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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Case-book.4―Phantom―
48/72

Phantom.8 Lock on

 リヴァーモア州のエンゲルヴァルト・シティ郊外のバルトロメウス地区を中心に隣接する五地区を、別名『ブレイク・ピース』地区という。

 ラッセルは、その内の一つ、ルンドストレーム地区の西端にある、『バー・カヴァッローネ』に足を踏み入れた。コロン、とカウベルのような音を一つ響かせて扉が開く。その音に反応したのか、店内にいた客が揃ってラッセルの方を振り向いた。

 しかし、特に驚異ではないと判断した為か、程なく全員が、各々の時間に戻っていく。

「予約した、エルキンだけど」

 ラッセルが、カウンターにいたバーテンダーに告げると、彼は心得たという表情で会釈し、一番奥の部屋へ行くように言った。

 待ち合わせの相手に、ここへ来たら『エルキン』と名乗るようにと伝えられていた。どうやらその偽名が、合い言葉になっているらしい。

 バーテンダーとは別の、スタッフらしい男に案内されて、店の奥へ歩を進める。

 『STAFF ONLY』の札が掛けられた扉を開け、細い通路を抜けると更に奥まった場所に『NO ENTRY』の札が掛かった扉があった。カードレコーダーにカードキーを通した男は、扉を開くと、入るように身振りで示す。

 そこは、遊技場のような場所だった。

 三十メートル四方程の広さの室内に、ダーツやビリヤード、その他のゲームの台が置いてあり、バーカウンターもある。ただ、今は室内にゲームに興じる者も、酒を飲んでいる者もいない。

 奥まった所に設えられたボックス席に、目的の男はいた。頭部は思い切った丸刈りの割に、口髭だけは黒々と唇の周囲を覆っている。見た目の年齢は、四十代半ばといったところか。肩幅がやけに広くて、上背もありそうだ。

 立ち上がったら、恐らく縦にも横にもラッセルの倍はありそうなその男は、ロレンツォ=アンドレーア=アルトベッリ。そういう名前の筈だ。

 ロレンツォは、目線だけでラッセルに会釈すると、こちらへ来いと言うように顎をしゃくった。

 ラッセルは無造作にそのテーブルに歩み寄り、ロレンツォの向かいに腰を下ろす。

「あんたかい。ロレンツォ=アルトベッリってのは」

「そういうあんたは、ガリーニの旦那の紹介の?」

「ああ。ギブソンだ」

 ラッセルは、フルネームではないが本名を口にした。どうせ、ロドヴィーコ=ガリーニが全てバラしているのだろうから、隠しても意味はない。

「何か飲むかい」

 ラッセルを待つ間にオーダーしたのか、自分のグラスを掲げるロレンツォに、ラッセルは首を振る。

「いや、結構。早速だけど、取引と行こうか」

 ロレンツォは、肩を竦めると、「Uの所属だって?」と声を潜めて訊ねる。『U』というのは、現在の裏社会に於ける、CUIOの隠語らしい。

「まあね。あるガキの消息を追ってる」

 言いながら、ラッセルはジャケットの内ポケットから、一枚の写真を取り出した。そこには美貌の少年が一人、写し出されている。ティオゲネスだ。一番最近、別れる前に携帯端末のカメラで撮ったのを、プリントアウトしたものである。

「知らないとは言わせない。あんたがロディから買い取った筈だからな」

「分かってる。隠し立てはしない。その代わり、あんたの方も秘密は守って貰うぜ」

 どこか昏い表情で、こちらの思考を探ろうとするように言うロレンツォに、ラッセルは無言で唇の端を吊り上げる。所謂、裏取引というヤツだ。上の許可もなくこんなことをして、バレれば首が飛び兼ねない。けれども、上の許可を待っていては、あっという間に年を取ってしまう。加えて、状況が状況だけに、悠長なことはしていられなかった。

「コトのついでに訊きたいんだが、最近、元ヴェア=ガング出身の『兵器』が人気なんだってな」

 言うと、ロレンツォはあからさまに顔を顰めた。

「勘弁してくれよ、兄ちゃん。そいつは取引の中に入ってなかった筈だぜ?」

「そう言うなよ。喋ったところで、あんたの懐は痛まないだろ?」

「いーや、痛むね。詳しいコトは言えないが、お得意さんをUに売り渡すようなモンだ。下手すりゃ、おれ自身もコレさ」

 コレ、と言いながら、ロレンツォは自身の手首をくっ付けて見せる。

「いっそ、この機会に足抜けしたらどうだ? この業界にいりゃ、遅かれ早かれそうなるのは時間の問題だと思うけどな」

 揶揄するように言えば、髭面がまたも苦虫を噛み潰すように歪む。

「ジョーダンも程々にしてくれや、兄ちゃん。とにかくおれは、約束は守ったからな」

 あんたも守れよ、と付け加えながら立ち上がった男は、二つ折りにされた紙切れを渡し、そそくさとその場を後にした。

 男を横目で見送ったラッセルは、絞られた照明の下でそれを開いてみる。そこには、取引場所と日時、取引をする両者の名前が書かれていた。


***


 辿り着いた先は、小さな書店だった。

 人目に付かないよう、地上の路地裏を移動しても辿り着ける程、街の奥に位置している『書店サムエルソン』は、本当にこれで商売になるのかと、他人事ながら思い切り心配になってしまう立地だ。が、ティオゲネスの懸念を嘲笑うかのように、店先からはちらほらと客が出入りしているのが見て取れた。

 ずぶ濡れのティオゲネスを、書店から見て道路一つ隔てた向かいの目立たない路地裏で待たせたセシリアは、勝手知ったる他人の家とばかりに、店の裏手へ消えた。

 程なく、顔だけを覗かせた彼女が手招きする。道路を渡る間は、どうしても人の目に晒されるが、仕方がない。

 ティオゲネスは、一つ肩を竦めると、車が来ないかだけを確認して、小走りに道路を渡った。


「あのー。シャワーありがとうございました」

 それから着替えも。そう付け足しながら、ティオゲネスは、店の裏手にある店主自宅の、ダイニングキッチンへ顔を出した。

 まだ乾いていない頭を、借りたタオルで擦るティオゲネスは、本屋の主人(正確には夫人)が貸し与えてくれたワイシャツとスラックスを身に着けている。下着は流石に借りる訳にいかなかったので、近所にある衣類の量販店で、店主夫人が購入してくれた。

「ごめんなさい、小母様。ちゃんとしたの買ったら服は返すから。後、お金も」

 セシリアが、借りてきた猫のように身を縮めて、本当にすまなそうな声音で言う。

 そういう彼女も、どこかの病院から抜け出てきた患者のような出で立ちであったからか、普通の衣服に着替えていた。簡素なブラウスと、ロングスカートだ。恐らく、夫人のものだろう。

「いい、いい。あたしらのお古だけど、良ければあげるよ。それより、セシィにこんな綺麗な弟君がいたなんて、ちっとも知らなかったねぇ」

 そのセシリアの演技に当然気付かないのか、夫人はカラカラと笑った。耳慣れない『セシィ』という呼び名は、愛称なのか。

 それはともかく、いつ、誰が誰の弟になった? とセシリアに突っ込みたかったが、苦労してそれを呑み込む。

「弟って言っても、血は繋がってないんです。あたしと同じように、養子に貰われて来た子なの。ね、ティオ」

 ブリッ子口調で喋るセシリアには、虫酸が走る。しかし、夫人の手前、曖昧な笑いを浮かべるに留めた。

「俺も知らなかったよ。姉ちゃんに本屋さんの知り合いがいたなんてさ」

 『姉ちゃん』という箇所に最大限の皮肉を込めて、満面の笑顔で答える。これにもしっかり騙されてくれたのか、夫人が屈託なく破顔した。

「まあ、本屋さんなんて、他人行儀だねぇ。気軽にレベッカって呼んでおくれよ」

 改めて自己紹介した彼女のフルネームは、レベッカ=ケイリー=サムエルソンというらしい。ふっくらとした体型が、豪気な性格をそのまま現している。

「なあ。レベッカと姉ちゃんて、どういう知り合い?」

 椅子に掛けながら訊ねると、

「もお、ティオ。『レベッカさん』で・しょ」

 語尾の『しょ』と一緒に、レベッカからは死角になったテーブルの下で、セシリアの踵が、思う様ティオゲネスの爪先を踏み付ける。

「ッ、」

 思わず息を詰め、次いで「何すんだ、てめぇ!」と口走りそうになるが、レベッカの手前どうにか思い留まった。

「いいんだよ。あたしがそう呼べって言ったんだから、呼び捨てで。セシィとはね、何年か前に、ご両親とここへ旅行に来た時に知り合ったんだよ」

「ふーん」

 ご両親、というのは、折り合いが悪くなった養父母のことだろう。

「で、父さん達は元気かい?」

 あ、まずい。そう思った時、セシリアの目と視線が絡んだ。だから彼女との関係を話す展開に持って行きたくなかったのに、と顔に書いてある。

 若干ばつが悪くなって、ティオゲネスは視線を逸らした。

「少し前に、事故で亡くなりました」

「あら……」

 レベッカも、眉尻を下げ、顔を曇らせる。

「まあー、ごめんよ。……悪いコト訊いちゃったねぇ」

「いいえ。もう整理は付いてますから大丈夫です」

 にっこりと笑うセシリアに、唾棄したい衝動に駆られる。

 そりゃそうだろうよ、手ぇ下したのは自分(てめぇ)なんだから。口に出さずに毒吐きながら、半眼で彼女を睨み据えた。

 一瞬でもばつの悪い気分になった、二分前の自分を殴り倒したい。

(コイツには、同情なんてするだけ無駄なんだ)

 無駄と言うより損である。

 同じ組織で育ったとは言え、組織に拾われた経緯が違えば、引き取られた時期、育つ過程で培った価値観や、感情なども個人によって全く異なる。それは、四年前の『あの事件』で思い知った筈だったのに。

「ところでセシィ。今日はまた、何でここに?」

「それが……あの両親が亡くなってから新しい里親の所へ引き取られて……ティオはその二度目の里親の所でできた弟なんですけど、その里親ともあんまりうまくいかなくって。IOCA……あ、国際孤児保護協会のコトなんですけど、そこへに連絡したら、ここまで連れて来て貰えって」

「まあ、そうだったのかい」

 よくまあ口から出任せがスラスラと出るモンだ。

 もう何度目かで呆れながら、ティオゲネスは溜息を吐いた。

「でもね、小母様。あの人達ったら非道いんです。ここへ連れて来たらもう用は済んだとばかりに、あたし達を放り出してさっさと帰っちゃったんです。まだIOCAの人が来るまで三日もあるのに」

「まあ!」

 しおらしく項垂(うなだ)れたセシリアに、レベッカが思い切り同情した声を上げる。

「何て非道い里親だい!」

「でしょう? その上、ここへ来た時にチェックインしたホテルを、わざわざチェックアウトしてっちゃったんですよ。あたし達、泊まるとこがなくって、昨日は道端で眠ったの。ね、ティオ?」

 そうだっけ? と口から出そうになるのを、またしても苦労して呑み込む羽目になった。

「まああ、可哀想に。分かったよ、IOナントカが来るまで、ここにお泊まり」

 予想通りのリアクションに、セシリアが慌てたように身体の前で両手を振った。

「ええっ、そんな……そんなつもりじゃ、」

 そんなつもりだった癖に、よく言う。呆れて言葉も出ないとはこのことだ。

 しかし、豪気な上に人のいいレベッカは、完璧に(ほだ)されている。

「いいんだよ、遠慮なんかしなくて。ウチの子供達は皆成人してとっくに家を出てるし、部屋は余ってるんだ。三日くらいどうってこたないさ」

 こういう場面、どっかで見たな。

 郷愁を伴う既視感に、ティオゲネスは眉根を寄せた。こういう場面の後は、必ず面倒事を解決する為、奔走する羽目になるのだ。

「……姉ちゃん、ダメだよ。いくら何でも、図々し過ぎる」

 こういう時は、さっさとその場を後にするに限る。面倒事を逃れる方法はそれしかない。だが、得てしてこの手のタイプの人間は、善意を押し付ける方向にあるのも定番だ。

「子供は気を遣うモンじゃないんだよ。事情が分かった以上、捨ててなんか置けるモンかい。大丈夫、二人纏めて面倒見てやるから!」

 どーんと任せな、と文字通り胸を叩いたレベッカに、セシリアは「本当にいいんですか? ありがとうございます!」などと言って感涙にむせんでいる。無論、その涙はニセモノだが、底抜けに人の良さそうなレベッカが気付く訳はない。

(……ああ、何か)

 エレンの未来予想図を見た気がして、ティオゲネスは眉間を押さえて俯いた。


***


(あーいうおばはんが、将来ナントカ詐欺に引っ掛かったりすんだろうなー)

 他人事ながら少々心配だと思いつつ、ティオゲネスは、道すがら隠してきたサブ・マシンガンを取りに行く為に、一度宛てがわれた部屋を出た。髪の毛は既にドライヤーで乾燥済みで、いつでも出て行ける。

 姉弟とは言え血の繋がりがないなら、とわざわざ別室を用意してくれたレベッカには悪いが、ティオゲネスはこのまま姿を消すつもりだった。いつまでもセシリアと行動を共にすることはできない。第一、服と髪を乾かしたら、彼女とは離れるつもりだったのだ。当初予定通りの行動である。

「……今のところ、一緒よ。信用されちゃいないと思うけど」

 気配を絶ったまま、セシリアの部屋の前を通り過ぎようとしたティオゲネスは、室内から聞こえてきたそんな一言に、足を止めた。

「分かってる、三日でしょ。それまでは例の本屋にいるわ。……ええ、でも保証はないわよ」

(……何だ? 誰と話してる。……まさか、ディンガーか?)

 何か裏にあるとは思ったが、案の定だ。もう何度目か、数える気にもならない溜息を吐いて、歩を踏み出す。一刻も早く、ここを離れなければ。

 だが、階段に足を向けた途端、ティオゲネスは昇って来たレベッカと鉢合わせた。

「おや、ティオ! どうしたんだい?」

「いや、ちょっと……外の空気を吸いに。レベッカこそ、何でここに?」

 仕事に戻ったんじゃないのか、と訊くと、レベッカは手にしていた薄手の毛布を示した。

「初夏って言っても、この辺はまだ夜は寒いからね。忘れない内にと思って、持って来たんだよ。姉さんにも渡しておいてくれるかい?」

「あ、ああ……」

 曖昧に返事をして毛布を受け取ると、レベッカは「じゃあ、これから買い物に行くから」と言って踵を返した。しかし、バカ正直にセシリアに渡しに行くつもりはない。その辺へ毛布を二枚共置こうとして、思い直す。野宿するなら、あった方がいい。

 一枚だけ失敬して、今度こそ出ようとした瞬間。

「――注意力散漫、ね」

 クスクスと楽しげに笑う声と共に、背筋に銃口としか思えない感触が押し当てられる。

「は、全くだな」

 自嘲気味に言うのは二度目だ。

「どこ行くの?」

「ちょっと散歩って言ったら信じるか?」

「信じる訳ないでしょ」

「姉ちゃんにカンケーねぇだろ」

 わざとそう言うと、銃口が皮膚に食い込んだ。

「いけない弟ね。聞き分けのない子には、お仕置きが必要かしら」

「脈絡なく姉貴面すんなよ、気っ色ワリー……」

「これなーんだっ」

 第一、お前なんか血が繋がってても姉貴と思いたくない、と続けようとしたのを知ってか知らずか、ティオゲネスの言葉を遮るように、セシリアが携帯端末を背後から目の前に翳した。

「ちょ、近過ぎてよく見えないんですけど」

「じゃあ、手に取ってじっくり見たら?」

 目の前にあった端末が、左脇の下から伸ばされる。

 右手で受け取った端末画面に映っていたのは、動画だった。

 どこかで見たような室内に設置された椅子に、一人の少女が座っている。だが、縛られて気を失っているのか、俯いた顔は緩いウェーブを描いた淡い栗色の髪に遮られて見えない。

「何……?」

 ドクン、と心臓が一つ脈打つ。

 確かに、顔は見えない。けれど、ティオゲネスはその少女をよく知っていた。知っているが、ティオゲネスの脳は、顔が見えないのを理由に分からないと思い込もうとしている。

 撮影している人物は、それを見越していたかのように、縛られ椅子に座らされた少女に近付き、彼女の頭部を髪ごと鷲掴みにした。仰向かされた顔は、瞼は閉じられているが、見間違いようもない。

「……エレ、ン……?」

 呟くと同時に、端末が手から抜き取られる。

「あんたがこの後下手な動きすると、大~事なお姫様に傷が付くかもよ?」

 クスクスと楽しげに笑う声が、耳に障る。

「どういう、意味だよ……」

「どういうもこういうも、もう分かってるでしょ?」

「答えろ」

 低く落ちた声音に、彼女がどんな顔をしたかは分からない。だが、背筋に当たった銃口が、小さく震えた。

「どういう意味だ」

 首だけを回して、斜め後ろにいる彼女を冷ややかに睨み上げる。

 微かに青ざめたように見えるセシリアが、距離を取ろうとするように一歩下がる。その所為で生まれた隙に、ティオゲネスは素早く身体を反転させると、彼女の銃を持った方の手首を捻り上げた。

「あっ!」

 彼女の手から、銃が離れて床を転がる。その手をそのまま背後に捩じ上げて、近くの壁に叩き付けるようにして彼女を押さえ込んだ。

「った! 何するのよ!」

「こっちの台詞だ。てめぇ、エレンに何した?」

「あたしは何もしてないわよ! たった今、あんたの目の前にいるじゃない!」

「俺は御託が聞きたい訳じゃねぇんだよ」

 耳元に唇を近付けて、感情の籠もらない声で低く囁く。

「言った筈だよな。アイツに手出ししたら、タダじゃ置かねぇって」

「あたしも言ったわ。それをあんたが言う権利はないってね」

 言うなり、セシリアが力尽くで拘束を振り解こうと身を捩る。ティオゲネスは、彼女に押されるまま一歩下がり、その足下を払った。

「きゃっ……!」

 悲鳴と共に彼女が転倒する短い間に、転がった銃に飛び付き、彼女にポイントする。

「動くな」

 起き上がり掛けた姿勢で動きを止めた彼女は、唇を噛むようにしてティオゲネスを睨み上げる。

「もう一度訊くぞ。アイツに何をした。今アイツはどこにいる?」

 アイス・ブルーの瞳と、翡翠のそれが、冷たい火花を散らして暫し交錯する。短い睨み合いの後、セシリアはゆっくりと立ち上がった。

「本当にいいの?」

 不意に、余裕を取り戻したような声音で反問した彼女は、唇の端を吊り上げる。

「答えになってねぇよ。これが最後だ、質問に答えろ」

「この会話、ぜーんぶ筒抜けになってるって言っても?」

「何?」

 油断なく銃口を向けたまま眉根を寄せると、セシリアは、自身のこめかみに指先を宛てた。

「あたし達の脳内にはね。超小型(ナノサイズ)の盗聴器が仕込まれてんのよ。発信器と通信機を兼ねた、ね」

「はあ?」

 訳が分からない。そう言いたげな声を漏らすと、彼女は微笑を深くする。

「あんたも、意識がない時間があったでしょ。その間に注入されたのよ。今、北の大陸(ユスティディア)の北部で開発中の技術らしいわ」

 あたし達に仕込まれたのは試作品みたいだけど、と挟んで彼女は続ける。

「だから、どこへ逃げでも無駄よ。この島にいる限りは、あんたもあたしも、アイツらの手の内って訳」

「口から出任せも大概にしろよ」

「あら、どうしてそう思うの?」

「だってそうだろ。さっきまで、お前と一緒に捕まってた時は、盗聴なんてされてなかった。もし盗聴されてたら、お前からヘアピンを渡された時点で誰かすっ飛んで来てた筈だ」

 それは、あの場で彼女にも確認済みだ。

 けれども、彼女は尚も余裕の表情を崩さない。

「スイッチが入ってなかったとしたら?」

「何だって?」

「ホラ、よくあるでしょ。車から半径何メートル以内の範囲から外れたら爆発する爆弾を仕掛けられたー、とか言うの。あれの、盗聴器バージョンよ。あたし達の場合、あの建物から半径五十メートルの範囲から外れると、スイッチが入るプログラムになってたらしいわ」

 爆弾じゃなくて良かったわねー、と続いた彼女の言葉に、内心背筋が冷えた気がした。だが、今になって彼女の言うことを信用するに値する材料もない。

「……それを信じろとでも?」

 最後の抵抗を試みた、その時。

『――これで信じるか?』

「!?」

 脳内に、直接声が響いた。

「誰だ、どこにっ……!」

『まあ、落ち着けよ。端から見たらお前は独り言を喋ってる危ない奴と変わらないぜ』

 クスクスという耳障りな声が、何処からともなく聞こえてくる感覚は、何とも不快だ。

「ディンガー……! てめぇ、いつの間にこんなモノ、」

『いつからかは、彼女から説明があったと思うけどな。だろう? スティール』

「ええ」

 嫣然と微笑むスティール、ことセシリアの微笑まで、今は衝動的に引き金を引きたくなる程、癇に障る。

『そういう訳だ。これからお前がどこに行こうと何をしようと、二十四時間監視されていることを忘れるな。さもなければ』

 そのタイミングで、目の前のセシリアが、エレンの映った端末を掲げる。

『大事な彼女の命、身の安全、全て保障し兼ねる』

「こっの……!」

『ああ、言うまでもないとは思うが、外部への連絡も止めておいた方が賢明だぞ。この機械を通せば、お前が話すこと、聞いていることはこちらへも筒抜けだからな』

 息を詰めて唇を噛み締める。

『彼女だけではない。マルタン教会、だったか? あちらにも人員を派遣した。まだ到着してはいないが、いずれ体勢は整うだろう』

 何が望みだ、など、訊くだけ愚問だ。無意識に側頭部へ添えたままの掌が、そのまま拳を握る。力を入れ過ぎて爪が食い込んだが、痛みなど感じない。

「……てめぇ、今俺の目の前にいなかった幸運に感謝しろよ」

 でなければ、頭の中で得意げに能書きを垂れるこの男に向けて、とっくに手の中にある銃の引き金を引いている。

『好きに吠えてろ。状況を理解できたなら、三日間おとなしくしているんだな』

 クス、と一つ楽しげな笑いを零した男は、通信を切った。

「――畜生!!」

 ティオゲネスは、銃を握ったままの手を、近くの壁に勢いよく叩き付ける。ガン、と鈍い音がして、拳に痛みが伝わるが、その感覚はどこか遠かった。

(あッンのクソ野郎、好き勝手言いやがって……!!)

 その美貌とギャップのあり過ぎる悪態が、脳裏を()ぎる。

 最後にディンガーに向かって言ったことが、負け犬の遠吠え以下の効果しかないことくらい、分かっている。

 だが、言わずにはおれなかった。

(どうする……どうすればいい)

 今なら、レベッカ辺りに訊けば、公衆電話のある場所くらい教えて貰えるだろう。いや、彼女の人の良さなら、自宅にある固定電話さえ提供してくれ兼ねない。だが、その会話も自分が聞いている全てのことも向こうに筒抜けになるとしたら、助けも呼べない。

「どう? 大事な人が死に掛けてる気分は」

 ハッと気付くと、セシリアが至近距離にいる。少し顔を傾ければ、キスができそうな距離だ。

 何を答える隙もなく、鳩尾に衝撃が来る。

 不意打ちをまともに喰らって、壁に叩き付けられた。息が詰まる。一瞬、意識が遠退き掛けるが、必死で現実に踏み留まる。

「これは、返して貰うわね」

 ゆったりとした歩調で近付いたセシリアが、握ったままの銃に手を伸ばす。ティオゲネスは、力の入らない腕を無理矢理動かすと、奪い取られる寸前に彼女へ銃口を向け直した。

「……返して堪るか、蛇蝎の犬が」

「何ですって」

 反射的に身体を引いた彼女の眉根が、ピク、と動く。

「言動に注意しろよ。今の俺はあんまり冷静じゃない。周囲の人間にどう思われようが、気に食わなきゃいつでも撃てるぜ」

 鈍い動作で壁に縋るようにして立ち上がりながらも、銃口は彼女にポイントしたままだ。

「それであたしを脅してるつもり?」

「さあな。お前が命を惜しいと思ってるかどうかにも拠るさ。けど、言った筈だな」

 伏せた瞼の下から現れた翡翠の瞳は、底なしに冷えた色を宿している。セシリアは、本能的に恐怖を感じたのか、肩を震わせると無意識に一歩下がった。それに合わせて、ティオゲネスは彼女に向かって一歩踏み出す。

「アイツに何かしたら、楽には死なせてやらないって」

 意図せず、冷え切った声音が喉から滑り出る。そのまま、セシリアの胸元に銃口を押し付け、空いた手を差し出した。

「な、何?」

「その端末、寄越しな」

「な、何言ってるの? これで、お仲間に連絡でも取ろうって言うの? あんた正気?」

 先刻までのディンガーの解説を聞いていれば、セシリアでなくともそう思うだろう。何をしても向こうに露呈してしまうのだから、無駄というものだ。しかし、ティオゲネスは動じない。

「俺が何をしようとしてるか、お前が知る必要はねぇ。いいから寄越せ」

 より強く押し付けられた銃口に、セシリアはやはり恐怖を覚えたのか、顔色を失くした。しかし、息を詰めるようにしてティオゲネスを睨み据え、端末を渡そうとはしない。

「ふぅん。まだ意地とプライドくらいは残ってるみてぇだな」

 クス、と嘲るような笑いを零すと、彼女の足下を素早く払う。短い悲鳴と共に、彼女が再び転倒した。その隙に、先刻レベッカから渡された毛布を適当な厚さができるように素早く丸め、彼女の腕に押し当てる。その上から銃口を食い込ませ、躊躇いなく引き金を絞った。

「ッ――――――!!」

 瞬時、目を瞠った彼女は、声にならない悲鳴を上げて仰け反った。

 サイレンサーも装着していない銃を、まさか本当に撃つとは思っていなかっただろう。ティオゲネスは、端末を奪い取ると、綺麗な方の毛布を取り上げて、踵を返した。

「精々巧い言い訳を考えるんだな、姉ちゃん」

 捨て台詞を残して、階段を駆け下りる。銃声を消す努力をしたとは言え、完全にそれを消せた訳ではない。遅かれ早かれ、誰かが駆け付けるだろう。

 途中、階下の部屋を手早く家捜しし、必要なものを失敬して家を後にした。

 元来た路地裏を暫く歩き、サブマシンガンを隠した場所へ辿り着く頃、脳内の機械に通信が入る。

『貴様、一体何を考えてる!?』

「よう。お早い定時連絡だな」

 クス、という笑い付きで答えたティオゲネスに、ディンガーは珍しく噛み付いて来た。

『スティールに何をした!?』

「さあ? 何をしたにしろ、あんたには関係ないね。三日間大人しくこの土地にいろ、とは言われたが、行動制限は受けてない」

『屁理屈を捏ねるな。逃亡するような素振りを見せたら――』

「エレンの命はねぇ、か?」

 ディンガーの語尾を引き取りながら、ティオゲネスの手元はサブマシンガンのチェックに勤しんでいる。

「逃亡するかどうかは、そっちで確認しろよ。俺は今のとこ、ここを離れるつもりはないぜ。正確な地理も分かってねぇし」

『……すぐにさっきの場所へ戻れ』

「嫌だ、と言ったら?」

『エレン=クラルヴァイン嬢の綺麗な指先が、一本ずつなくなるかも知れないな』

「言っとくけど、アイツが五体満足でない状態なのが分かったら、俺は絶対にあんたに従わないぜ」

 平板な、それでいて冷ややかな声で告げると、相手は息を呑むように瞬時沈黙した。

『……それを指示できる立場だと思っているのか』

「知ったことかよ」

 吐き捨てるように言い放ちながら、サムエルソン宅から失敬して来たデイパックへサブマシンガンを突っ込む。

「セシリアにも言ったけどな。あんたらはアイツに手を出したんだ。俺が何もしないで引き下がるとでも思ってるなら、甘いぜ」

『口の利き方に気を付けた方がいいんじゃないのか。クラルヴァイン嬢の運命を握っているのは、お前なんだぞ』

 一時の動揺から立ち直ったのか、ディンガーの口調がいつもの、静かに威圧するそれに戻る。だが、それはティオゲネスも同じだった。

「簡単にそういうコト言わない方がいいんじゃねぇの? あんた達が教えてくれたんだぜ。人質は無事じゃないと意味がねぇってな」

『時には、相手に言うことを聞かせる為に、敢えて人質を傷付けることも必要だ、とも言った筈だがな』

「ホントーにそれやったら、取引の場でひと暴れさして貰うけど、構わねぇな?」

 『何だと?』と喚く声を聞きながら、ティオゲネスはデイパックを背負って立ち上がる。

「あー、うるさい。人の頭ん中で怒鳴るの止めてくんねぇ? とにかく、取引の場に俺がいればいいんだろ。違うか?」

『それは……そうだが、』

「だったら、グダグダ文句言うな」

 どの道お前らを放置して逃げ出すつもりもねぇし、と、口に乗せることなく呟くと、ティオゲネスは駆け出す。

「三日後、どこへ行けばいい?」

 訊ねると、ディンガーは大いに戸惑ったようだった。

 しかし、ともかく行動の把握はできると思い直したのか、『三日後、こちらから迎えに行く』と言うと、通信は一度切れた。

 路地裏から表通りに出て、ティオゲネスは周囲を見回す。

 そこはビル街の谷間らしかった。水上都市と言っても、水路ばかりがそこかしこに通っている訳ではなく、大陸にあるような普通のビル街も存在していたようだ。

(……さーて、と)

 パキ、と一つ指を鳴らす。

 まずは情報収集と地理の特定。三日もあれば充分だ。

 但し、向こうにこっちの移動は筒抜けだから、あまり時間は掛けられない。その上、セシリアを負傷させた件で、サムエルソン夫妻が何かしらの動きを見せることも想定しておいた方がいい。

(あーあ、中々やり甲斐のあるミッションだこと……まあ、毎度のこったけどな)

 自嘲気味に脳内で呟くと、それにしてもエレンの奴、と舌打ちする。

(何でまたこんな面倒事に巻き込まれる羽目になってやがんだ。わざわざ離れてやったのに、あのバカ)

 路地の壁に背を預ける。側頭部の髪を掻き上げながら、目を伏せた。こっちがどんな想いであの日溜まりから離れたか、彼女は深く考えもせずにまた余計なことをしたであろうことは、想像するまでもない。

(知らねぇぞ、マジで)

 けれど、事態がこうなったからには、あれこれ言っても仕方がない。必ず助ける。そして、助けた後は、もう二度と――

 しかし、その先は今明確に形にすることは敢えて避けるように、感情をシャットアウトする。ふうっと一つ深呼吸して雑念を払う。何も考えない。昔のように、ただ作戦を遂行すればいい。

 伏せられた瞼の下から現れた翡翠の瞳を、見る者はいない。だが、その瞳は、見る者を凍り付かせるような昏い色を湛えていた。

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