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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Case-book.4―Phantom―
41/72

Phantom.1 堕ちる現実

「――で、何であたしの所を真っ先に訪ねたワケ?」

 目の前の机に行儀悪く頬杖を突いている少女は、アイス・ブルーの瞳を胡乱げに細めてエレンを見た。

 柔らかな曲線を描く長いプラチナブロンドは、無造作にうなじの上辺りで束ねられている。服装は、個性のない割に派手な蛍光ブルーの上下だが、それが彼女のアイス・ブルーの瞳と奇妙な調和を見せていた。

「第一あんたの頭って、どこまでおめでたくできてんの? あたしがあんたに何したか、忘れた訳じゃないでしょ?」

 比較的整った顔立ちを皮肉たっぷりに歪めて、「それとも、怪我のショックで忘れたの?」と付け足す彼女の物言いは、やはり少し前のティオゲネスにそっくりだ。

「……ご、ごめんなさい。迷惑かとは思ったんだけど……」

「そうね。大迷惑よ。折角安全な牢獄バカンスを満喫してたってのに」

 はっ、と特大溜息と共に辛辣な言葉を投げ返されて、エレンは車椅子の上で肩を竦めて身を縮めた。これがティオゲネスなら、「牢獄でバカンスもないもんだ」などと返して、収拾のつかない応酬に発展していた可能性もあるが、エレンの脳内には、そもそも“皮肉を人に向かって言う”という行動選択肢がない。

 二ヶ月半程前、エレンはある事件に巻き込まれ、重傷を負っていた。一時は意識が回復するかどうかも危ぶまれた程だったが、何とか現実に目覚め、ベッドの上に上半身を起こせるまでになった。けれど、まだ歩き回れるまでは回復していない。

 それでも無理を言って外出許可を貰い、やって来た先は、こともあろうに少年院だ。ただ「知人に会いに行きたい」とだけ知らされていた病院のスタッフは、心配げな顔をしながらも送り出してくれたが、ここまで付き添ってくれたラッセルは、計画を打ち明けたら仰け反りそうになっていた。


『あー……悪い。はっきり訊くけど……エレンちゃん、正気か?』

 普段、歯に衣着せないティオゲネスならともかく、ラッセルがここまで言うのは珍しい。

『……ええと、やっぱり、ダメ……ですかね』

『ダメとは言わないけどさ。エレンちゃん、怪我した原因は誰にあるか知ってるよな?』

『分かってます』


 エレンが重傷を負った原因は、目の前にいる少女――セシリア=レアードにあることは、軽く聞かされて知っていた。

 最も深かった背中の傷は、彼女に手加減なしにナイフで刺された挙げ句に、同じ箇所を執拗に抉られて負ったものだ。一歩間違えば傷が肺に到達したり、脊髄を損傷する可能性もあった。

 それらを鑑みても、エレンは本来心底セシリアを憎んでもおかしくない立場にいる。

 だが。

「……他に、相談できる人いなくて……」

「何の」

 セシリアが、思う様その眉根を寄せて、エレンを親の仇であるかのように睨み据えた。

 オープンスペースに設えられた丸テーブルの内の一つを挟んで向き合う彼女との間には、隔てるものは何もない。

 イメージとして、収監された犯罪者と面会する時は、アクリル板越しというのが一般的だが、このボニファーツ少年院に限っては違うようだ。

 面会人は、施設内にあるカフェのような場所(但し、茶菓子類の販売はない)で、希望する収監者と話をする規定になっている。

 セシリアは、未成年ではあるが一級傷害犯罪者である為、不測の事態に備えての武装した見張りと、椅子と身体を繋ぐ拘束具を付けての対面だ。

 一方のエレンの後ろには、話を聞かぬ(てい)を装ってはいるが、ラッセルが控えている。

「あのね、あの……ティオが、こないだマルタン教会を出たらしいの」

「ティオ? ああ、アッシュのコトね」

「アッシュって?」

 エレンは、耳慣れない呼称に、キョトンと若草色の目を瞠る。すると、セシリアは面倒臭そうに手を振った。

「説明すると話が脱線しそうだから、それは後。それで? アイツが教会を出たのが何だって言うの?」

 そもそも、その教会が何なのよ、と付け加えたセシリアは、やはり不快そうにエレンを見る。

「ああ、えっと、マルタン教会は孤児院もやってるの。あたし達、同じ孤児院に引き取られてたんだけど、理由があって、あたしだけあの学院に行ってて」

「それで? アッシュがあの学院にわざわざ女装して乗り込んでたのは、あんたの為だったっての? ノロケに来ただけならもう帰ってよ」

 頬杖に加えて片膝を立てたセシリアは、完全に不良女子高生の体だ。

「ノロっ……ノロケって、違う、そんなんじゃないわよ!」

 エレンは大慌てでぶんぶんと手を振った。

「だっ、第一、あの子はあたしより二つも年下だしっ! あの子にだってあたしなんか恋愛の対象じゃないわ。いつも迷惑ばっかり掛けてるし……」

「ふーん」

 おたおたと意味もなく髪をいじるエレンを見たアイス・ブルーの瞳が、何かを疑うように細くなる。

「ま、いいわ。で、結局本筋の話は何なの? 全然見えて来ないんだけど」

「だから、そのっ……理由も言わずにいなくなっちゃったから、理由を知りたくて」

「訊けばいいじゃない、本人に直接」

 セシリアは目一杯素っ気ない嫌みを言ったが、エレンにはそれが通じなかった。

「そうしたいのは山々なんだけど、彼どこに行ったのか、そこは誰も教えてくれないし……」

 嫌みをものともしないエレンに、半ば呆れたような視線を投げながら、セシリアはポツリと言った。

「あたしなら、行くとしたらIOCA本部かしら」

「おい」

 すると、それまで黙って風景に徹していたラッセルが、不意にセシリアを威圧するような声を出した。エレンが、それまで一度も聞いたことのない声音だ。普通の少女なら萎縮して沈黙するか、下手をすると泣き出す者もいただろう。

 だが、セシリアは動じるどころか、うっすらと微笑してエレンの背後に視線を投げた。

「あら。あんたはエレンの背景なんでしょ。黙って石像やってればいいのに」

「彼女のたっての希望だからここまで連れて来たけどな。一般人を簡単に害するような人間と、本来なら接触させたくないんだ。まして、アイツに断りなくアイツが言いたくないコトを暴露しようって言うなら」

 ラッセルの姿を直接確認できないエレンには、彼がどういう表情で話しているのか分からない。振り向けば確認できるが、今のラッセルには簡単にそうさせない空気がある。

 セシリアは、言葉にしないラッセルの言いたいことは察しているようだ。けれど、退くつもりは微塵もない不遜な笑みを浮かべて相変わらずエレンの背後に視線を向けていた。

「随分アッシュに肩入れしてんのね。アイツ結構美形だし、お兄さん、もしかしてアッチの趣味があったりする?」

「残念ながらねぇよ。論点をすり替えるな」

 もうエレンは会話についていけなくなっている。

 静かなパニックを起こす寸前のエレンを置き去りに、セシリアは微笑したまま肩を竦めた。

「おお、怖。分かったわよ。でもね、お兄さん。隠したっていずれバレるのよ」

 言ったセシリアは、それまでの笑みをすっと顔から掻き消した。頬から離れた手が、机の上に置かれる。

「そして、あたし達の素性を知った人間は、大抵離れていく。そりゃそうよね。事情がどうあれ、人殺しは人殺しだもん」

「人殺し……?」

「黙れ、セシリア=レアード」

「黙らなかったらどうするの? お兄さん、銃持ってるのよね。それであたしを撃ち殺す?」

「そっちこそどうするつもりだ」

「どうもこうもないわ。彼女の疑問を解消してあげるだけ」

 それまで恐ろしい程の無表情だった彼女の唇が、皮肉を含んだ弧を描く。

「さっき、誰も教えてくれないってエレンは言ったわ。その『誰も』には当然あんたも含まれるのよね」

 その問いに、ラッセルは答えなかった。それを肯定と受け取ったのか、セシリアは唇に浮かべた笑みを深くする。

「だから、あたしが教えてあげるって言ってんの。あんた達、誰も彼もアッシュにいい顔したがりみたいだから、まあ、憎まれ役買ってあげる」

「……どういう、つもりだ」

「特にどういうつもりでもない。敢えて言うなら、暇潰しの気紛れよ」

 セシリアは、相変わらず微笑したまま肩を竦める。

 だが、ややあって彼女はもう一度肩を竦める仕草をして言った。

「正直なトコを言えば、アイツに報復してやろうって気持ちもない訳じゃないわ。だって、アイツはあたしの居場所を奪ったんだもの」

「そりゃ、お前さんの勝手な理屈だろうが」

「誰がどう言おうが、あたしにとってはあの人が全てだったの。今だってアッシュを殺してやりたい。……でも、彼女を殺しても面白そうよね。ねぇ、エレン」

 それまでラッセルに向いていただろう視線がエレンに向けられて、エレンは思わずビクリと身体を震わせた。

「一番の弱点を殺してやったら、アッシュはどんな顔するかしら。想像するだけでゾクゾクしちゃう」

 クスクスと楽しげに笑いながら伸ばされる手から遠ざかろうと、気持ち車椅子の上で後ずさるのと、空気が震えるような音がしてテーブルに弾痕が穿たれるのとはほぼ同時だった。

 セシリアは、エレンに伸ばしていた手を弾かれるように引っ込めると、ラッセルを睨み上げる。ちなみに、セシリアを制そうとしていた監督官は、彼女に伸ばした手のやり場がなく、おろおろと手を泳がせた後、静かに後ろへ下がった。

「発砲許可取っといて正解だったな。次は外さないぜ」

(発砲許可って)

 そんなに簡単に下りるものなんだろうか。

 ややズレた疑問を口に出さずに独りごちるエレンの前で、セシリアはラッセルを鋭く見据えた。

「……お兄さん、意外と引き金軽いのね。もしかして、前はあたし達と同類だったりした?」

「さてな。ご想像に任せるよ」

 冷えた空気がその場に満ちる。もし、他に面接者がいたら、皆間違いなく面談を切り上げて退散しそうな、そんな空気だ。

 そこらの未成年犯罪者でも裸足で逃げ出すであろうその雰囲気に、エレンも内心縮み上がっていた。

 あのう、続きを話してもいいでしょうか。

 とは、間違っても言える空気ではない。しかし、無理を言って外出許可を取って来たからには、手ぶらでは帰れない。

 エレンは、スカートをキュッと握り締め、勢い込んで顔を上げた。

「……あのっ!」

 深呼吸の後、思い切って言うと、セシリアとラッセル、そして監督官の視線が同時にエレンの方を向く。

「……あのっ……」

 注目された気恥ずかしさにどもりつつ、取り敢えずセシリアを見ると、

「IOCAって何?」

 と訊いた。

 やや呆気にとられた後、セシリアは椅子から浮かせていた腰を下ろし、元通り片膝を立てて頬杖を突いた。

「えーっと、そうね。国際孤児保護協会の略称だけど……あんたはそこから今の孤児院へ行ったんじゃないの?」

「うん。あたしは八歳の時にクルーズ船の事故で両親を亡くして、それからいつも礼拝に通ってた教会付属の孤児院に直接引き取られたの。だから、そんな国際組織があるなんて今初めて知ったわ」

「ふぅん」

 エレンの身の上には特に興味がない、とばかりに生返事を返したセシリアは、とにかく、と挟んで続けた。

「あたしとアッシュは同じ組織の出身でね。その組織が崩壊した後で、IOCAに保護されたの。その後のあたしの生活は、前に話した通りよ」

「そう……」

 だから、ティオゲネスの行動の予測が立てられたのか。と納得した端から生まれた、新たな疑問を、エレンは捻りもせずに口に乗せる。

「ねぇ、その……組織って何? 孤児院じゃなくて?」

「うーん、まあ、孤児院って言えば孤児院よ。但し、相当ブラックな」

「ブラック?」

 とは何ぞや、と言わんばかりに眉根を寄せたエレンに、セシリアは吹き出しそうな顔をしながら続けた。

「そう。ニュースとかで聞かない? ブラック企業とかバイトとか。所謂、職員にとって質の悪い会社って意味だけど、あれの孤児院バージョンよ」

 と言われても、今一つピンと来ない。

 内心で首を捻るエレンの前で、セシリアはチラリとラッセルに目線を投げた。ラッセルがどうリアクションしたかは分からなかったが、セシリアは面白そうに唇の端を吊り上げている。

 しかし、その“組織”とやらについての解明は後回しにすることにした。とにかく、エレンの目的は、第一にティオゲネスが何故黙って姿を消したのかの理由を知ることと、第二にそれを訊ねる為に彼の行方を掴むことだ。

 とにかく、彼がそのIOCA――国際孤児保護協会とやらの本部にいることは分かった。

「じゃあ、そのIOCAの本部っていうのは、どこにあるの?」

「メストルシティよ。CUIOの本部に近い場所にあるって聞いてるけど」

 ねぇ、お兄さん? とセシリアはラッセルに同意を求めた。

 やはり、ラッセルの反応は伺えない。言葉のリアクションもなかったが、エレンは気にする余裕もなく、別のことを考えていた。

 メストルシティとなると、少なくとも自分で歩けるようになるまでは移動が難しい。ティオゲネスの行方や、教会を出た理由について、頑なに口を閉ざすCUIOが、その移動に協力してくれるとは、流石のエレンも思わない。

 だがふと、歩けるようになったら、ティオゲネスの所へ行こうとしても阻まれるのではないかという懸念が生まれる。ラッセルに付いてきて貰ったことを、この時点で激しく後悔した。が、今更言っても始まらないし、この少年院に訪問するのだって、ラッセルかアレクシスでなければまず理由を説明して理解して貰うのに相当時間を費やしただろう。

 更に、アレクシスとは一週間後に話す約束をしてしまった以上、消去法でラッセルしかいなかったのだから、そこは仕方がない。

「分かった、ありがとう」

「あら、もういいの?」

 意外そうにセシリアが片眉を跳ね上げる。

「うん。とにかく彼の行き先は分かったから、理由は言われた通り本人に直接訊くわ」

 もっとも、訊いたからって答えてくれるか分からないけど、という続きは胸の内だけで呟くに留めた。

 すると、セシリアはまたしても不快げな表情に戻る。

「あのさぁ。水を差すようで悪いけど、あたしは断定した覚えはないわよ。ただ、あたしだったらそうするだろうなって思っただけだし、行ったとしたってIOCAが出戻りを簡単に受け入れてくれるかは分からないの」

「そうなの?」

「そうよ。前にも話したわよね? 養女に引き取られた先の両親と折り合いが悪くなって、連れ戻してくれるように連絡したけど、肉体的虐待じゃないならもうちょっと頑張ってみろの一点張りで、両親が亡くなったら連れ戻してくれるかと思ったのに、叔父夫婦の所に押し付けただけだったって」

「……そうだ……ったわね」

 実は初耳だった。

 以前、エレンが聞いたセシリアの生い立ちは、ただ単に『養父母が事故で亡くなった後、業突く張りの叔父夫婦に引き取られ、その後学院に追いやられた』という事情だけだ。

 けれど、今この場で初めて聞いた事情は、余りにも余りな内容だった為、エレンは辛うじて口に出すのを踏み止まる。ここで「そうだったっけ?」などと言えば、彼女の心の傷を抉ることになるのは、容易に想像が付いた。

「国際孤児保護協会、なんて謳ってても、所詮そんなもんよ。全ての孤児に慈悲深いだなんて思ったら大間違いなんだから」

 エレンは、言葉を失った。何と言えばいいのか分からない。

 同じ孤児でも、自分はなんて恵まれているのだろう。こんな立場の自分が何を言っても、彼女には上から目線の憐れみとしか受け取られないかも知れない。

「何よ。憐れみ半分の同情なら要らないわよ」

 黙っていればいたで、その沈黙に同情を嗅ぎ取られたらしい。

 かと言って、「ごめんなさい」と言うのも何か違う気がして、エレンは唇を噛み締めて俯いた。

「さってと。用事が済んだならとっとと帰ってくれる? あんたのその、如何にも『カワイソーニ』的な顔見てると虫酸が走るから」

 セシリアがさっと立ち上がると、監督官が気怠げに彼女に近寄り、椅子と彼女の間に渡していた鎖を外す。引っ立てられると言うより、彼女の方が監督官を引きずるような風情でその場を後にするのを、エレンは言葉もなく見送った。


***


『世の中、お前が思う程冷たい人間ばかりじゃねぇぞ』


 以前にそう言っていたラッセルのセリフに、ティオゲネスは今思い切り噛み付きたい気分だった。

 ネットカフェの仕切られたブースに切り取られた、薄暗い天井が視界に広がっている。

 もうここに流れ着いて一週間になるだろうか。手持ちの金銭もそろそろ危うい。

 備え付けの寝椅子に仰向けに転がり、訳もなく天井に掌を向けて、それをぼんやりと眺める。


 ルイスを見舞った後、ティオゲネスは当初予定通り、IOCA本部へ帰り着いた。――否、帰り着いたと思っていた。

 ここで少しだけ骨を休めて、今後のこともじっくり考えようと。

 しかし、意外にも受付の段階で入館を渋られてしまった。

 ティオゲネスのデータを調べた受付嬢は、無表情に、事務的な口調で言ったのだ。

『ティオゲネス=ジークムント=ウェザリーさん。照会しましたところ、あなたは既にギールグッド州テア・ヴィレッヂ在所、マルタン教会に養子に入られていますね』

『そうだけど……CUIOの方からも連絡来てねぇ? 一身上の都合で、教会を出ることにしたから、もう一度こっちで受け入れて欲しいって』

『それは不可能ですと、CUIOに申し上げました。連絡がうまくいかなかったようですが、こちらとしても規則ですので、あなたを今ここに受け入れる訳にはいきません。マルタン教会の親御様と和解の努力をなさり、もう一度マルタン教会にお帰り下さい』

『和解って』

 それではまるで喧嘩別れのようではないか。けれど、実質はそうではない。

 もうあそこの人間を、ヴェア=ガング絡みの事件に巻き込む危険を冒したくない。だから、ラティマー神父にだけは事情を話して、出てきたのだ。

 ただ、IOCAにその通りのことを言う訳にはいかない。

 ヴェア=ガングが暗殺者養成兼派遣組織だということは、IOCA内でも上層部しか知らないことなのだ。

『とにかく、あそこにはもう帰れないんだよ。頼む、一ヶ月……いや、一週間でいい。代わりの身の振りを考える間だけいさせてくれよ。宿泊代が必要なら、付けといてくれれば後で必ず払うから』

 ティオゲネスにしては珍しく下手に出て、縋るように言った。だのに、受付嬢は容赦なかった。

『いいえ、ダメです。規則ですから、例外を認めたらズルズルと際限なく縁組み直しを認めることになります。一般入場時間はとっくに終わっておりますので、速やかにお引き取り下さい』

 そんな理不尽な、と思ったが、そもそも他人を頼ろうとしたことが間違いだったと思い直す。

『……分かったよ。邪魔したな』

 ここでしばらく過ごすことになると思い込んでいたので、アレクシスにはうっかりあんなことを言ってしまったが、彼女には後で連絡を入れておかなければならない。

 考えるともなしに考えながら踵を返したところで、ティオゲネスは呼び止められた。

『まあ、ティオ?』

 振り返ると、約三年振りに会うIOCA本部長、ビクトリア=モンテスの姿がそこにある。

『よう。久し振りだな、本部長』

 唇の端を吊り上げて挨拶すると、ビクトリアも柔らかく微笑んで歩み寄り、ティオゲネスを抱き締めた。

『よく来てくれたわね。でも、薄情じゃない。何故、本部長室まで訪ねてくれないの』

『薄情なのはそっちだろ。身の振り決まるまででも置いて欲しいって言ったのに、けんもほろろに追い返されたとこだったんだから』

 チラリと受付嬢の方へ視線を投げながら言うと、その受付嬢はそれまでの無表情が嘘のように、ばつが悪そうな顔をして視線を逸らした。

 だが、それを聞いた途端、ビクトリアも曇った表情になった。

『……ビクトリア?』

 不審げに名を呼ぶと、ビクトリアは我に返ったように、少し身体を離した。瞬時、逡巡した彼女は、ティオゲネスの肩に手を置いたまま、目線を合わせる。

『……ティオ。もう遅い時間だから引き留めるのも申し訳ないんだけど、少し時間を貰えるかしら』

 この言い回しで、彼女もティオゲネスをここへ泊めてくれるつもりはないのだと、即座に悟った。

 エントランスホールにある時計に目を向けると、既に午後十時を回っている。

 この近辺に、ビジネスホテルかネットカフェがあっただろうか。IOCA本部に暮らしていた頃、あまり出歩かなかったのを、ティオゲネスは若干後悔しながら口を開く。

『ちょっとネット使わせて。ホテルかネカフェの情報、ここの端末で調べさせてくれるなら、話くらい聞いてやるよ』

 嫌み混じりに言うと、ビクトリアも苦笑して頷いた。

 応接室ではなく、ビクトリアは私室も兼ねた執務室の方へティオゲネスを招じ入れると、自らティーセット一式を携え、腰を下ろすようにと促す。

 秘書は、外からの通いなのは変わらないようだ。

 木製のテーブルセットの椅子に座ったティオゲネスの前に、紅茶を淹れたティーカップを置くと、彼女もティオゲネスの向かいへ腰を落ち着けた。

『元気そうで良かったわ。その……例の件以来、精神的にあなたは不安定のように見えたから、外へ出すのも心配だったんだけど』

『ポーズなんか要らねぇよ。俺をここへ出戻りさせられない言い訳がしたいんじゃねぇの?』

 遠慮なく、ティーカップに口を付けながら言うと、ビクトリアは心底申し訳なさそうに目を伏せた。

『どこまで、聞いたのかしら』

『出戻りさせらんないのは規則ってのは聞いたね』

『そう……』

 ビクトリアはそう言うと、できるだけ残酷な宣告を引き延ばそうとでもするように、ゆっくりと紅茶にミルクと砂糖を投入して、意味もなくスプーンでかき混ぜる。

『あのさ。今日俺、ここに泊めて貰えるの?』

 早くも苛立って言うと、ハッとしたようにビクトリアは顔を上げた。

『……できないわ。ごめんなさい。あなたがここを出てから一年くらいで、そういう規則になったの。私個人としては、養子縁組み先とうまくいかない子を、再度ここで引き取りたいのは山々なんだけど……』

『そういう奴が後からゴロゴロ出てきて、ここがパンクしそうになったってトコか?』

 頬杖を突いてティーカップを傾けながら後を引き取ると、ビクトリアは益々硬い表情になって頷いた。

『ここは、あなたが最初に保護されるよりもずっと前に開設されて、以来、行き場のない孤児を保護してきたわ。その間に、規則ややり方も随分変わった。あなたは知らなかったかも知れないけど、ヴェア=ガングからの孤児に限らず、そういう養子縁組み先から戻ってくるケースが、ここ数年は、月間で結構な数に上るようになったの。各地にも支部が発展してはいるんだけど、地方の支部はやっぱり規模が限られていて……』

『――て、うまくいかない奴をそのままそこで据え置いた挙げ句に、犯罪の道に逆戻りさせたりする訳だ。なるほど、ご立派だな、国際孤児保護協会は』

 うっかり皮肉が出たが、訂正しようとは思わなかった。

 協賛組織なのだから、聖マグダ・ルーナ女学院の一件は、CUIOから近い内に連絡か何かが来るだろう。

『それは、どういう意味?』

『セシリア=エメリン=ハウを知ってるだろ?』

 ビクトリアは、年の割に記憶力のいい女性だ。特に、ヴェア=ガング関連の孤児に関しては、その記憶力の全神経を注いでいるのではと思えるくらい、覚えている。

 案の定、それだけで誰のことを言っているか、見当が付いたらしい。

 ビクトリアが頷くのを確認すると、ティオゲネスはセシリアの養子縁組み先で起こった悲劇と、その後の彼女の転落振りを簡単に話して聞かせた。

『俺はいいよ。もうここに置いてくれなんて言わないし、身の振りは自分でどうにかする。けど……あんたの半分も生きてねぇ俺が生意気言うようだけど、これだけは覚えておいてくれ。人間関係が一度拗れたら、どうにもならないことだってあるんだ。特に、俺達みたいな人種はな』

 ビクトリアは、何も言わなかった。言えなかったのかも知れない。

 その顔色は、気の毒な程に青ざめていた。

『それで……セシリアは今』

『刑務所に決まってるだろ。罪状は、麻薬売買に殺人未遂だ。聖マグダ・ルーナ女学院の事件に関しちゃ言い訳の余地なんてねぇし、養父母殺しについてもこれから追及される筈だ。っても、未成年だから少年院だけどな』

 ティオゲネスは、わざとビクトリアに追い打ちを掛けるように言いながら、まるで酒を飲むような所作でティーカップを呷った。

『そんな……』

 目眩を覚えた様子で、ビクトリアは机に寄り掛かり、額に手を当てる。

『俺達は、あんな環境で育ったからな。殺しを正当化する気はないし、開き直る訳でもねぇけど、必要と判断すれば、人の心臓に向けて引き金引くのだって躊躇わない。話し合いは口じゃなく、殺人技術でする。そうやって教育されたんだ。それを覆して、更正させて一般の世界に放とうっていう覚悟は、いい加減に持った方がいいぜ』

 ここへ着いてから感じた理不尽への苛立ちが、不意に噴出して、ティオゲネスは吐き捨てるように言うと立ち上がった。

『俺、前にあんたに言ったよな。血も繋がらない赤の他人の子を引き取って育てるなんて、見返りがなきゃできる訳ねぇって』

 冷ややかに見下ろすと、ビクトリアはまだ立ち直れない様子ながら、ティオゲネスに視線を向けた。

 薄茶色の視線と、翡翠のそれとが絡み合う。

『その通りだったみてぇだな』

 皮肉な笑みが唇に浮かぶのが自覚できたが、どうにもならなかった。

 保護して面倒を見ると言っても、それはこのIOCAではあくまで里親の元へ届けるまでを意味するのだろう。その後、人間関係が拗れたとしても、それは自己責任で、その先までは面倒を見ない。たとえ、それが未成年の間であったとしても。

 それは、ティオゲネスから言わせれば、“所詮赤の他人だから”という結論になるのだった。

『ティオ』

『フツーの家庭で育って、途中で身寄りを亡くした奴ならともかく、俺達みたいなのは“フツーの感覚”ってヤツがよく分かってねぇんだ。俺も前よりマシになったとは思うけど、未だにそんな感じなのは否定できねぇしな』

 クス、と自嘲の笑いを零して、ティオゲネスは言葉を継いだ。

『ヴェア=ガングの連中を一般社会に送り出すつもりがまだあるなら、もっとちゃんと腹括れよ。でないと、いずれIOCA自体がなくなるような事態になっても不思議はねぇ。そしたら、フツーの孤児が路頭に迷うことになる。そんなコトは俺も望んでない』

 肩を竦めて言うと、ティオゲネスは応接室との境にある扉に向けて歩を進める。

『ティオ』

 ビクトリアはまだ何か言いたげだったが、ティオゲネスはこれ以上話をするつもりはなかった。

『端末借りて、調べるコト調べたら出てくから。世話んなったな、本部長』


 言葉通り、端末で近辺の宿泊施設を調べて、IOCAを後にし、取り敢えず緊急避難的に近くのネットカフェに転がり込んだのが、日付が変わる直前のことだった。

 ティオゲネス自身もまだティーンエイジャーで、ホテルには保護者同伴でないと泊まることができない。

 深夜に近い時間帯だったこともあり、ネットカフェにしてもやや不審そうな店員の視線が、少々痛かった。

 翌日、裏社会との境界で営業しているような店を新たに探して、移動したのが一週間前の話だ。

 そこなら、年齢を煩く言われないし、干渉もされない。

 事件事故があっても自己責任ということになるが、切り抜ける自信もある。

 ただ、懐具合が些か心許なくなりつつあった。

(結局、こーいうコトでしか生きられない運命なのかもな)

 半ば自棄のように脳裏で呟いて、ティオゲネスは身体を起こした。

 目の前にある端末を起動して、アンダーネット――所謂、ネット上の違法空間にアクセスする。

 折角表の社会に出てきたものの、保護してくれた所を出て、臨時の宿先として宛にしていた所からも拒絶された。

 かと言って、ラッセル達に頼るのも気が引けた。

 これまでは、マルタン教会という拠点があったから、情報収集に利用するだけだった。けれど、今は状況が違う。今、ラッセルかアレクシスに頼るということは、全面的に面倒を見ろと言っているのと変わらない。

 それは、余りに図々しいし、万が一また組織絡みの事件が起きたら、これまで通り撃退する自信もない。自分一人が死ぬならともかく、人を巻き添えにするのはもうこりごりだった。

 十代半ばの自分では、表社会ではバイトだとしても雇って貰い難いのは、分かり切っている。ならば、もう生きる為の手段を選んでいる場合ではない。

(取り敢えず、長距離移動……つか、大陸間移動できるだけの経費だな。それが貯まったら……西の大陸出るか)

 脳裏で呟く間も、キーボードを叩く手は止まらない。

 ティオゲネスは、表社会で闇サイトと称される掲示板へのリンクをクリックした。



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