表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Intermezzo―Four years before―
38/72

Intermezzo.9 最後の裏切り

 ――“ティオ! 珍しいな、中庭にいたのか”

 ――“早く行けよ。本部長に叱られるぜ”


 褐色の肌に、癖のない黒髪。黒い瞳。

 屈託のない笑顔を浮かべる少年と、そんな他愛のない会話を交わしたのは、さして昔のことではない。


 彼とは、組織時代から比較的仲の良い友人だった。

 組織の仲間とはいつ、どんなきっかけで殺し合う仲になるか分からない。特に、アマーリアとのことがあってから、ティオゲネスは他人と深く親しくなることを無意識に避けるようになっていた。

 だが、彼とは何故か馬が合った。というより、年が四つも違うので、ティオゲネスは彼を兄のように思っていた。アマーリアの生前から仲が良かった人間の一人で、彼女の『処刑』の後も、発作的に頭を銃でぶち抜かずに済んだのは、彼の存在が大きかったと思っている。

 少なくとも、ティオゲネスの方は、アマーリアと並ぶ親友であり、仲間であり、兄だと思っていた。


 ――今、この時までは。


***


「悪いな」

 ふっと、銃口の感触が一瞬後頭部から離れ、空気を切る音がした。

 ぞわっと体中が総毛立つのを感じた次の瞬間には、ティオゲネスは床へ飛び込むようにして前方に身を投げていた。

 両手が戒められたままなのと、身体に対して若干大きめの武器を持っている所為で、背中から着地する羽目になる。

「くっ……!」

 受け身を取って転がりながら、殆どカーペットに爪を立てるようにして強引に身体を停止させた。片膝立ちに起き上がり、サブマシンガンを構え直す。

 上げた視線の先で拳銃を構えているのは、紛れもなくアルヴァール=フロリドだった。

「……う、そだろ」

「嘘じゃねぇよ。見ての通りさ」

 あっさりとおどけるように言ったアルヴァールは、肩を竦めた。

「ちょっと待てよ……お前、IOCAの本部にいるんじゃなかったのか」

「お前の方がゴタついてる間に、オレにも養子のオファーがあったんだよ。もっとも、オレの場合、相手はディンガーさんからだけど」

「……それでよくIOCAの許可が下りたな」

 IOCA――国際孤児保護協会では、不正や怪しい輩に孤児が引き取られるのを防ぐ為、養子縁組みを希望する者に何重もの審査を課す。だから、申請からトライアル受付許可が下りるまでには、最低でも三ヶ月前後を要する。

 しかし、アルヴァールはこともなげに言った。

「知ってるだろ。あの人、色々偽名持ってるって。偽名に合わせて姿も変えてて、その中には表社会で生きる人間も含まれてるんだ。裏取られても、IOCA程度の情報網じゃまず引っかからないね」

 上から見下すような口調だった。

(……違う)

 違う。知らない。こんなのは、俺の知ってるヴァールじゃない。

 呆然とそう思うのに、口の方はまるきり意思を無視して、冷静に問いを乗せる。

「何であんな奴の誘いに乗ったんだよ……アイツは、何をしようとしてんだ?」

「決まってるだろ。潰れたヴェア=ガングの後継会社を立てようとしてんのさ」

「何だって?」

 ヴェア=ガングの後継会社。つまりは、ヴェア=ガングと同質の、暗殺者養成兼派遣組織を作ろうということか。

「それこそ冗談だろ。もしそれが本当なら……もう一度訊くけど、お前は何でアイツの誘いに乗ったんだよ」

「退屈だったから」

 再度、あっさりと返された台詞に、もうリアクションは音にならなかった。

 今、彼は何と言ったのだろう。ディンガーのような――旧ヴェア=ガングのような組織からの誘いに乗った理由が、言うに事欠いて『退屈だったから』?

「どういう意味だよ……俺達は、やっと解放されたんじゃねぇか。アイツらから自由になって、もう人殺しなんてしなくていいって」

「それが意外に退屈だったんだよなー。って最近気付いたんだけど。刺激がねぇって言うのかな。ま、正確にはIOCA(あそこ)にいるのが退屈になって来てたんだけどよ」

 クスッと、嘲るような笑いを零して、アルヴァールはもう一度肩を竦める。

「CUIOのやったコトを余計とは思わなかったけどな。一年の休暇はちょっと長過ぎたと思わねぇか」

「何、言ってるんだよ、お前……」

 頭が――理解が追い付かない。

 人殺しを強要され、時に実戦訓練と称して北の大陸<ユスティディア>の激戦地へ放り込まれ――あの組織に引き取られてから、何度死ぬかと思ったか分からない。生きる為には他人を殺すしかなくて、親友のアマーリアにさえ引き金を引いた。

 友も、知らない人間も、全ての屍を踏み越えることでしか、生きる術を見いだせなかった。

 そんな場所からようやく自由になれた。

 アマーリアのことを思えば、一時は組織に縛られたままの方が良かったと思った時期もあった。けれど今は、何よりも人を殺さずに生きていられるということにホッとしている。

 皆そうだと――アルヴァールもそうだと思っていたのに。

 その混乱に付け込むように、アルヴァールが銃口をティオゲネスの心臓にポイントしたまま、その足を一歩踏み出した。

「で、お前はどうすんだ、ティオ。知らない仲じゃねぇし、今その銃を捨てて大人しくするなら、見逃してやるぜ。その方がディンガーさんも喜ぶ」

「……つまり、黙って商品になれってコトか」

「ご名答」

 アルヴァールは唇の端を吊り上げて、不敵に笑った。

「これからオレ達が買われるのは、南島国<サトヴァン>で裏の商売やってる大富豪の家だってさ。表向きは、合法のモンを売ってる商社の社長だ。オレ達の表向きの仕事はソイツのガードマンで、裏では暗殺業やらされるらしいけど、実質豪邸に住み込みの執事見習いだ。レンタル暗殺者やるより悪くねぇ話だろ」

「バカバカしい。結局やるコトは人殺しじゃねーかよ」

 ティオゲネスは低く吐き捨てる。

 波立った思考は、徐々に凪を取り戻し始めていた。

「お前こそ、目ぇ覚ませよ、ヴァール。今だってアイツはお前を体よく利用してるんだぞ」

「言われるまでもねぇよ。でも、今更オレ達が表の世界でまともに生きられる訳ねぇだろ?」

 グッと言葉に詰まる。咄嗟に反論できなかった。

 表の世界でまともな人生を歩めるか否か。ティオゲネスとて、それを考えなかった訳ではない。

 普段は忘れていられても、どれだけ自分の手が血にまみれているかを思い出すと絶望的な気分になる。この手に掛けた人間のこと、アマーリアのことを、本当に忘れられる日など来ないと身にしみている。

(だけど)

「……もう、縛られるのは嫌だ」

 滑り出た声は、普段の自分のそれよりオクターブ以上低くて掠れていた。

 伏せていた翡翠の瞳が、決然とアルヴァールを見据えた。

「アイツらに人殺しを強いられて一生終えるなんて、絶対に嫌だ」

「……へえ?」

 最早、それが癖になったかのように、アルヴァールは何度目かで嘲りのこもった笑いを零す。

「面白いコト言うな」

 また一歩、アルヴァールがその歩を踏み出し、不意に引き金を絞った。

 上がった銃声に思わず身を竦ませるのと、「ひっ!」という少々情けない悲鳴が上がったのとはほぼ同時だった。アルヴァールの握った銃口は、出入り口の方を向いて硝煙を立ち上らせている。

 アルヴァールを視界に納めたままそちらへ目を向けると、壁にめり込んだ弾痕と、そのすぐ前にへたり込んでいるルイスの姿があった。

「おい、そこの坊主。逃げようとしたら撃つって言っといたよな」

 アルヴァールも視線はこちらへ据えたまま、ルイスに向かって言う。

「次は当てるぞ」

 脅しとも思えない警告に、ルイスはガクガクと震えながら失禁していた。

 あれほど大人しくしていろと言ったのに。呆れて出そうになる溜息を苦労して呑み込む。顔見知りだと知れたら、それこそ盾に使われ兼ねない。

 だが、そう思った矢先。

「ねぇ、ちょっと、何なのさ、ティオ! これはどういうコト!? 君はその野蛮な連中の仲間なのかい!?」

 その張本人が、涙声で震えながらも果敢に文句をぶち撒けた。しかも、ご丁寧にティオゲネスの名前をわざわざ呼んで。

「へえ。アイツ、お前の知り合いなのか。ってゆーか愛称で呼ぶくらいだから仲良いんだろ」

 そして、案の定、アルヴァールは面白そうに頬を歪めてルイスの方へ視線を投げた。

「良いわきゃねぇだろ。勝手に呼んでるだけだよ」

「ふーん。じゃあ、試してもいいか?」

 ティオゲネスに向かい掛けていた足が、ルイスの方を向く。その足が地を蹴るのを認めた刹那、ティオゲネスはその進路に向かって引き金を引いた。

 反射的にアルヴァールは後退して、ティオゲネスに目だけを向ける。

「何を試す気か知らねぇけど、お前の相手は俺だ」

 言いながら、先刻話した少女の方へチラリと視線を投げる。一瞬絡んだ視線に、彼女が何か感じ取ってくれるのを祈りつつ、引き金に掛けた指に力を込めた。

 残弾がどのくらいあるのか、確認している余裕はないし、向こうもそうはさせてくれないだろう。だが今は、自分が動けなく要素がなくなるだけの時間が稼げればそれでいい。

「ふうん? 大きく出たな。そういや、お前とは戦ったコトがねぇんだっけ?」

 クス、と皮肉な笑みを浮かべたアルヴァールが、身体ごとティオゲネスに向き直る。

「ああ。幸か不幸かな。正直、今も()り合いたくはねぇんだけど」

「自分が優位みたいなコト言うのは止めとけよ。お前はオレに勝てっこない」

「そっちこそ、な!!」

 言い捨てるなり、ティオゲネスは床を蹴って距離を詰めた。引き金を引くものと思っていたのか、アルヴァールが明らかに動揺の表情を見せる。

 彼に肉薄したティオゲネスは、手にしていたサブマシンガンを放り出した。尚のこと混乱したらしい彼は、ティオゲネスの攻撃に対する挙動が一拍遅れる。

 ティオゲネスは、アルヴァールの拳銃を持っている腕に飛び付いた。透かさず足を払い床へ転がすと、相手の肩先を両足で押さえ込み、拳銃をもぎ取る。

「動くなよ」

 銃を突き付け、アルヴァールから視線を外さないまま今度は背後に向かって叫ぶ。

「早く逃げろ!」

「それは無理だな」

 すぐ後ろ――それも耳元でそう言われて、ティオゲネスは目を見開いた。


***


 船内は、徐々に不穏な空気が膨らみ始めている。

 もっとも、そう感じているのは自分だけかも知れない、とラッセルは思った。

 例えば、自分の宿泊場所付近以外で、子供が行方不明になろうと銃声がしようと、多分自分に被害がなければ関わらないというのが、大抵の反応だろう。

 それに、かなりの広さがあるこの客船では、遠く離れた場所で銃声がしたとしても、銃声と認識できない可能性が高い。故に、この広大な船は今大きなパニックを起こさずに済んでいるのだ。

 

 ラッセルを先導した肥満体の男は、船尾に近いエレベーターへ乗り込んだ。それに、ラッセル、フェルトン夫妻の順で続く。

「それで、ミスターの部屋はどこなんです」

「四階の端の方です」

 男は、下膨れした顔を恐怖に歪めながら、ラッセルをチラと見やると、懐から携帯端末を取り出してどこかに掛けている。ひょっとして繋がるようになったのだろうか、と思ったが、男はすぐに端末を耳から離して「くそっ」と悪態を吐いた。

「やっぱり、繋がらないんですね」

「はい、さっきから……刑事さんもそうですか?」

「ええ」

 頷いたラッセルの耳に顔を寄せたリンジーが、「ミスタ・ギブソン」と声を掛ける。

「はい?」

「良いんですか? その……」

 リンジーは何か言おうとして言い淀み、一層声を潜めて「刑事と呼ばせても」と疑問を呈する。

「ああ」

 そう言えば、フェルトン夫妻には刑事という呼称を使わないでくれと頼んでいたのを思い出す。あの時、自分達の近くに、何かコトを起こした人間がいたとしたら、警戒心を起こさせないようにと思っての判断だったが、あちこちで警察の身分証を晒した今となっては、もう隠す意味はない。

「もう構いませんよ。刑事でもラスでも」

 クス、と笑った時、スムーズに上昇していたエレベーターが、僅かな揺れと共に停止した。目的の階に着いたのかと思ったが、扉が一向に扉が開く気配がない。

(何だ?)

 訝る内に、室内の照明が落ちる。

「なっ、何だ、故障か!?」

 叫んだのは、太めの男らしい。

 フェルトン夫妻の方は、悲鳴こそ上げないが、うろたえているのは気配で分かる。

(マジかよ……)

 本日、二度目のその言葉を脳裏で呟くと、若干パニックを起こしつつある一般人三名を後目に、ラッセルは一人冷静に溜息を吐いた。

 これが、今日初めての異変だとしたら、ラッセルも単なる故障だとしか思わなかっただろう。けれども、ティオゲネスとルイス、そしてもう一人、分かっているだけで三人の子供が船内のどこへともなく姿を消し、今またどこかで銃撃戦が起きている可能性がある。加えて『これ』では、もう偶然ではない。

「……取り敢えず、脱出しましょか」

 再度の溜息と共に、こともなげに言うラッセルを、闇目に慣れた三人がびっくりしたように注視した。


***


「――それは無理だな」

 耳に吐息を吹き込まれるように囁いた何者か(恐らく男)は、ティオゲネスの肩を押さえた。瞬間、ティオゲネスは必死で身を捩り、殆ど体当たりするような格好で男に肩先から突っ込む。

 まさか、反撃されるとは思っていなかったのだろう。男はまともにティオゲネスの身体を受け止め、引っ繰り返った。

 男の上から即座に飛び退いて、足を撃ち抜けば取り敢えず相手を行動不能にできるが、両手を戒められている所為か、素早く動けない。とにかく起き上がろうと足掻く背後から、立ち直ったらしいアルヴァールが、ティオゲネスの細い首筋に腕を回して締め上げる。

 たちまち血液の流れが遮断されて、つい先刻と同じ状況に陥った。ここでこのまま意識を手放したら、恐らく今度こそ命がない。がむしゃらにもがいても、アルヴァールとでは体格に差があり過ぎる。

(嘘だろ……ッ!)

 こんなところで、終わるのか。()りに選って、崩壊した筈のヴェア=ガングの所為で。

 今この瞬間、アマーリアや、それまで手に掛けた人達への後ろめたさなど、自分の死を目前にしては何の意味もなさなかった。

 死にたくない。その思いだけで、腕を振り回しながら、夢中で引き金を引く。幾度銃声がしたのか、放った弾丸がどこに当たったのか、自覚もできなかった。

 ふと首の圧迫がなくなり、ティオゲネスは咳き込みながらその場に崩れる。

 荒い息を吐きながら、ようやく周囲の状況に目を向ける余裕を取り戻したティオゲネスが見たのは、血の海に倒れたディンガーとアルヴァール、そして、腹部に染み出す赤い色を呆然と見つめているルイス――だった。


***


 その部屋に監禁されていた子供は、正確にはティオゲネスを含めて十五人。内、旧ヴェア=ガングの者は五人だった。

 残りの十人は、ディンガーが掻き集めた共犯者によって、親子を装って船に連れ込まれた孤児と、船の中で誘拐された者が数人という内訳で、ほぼ全員が無傷、もしくは軽傷のまま無事親元へ帰ることができた。孤児に関しては、旧ヴェア=ガングの者共々、IOCAへ保護されることが決まっている。

 自らの意思で売られることを承知していた元ヴェア=ガングの一人、アルヴァールは、ティオゲネスが撃った弾の内、たまたま跳弾したものが運悪く頭部を貫通。入院二日目に死亡した。ディンガーも同じくティオゲネスの撃った弾を数発まともに受けて、船の中で死亡が確認された。

 最初にサブマシンガンでティオゲネスが行動不能にした五人の男達は、死亡、もしくは重傷でCUIO直轄の病院へ担ぎ込まれ、生存者は回復次第、事情聴取を受ける予定となっている。

 船は、出発前から既に乗っ取られており、船長は刺殺体で発見され、船員はスタッフルームに拘束されていた。監禁されていたスタッフの証言に拠ると、船長は出航放送をいつも通りすることを強要された後に刺殺されたという。手を下したのは恐らくディンガーだろうが、本人が死亡した今となっては詳細は分からない。


 そして――。


***


「――今日も、彼は来ないのですね」


 未だ、西の大陸<ギゼレ・エレ・マグリブ>にある、CUIO直轄の病院に入院しているルイスの病室を訪ねると、リンジーは開口一番、皮肉で迎えてくれた。

 ラッセルとしては、何とも言えない表情で沈黙を返すしかない。済みません、というのも違う気がするし、かと言って、謝罪しないのも誠意がない。

 ルイスが今も昏睡状態でいるのは、突き詰めればヴェア=ガングの残党を捕らえ切れていないCUIO――延いては、その事件の捜査班に籍を置くラッセルにも、責任の一端があるからだ。

 それでも、謝罪してもどこか空々しく響きそうで、結局何を言えばいいのか分からなかった。


 あの日ルイスも、抵抗したティオゲネスが放った弾の煽りを受けた一人だった。

 実を言うとあの時――エレベーターを脱出したラッセル達が駆け付けた時、ルイスはまだ意識を保っていた。

 血塗れのルイスは、彼を一目見るなり狂乱した母・エリザベスに抱き抱えられ、彼女よりもいくらか冷静だった父・リンジーに応急措置を受ける間中、譫言のように繰り返した。

『あの子が、あの子が悪いんだ。悪者と一緒になって銃を乱射して……』

 ティオが悪い。ティオが撃った弾が僕にも当たった。僕が死ぬとしたら、ティオの所為だ……。

 涙ながらに訴えながら意識を失った息子の言い分を、フェルトン夫妻がどう受け取ったのかはラッセルにも分からない。ただ、彼らがティオゲネスに対して少なからず悪い印象を抱いたのは間違いなかった。


「……済みません。分かっているのですよ。彼に、何の責任もないというコトは。ただ……この子が不憫で。どうして、こんな目に遭わなければならなかったのか……」

 あまりにも理不尽だ。そう付け加えると、リンジーは人工呼吸器のマスクを付けた息子の額を愛おしげに撫でて俯いた。

 彼の妻・エリザベスは心労で倒れてしまい、同じ病院の別室に入院しているという。

 ルイスの譫言の信憑性は、その場にいた他の子供達の証言によって覆される形になった。ただ、証言できたのは、修羅場慣れしていたヴェア=ガング出身の子供数人のみだ。他の、普通の孤児だった者や、船内で拉致された子供達は恐怖の余り目を瞑ってやり過ごしたか、当時の記憶そのものが飛んでいるかのいずれかだった。

 その上、間の悪いことに、当時防犯カメラの録画機能がオフにされていた為、それらの証言が正しいかどうかの裏付けが結局取れなかった。

 それも、フェルトン夫妻の疑惑を大きくしているのだろう。

 事件後、フェルトン夫妻にもティオゲネスの過去の詳細が知らされた。その説明が、必要だと判断された為だ。ヴェア=ガングにいたのは、ティオゲネス自身の意思ではないということも。

 だが、やはり一般人の彼らには、『人殺しを育てる組織』という部分のみが大きく印象づけられたらしい。

 人殺しを是とする組織で育ち、そこから出て一年しか経っていないのなら、未だ自分以外の命を軽んじても仕方がないと。そして、そんな組織で育った子供が、ティオゲネスを庇って嘘の証言をしたとしても当然だと。

 リンジーが、“彼自身に責任はない”と言ったのはその意味合いで、決してティオゲネスに対して恨みがない訳ではないようだ。勿論、親としてはティオゲネスが撃った弾が息子に当たったのだから、たとえ正当防衛の余波だったとしても、恨みを持つのは仕方がない。

 けれど、警察組織という枠から出た『ラッセル=ギブソン』個人としては、フェルトン夫妻の言い分も理不尽と思えるものがあった。

 何がどうでも、と彼らが無理にティオゲネスを連れ出そうとしなければ、少なくともティオゲネスはこんなことに巻き込まれた上に、犯人グループとの関与を疑われずに済んだと。

 しかし、それはやはりラッセルがティオゲネスと似た環境で育ち、彼に肩入れしているところが大きいからだろう。立場が違えば、ラッセルもルイスに同情していたかも知れない。

 どちらにせよ、今ここでラッセルにできることは何もない。

 背を向けたままのリンジーに静かに頭を下げ、ラッセルは病室を後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ