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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Case-book.1―Chasing Evidence―
2/72

Chase.1 或る女との再会

 白い空間に、赤い跡が、浮き上がるように点々と続いている。

 あれは、血の跡だろうか。

 そう思いながら立ち尽くしているのは、ひどく整った容貌の持ち主だった。

 形のよいアーモンド型の目元が、極上の翡翠と見紛う瞳を縁取っている。綺麗に通った鼻梁の下にある薄く引き締まった唇が、小振りな逆卵形の輪郭の中で絶妙な位置に納まっていた。中性的な美貌は、どちらかと言えば女性寄りだったが、彼は(れっき)とした少年だ。


 その少年の、伏せられた瞼の下で、視線が足下へ落ちる。

 赤い跡は、まるで自身の足跡のように、足裏へと続いていた。思わず後退(あとじさ)りすると、赤いモノはそれに従って、擦ったように地面に尾を引く。

「ッ、ァ」

 整い過ぎた容貌が、くしゃりと歪んだ。

 どれだけ時が経っても、どんなに鉄錆びた道を離れたと思っていても、時折こんな風に現実を見せ付けられる。

 まるで、誰かに忘れるなと念押しされているように。

『忘れられるワケ、ないわよね?』

 耳元で囁かれる。瞠目して振り返ると、そこには眉間から血を流す、かつての友がいた。

「違うっ……!」

 許してくれ。仕方なかったんだ。

 身勝手にも、そう口に乗せる寸前、硝煙の臭いが鼻先を掠める。咄嗟に見下ろした手には、今し方、弾丸を吐き出したばかりの銃が握られていた――


***


「――――ッッ!!」

 ビクッと大きく身体が跳ねた。叫び声を上げたかどうかも分からない。

 ドクドクと脈打つ心臓に、無意識に拳を当てる。浅くなった呼吸に溺れそうになりながら、周囲を見回す。

 目に映ったのは、白いバルコニーと、緑の海原のような草原に点在する家々。

 そよと渡る風が、汗ばんだ額と火照った頬を、優しく撫でて通り過ぎる。

 バルコニーに出て景色を眺めている内に、うたた寝してしまったらしい。

(夢、か……)

 はあ、と大きく息を吐いて俯くと、肩胛骨の間辺りに毛先が届く長さの銀灰色の髪が、サラリと肩を滑って流れた。

(……いや)

 俯いた先に映るバルコニーの床を、見るともなしに見ながら、少年はそれを否定した。

 今のは確かに夢だが、あれは夢ではない。現実の追体験にも似ているが、それも違う。

 反復だ。

 忘れるな、と。

 何があっても、忘れてはならない。己の罪を。血で染まった手を。己の手で屠った、数え切れない命を――忘れることなど、お前には赦されていない、と念押しされているだけだ。

「――ティオ?」

 その時、不意に声を掛けられて、ティオ、ことティオゲネス=ジークムント=ウェザリーは顔を上げた。

 振り返ると、緩いウェーブを描いた栗色の髪を持つ少女が、家の中から顔を覗かせている。

 マルタン教会付属孤児院で生活を共にしている孤児の一人、エレン=ヴィルヘルミーナ=クラルヴァインだ。ティオゲネスより二つ年上だが、若草色のぱっちりとした瞳が、十六歳という実年齢より彼女を幼く見せている。身に着けた白いワンピースが、まるで彼女の為にだけ作られたかのようによく似合っていた。

 ティオゲネスと視線が合うと、彼女は花が(ほころ)ぶように笑う。

「こんな所にいたの。そろそろ買い物行こ?」

「あ、ああ……」

 まだ夢の余韻が抜け切らずに、ぼんやりと返事をすると、エレンはその若草色の瞳を曇らせて歩を進めた。

「大丈夫?」

「何が」

 動揺を気取られまいとするように、ティオゲネスは立ち上がった。だが、一見おっとりとしたこの少女は、こういう時に限って誤魔化されてくれない。

 腰まで届く栗色の髪が、彼女の歩く動きに合わせて、ふわふわと揺れる。

 間近に立ったエレンは、ティオゲネスの翡翠をじっと見つめた。年齢差の所為か、彼の身長はエレンよりも若干低い。近距離で向き合うと、どうしても彼女に見下ろされる格好になる。

「何だよ」

 不機嫌そうに(ただ)すティオゲネスの額から頬に指先を這わせたエレンは、「やっぱり」と呟く。

「だから、やっぱりって何がだよ」

 けれど、苛立ったように重ねられる問いには答えず、彼女は出し抜けにティオゲネスを抱き寄せた。

「!」

 瞠目するティオゲネスに構うことなく、エレンは黙って彼を抱き締める腕に、痛くない程度に力を込めた。その掌が、まるで赤子を宥めるようにポンポンと背中を叩く。

 こういう時、彼女は何も訊かない。ただ黙って傍にいてくれたり、今しているように抱き締めてくれたり――悪夢を見た後は、必ずしてくれる儀式のようなものだ。ティオゲネスが、嫌な夢を見た、と一言も口にしないのに、こういうことだけ察しがいい。

 普段は、非常識なくらい鈍い少女だというのに。

 ティオゲネスは、徐々に瞼を伏せて、彼女の腕に身を任せた。

 彼女の腕の中は、居心地が好い。温かくて甘やかで、安心する。――記憶の中にある、忌まわしい赤色さえ、忘れられそうな程に。母親の記憶は朧気だが、母の抱擁とはこんなものなのだろうかと思う。

「……さ、買い物行って来よう?」

 やがて、ティオゲネスが落ち着いた頃合いを見計らって、少女は身体を離すと、仕上げのようにポンと肩を叩いて微笑する。

 玄関で待ってるから、と言って踵を返す彼女の後ろ姿に、ティオゲネスはこっそり苦笑した。


 素直に認めるのは、癪に障る。

 けれど“ここ”は、殺伐とした冷たい世界で生きていたティオゲネスにとって、心の拠り所になりつつあるのも確かだった。


***


「おい、エレン。買うものこれで全部だろ?」

 背後から声を掛けられて、先を歩いていたエレンは振り返った。

 頭部に被った白い帽子の広い鍔越しに見えるティオゲネスは、荷物を抱えていない方の指先で、買い物リストのメモを摘んでいる。

 彼も、今は纏めないままの銀灰色の上に、鍔の方を後ろに向けてキャップを被っていた。

「うん。でも、帰る前に診療所に寄らなきゃ」

「げー、何しに行くんだよ」

 その美貌が『面倒臭い』と言わんばかりの心情を隠しもせずに歪んだ。

「神父様の薬貰いに行くの。また最近腰痛がひどいみたいね」

 もう年だから、と付け加えながら、エレンは少年のリアクションにはもう頓着しなかった。

(さっきまで、あんな顔してたクセに)

 思ったそれは口にせずに、エレンはそっと息を吐く。

 でも、憎まれ口が出るなら大丈夫ね、と少し安堵する。

 それをバロメーターにするのもおかしな話だが、彼の毒舌は元気な証拠だ。壁に投げれば必ずバウンドして返って来るボールのようなもので、いちいち腹を立てたり落ち込んだりしていてはキリがない。何でも慣れが重要だと悟ったのは、十五の頃のことである。

 今日は数歩後ろを歩いているティオゲネス=ウェザリーという名の少年が、エレンの身を置くマルタン教会付属孤児院に引き取られて来たのは、二年程前のことだった。

 何て綺麗な子なんだろう、というのが第一印象で、その『綺麗な子』が少年だと知った時は二度びっくりした。

 しかし、当時十四歳だったエレンの人生史上最大の『びっくり』が用意されていたのはその後だった。

 彼は、喋り出したらその美貌も台無しな、超毒舌美少年だったのである。

 おまけに、人の言うことは聞かないわ、人間不信だわ、教会内の孤児院に引き取られて来ておいてぬいぐるみ代わりに銃を抱いて寝るわの、マルタン教会内孤児院始まって以来の(と言ってもエレンは孤児院が始まった時からの歴史全てを知っているわけではないが)大問題児だった。

 ただ、その大問題の奥に隠された彼の心の傷には、彼がここへ来てから程なく気付いた。精神の動揺に拠る不調に陥るのを目にしたことが何度かあったし、今も時折、先刻のように不安定な様子を見せることがある。

 けれども、原因となる出来事の詳細は分からない。彼がマルタン教会に来る前までの経歴を、よく知らないからだ。エレンだけでなく、孤児院内にいる誰も知らされていなかった。

 教会の責任者であるラティマー神父は知っているのだろうが、笑顔という名のポーカーフェイスで、『彼のプライバシーに関わりますから』と言って教えてくれなかった。

 あれから二年経った今では、彼も大分丸くなっている。少なくとも、銃を抱かずに寝るようになったのは進歩と言えたが、毒舌は相変わらずだ。

「あんた、ここに来て二年になるのに、その口の悪さだけは治らないのね」

 思わずぼやくと、「放っとけ、生まれつきだ」という大凡(おおよそ)事実とは言い難い答えが返ってきて、エレンは本日二度目の溜息を吐いた。それでも、今ではこうして買い物も文句を言わずにするようになっているのでまあいいか、と思う。ちょっとした台風が紛れ込んで来て久しいが、これもようやく日常になりつつあった。

 そんなエレンにとっての新たな『日常』が崩れたのは、次の瞬間だった。

「あ!」

 路地の角から唐突に出てきた、ずっしりと容量のあるものに押し倒されて、受け身をとるということも知らないエレンは、まともに引っ繰り返った。反射的に頭を庇うくらいはしていたらしく、後頭部を思い切り地面に叩きつけるという事態は免れる。けれども、抱えていた買い物袋は放り出され、中に詰め込まれていた日用品が無惨に通りへ散らばった。

 しかし、幸か不幸か、そこも既に人通りのない路地裏の一部であった為に、散乱した荷物を拾う為に手伝おうと駆け寄って来る者はいない。――ティオゲネス以外には。

「おいおい、何やってんだよ。相変わらず……」

 鈍くさいなとでも続くと思われたティオゲネスのセリフは、途中で呑み込まれた。

「?」

 不自然に途切れた彼の声に、エレンも不審なものを感じて、痛みとぶつかった衝撃で閉じていた目を恐る恐る開いた。自分の上にのし掛かっているものを確認して、唖然とする。声が出ないとはこういうことかと、頭の冷えた部分が呟いた。

 自分の身体の上に乗っているのは、人だ。それは、見れば分かった。

 だが、その人物は明らかに血液と思える赤いものを身体のあちこちから流している。

「やっ……!」

 咄嗟に出たのは、拒絶の言葉だった。何に対する拒絶なのか、自分でも分からない。

 血を見るのは初めてではないが、こんなに大量の血を流している人間を見るのは初めてだ。

 早く何とかしなければと思うものの、何をしたらいいのかも分からなかった。頭が真っ白になるとは、正しくこのことだろう。

 助けを求めるようにティオゲネスを振り仰ぐと、彼も珍しく表情を硬くして、自分の上にいる人物を見つめていた。

(い……いけない)

 しっかりしなくては。

 曲がりなりにも、自分は彼より二歳も年上なのだ。

 きっと、こんな重傷人を目の当たりにするのは彼も初めてで動揺しているのだろう。

 自分がしっかりしなくては――という健気なエレンの決意を、ティオゲネスはあっさりと覆す行動に出た。

 そっと、だが、しっかりとエレンの上に覆い被さった人物の肩に手を添えて、その身体を引っ繰り返す。

 仰向けに転がったその顔は、女性のものだった。顎の高さで揃えられていただろう黒髪は脂汗で顔に張り付いてバサバサになってしまっている。

 身に着けたインナーと上着、更にはボトムの上部までもが、元の色が判らないほどに毒々しくぐっしょりと湿っていた。

「……おい、聞こえるか?」

 普段より低くなった声音が、重傷を負った女性に向けられる。

 これだけ出血しては意識などとうに吹っ飛んでいてもおかしくないが、それに反応したのか、伏せられていた瞼が小さく震えた。

 億劫と言わんばかりの動作で持ち上げられた瞼の下から現れたブルーグレイの瞳は、既に焦点が合っていない。

「こんなとこでこんなカッコのあんたと再会するなんて奇遇だな。俺が分かるか?」

「え!?」

 知り合いなの? と訊ねるより先に、女性の唇が喘ぐように動いた。

「……悪い、わね…もう、殆ど、見え、なくて……名前、は?」

 深い傷を負った所為なのか、浅い呼吸に言葉が不自然に途切れる。

「ティオ。ティオゲネス=ウェザリーだ。覚えてるか」

「ええ……勿論」

 苦しそうな中にもどこか安堵の表情を浮かべた女性は、重たげに腕を持ち上げると、自分の首筋を探った。自らが着けていたペンダントの鎖を引きちぎり、震える手でティオゲネスの声のする方へ差し出す。

「これ、を」

「何だこれ。ペンダント?」

「U、SB……メ、モリ…C、UIO、へ……本部、へ…届け、て……」

「CUIO……本部?」

 CUIO――それが、国際連邦捜査局を意味する通称であることは、エレンでも知っている。

「誰に?」

「で、きれ、ば…本部長……無、理な、ら、副、本、部長……でも、…ガーティン、支、部は……もう、ダメ……その、両隣、の州、…も……っ」

 息を詰めた女性は、仰向いていた身体を急に横へ向けたかと思うと、背を丸めて激しく咳き込んだ。その口元を押さえてはいたが、指の隙間から血が吹き出す。

 エレンは狼狽(うろた)えるばかりで何もできない。早く何とかしないと、女性は死んでしまうのではないだろうか。

 そう思うのに、エレンにできたのは成り行きを見守ることだけだった。

「も、う…行って……あたし、は、……もう、ダメ……だから……」

「な、何言って」

「見りゃ分かる」

「ティオ!」

 見放すようなティオゲネスの発言に、エレンは思わず叫んだ。だが、彼はエレンのリアクションに全く頓着せずに女性との会話を続けている。

「詳細を話す時間はねぇな」

「そう、ね……」

「銃は?」

「脇、の……下の、」

「分かった。もういいから喋るな」

 ティオゲネスは躊躇いなく彼女の上着を剥く。その年頃の少年にありがちな、異性に対してそのような行為に及ぶ際の恥じらいを一切見せず、また感じてもいないように見えた。

 女性の言う通り、脇下に釣られたホルスターを探り当て、拳銃を取り出す。

 慣れた手つきでオートマチックのそれの弾倉を取り出して残弾を確認すると、弾倉を戻してスライドを引いた。

「貰ってくぜ」

 女性は、微かに頷いた。もう、声を出す力も残っていないのかも知れない。

「行くぞ、エレン」

「え……で、でも」

 女性をこのままにして行くのか。それは、あまりにも非情ではないか。

 言葉にはできなかったが、目で訴える。

 ティオゲネスにも伝わった筈だが、彼は敢えてエレンからも女性からも目を反らすようにして、エレンの腕を掴んで乱暴に立ち上がらせた。

「ちょっ……」

 まさか、本当にこのままにして行く気!?

 非難がましく言い募ろうと吸い込んだ空気は、次に外野から掛かった叫びに言葉を乗せることなく呑み込むしかなかった。

「いたぞ! あそこだ!」

「ええっ!?」

 事態に理解が追い付かない。一体何が起きているのか。

「走れ!」

 状況を把握するより先に、ティオゲネスに腕を引っ張られる。思わずたたらを踏むが、どうにか転ばずに走り出した。

 ティオゲネスは、先刻エレンが女性と出会い頭にぶつかった角を素早く曲がって路地裏へ飛び込んだ。

 少年に腕を引かれて走りながら、エレンは後ろに視線を向ける。路地裏の入り口が、数メートル後ろに遠ざかっていた。

 路地を形成する壁と壁の隙間をバラバラと通過していくように見えたのは、数人の男達だ。

「女は?」

「死んでる。お前だけ残って例のものを探せ。俺はさっきのガキ達を追う。残りは一緒に来い」

 物騒なやり取りが小さく漏れ聞こえる。数秒の後、言葉通り男達が自分達を追って路地裏に入り込んで来るのが見えた。

「ね、ねぇ、ティオ! 何であたし達が追われるの!? あの人達は!? あの女の人は一体……」

「俺が知るか! とにかく今は走れ! 死にたくなかったらな!」

 俺が知るかって、あの女の人とは知り合いじゃないの?

 と訊ねたい衝動に駆られたが、今訊ねても答えてはくれないだろうし、ティオゲネスの言う通りその余裕もないのはエレンにも解る。

「ねぇ、ティオ! 表通りを行った方がいいんじゃないの? 人混みに紛れれば」

「バカ。お前、自分のカッコよく見てみろ。ンなカッコで表通りなんか疾走したら怪しさ爆発だぞ」

「え」

 言われて自分の身体に目を落とす。

 血塗れの人間に抱き付かれたら、こうなるのは自明の理という結果が視線の先にあった。真っ白だった筈のワンピースは、いつの間にやら毒々しい赤の斑模様が付いていた。

 このワンピース、ちょっとお気に入りだったのにな。

 いかにも緊迫感のない落胆が脳裏によぎった瞬間、躓きようのないような僅かな煉瓦の引っかかりに足を取られて、エレンは今度は俯せに転倒した。

「きゃっ……!」

 身体が浮いて、転ぶまいと足掻く間に一瞬で地面が迫る。反射的に手を前に出すが間に合わず、膝から胸部に掛けて強かに地面に打ち付けて息が詰まった。

「そこまでだ、このガキ共!」

 男の叫びと同時に、銃声が轟く。一拍遅れて男の悲鳴が被った。

 エレンは、痛みに強張る身体をどうにか動かして、上半身を起こす。顔だけ背後へ振り向けると、視界に入った三人ほどの男達は、地面へうずくまって呻いていた。

「エレン!」

 呼ばれて身体がビクリと震える。

「何やってる、早く立て!」

 言いながらもティオゲネスはエレンの腕を取って、引きずり上げるようにして立たせた。殆どそのまま腕を引かれる。まだうまく力の入らない足がもつれそうになるが、また転ぶわけにはいかない。

 固まったような足をどうにか動かして、ティオゲネスについて走る。

 追って来た男達が全員その場で動けなくなっているのか、まだ誰かが追って来ているのか、それを確認する余裕はエレンにはなかった。


***


「取り逃がした?」


 その室内は薄暗かった。

 ブラインドに遮られて、陽光が遮られている所為だ。

 そのブラインドの隙間から外を賺し見ながら、男は端末越しに鋭く問い質す。

 その声音に震え上がったのか、電話口の向こうの男が慌てるように言葉を接ぐ。

『いえ、クラーク刑事本人の口は封じました。ただ、例の証拠らしいものが見当たりません。加えて、我々が彼女に追い付く直前に子供が二人、その場から逃げ出して……』

「十中八九、証拠となる何かはその子供二人が持ってるんだろうな。で、そいつらを逃がしたのか」

『申し訳ありません』

 深刻な謝罪の声が、携帯端末を通して耳に届く。

 それもその筈で、その『証拠』は、彼にとっても重要なものだからだ。

 今のところ、証拠はどういう形でクラーク刑事が持って行ったのか分かっていない。何らかの記録媒体だというのは想像がつくから、恐らくCD-ROMかSDカード、もしくはUSBメモリのどれかだろうとは思う。

 何としても探し出してこの世から抹消しなければならないのは、電話機の向こうにいる彼も同じだ。そうしなければ近い将来、彼も男共々おまんま食い上げた挙げ句に、社会的に抹殺されるのは、想像に難くない。

「状況は分かった。子供を捕らえられる勝算はあるんだろうな」

『近くまで接近した部下が見ていますし、名前も……ファーストネームだけですが、一人は判っています』

「よし。早急に子供達を探せ。場合によっては指名手配しても構わん」

『その場合、理由は何と?』

「クラーク刑事殺害の容疑でも引っ被って貰え。記録媒体を回収したら、その場で始末していい」

『分かりました』

「急げよ。以後、全部コトが終わるまで定時連絡は要らない。次の連絡では成功の報告だけを聞かせろ。以上だ」

 言うだけ言ってしまうと、男は相手の返事も聞かずに通話を切った。

「始末できなかったのか」

 背後から掛かった声に、男は振り向くことをしなかった。振り向かずとも、誰がいるのかは分かっている。

「今のところはな。だが、近い内に全てカタが着く」

「そう願うね。こっちの決着が付くまでウチも人身売買の方は暫く休業だからな」

 相手が立ち上がる気配を感じて、それまで電話をしていた男は、背後に視線を向けた。

 そこに立っているのは、全身黒ずくめで長身の、やはり男だ。

 うなじを覆う程度の長さのある漆黒の髪はオールバックで、うなじより高い位置で括ってある。面長の輪郭に長い鼻梁とやや長めの唇がバランスよく配置された容貌だが、目元はいつも長方形に近いサングラスに隠されていた。

 その彼が、今日身に着けているのは、ハイネックのトレーナーとジーンズというラフな出で立ちだが、そのどちらも黒だった。

「おれも、さっきのあんたの言葉を復唱させて貰うよ」

「何?」

「次の連絡では全部穏便に片付いたって報告だけが聞きたいね」

 じゃあ、と言って踵を返すと、黒い男はヒラリと軽く手を振って、薄暗い部屋を辞した。

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