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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Case-book.3―School―
21/72

School.3 潜入

「ミズ・リディア=クリスティーナ=ヴァーノンですね。今日から貴女も聖マグダ・ルーナ女学院にて学ぶ、聖女の御子(みこ)です。行いを慎み、日々勉学に励まれますように」

 額部分の白以外は、黒一色のシスター服に身を包んだ女性が、(おごそ)かに告げる。聖マグダ・ルーナ女学院の院長を務めている、シスター・ウォルジーだ。

 皺が刻まれ始めた鋭角の顎に、長く通った鼻筋は尖って高い。細長い目元に縁取られたブラウンの瞳は、シスターという職に似合わず、どこか昏い色を宿していて、奥が見えなかった。

「はい、院長先生」

 その前に、執務机を挟んで立っている銀灰色の髪を持つ美少女が、目を伏せて答える。長い睫毛が白い頬に陰を落とした様は、ひどく清廉でありながら同時に(なま)めかしいものを見る者に感じさせた。

 しかし、当の本人はと言えば、必要に迫られてこの言葉遣いだというのに、いかにもブリッコしている今の状況に吐き気と頭痛を覚えていた。

 そのやや左斜め後ろに、スラリと背の高い、髪を引っ詰めにした聡明そうな女性が控えている。

「貴女の部屋は、ミドルトン寮の三〇五号室です。申し訳ありませんが、何分(なにぶん)時季外れな編入でしたので、一人部屋になります。学年が変わる時には、規則通りの二人部屋となりますので、そのつもりでいて下さい」

「はい」

 返事をしながらリディア――もとい、ティオゲネスの伏せた瞼の下に隠れた瞳は、数瞬、剣呑な光を帯びる。

 しかし、再び瞼を上げて院長を見た時、その光はどこにも存在していなかった。

「そこにいる、シスター・ジーナがお部屋へご案内致します。ミズ・レヴァインは、如何(いかが)なさいますか?」

「お部屋まではご一緒します。お荷物もありますので……宜しいですか、お嬢様」

「ええ。お願いするわ、ミズ・レヴァイン」

 リディアの仮面を被ったティオゲネスは、柔らかな微笑を浮かべてアレクシス扮するレヴァインを見上げる。

 この場面を、マルタン教会の面々が見たら、卒倒することは間違いない。

 そんなことは露知らない、院長からシスター・ジーナと呼ばれた女性は、「では、こちらへどうぞ」と言って、先導して扉を開けた。


***


 院長の執務室がある庶務棟を出た三人は、両脇に緑のある遊歩道を通って、寮のある方角へ向かった。

 学生寮は、『リディア』の入ることになったミドルトン寮と、もう一つ、ヴォドラーシュカ寮がある。昔は、ミドルトン寮が身寄りのない少女達の入る寮であったようだが、良家の子女に、後に『孤児寮』などと揶揄された為、何代目かの院長が『差別を助長する』として、誰がどちらの寮に入るかは特別分けない規定に変更したらしい。

 しかし、結局は、長期休暇中に実家へ戻らない生徒、イコール孤児という認識が成り立つ為、実は未だに孤児への偏見といじめはなくなっていないようだ。

「こちらが、ミドルトン寮です。三〇五号室はすぐ分かると思います。三階ですからね」

 言わなくても分かりそうなことを、大きな丸い眼鏡を掛けたシスターが、満面の笑みで説明する。要らぬお節介を焼きたがるところは、少しだけエレンと似ているかも知れない。

「これが、鍵です。失くさないように、きちんと管理して下さいね。午後の授業には出られますか?」

「はい」

「まだ食堂は空いてると思いますけど……」

 言いさしたシスター・ジーナの言葉に釣られるように、寮の入り口に掛かっている時計を見ると、時刻は十二時を少し過ぎたところだった。午後の授業は一時からだから、食べようと思えば、五十分は余裕がある。

「食堂は別棟なんですか?」

 訊ねると、シスター・ジーナは首肯した。

「じゃあ、案内して頂けますか? 私、お昼まだなので。ミズ・レヴァイン。悪いけど、荷物、部屋まで運んでおいて貰える?」

 鈍色の瞳と数瞬視線を合わせて、目だけで頷き合う。

 流石に現役の刑事だけあって、アレクシスはこちらが何を言いたいか、それだけで察したようだった。こういうところは、エレンが相手の時と違って、一々説明が要らない分助かる。

「――解りました。では、シスター・ジーナ。お嬢様を、宜しくお願い致します。それと、鍵はどうしたら宜しいでしょうか?」

 家の使用人とは言え、生徒のプライベートな空間である寮の部屋へ、部外者が立ち入るのは困る、という牽制が入るのを予想していたが、『他人を疑う』指数がエレン並に低いらしいシスター・ジーナは、あっさりと言った。

「あ、じゃあ、お帰りになる際に、寮監のシスター・スティナにお渡し下さい。リディアさんは、授業の道具を取りに行く際には、シスター・スティナに訊いて頂けますか?」

 ティオゲネスが頷くと、シスター・ジーナは、「では、食堂へご案内します」と言って、先に立って歩き始める。

 シスターの視線から外れると、ティオゲネスはもう一度アレクシスとアイコンタクとした後に、シスターの後について歩を進めた。

 食堂は、二つの寮と、渡り廊下を介して丁度中間部分に設置されている。ここだけは、独立した建物にすると、夕食時には暗い外を歩かなければならなくなるからだろう。

 食堂の入り口を一歩入れば、中央部分に配されたカートにズラリと料理の皿が並んでおり、その両脇に、目算一メートル四方の丸テーブルと、洒落たデザインの椅子が四つずつ、セットで無数に設えられている。各テーブルには、清潔な白いテーブルクロスが掛けられていた。

 どうやら、カートから自由に好きな料理を取って、好きなテーブルで食べるスタイルらしい。

 昼休みに入って十五分も経っている為か、既にそのテーブルは八割が埋まっていた。皆、思い思いにテーブルに腰掛け、おしゃべりに花が咲いている。

 一口に食堂と言っても、やはりマルタン教会のそれとは比べものにならなかった。

 このカートやら、テーブルやらを全部取り除けば、ちょっとしたダンスパーティーも開けそうな広さだ。ちなみに、この学院には実際パーティーを開ける社交棟と呼ばれる建物が別にあるらしい。

 白を基調とした室内は、壁際に支柱と、窓が交互に並んだデザインになっており、窓には濃紺のカーテンが掛かっている。今は昼間の為、そのカーテンは緩く両脇に上げられており、タッセルで纏められ、そのタッセルにも房飾りが付いていた。

「あそこと、あっちにも部屋がありますから、そこで食べることもできますよ」

 部屋の両脇を示してにこやかに言うと、シスター・ジーナは、それじゃ後はごゆっくりとばかりに踵を返した。

「貴女、転入生?」

 シスター・ジーナを見送って、早速料理を取る膳に近付くと、背後から声を掛けられて、ティオゲネスは振り向いた。

 視線の先にいたのは、小振りの輪郭を持った、小柄な少女だ。ティオゲネスと同年代くらいだろうか。

 鳶色の長い髪の毛を二つに分け、高い位置で纏め上げ、クルクルに巻いてある。髪と同じ色の瞳が、ティオゲネスを値踏みするように見つめているのが嫌でも解った。

 可愛らしい顔立ちだが、友人にしたいタイプではない。但し、『まともな神経の持ち主なら』という注釈が付く。現に、類は友を呼ぶ、とでも言うのか、彼女の後ろには、彼女と同じタイプらしい『金魚の糞』が二人、ピッタリと張り付くように従っていた。

(……こりゃ、今日の昼飯にはありつけそうにねぇな)

 内心うんざりしたが、情報を収集するのにこれ程適した人材もいない。

 このタイプは自尊心が呆れる程高く、人を貶めるのが大好きで、それ故に噂話に敏感な上に情報通だというのは、万国共通だ。

「ええ。今、こちらへ着いたところなの。リディア=クリスティーナ=ヴァーノンよ。宜しく」

 学年色を示すブローチの色は、淡い緑。

 自分と同じ学年だと瞬時に見抜いたティオゲネスは、失礼でない程度の砕けた口調と、微笑のオマケ付きで挨拶し、手を差し出した。

 何も知らない人間には、極上の美少女の、極上の微笑にしか見えない。種明かししなければ、逆立ちしても少年の女装だと見抜ける者はいないだろう。少なくとも、この学院の生徒の中には。

 『同性』の筈の、鳶色のツインテールの少女も、その微笑にちょっと当てられたような顔をして、やや面食らっていた。が、数秒後には立ち直り、ティオゲネスの手を握り返す。

「こちらこそ、宜しく。ヘンリエッタ=エルヴィラ=ガイルよ。後ろの二人は、アメリアとマーサ」

 アメリア、ことアメリア=ジャニス=ウィルミントンと、マーサこと、マーサ=ジョージナ=アップショーも、それぞれに挨拶してティオゲネスと握手を交わした。

「私達もこれから昼食なの。一緒にどう?」

「いいの?」

「勿論よ。歓迎するわ」

 いけ好かないツインテール――もとい、ヘンリエッタに誘われて、ティオゲネスは目を輝かせて見せた。

「嬉しい。着いたばかりで、一人で食べなきゃいけないかと不安だったの」

 柔らかく微笑して見せると、ヘンリエッタはまたしてもドギマギとしつつ、アメリア達に席を確保してくるように言い付けた。まるで、使用人扱いだが、アメリア達も気にしていないらしい。当然のように、奥の間へ歩を進め、やがて、マーサだけが戻って来て、席の確保を告げながら料理を取る列に加わった。

 マーサの案内で、確保した席に着くと、入れ替わりでアメリアが料理を取りに席を立った。

 すると、取ってきた料理に手を着けながら、ヘンリエッタが早速口を開いた。

「リディア……だったわね。あ、そう呼んでもよくて?」

「勿論よ。私もヘンリエッタと呼んでもいい?」

「ええ。リディアはどうして、今頃編入して来たの?」

 恐ろしく単刀直入な問い掛けに、ティオゲネスはポーカーフェイスの微笑を浮かべて反問した。

「今頃……って言うのは、どういう意味合いかしら」

「あ、ごめんなさい。新学期が始まってすぐっていう時期じゃないし、もう三年生でしょ。勿論、ここは中高一貫だから、高等部までエスカレーター式だけど……」

 探るような目つきを、やはり微笑で弾き返すようにしながら、ティオゲネスは口を開く。

「ああ、うん……実は、父の仕事の都合なの」

「お父様の?」

「そう」

「あの……不躾な質問でごめんなさい。リディアのお父様は、何をしていらっしゃるの?」

(やっぱりな)

 知りたいのはそこか、と内心で呟きながらも、ティオゲネスは笑顔を崩さない。

 事前情報で、この学院は、良家の子女による孤児への偏見といじめがひどいとは聞いていたが、転入生を捕まえて早速このテの質問をするのは、『良家の子女』サイドと思って間違いないだろう。

「父は、元々こちらの……アクセルソン州出身で、事業をしていたの。内容についてはよく知らないけど、私が十歳の頃に、ルナリア公国でも仕事をすることになって、家族で向こうに移っていたのよ」

 ルナリア公国とは、別名、東島(とうとう)国と呼ばれる、四つの島から成る島国で、東の大陸<ディオジーニア>の更に東に位置している。

「でも、向こうでの事業も安定したから、父の出身地のケットゥネン・シティに戻ることになってね。私だけ、一足先に帰ることになったんだけど、使用人もいる屋敷とは言え、一人で置いておくのは心配だからって、ここに来ることになったの。でも、向こうからの旅船の関係で、試験受けるタイミングを外してしまって」

「そうだったの」

 自分達と同じサイドの人間と解ったからか、ヘンリエッタが心底からの微笑を浮かべた。

「今、心から貴女を歓迎するわ、リディア。卑しい孤児が、これ以上増えるなんて、我慢ならないもの」

 卑しくて悪かったな。

 即座に脳裏だけでそう吐き捨てるが、そんなことは勿論おくびにも出さず、何食わぬ顔で訊ねた。

「孤児が増える? 何のこと?」

「知らないの? ここは、初代院長先生のご意向で、由緒正しい家柄の子女と孤児が半分ずつ入学しているの。でも、今の院長先生のお考えで、段々孤児の割合が増えてるのよ。二年くらい前からだったかしら」

 今では、上流階級と孤児の比率が、四対六くらいになっているらしい。

「その所為よ。今も、孤児の殺人鬼が学院内を彷徨(うろつ)いて……」

 マーサが後を引き取るように、不愉快さと怯えを全面に出して言う。

 彼女は、シスター・ジーナが掛けているような丸眼鏡を掛けて、黒い髪を二つに分けた三つ編みにした少女だ。小さな輪郭に、これといって特徴もない小さな目と、低い鼻が収まっている。

「殺人鬼?」

 噂好きそうな一団だとは思っていたが、まさかこんなに早く求める情報にありつけるとは予想だにしていなかった。

 乗り出しそうになる身体を理性でねじ伏せて、ちぎったパンを口に運びながら、表面上はあくまでもキョトンと訊ねる。

「一体何の話なの?」

 すると、アメリアが、亜麻色の瞳を輝かせるようにして、身を乗り出した。

「噂をすれば影、ね。ホラ、あそこ」

 声を潜めたアメリアの指先に導かれるように視線を移すと、中核になっている食堂から、淡い栗色の髪を持つ少女が、盆を抱え込むように小さくなって歩いている。

 久し振りに見るエレンの姿だったが、知人を見つけた驚きは勿論顔に出さない。

「最近は食堂に顔を見せるコトもなくなってたのに、ホント図太いんだから」

「当然ね。あの子、生徒会長を味方に付けたんだわ」

「生徒会長?」

 首ごと、エレンの方へ向けていた視線を元に戻すと、ヘンリエッタが頷いた。

「プラチナブロンドの女が一緒にいたでしょう? やっぱり、孤児なんだけど。セシリア=エメリン=ハウ=レアードっていうの。二人とも、高等部の三年生よ。で、殺人犯は栗色の髪の方。エレン=ヴィルヘルミーナ=クラルヴァイン」

 続けて彼女が説明してくれたのは、彼女曰くの『学院始まって以来の醜聞(スキャンダル)』――ルシンダ=ランフランク殺害事件についてのあらましだった。

「密室だったんだもの、犯人は彼女に決まってるわ。院長先生もどうして追い出さないのかしら」

「それより、どうして警察を呼ばないの? あんな卑しい孤児、さっさと警察に引き渡しちゃえばいいのに」

 ティオゲネスは、エレンに関する彼女達の悪口を聞き流し、情報だけ頭に入れるという器用なことをしながら、若干冷えた紅茶に口を付けた。

「シスター方は何て仰ってるの?」

 ソーサーにティーカップを戻しながら訊ねると、ヘンリエッタは、普通にしていれば可愛らしいであろう顔を、嫌らしく歪めた。

「それが、ルシンダは病気で退学しただけで、まだ生きているコトになってるのよ。だから、殺人も起きてない。殺人犯もいないって」

「隠蔽したい気持ちは察するわ。とんでもないスキャンダルだもの。でも、それで内部の生徒の安全が脅かされるなんて、本末転倒だわ」

「そう……」

 ティオゲネスは、残った紅茶を飲み干すと、音を立てないように置いて、時計に目を遣る。

「大変。後十五分で始業だわ」

「あら、本当」

「私、教科書を取りに、一度寮へ戻らないといけないの。お先に失礼するわね」

「ごめんなさい、引き留めて。あ、リディア。貴女、クラスはどこ?」

「三年B組よ」

「まあ、嬉しい。同じクラスだわ。じゃあ、後でね」

「ええ」

 食べることを一度は放棄したくせに、実際にはほぼ空になった盆を持って立ち上がると、ティオゲネスは、さっと食堂内に視線を走らせる。だが、間の悪いことに、エレンは奥まった場所に、金色の髪の持ち主と座っていた。

 いくら何でも、ここからでは、出口に行き着くまでに『偶然』彼女の傍を通り過ぎることは出来ない。

 不自然に見えないように視線を前に戻し、ティオゲネスは仕方なく、エレンとは接触せずに、その場を後にした。

 そのティオゲネスを、さり気なく目で追っている人物がいるのに、ティオゲネス自身は全く気付いていなかった。


***


『感度は?』

「良好。マジにこれ、試作品か?」

 深夜零時。

 とっくに消灯時間を過ぎた聖マグダ・ルーナ女学院のミドルトン寮・三〇五号室のベランダに出て、ティオゲネスは、アレクシスから渡されていたインカム型の携帯端末を左耳に装着して話していた。端で見ている者がいたとしたら、ティオゲネスは独り言を喋っているちょっとアブナイ少年に見えるだろう(髪型は昼間のままだが、服装は、七分丈の上下だ)。

「大方、前情報通りってトコだな。自分は孤児だって女にはまだ接触できてねぇけど、良家の(ジョン)共は、多かれ少なかれ、エレンを疑ってる。シスター達は言うに及ばず、だな」

 ベランダへ通じる窓は完全に閉じて、ティオゲネスは手摺りの上に外側へ足を出す形で腰掛けていた。見回りが来たら、死角に素早く隠れる為だ(ベッドの方は、きちんと細工済みである)。その為、通話中でも両手の空くインカム型端末は非常に有り難かった。

 渡された時に聞いた話では、市場に出回っているものではなく、CUIOで開発中の試作品だという。

『そう……エレンちゃんには接触できそう?』

 電話の向こうの相手は、アレクシスだった。今この現場を見つかるようなヘマをするつもりは更々ないが、いざという時の用心の為だ。名目上、ヴァーノン家の秘書という立場の彼女と話していれば、複数の違反による説教を多少貰っても、言い訳は立ち易い。

「部屋番さえ分かってれば、今夜にも侵入くらい出来るぜ。ただ、この学院て、二人部屋なんだろ」

 やや物騒なことを言うティオゲネスに、アレクシスはもっと物騒な答えを返した。

『部屋番は、ヴォドラーシュカ寮の六〇五号室。ちなみに、エレンちゃん今一人部屋よ』

 必要なら忍び込めと言わんばかりだ。しかし、ティオゲネスは驚きもせずに、「やっぱりな」と返した。

『あら、どういう意味?』

「今日一日、学院観察してて思ったんだよ。エレンと相部屋になりたがる人間はいねぇだろうってな」

 一人を除いて、とティオゲネスは脳裏で付け足した。

(いや、二人だな)

 脳内で、更に訂正する。一人は自分だ。言われれば、彼女と相部屋になるのは(やぶさ)かではない。しかし、学年がそもそも違うので、間違っても彼女と相部屋にはなれまい。

 もう一人は、ヘンリエッタに『生徒会長』と呼ばれていた、プラチナブロンドの生徒だ。

(確か、セシリア……とか言ったっけ)

 他に類を見ない、あのプラチナブロンドに、どこかで会っている気がするのだが、如何せん、顔を見ていないのではっきりしたことは言えない。

「それで? そっちはどうだったよ」

『バッチリ、ルミノール反応は出たわよ』

 昼間、部屋に荷物を届けるという名目で、一人でこの部屋を訪れたアレクシスは、色々と調べ回っていた筈だ。

 何しろ、この三〇五号室は、元はエレンのいた部屋――つまり、ルシンダ=ランフランク殺害が行われた現場なのだから。

『けど、一人で取り調べるのはやっぱり限界あったわ。捜査令状が取れれば、鑑識引き連れて行けたのにぃー』

 あー悔しい! と電話の向こうで歯軋りしているアレクシスに、ティオゲネスは苦笑を返す。それには殆ど無反応で、アレクシスが続けた。

『ルミノール反応の出た周辺は、一応指紋採って持ち帰ったけど、期待は出来ないわね。何せ、壁には血が飛び散ってたけど、ベッドからは何も出なかったもの』

「だろうな」

 事件発生から、一ヶ月も経っているのだ。

 現場の保全なんて、最早絶望的である。

「ルミノール反応だけじゃ、令状取るのは難しいかな」

『難しいわね、それだけじゃ。第一、それで動けるなら、とっくに地元の警察が動いてるわよ』

「となると、やっぱりエレンに話を聞くしかねぇか……」

『そうね。後は、第一発見者のシスター・ジーナにも話を聞けたらいいんだけど』

「あー、あのお気楽そうなシスターね」

 ククッ、と思わず喉の奥で笑いながら、真ん丸眼鏡のお呑気そうな顔を思い浮かべる。

 その時、ふと空気にひりついた気配を感じて、ティオゲネスは目を瞬いた。

『……どうかした?』

 不意に口を噤んだのが、アレクシスにも伝わったのだろう。低く潜められた声音が、耳朶を打つ。

「悪い、掛け直す」

 短く言うと、ティオゲネスは通信を切って、用心深くベランダに足を着けた。何事かあった際に素早く動けるよう、足にはこっそり持ち込んだ、履き慣れたスニーカーを履いている。

 ブレスレットから鋼線を引き出しながら、死角に身を潜めて室内を窺う。流石に、銃は持ち込めなかったのだ。

 ただ、こういう状況に置かれると、銃が手元にないのは非常に痛い。

 一瞬、見回りのシスターかとも思ったが、殺気のない人間ならもっと分かり易く気配はダダ漏れの筈だし、第一、こんなに棘のある空気を一瞬でも感じさせる訳がない。

 しかし、暫く待っても、相手が仕掛けて来る様子もない。

(……気の所為か?)

 眉根を寄せて、身構えながら、ティオゲネスはベランダの窓をそっと開いて室内へ戻った。

 普通は二人で使う部屋なので、正面に勉強机があり、ティオゲネスから向かって左手――丁度、直角に曲がって死角になっている場所に、ベッドが二つ設えられている。

 勉強机の手前で足を止め、壁の陰からそっと出入り口の方を窺うが、誰もいない。元々エレンが使っていたらしいベッドは、これからティオゲネスが使うもので、今は人の厚みに似せて荷物やその下の布団が丸めてある筈だ。

 警戒を解かないまま、そのベッドまで歩を進め、布団を一気にはぎ取る。だが、そこにも人間の姿はなく、ティオゲネスが仕込んだ荷物と布団と、着替えなどが散乱しているだけだ。

 向かいのベッドにも、人が隠れているような厚みはない。念の為、ベッドの下も覗いてみたが、誰もいなかった。

(確かに何か感じたんだけどな……)

 珍しく、過敏になっているのだろうか。

 数秒悩んだ末、ティオゲネスは出入り口とベランダの施錠を確認すると、靴も脱がずにベッドへ潜り込んだ。


***


「やはり、アッシュだったのね」

 クスクスと楽しげに笑うシスターの前には、前日の昼間、編入して来た少女の資料が広げられている。

 写真には、銀灰色の髪と、翡翠の瞳を持つ、恐ろしく整った容貌の少女が無愛想な顔をして写っていた。

 室内は薄暗く、光源はシスターの机にある、ランプのみである。

 その机の手前に、一人の女生徒が立っていた。

「――で、腕の方はどう?」

「勘は恐らく鈍っていません。昼間は少し心配になりましたけど」

 淡々とした口調で答えた女生徒は、プラチナブロンドの髪を揺らめかせ、何の感情も映っていないアイス・ブルーの瞳で、シスターを見た。

「そう……」

 シスターは、相変わらず楽しげに微笑んでいる。

「まさか、ここへ来て、あなたが飛び込んで来てくれるなんてね……」

 小さな笑い声と共に、シスターの指先が銀灰色の髪の少女の写真を、愛おしむように撫でた。

「この子の目的は、何だと思う?」

「それはまだ、はっきりとは」

「探って頂戴。出来ればこちらに引き入れたいわ。一度、ゆっくり話がしたいわね」

「それでは?」

 伺いを立てる少女の言葉に、シスターは頬杖を突いて少女を見上げる。

「接触していいわ。大丈夫。一度や二度なら、あの子も貴女とコトを構えようとは思わない筈よ」

 クス、と再度小さく笑うと、シスターは立ち上がって窓から外を見上げた。

 深夜に近い時間帯の為、今は群青色の夜空に、満月が皓々と輝いている。

「さあ……忙しくなるわね」

 誰にともなく呟いて、シスターは自らの黒いヴェールに手を掛けた。腕で弧を描くようにして引っ張ると、掴んだヴェールが脱げ、波打つダークブロンドが、滝のように流れ落ちる。

「あなたとお話しする時が楽しみだわ……アッシュ」

 どんな風にいたぶってあげようかしら。

 小さな囁きのようなその声音が、プラチナブロンドの少女の耳に届いたかは判らない。そもそも、少女の存在が、この時のシスターの意識に残っているかどうかも、定かではなかった。

 剃髪もしていない異質なシスターは、楽しくて堪らない、とでも言わんばかりに、クスクスと笑い続ける。彼女の、奥の見えないブラウンの瞳が、面白そうに怪しく煌めいた。


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