Epilogue
グラデーションの闇から抜けるように、ゆっくりと意識が浮上する。
一瞬、自分がどこにいるか分からなくて、ティオゲネスは混乱した。
眠気という名の重みが乗る瞼を上げて、キョロキョロと辺りを見回す。
列車の外を見ると、ちょうど停車駅にスローダウンしているところだった。
移動する景色の中に通過する駅名は、『メストル』。CUIOの本部が置かれている都市であり、IOCAの本部もそこにあった。
(うわ、やっべ)
危うく乗り過ごすところだった、と思いながら、やはり眠気の残る身体を無理矢理動かして立ち上がる。
入院していた病院のあったアクセルソン州・ケットゥネンシティから、入国審査の宿場街ルースト・パセヂを経由して、リエタグ州のメストルシティまで、約四日の旅が終わろうとしていた。
もっとも、入国審査に三日を要する為、実質的な時間だけを見れば、一日ちょっとだ。
列車の扉が開き、駅に降り立つ。けれど、出迎えはない。当然だ。
IOCAの本部へ戻ることは、ラッセルを通じてIOCAの本部長へ通達が行っている筈だが、細かい日時は知らせていない。ティオゲネス自身、怪我をして入院していた為に、明確な退院日等が分からなかったからだ。
(ここも、久し振りだな)
脳裏で呟いたティオゲネスの唇は、珍しく皮肉を含まない微笑を刻んでいる。
改札を出て、駅前のバス乗り場からIOCA付近へアクセスするものを駅員に訊ね、案内された行き先のバスに乗り込む。一番奥の席を選んで腰を下ろし、背中を預けて息を吐いた。
乗り換えなしで行けるバスだから、乗り過ごしさえしなければ、後三十分程のバスの旅だ。
流れ始めた車窓の景色をぼんやりと眺めながら、ティオゲネスは『あの時』のことを思い出していた。
IOCA本部へ戻ることになったからこそ、今回の事件と同様の出来事を嫌でも思い返さざるを得ない。考えるまいと意識すればする程、思考は四年前に逆行していく。
この四日の間にも、何度夢に見たか分からない。眠れば夢を見るので、この四日間、実はティオゲネスは殆ど眠っていなかった。
けれども、眠らなければ眠らないで、ぐるぐるとエンドレスリピートする壊れたレコードのように、あの日のことは脳裏に強制再生され続ける。
血塗れになったディンガーと、アルヴァール。そして、ルイス。
繰り返し克明に思い出されるのは、その光景が一番多かった。
時間が経てば経つ程、その時のことを『仕方なかった』で自分を納得させることは、ティオゲネスにはできなかった。
あの時の自分は、完全に冷静さと我を失っており、ふと気付けば彼ら三人が血の海に沈んでいた。あの日、読唇術で言葉を交わした少女他、ヴェア=ガング出身の数名の証言がなければ、ルイスの譫言のようなそれが重要視され、ティオゲネスはディンガー率いる人身売買グループ(だったというのは、後からラッセルに聞いた情報だが)の一味として、少年院での実刑は免れなかっただろう。
アルヴァールも、恐らく生きていれば少年院に行くことになっただろう、ということもラッセルに聞かされた。
当時のティオゲネスは、何よりも、アマーリアと並んで兄と慕っていたアルヴァールを手に掛けてしまった罪悪感に押し潰されそうになっていた。少し落ち着いたら落ち着いたで、ディンガー他の犯行グループの三名を殺害した事実に対して罪の意識を覚えないことにショックを受け、自暴自棄になっていた。
まともに意識があると暴れて手が着けられなかった為か、実はほぼ一週間程鎮静剤の世話になって過ごしたらしく、殆ど記憶がない。
精神の安定を取り戻すのに半年程費やした後、ティオゲネスはIOCA本部へ戻された。その後、半年という異例の早さでマルタン教会へ引き取られてからもしばらくは誰とも親しくなろうと思えなかった。
『……ねぇ、ティオゲネス。……うーん、長過ぎ。やっぱり、ティオって呼んでもいいよね?』
無愛想に、呼ばれても返事をしない日々が続いて、他の子供達が遠巻きにする中、エレンだけはめげずにティオゲネスの心をノックし続けてくれたことも、今では温かなヴェールに包まれたような思い出だ。
(ノックっていうか……あれはもう一種の借金取り立てに近かったよな……)
クス、と苦いものを含んだ笑いを零した時、ふと窓の外に花屋が見えた。
考えた時間はほぼ数秒。ティオゲネスは次の停留所でバスを降りた。
***
「すいません。ルイス=フェルトンの面会、できますか?」
メストルシティの一角に建つ、CUIO直轄の病院の一つ、アシュクロフト総合病院へ辿り着いたのは、面会時間が終わるギリギリの、午後七時前だった。
バスを降りた後、花屋まで引き返して見舞い用の花を購入しようとしたティオゲネスは、その前にラッセルに連絡を取って、ルイスのその後を調べて貰った。
あの一件からこっち、ティオゲネスはルイスの消息を一切知らずに過ごしていた。
重傷を負ったのは確かだから、あの後病院へ入ったのだろうとは思っていた。が、その後退院したのか、そもそも助かったのかも知らなかったということに、当たり前のように花を買おうとした瞬間気付いた。
すっかり過去の回想と現在が、ティオゲネスの中でごっちゃになってしまっていたようだ。
その理由としては、当時、ティオゲネスが敢えて訊かなかったこともある。しかし、それ以上に周囲の大人達が、あの一件に関することを極力ティオゲネスの耳へ入れないように配慮していた所為もあるらしい。
ヴェア=ガング事件担当捜査官権限で、ラッセルが調べてくれたところによると、四年経った今でもルイスは昏睡状態が続いているという。簡単に動かせる状況でないことから、ティオゲネスにとっては幸か不幸か、まだメストルシティ内の病院に入院中のようだった。
『……でも、本当に行くのか?』
心配げに言ったラッセルの声音が、耳の奥に蘇って苦笑したところで、受付の看護師が見舞い許可証を渡してくれた。
普通は、親族か友人でないと許可が下りないが、これもラッセルに頼んで事前に病院へ話を通して貰っていた。家族の方にも連絡しておくから、とはラッセルの言だ。
そこまでして貰わなくてもいい、と言ったが、『行くなら、あっちは被害者なんだって重々自覚しとけよ』と返ってきた。フェルトン家にとって“加害者”という認識のティオゲネスが突然姿を現したら色々あるだろうから、と。
『お前には、理不尽に聞こえるかも知れないけどな』
そう付け加えられても、ティオゲネスは特に気にしなかった。
自分が撃った流れ弾でルイスが怪我をし、今も昏睡状態なのは事実だからだ。もっとも、ティオゲネス自身、そう考えられるようになるまでは時を要した。
本当はもっと早く謝罪に来るべきだったと思う。
自分の精神面の幼さと未熟さに甘え、四年もの時間が掛かってしまった。
だが、教えられた病室へ近付くごとに、足は重くなり、途中で何度もユーターンしそうになるのを叱り飛ばしている内に、面会時間が過ぎてしまった。
病室の扉は開いていた。
気配を殺してそっと足を踏み入れると、眠るルイスの姿がすぐに見えた。まるで別れる前のエレンと同じように、酸素マスクの助けを借りて息をしているようだ。
「……やあ。ティオゲネス君かい?」
背後から呼び掛けられても、驚かなかった。ゆっくりと振り返ると、そこには、四年分年を経たリンジーが立っていた。
「久し振りだね。こう言ったらなんだけど、……益々綺麗になって」
普段のティオゲネスなら、『黙れ』とか、『女にする褒め言葉だろ』などという憎まれ口が出そうなものだが、今日に限っては黙って視線だけを返した。
どう罵倒されてもいい覚悟で来たのだ。これくらいは、罵倒の範疇にも入らない。
「さて、何をしに来たんだい、君は。まさか、今更謝罪でも?」
「……気の済むようにするさ」
ここへ来て、ティオゲネスは初めて口を開いた。
「こんな花束も、貰って腹立つだけだってんなら、この場で踏み潰すなりしてくれ。あんたが俺を殺したいってんなら、抵抗はしない。好きにやってくれていい」
室内に設えられたテーブルに歩を進め、携えていた花束を置く。次いで、ティオゲネスは自分が持っていた拳銃を取り出して、同じテーブルの上に置いた。
ゴトリ、という音が、重々しく響く。
「……君には、一言謝罪しようという気持ちはないのか」
それらに目を落とした後、リンジーは責めるようにティオゲネスを見据えた。
眼鏡の奥の理知的なブラウンの瞳が、出会った頃の快活さをなくし、代わりに荒んだ色を湛えている。目元と頬が落ち窪んで、四年しか経っていない筈なのに、十歳は老け込んで見えた。
「ない訳じゃない」
ティオゲネスは、言葉を探すように視線を落とした。
「けど、どう詫びればいいのか分からない。あんたの気が済むなら、型通りの謝罪くらいいくらでもするし、コイツが目覚めるなら、土下座だってしてやる。……でも、そんな言葉だけの謝罪で済むような話じゃないことくらい分かってる」
「じゃあ、何故君はここに来たんだ」
「……それでも、一言……謝りたかったから」
なんて、空々しい響きなんだろう。
自嘲気味に脳裏で呟いて、しなやかな動きで頭を下げる。うなじの上で纏め上げた銀灰色がフワリと舞って、肩先から滑り落ちた。
「……悪かった。コイツを撃ったことは、本当に……結果的にまだ目を覚まさない原因を作ったことは、……何万回詫びても足りることじゃないのも承知してる」
リンジーが、どんな表情をしているのかは見えない。が、視線だけは頭頂部に痛いほど感じた。
頭ごと折り曲げていた上半身を上げたが、それでも顔と視線は落としたまま、ティオゲネスは続けた。
「だから、赦してくれとは言わない。言い訳もしない。後は、あんたが気が済むようにしてくれ」
視線だけで刺し殺せそうに見据えられながらの静寂が続いたのは、どのくらいだったのだろうか。
実際リンジーも、視線だけでティオゲネスを殺せればと願ったに違いない。
長いようで短いような、どちらとも判断の付きかねる沈黙の後、リンジーは黙って歩を進め、拳銃を取り上げた。そのまま、彼の指先がトリガーに掛かったとしても、そして次にその指がトリガーを絞ったとしても、ティオゲネスは文句も言わずに撃たれただろう。
けれども、リンジーは銃身を握って、グリップの方をティオゲネスに差し出した。
「帰りなさい」
困惑して顔を上げると、リンジーは何とも形容し難い複雑な表情でティオゲネスを見つめていた。
「どういう……」
「君の言う通り、本当なら君を思う様打ち据えてやりたい。有り難いことに手渡されたこの拳銃もあることだしね。引き金を引いて、生涯癒えることのない傷を負わせてやりたいよ。ルイスと同じように、寝たきりになればいいと思う」
言葉が、出ない。
この覚悟で来た筈なのに、実際恨み言を連ねられると、あの時はあんただって、と口にしたくなる。
「だが、そうしたところで、この子が目覚める保証はない。もし、この子が目覚めるのなら、私は喜んで君を害するだろうけど」
リンジーは言いながら、ティオゲネスの手を取って、拳銃を握らせた。
「……虚しいだけだからね、そんなことをしても」
「……いいのか? 二度とないぜ、こんなチャンス。いいカッコしてねぇで、俺が無抵抗で殺されてやるって、殊勝なコト言ってる内に殺っちまった方がいいんじゃねぇの」
つい皮肉を口に乗せても、リンジーは苦いものを含んだ微笑を浮かべて首を振った。
「言ったろう。虚しいだけなんだ。そんなことをしても、もう、幸せだった頃には帰れない」
だが、と厳しい表情に戻ると、リンジーはやはり荒んだものを宿したブラウンの瞳で、ティオゲネスの翡翠を見据えた。
「勘違いして貰っては困るよ。君は赦された訳じゃない。赦そうとも思えない。君は……息子をこんな身体にしただけでなく、妻の命も奪ったんだからね」
「何……?」
またも困惑して眉根を寄せたティオゲネスに、リンジーは続ける。
「妻は、自分を責めた。自分が目を離さなければ、ルイスはこんなことにはならなかったと言って自分を責めて……精神をすっかり病んだ末に、ある日、発作的に病院の屋上から飛び降りたんだ。二年前のことだ」
息が詰まった気がした。
ティオゲネスにとっては印象薄かったが、あの女性が――自殺した?
「だが、突き詰めれば君の所為なんだ。君さえあそこに存在していなければ、きっとルイスは他の子供達と同じように無傷で助かった筈だし、リズも生きていて……皆で幸せに笑っていた筈なんだ」
そんなことは分からない、と反射で思った。
あの時、もしティオゲネスでなくとも誰かが抵抗していなければ、今頃ティオゲネスはどこぞの富豪とやらの家で専属暗殺者をやらされていただろうし、戦力にならない他の子供は、人身売買の犠牲になっていたかも知れない。
けれども、それを冷静に指摘する気にはなれなかった。
リンジーは、先刻よりも昏い色を増した瞳で、刺すようにティオゲネスを睨み据える。
「君こそ、私の気が変わらない内に帰りなさい。私は、息子の前で罪を犯したくはないんだ」
本当にええかっこしいだな、あんた。
そう思ったが、やはり声にはならなかった。
代わりに、非難、憎しみ、恨み――あらゆる負の感情が籠もったブラウンの視線を、真正面から受け止める。反らしてはならない。反らす資格もない。
けれど、これ以上は何を言っても、何をしても、虚しいだけだ。ティオゲネスにとっても、リンジーにとっても――ルイスにとっても。
ティオゲネスは黙ったまま、もう一度頭を下げて踵を返した。
「……それにしても、君のやり方は、中々賢いね」
二、三歩進んだところで、リンジーの声が、思い出したと言わんばかりの声音で言った。
「私の怒りが最も強い時期に、君は謝罪に来なかった。代わりにギブソン刑事が時々訪ねてくれたが……今更君に謝罪に来られても誠意を感じないよ」
その頃、ティオゲネスはティオゲネスで精神の動揺と戦っていた時と重なるのだが、やはり黙って背を向けたまま聞いていた。
どんな罵倒も、甘んじて受ける。
その覚悟で来たし、それが今ティオゲネスにできる唯一の償いだからだ。
「言うことがないのなら、本当にもう行きたまえ。そして、二度と我々の前に姿を現さないで欲しい」
分かった。あんたが、そう望むのなら。
口に出さずに呟くと、ティオゲネスは今度こそ、その場を後にした。




