Phantom.6 泥の沼
「それでは本部長。私はそろそろ上がります」
「ああ、お疲れ様、イメルダ。明日も宜しくね」
「はい。それでは、お先に失礼致します」
ペコリと頭を下げて退出する秘書官のイメルダ=ネローニを、IOCA本部長・ビクトリア=モンテスは、上品な会釈で見送った。
そして、自分がそれまで向かっていた端末に視線を戻す。
そこには、これまで養子縁組みを支援し、その養父母との関係が破綻した子供達のリストが立ち上げられていた。大方が、『ヴェア=ガング』から保護した子供達だ。
先日、ここへ訪ねてきたティオゲネス=ウェザリーのものもある。
(長かった……)
画面をそっと指先でなぞりながら、感慨に耽る。
今は亡きヴェア=ガングの先代総帥に、ここ国際孤児保護協会・通称IOCAへの潜入を指示された時は、何事かと思った。
『何故……何故なのです、総帥!』
あの頃は、ビクトリアもまだ若く、上司の意図するところがどこにあるのか、拝察することができなかった。思えば、あの頃既に、先代は近々組織が崩壊することを予見していたのだ。
『万が一の為だ。もし十年後も組織が安泰であれば、必ずお前を呼び戻す。だから、今は何も訊かずに従ってくれ』
結局それから五年後、組織はCUIOの手入れにより崩壊した。
次期総帥として全権を委任されたという副総帥シャロン=ヴァイオレット=アン=ハウエルズが、ビクトリアを訪ねて来たのは、直後のことだった。
『総帥からの最期のご指示よ。完遂したら、私からの指示があるまで動かないで』
そう言い残すと、ハウエルズは一度消息を絶った。手渡されたのは、遺書とも呼べる、正に総帥の『最後の指示』――一通の手紙だった。
その指示通りに、CUIOに協力を申し出、怪しまれないように養子縁組みを進めながら、子供達の追跡も怠らなかった。副総帥の本拠である、聖マグダ・ルーナ女学院が摘発を受けた時、直後は愕然とした。
しかし、ヴェルナー=ベルノルト=ディンガーも動いていることを知ってからは、彼とも連絡を取っていたから、落ち着けば思った程焦りを覚えていない自分に気付いた。
(……もうすぐです。総帥……)
リストの向こうに、先代総帥の幻影を見ながら、ビクトリアは儚い笑みを浮かべた。
***
「邪魔するか協力か、それともどっちでもない沈黙か。選り取りの三択で楽しいだろが。とっとと好きに選べよ」
誘拐された先で、同じ場所へ閉じ込められた少女に言い放って、ティオゲネスは口を噤んだ。その翡翠の瞳で、無表情に彼女を見つめる。
後は、彼女の出方によって決めるつもりで。
すると、むっつりと押し黙っていたセシリアは、おもむろに立ち上がった。そして、視線だけで室内を見回すと、腹部と口元を押さえて苦しげな表情をした。
その行動に疑問を覚えはしたが、声を掛けようとは思わなかった。今更、彼女がどうなろうが、哀れんだり、心配したりといった心は持ち合わせていない。ただ、その言動だけを注視する。
次に咳き込んだ彼女は、口元から離した手を、出し抜けにティオゲネスの顔へ伸ばした。身を捩ろうとするよりも、次のセシリアの行動の方が早い。彼女は、ティオゲネスの両頬を挟んで固定し、何を思ったか唐突に彼女自身の唇をティオゲネスのそれに重ねたのだ。
「ん、ッ~~~!?」
いきなり何するんだ! と叫ぼうにも、唇を塞がれているものだから呻き声しか出ない。その間にも彼女は顔を傾け直して深く唇を重ねると、ティオゲネスの唇の隙間を舌先でなぞった。
(ちょっ……!)
マジで何なんだ!!
益々混乱するティオゲネスにお構いなく、セシリアは片膝をベッドの上に乗り上げ、体重を掛けて来る。せめて押し倒されまいとする内に、唇の隙間から彼女の舌が侵入した。
普段、どんな窮地に陥っても、滅多なことでは動じないティオゲネスだが、色仕掛けは完全に想定外だ。いや、これが色仕掛けと言えるものなのかは謎でしかない。しかし、パニックで思考が真っ白になる寸前で、ティオゲネスは、自身の舌先に触れたのが彼女のそれだけでないことに気付いた。
即座に思考を切り替え、それが何なのかを探る為、全神経を舌先に集中する。細長くて硬質で、鉄錆びた味のする――
(――ヘアピン、か?)
それが、ティオゲネスの口腔に納まったと見るや、セシリアはようやく唇を離した。
「……後は好きにしなさいよ」
近距離でボソリと言うと、これ見よがしに彼女は唇を拭いながら、踵を返す。スタスタと部屋を横切り、出入り口とは違う扉を開け放った。今度は何をするのかと思いきや、何秒もしない内に水を流す音が聞こえた。うがいをしているらしいと察して、溜息を吐く。
唇を洗ってうがいをしたいのはティオゲネスも同じだったが、それは後でいい(というより、今は物理的に不可能なのだが、気持ちの問題だ)。今、自分の口の中にあるヘアピンが、何故、いつから彼女の口の中にあったのか――を考えるのも取り敢えず放棄した。考えて答えを出してしまったら、この場で吐きそうだ。
思う様眉根を寄せてから、ティオゲネスは視線だけで室内を見回した。彼女がこんな方法でヘアピンを渡したのは、恐らく監視カメラがどこかに設置してあるからだろう。
(……ま、簡単に見える場所に仕掛けちゃいないか)
脳内で溜息を吐くと、ティオゲネスは、できるだけ不自然に見えないような所作で、ゴロリとベッドへ横になった。セシリアの使用していたベッド方へ背を向けて、口の中のヘアピンを吐き出す。
「……そーいやさ。ここの監視カメラって、集音マイク付いてんのかな」
おもむろに起き上がりながら言うと、セシリアは元通りベッドへ座ったのか、背後から「さあ」と気のない答えが返る。
「あったとしたら、今頃誰かすっ飛んで来てるわよ」
「ま、それもそうだな」
ヘアピンの位置を慎重に確認しながら、ティオゲネスはセシリアの方を向いた。手探りでヘアピンを持ち上げると、今度は手錠の鍵穴を探す。
「ところでよ。お前、ここが何処だか知ってるか?」
勿論、地理的な話だ。セシリアにもそれは伝わったらしいが、彼女は嘲るように目を細めて鼻を鳴らした。
「知る訳ないでしょ。留置所から犯罪者拉致っていくような人間が、親切に窓の外見せてくれると思う?」
「あーはい、すいません、愚問でした」
は、と息を吐いて、ようやく鍵穴を捜し当てたティオゲネスは、どうにかそこへヘアピンを突っ込んだ。ここまでくれば、半分は縄抜けを終えたも同然だ。
ヘアピンで鍵穴を探りながら、視線は左足に付いた枷に向いている。
手錠を外すのにまず四、五分から十五分くらい掛かるだろうか。それから、足枷を外すのに五、六秒。更に、外から掛けられた扉の鍵が内側から解除できるかは分からないが、監視カメラがあるのなら、足枷が外れる頃には向こうから来てくれるだろう。
そこから先は、こちらの行動は筒抜けと思って良いから、出たとこ勝負で行くしかない。
(……いや、コイツの枷も外してやんないとな)
チラリとセシリアに目線を向けて、ティオゲネスは何度目かの溜息を吐いた。
彼女を助ける義理も義務もないが、万が一彼女を盾に取られでもしたら少々面倒なことになる。自分が手を下すにしろ、向こうが殺すにしろ、見殺しにしたら凄まじく後味は悪いだろう。それはもう、間違いなく。
となると、予定変更。彼女の足枷を外すのにプラス五秒だ。
(くっそ、面倒くせぇ……)
どうにも、表の世界に出たことが――というより、あの教会へ引き取られたことが、思う以上に精神に影響しているらしい。組織にいた頃の自分なら、彼女を切り捨てるのに、呵責を感じる良心すら持ち合わせていなかった。
鍵穴を弄くり回すこと数分、やっと解除の手応えを感じて、ティオゲネスは改めて深呼吸した。ここからが勝負だ。十秒間、誰も来ませんように、と念じると、後ろ手にそっと手錠を外し、一気に足枷を外しに掛かった。
ものの三秒で、すぐに扉の鍵が開けられる音がする。構わず集中し、プラス二秒で足枷を外した。同時に、扉が開く。
「動くな!」
だが、叫んだ男が構えた小銃の引き金に指を掛けるより早く、ティオゲネスが飛び掛かった。銃口を上に向け、鳩尾目掛けて蹴り上げる。奪い取った小銃の引き金を引いて男の足を撃ち抜き、行動不能にするや、セシリアに向かってヘアピンを投げた。
「早く、枷を外せ!」
「え」
瞠目して動かない彼女が、心底焦れったい。
「ここまで協力したなら最後まで従えよ! お前盾にされると色々面倒なんだよっ!!」
それでも数瞬、目を見開いていた彼女は、やはり足枷を外さずにうっすらと笑った。
「それも面白いかもね」
「盾にされたお前を助ける為に、俺がてめぇの人生諦めると思ったら大マチガイだぞ」
「試してみる?」
問答する間に、新手が来る。素早く手にした小銃をフルオートに切り替え、弾幕を張って敵を退かせると、両足を撃ち抜いた男を室内に引きずり込んで、扉の前に座らせた。彼の両手に、先程まで自分が付けさせられていた手錠を填め、ノブに引っかけて簡単には開かないようにその姿勢を整える。
大股で彼女に近寄り、セミオートに戻した。彼女の枷から伸びている鎖を撃ち抜くと、彼女の胸倉を掴む。
「これでお前も自力で逃げられる。てめぇの面倒はてめぇで見ろ。この上で足手纏いになったら、その時は殺す」
今の彼女に、彼女自身の命を盾にするような脅しが通用するとは思わなかったが、担いでまで一緒に逃げるような義理は本当に感じない。そこまでの面倒は見切れないというのが、正直なところだ。
突き飛ばすようにして彼女をベッドに放り出し、窓の鍵を壊して押し上げる。再びモードをフルオートに戻して、その向こうにある格子を撃つ。その間にも、扉をぶち破ろうとする音が背後から迫る。ティオゲネスは、焦る思考を理性で捻じ伏せ、下の部分を破壊された格子を蹴り付けた。自分が出られるだけの隙間を作ると、窓の外を確認する。
格子が邪魔で、それまで外の風景はよく見えなかった。隣の建物との間は、一メートル前後と狭い。下までは五、六メートルもあるだろうか。建物と建物の間に走っているのは、道ではなく川だ。深さが充分なら飛び降りてもいいが、ここからではそこまでは分からない。飛び降りてみて、浅い川だったりしたら、地獄へ直行である。
上下左右を見回せば、同じように格子のはまった窓がズラリと並んでいるのが分かる。ティオゲネスは唇の端を吊り上げると、手にした小銃に付いていたショルダー用のベルトを引っ掛ける。背後から、銃撃の音が始まる刹那、格子の隙間から滑り降り、下の階の格子へ掴まった。
何も考えずに下へ降りれば、蜂の巣にされる可能性が高い。向かって右斜め下の階へ視線を投げた瞬間、銃弾が頬と腕の間を掠めて、背筋が冷えた。
水面まで遮蔽は何もない。二、三秒毎に上がる銃声に合わせて銃弾の雨が降り始め、ティオゲネスは舌打ちした。
当たらないことを祈って叶う程、現実は甘くない。止むなく、芸も捻りもなく真下に手を離し、空中で強引に体を捻る。斜め下の格子に飛び付きつつ、壁を蹴って隣の建物に足を着ける。ピンボールのように建物の間をジグザグに跳ねて水面へ辿り着くと、そのまま飛び込んだ。
水中へ入ってみると、意外に深い。一気に水を掻いて、水面から離れるように底へ向かい、右手に進路を取った。
銃声から察するに、相手が使っていたのは拳銃だろう。ならば、有効射程は三、四十メートル。充分に離れたと思える場所で、急いで水面に上がり、息を思い切り吸い込んで再び水中へ潜る。
セシリアがどうしたかは分からないが、こちらの邪魔にならなければ彼女がどうしようと構わない。
できるだけ距離を稼いで息継ぎの為に水面へ上がることを繰り返す内、建物の際まで来た。
その陰に身を隠すようにして窺うと、建物のすぐ傍は港だった。時刻は分からないが、昼間なのは間違いない。今は、仕事始めらしい慌ただしさは感じられず、五十メートル程離れた所にある桟橋の脇に、漁の為らしい船が整然と並んで波に揺られていた。
ここからでは、陸に上がる場所を探すことはできない。
自分が来た方を振り返ると、目算でも百メートル以上は離れている。窓があるのと同じ壁面に張り付いていれば、あの窓から視界には捉えられない。けれど、ゆっくりしてもいられないだろう。
目立たないように行動する余裕もない。ティオゲネスは、深く息を吸い込んで、何度目かで水中へ潜った。
***
「くっそ、あのガキ! ナメた真似しやがって!!」
格子の破壊された窓から身を乗り出した男の一人が、手にした小銃で思い切り窓枠を叩いた。ガン、と無駄に大きな音が響いただけで、ティオゲネスは勿論戻らない。
「おい、ガキ! 何で止めなかった!」
グイと胸倉を掴まれたセシリアは、されるままに僅かに腰を浮かせ、背を仰け反らせる格好になる。これが、普通の少女なら悲鳴を上げて命乞いをするか、さもなければ恐怖の余り声も出せずに震えているかのどちらかだろう。けれども、セシリアは無表情に男を見上げた。
「止めるのはあんた達の仕事でしょ? あたしはあの子の見張り役じゃないわ」
「何だと、このアマッ……!」
「止せ」
そこへ、静かな声音が割って入る。男は、セシリアの胸倉を離して、その声の主に頭を下げた。
「ディンガーさん」
「全く、派手にやったもんだな」
はあ、と溜息を吐きながら、ディンガーは格子から下を覗き込んだ。だが、そうしたところで、ティオゲネスは既にここから見通せる範囲にはいないだろう。
「お前は、何故逃げなかった?」
ディンガーがその紅い瞳で、ヒタとセシリアのアイス・ブルーを見つめる。
「何故って?」
「アッシュに逃げるように手引きしてやったくらいだからな。お前にも逃げる意思はあったんじゃないのか」
セシリアは、一瞬ヒヤリとした。
胃の中に隠してあったヘアピンを、口移しでティオゲネスに渡してやったのは、ほんの気紛れだった。何故そうしてしまったのか、セシリア自身にも分からない。ただ、それ以上の手助けをする気はなかったのも事実だ。カメラからはなるべく死角になるようにしたし、万一カメラに映っていたとしてもキスしているようにしか見えなかった筈だ。
やはり、自分も一緒に逃げるべきだったろうか。しかし、一瞬の気の迷いも、図星を指された動揺も、綺麗に無表情の下へ包み込む。そうした術は、組織にいた頃学んだ。
「さあね。仮にそうだとしても、あたしにはもう生きる意味がないから、逃げる必要も感じないわ」
肩を竦めて、投げるように言う。それは本音だった。
瞬時逃げるべきだったかと思ってしまったのは、単に組織時代に刷り込まれた恐怖故だ。上から威圧するように、虐待紛いに叩き込まれた戦闘技術と殺人術。幼い時分には畏怖も感じ、純粋にただ死にたくないと思う心があった。
だが、組織から自由になって、普通の家庭で可愛がられる日々は、セシリアには長く続かなかった。彼女を必要としてくれたのは、前副総帥・ハウエルズだけだった。そのハウエルズも、今は亡い。
「ならば、協力して貰えるな」
「何ですって?」
眉根を寄せてディンガーを見上げると、彼は微かに唇の端を吊り上げた。
「お前は確か、副総帥のお引き立てであの学院にいたんだったな。ならば、副総帥には恩義を感じているのではないのか」
「それは……」
その通りだ。彼女だけが、セシリアを必要としてくれた。殺人の為の腕でもいい。犯罪の手助けをする道具だって構わない。彼女の傍だけが、セシリアの居場所だった。
(なのに)
不意に、それまで忘れていた怒りがこみ上げる。あの居場所を奪ったのは、他ならぬティオゲネスだ。あの少年にも同じように、喪失の絶望を味わわせてやらなければ気が済まない。改めて、そう思う。けれど。
「……そういうあんたはどうなのよ。ハウエルズ教官とは、どういう関係なの」
「おれは、先代総帥の遺言を賜ったメンバーの一人だ」
ディンガーは、眉尻を微かに下げるように言って、肩を竦めた。
「先代総帥の遺言……ですって?」
「そう。それを、副総帥が預かって、各地に散ってた生き残りに届けてたんだ。おれも、その内の一人さ」
「最初の組織崩壊後の生き残り……ってこと」
そ、と短く言うと、ディンガーは後を続ける。
「なのに、副総帥の本拠の学院が潰れたと聞いた時は、正直なところ焦ったな。まあ、そこでアッシュの足跡が拾えたのは結果的に良かったが」
セシリアは、むっと唇の端を下げた。
(教官が亡くなったのが、結果的に良かったってコト?)
しかし、それを訴えても、彼の心には響くまい。相手は、ディンガーだ。彼が組織時代、『蛇蝎』と呼ばれていたことは知っている。組織内からさえ忌み嫌われていたという意味ではなく、蛇かサソリのように冷酷で、人間の感情を完全に捨て去った男、というような意味だったらしい。
そんな彼に、大切な相手を亡くした悲しみなど説いても、時間と労力を無駄に消費するだけだ。
「それで、どうする。組織の再興に手を貸して貰えるのか」
「具体的には何をどうするの」
「まずは、人員を集める。その資金繰りの為に、副総帥は麻薬売買をしていた筈だ」
詳細はお前も知っているだろう、と言いたげに、ディンガーはセシリアを見た。確かにそうだ。セシリアも、その手助けをしていたのだから。
「おれの場合は、特に本拠を持たずに、兵器売買をしている。主に、ヴェア=ガング出身の人間兵器を売る仕事だ。マーケットは追々北の大陸に移行する予定だが、この西の大陸でも需要はあるからな。今回もその一環だった。商品はお前とアッシュの二人の筈だったが、アッシュがいなくては先方との取引は成立しない」
「なら、アッシュを捕まえる手伝いをすればいいの?」
「当面はそうだ。しかし、この調子では、取引が成立したところで、アッシュは何度でも逃げ出すだろう。奴を確実に大人しくさせる必要がある」
かと言って、薬漬けにしてしまうと今度は武器として使い物にならなくなってしまう。それでも尚、ディンガーが『ティオゲネス』に固執する理由は、何だろうか。
「……今は他に取引に使えそうな『兵器』が他にいないってトコ?」
そうだ、と即答するのかと思ったが、ディンガーは珍しくモゴモゴと口ごもった。
「……まあ、そう思って貰ってもいい」
奥歯にものが挟まったような物言いに、セシリアは腑に落ちないものを感じて眉根を寄せた。他に、売る『兵器』がティオゲネスでなければならない、特別な理由でもあるのだろうか。
「それより、お前がどうするかだ。協力するのかしないのか」
「しない、って言ったら?」
試しにそう言ってみたら、ディンガー以外のその場にいたチンピラ達が色めき立った。
「このガキアマ、いい加減にっ……!」
「まあ待て」
鷹揚に部下を遮ったディンガーは、セシリアに目線を向けて言葉を継ぐ。
「そうだな。アッシュが揃わないなら、もう一人倉庫から補充して、先方に納得して貰うしかないだろう」
「でも、アッシュが売買の場にいるのがベスト、ってコト?」
「そうだ。それも、兵器として使い物になるよう、五体満足で引き渡しの場にいることが望ましい」
セシリアは、考え込むように口元へ手を充てると、ディンガーを睨め上げるようにして見据える。
「あんた、あたしには全てを話してはいないわよね」
「どういう意味だ?」
「あんたがそれ程にアッシュを必要とする理由よ。売る『兵器』としてだけ数が必要なら、ヴェア=ガングで育った人間はまだIOCAの施設にもいる筈だから、寧ろそっちから調達した方が早いんじゃないの?」
「先方の希望だ、とだけ言っておく」
これ以上は、どう訊いても吐きそうにない。それきり口を噤んだディンガーを見てそう判断すると、これ見よがしに溜息を吐いて、肩を竦めた。
「いいわ。全てを話してくれないなら、あたしはあたしのやりたいようにやるけど、アッシュを捕まえて首輪付ける所までは協力してあげる」
「何だと、このっ……!」
例によって、セシリアのぞんざいな態度に、チンピラ部下があっさりと激昂する。それを、手を上げることで制したディンガーは、改めてセシリアを見た。
「首輪を付けられる宛があるのか」
「まあね」
セシリアは、不敵に唇の端を吊り上げると、肩を一つ竦めてディンガーを見上げた。暫し、アイス・ブルーと紅の瞳が睨み合う。
「いいだろう。その『宛』とやら、聞かせて貰おう」
「その前に、彼を捕まえなきゃ始まらないと思うけど」
「捕らえる時に使えなければ話にならん。いいから聞かせろ」
瞬時、無表情になったセシリアは、ディンガーを見つめ返した。だが、それも本当に一瞬のことだった。
「……それもそうね」
言って、もう一つ肩を竦める。
(悪いわね、アッシュ)
あたしはあんたを許せない。でも、殺すだけじゃ足りないわ。やっぱり、あんたにも味わって貰わないと。
(喪失の絶望を、ね)
クス、と冷えた笑いを零すと、セシリアは取って置きの『弱点』を口に乗せた。それは、彼の美貌の少年を絶望の淵へ追いやる為の、残酷な事実だった。




