは下腹に力を入れるようにして、ベッドの上にいる彼を睨み上げた。

「社会ルールの基礎さえ守れれば、価値観の違いくらいは些細なコトよ。夫婦だって、お見合い結婚なら最初は他人からスタートするし、そんなコト言ってたら、世の中離婚夫婦であぶれっちゃうわ」

 そこでエレンは、ハタと自分の言ったことを反芻した。

(あたし、今何て言った?)

 夫婦がどうとかって……選りに選って夫婦で喩えるとか有り得ない! 変な誤解招いたらどうするのよ、って、そうじゃなくて!

「……おい、エレン?」

 泡を食ったように内心で自問自答するエレンを、ティオゲネスが訝しげな顔をして覗き込む。端から見れば、口を押さえて目を白黒させているだろうから、訝しむのも無理はない。

「とっ、とにかく!」

 先制“口”撃、とばかりにエレンは言葉を継いだ。

「ティオは何がしたいのよ!」

「はあ?」

「だっ、だからっ……ティオはその……あたしに罵って欲しいの?」

「はい?」

 益々訳が分からん、とばかりに眉根を寄せる彼に、「ああ、ちょっと待って」と掌を差し出して、エレンは頭を抱えた。

 やはりきちんと気持ちの整理をしてから来るのだったと後悔するが、出直すという訳にもいかない。

「えーっと……ティオは、その……過去のコトはあたしに知られたくなかった訳よね?」

 すると、エレンの顔を覗き込む為に首を伸ばしていた彼は、表情を強張らせた。かと思うと、すっと後退るように首を退いて背凭れに背を預け、視線をエレンから外す。

 普段、ポーカーフェイスがデフォルトの彼にしては、分かり易い反応が続いている。

(……あたしだったら、どう?)

 例えば、“あのこと”を彼に知られたと分かった上で、彼と顔を突き合わせたとしたら。

 散々に罵られるのを覚悟しながらも、ふしだらな女だと軽蔑されて去って行かれるのに恐怖するだろう。離れていって欲しくなくて、それが身勝手な想いだと分かっていても、傍にいて欲しいと願うに違いない。

 けれども、どうせ結果が同じなら、さっさと罵倒して縁切り宣言でもして欲しい。今、こうして一緒にいる時間は、正しく生殺しだ。

「……ティオ」

 すう、と深呼吸して居住まいを正し、改めて彼に目を向ける。

 けれど、ティオゲネスは視線を窓の外へ向けたままだ。

 エレンは矢庭に立ち上がると、ティオゲネスの無事な右腕と、彼の顔に手を添えて、無理矢理こちらへ視線を戻させる。

「あたしは、軽蔑なんかしてない」

 大きく瞠った翡翠の瞳を、しっかりと捉えて続ける。

「あんたの過去はあんたの所為じゃない。たまたま放り込まれた環境が悪かっただけよ。そこでそんな価値観が培われたのは、あんたにはどうしようもないコトだわ。……それに、大事なのは、これからじゃないの?」

「ッ……」

 彼の唇が、何か言いたげに震える。けれども、そこから言葉が出ることはなく、彼はひたすら視線をエレンから外そうとした。

「……放せ」

「嫌よ」

「俺の手は、」

「汚れてるって言うなら、あたしもよ」

「!?」

 叫ぶ訳でもなく、しかし毅然と言えば、ティオゲネスが何度目かで目を見開く。

「……あたしは……ッ」

 ティオゲネスの頬に添えた手が、力なく落ちる。

(……ダメ……やっぱり言いたくない)

 覚悟して――これだけは、本当に覚悟して来た筈なのに、この期に及んで尚、言わないで済むものなら言いたくないと思っている自分に吐き気がする。

 彼の心に土足で踏み込んでおきながら、自分の汚点は隠しておきたいだなんて、本当に都合がいい。虫が良すぎるとはこのことだ。

「……あたし、」

 それでも開こうとした口よりも早く、ジワリと鼻の奥が痛む。見る間に目の中に溜まった涙は、止める間もなく頬に零れ落ちた。

「や、」

 違う。何でもない。

 そのどちらも口に乗せられずに、エレンは反射的に踵を返そうとした。

 だが、その場を去ることはできない。ティオゲネスが、素早くエレンの左腕を捕らえたからだ。

「……汚れてるってどういうコトだよ」

 責める訳ではない、静かな口調に問われて、沈黙しか返せない。

「確か、例の女学院でもそんなコト言ってたな。どういう意味だ?」

 けれど、完全に立場が逆転――ある意味ではいつも通り彼に主導権を握られて、エレンは意味もなく足下に視線を落とした。

「座れよ。この体勢、ちょっとキツいんだけど」

「……じゃあ、は、放して、よ」

 消え入りそうな声でどうにか返す。嗚咽で途切れる言葉が、みっともなく思えて、本当に消えてしまいたかった。

「放したら、お前逃げるだろ。普段ならともかく、俺今歩くのもままならねーし」

 何て勝手な理屈だろう。さっきまでは、彼の方が視線を逸らしまくってたクセに、と思うと腹が立つ。が、勝手な理屈を胸の内で捏ねているのは自分の方だと思うと、その苛立ちは自分に向けられた。

「……言いたくねぇなら無理に言わなくていい。前にも言ったろ」

「だって、」

 言い掛けるが、またしても嗚咽に遮られる。

 直後、何をどう思ったのか、不意にティオゲネスは掴んでいた手を放した。

「……ティオ?」

「……悪い。いいから、もう行けよ。どうせ、もう……」

 どうせ、もう――その先に何と続く筈だったのかは分からない。分からないが、逢うこともない、と続いた気がして、エレンは涙に濡れた顔を上げた。

「……キス、したの」

「は?」

「そうよね、どうせ逢うコトもないなら言うわよ。あたし、あの人とキスしたわ。軽蔑でも何でも好きにしなさいよ!」

 叩き付けるように言って、今度こそエレンはその場から逃げ出した。その背を、ティオゲネスがどんな顔で見送っていたかなんて、その時のエレンには知る由もなかった。


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